ありふれて当然だったことは忘れられる(カニバリズム)2019/03/04

 何年か前に、中国にはカニバリズム(人肉食)という野蛮風習があったが日本にはなかったと言う人がいました。 日本にカニバリズムがあったことは周知のことと思っていましたから、ビックリしました。 

 ちょっとおさらいすると、中国では清朝末期(1911)まで各地で刑死者の肉や血が食べられていたという記録があります。 そして日本でも江戸時代に刑死者の内臓や肉が薬・滋養強壮用に売買されていたという資料があります。 つまりカニバリズムは中国にも日本にもあったのです。 (下記参照)

 しかし日本で明治政府がこれを厳禁したためこの風習は廃れ、今度は日本ではカニバリズムは元々なかったということになりました。 数十年前の江戸時代にあったことが忘れられてしまい、中国(清朝)に行ったらそこでは刑死者の肉や血を民衆が争うように求める姿を目撃して、ああ何と中国人は野蛮なんだ、という感想を抱くようになったと考えられます。 それが最近まで続いてきたということですね。

 要するに自国民を棚に上げて忘れてしまい、他民族への優越感を抱くレイシズムです。 朝鮮人は嘗糞とかトンスルをするといって侮辱するのと同じ思考パターンでしょうねえ。この類の虚偽情報がインターネットで横行していますので、注意が必要です。

【拙稿参照】

中国のカニバリズムを取り上げるのはレイシズム http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/10/04/6999819

日本のカニバリズム      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/12/18/7119003

ありふれて当然だったことは忘れられる(嘗糞) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/01/20/9026936

ありふれて当然だったことは忘れられる(男がおむつを洗う) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/02/08/9033687

医大の不正入試2019/03/05

 東京医大の不正入試問題は、次々と新たな事実が出てきますね。   https://mainichi.jp/articles/20190304/k00/00m/040/229000c

 ところで、これは1970~80年代に聞いたことですから、3・40年も前の話です。 ある私立医大で起きた差別問題で、解放同盟が糾弾闘争を行ないました。 当時のことですから、医大関係者のちょっとした差別発言を契機とした糾弾だったと思われます。

 この闘争の裏で、解放同盟の子弟をこの医大に無理やり入学させた、という噂が流れました。 本当かどうかの確認は取れませんが、当時の解放運動を知っている人ならば、それはあり得ただろうと思うでしょう。 拙ブログでは、子弟を公務員に無理やり就職させようとした解放同盟の様子の記録を報告したことがあります。

かつての解放運動との交渉風景   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/08/27/6074508

 このような風景がしょっちゅうあった時代でしたから、差別糾弾闘争によって医大に子弟を入学させようとした解放同盟員がいても、おかしくはなかったのです。 そして実際に入学したという噂でした。

 そしてその後どうなったか。 特別扱いで入学したこの子弟は大学の授業についていけず、1年で辞めたということでした。 そのためにこの事件は、最初からなかったことになって闇に埋もれた、という話でした。

 東京医大の不正入試問題のニュースを見ながら、昔の噂を思い出した次第です。

【拙稿参照】

闇に消えた公金―芦原病院・同和行政   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/04/29/346418

松岡徹さん               http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/05/26/381520

これが「真摯に反省」?         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/05/27/382079

飛鳥会事件―「心から謝罪」は本当か?  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/02/24/1206080

解放運動に入り込むヤクザ        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/05/04/1482616

同和地区の低学力            http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/05/18/1515064

水平社宣言               http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/07/07/1631798

部落(同和)問題は西日本特有の問題   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/07/14/1652936

解放運動の「強姦神話」         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/07/28/1685192

差別と闘うことへの疑問         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/12/15/2513505

弱者の腐敗               http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/12/29/2534690

松岡徹氏に関する拙稿が役立った     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/02/23/2653204

活動家の転落              http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/05/17/3518593

差別の現実から学ぶとは?        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/12/19/5589789

同和教育が差別意識をもたらす      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/12/29/5614412

かつての解放運動との交渉風景      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/08/27/6074508

郵便ポストを設置させた解放運動     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/07/07/6502784

同和地区の貧困化            http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/07/29/6525302

「原子力ムラ」は差別語では‥      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/09/22/6580751

解放運動                http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/05/02/7299711

解放運動の力が落ちたこと        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/01/08/7533867

柳田邦男のビックリ部落認識       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/12/25/8290405

福田徳三が朝鮮独立を支持していた?!2019/03/10

 『朝鮮日報』2019年2月25日付けの記事で、朝鮮独立を支持した代表的人物として「福田徳三」が挙げられていました。 日本語版にはないので、訳してみました。 誤解のないように、全文訳です。

日帝の堤岸里虐殺を告発した日本の詩もあった   当時の一部の知識人・文人たち     日帝弾圧・植民支配政策を批判

「忽ち砲声、一発、二発。╱ 見るまに会堂は死骸の堂宇。╱ 尚あきたらずして火を以て見舞う者があった。」

 

1919年5月22日、日本の英文学者である斎藤勇が「福音新報」に寄稿した「ある殺戮事件」という詩だ。 日帝が1919年堤岸里の住民たちを虐殺した蛮行が知られると、斎藤はこの詩で「アジア大陸の東端で起きた惨事」だと嘆息した。 斎藤のように3・1運動当時の日帝の弾圧と支配政策を批判する知識人や文人が少なくなかったし、光復直後に3・1運動を素材にした日本文学作品も9編になったという論文が発表された。

日本・韓国の近代文学専攻者である芹川哲世二松学舎大学名誉教授は、論文「3・1独立運動と日本文学の関連様相」で「3・1運動当時、日本の民本主義論客や社会主義たちは沈黙していたが、黎明会(日本軍閥の浮上に反対した民主主義的啓蒙思想団体)所属の知識人たちは日本の植民支配政策に強く批判し、一部は朝鮮独立を支持した」と明らかにした。吉野作造と福田徳三が代表的だ。

また堤岸里虐殺が知られた直後、斎藤庫三の詩「殺戮の痕跡」などが発表された。 この論文は、韓・日共同研究書である『3・1独立万歳運動と植民地支配体制』に載った。 (キム・ソンヒョン 記者)

 この記事を読んでビックリしたのが、福田徳三が朝鮮独立を支持したというところです。 福田徳三は朝鮮史に関心のある人なら誰でも知っている経済学者で、日本の朝鮮支配を合理化・正当化したとして、今ではかなり評判の悪い研究者なのですがねえ。

 福田について解説しますと、明治から昭和の初めに活躍し、東京商大(今の一橋大学)教授。 彼の朝鮮に対する考え方は、平凡社『新版 韓国・朝鮮を知る事典』から引用しますと、次の通りです。

ドイツ留学後の1902年、朝鮮、シベリアに出張。2ヶ月ほどの見聞をもとに≪経済単位発展史上韓国の地位≫(1903-05)を執筆。 発展段階説の立場から朝鮮の停滞と封建制の欠如を論じ、ロシアでなく、封建制を経た日本こそが<朝鮮を同化して進歩に導く命運と義務がある>として日本の朝鮮支配を合理化し、のちに<停滞論>とよばれるその朝鮮史観は以後大きな影響を与えた。 三・一独立運動以降は吉野作造らと黎明会を組織して朝鮮人自治を主張したが、独立の実力なしとして朝鮮の独立に反対した。(485頁)

 

朝鮮前近代史を世界史の発展段階の中に位置付ける試みを最初に行ったのは、日本の経済学者、福田徳三であった。 ドイツの歴史学派経済学を学んだ福田は、自足経済(村落経済)、都市経済(領域経済)、国民経済という世界史の三段階説を前提として、朝鮮は朝鮮王朝末期にいたるまで、自足経済の段階にとどまっていたとしたのである。 そしてそう判断しうる根拠として福田は、第二段階の都市経済を生み出す封建制が、朝鮮の歴史に欠如していたことをあげた。 このような福田の封建制欠如論と停滞論的理解は、日露戦争期にあらわれたものであり、日本による朝鮮植民地化の動きを合理化する役割を果たした。(584頁)

 このように理解されてきた福田徳三が、今回の韓国の新聞記事では「朝鮮独立を支持した」代表的人物とされたわけですから、私はビックリしたのです。 そのネタ元は二松学舎大学名誉教授の芹川哲世氏のようです。 彼の論文を所収する『3・1独立万歳運動と植民地支配体制』は、3・1運動100周年を記念して最近に韓国で出版されたようで、手に入りませんでした。 いずれ入手して確かめたいと思います。

 もう一人、朝鮮独立を支持した代表的人物として吉野作造が挙げられています。 吉野の3・1運動への考え方については、同じく平凡社『新版 韓国・朝鮮を知る事典』では次のように評価さています。

吉野作造ら民本主義者たちは(3・1運動の)朝鮮人の立場に理解を示したが、それも植民地支配のあり方についての反省を求めるもので、植民地支配そのものを否定するような考えは出てこなかった。(208頁)

 吉野作造が3.1運動時に朝鮮独立を支持したとは、とてもではありませんが、考えられないところです。

 ところでこの記事での最初で、斎藤勇の詩が紹介されています。斎藤は晩年に孫に殺されて亡くなるという誠に不幸な最期を迎えた方です。 彼が若い時に朝鮮に関心を有していたとは知りませんでした。 大正8年5月22日付けの『福音新報』1247号で彼の詩が確かに掲載されており、3・1運動の悲劇を描き当局(朝鮮総督府)の対応を批判しています。 私には新たな知識を得ました。

韓国語が出来ずに韓国を論じる人たち2019/03/16

 木村幹さんのツイーターを読んでいたら、次のようなツイートがあって、成程そうだなあ、と思いました。

日本語版は全ての記事の翻訳ではないので、日本関係の内容が過大代表されます。故に日本語版だけでは、何も語れないと思います。

日本で日本語版がよく読まれている朝鮮と中央は共に保守系紙なので、その論調は常に現政権への批判のメッセージが含まれている。これがわからないと「朝日新聞が反対しているから安倍政権はまもなく倒れる」的な間違いをしてしまう。

 このごろの拙ブログではコメント投稿が少なくなりましたが、以前にある投稿者が 「私は韓国の新聞を毎日読んでいる」 と書いてきたことがありました。 すごい人だなあと思っていたら、何のことはない、インターネットの日本語版だけを読んでいるのでした。

 それどころか、この人、韓国語を全く知らず、また勉強しようともしない人でした。 こんな人が、自分がまるで韓国をすべてを知っていると言わんばかりの投稿をするのでした。

 いつだったか、日本語のできない反日の韓国人が、私は日本人の心にひだに巣食う不道徳性を知っている、などと豪語していましたねえ。 このレベルと変わりません。 

【拙稿参照】

 水野俊平『笑日韓論』 (続)     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/09/20/7439097

 漢字を廃止した韓国で「知的荒廃」?-呉善花(12) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/03/09/7240684

本名を取り戻した在日のおばあさん2019/03/23

 ちょっと以前ですが、2019年3月7日付けの毎日新聞に「関西夜間中学運動50年史、本に 学び、取り戻した人生 苦難・喜び、60人手記」と題する記事がありました。   https://mainichi.jp/articles/20190307/ddf/001/040/002000c

 この記事の中で、本名を取り戻したという在日朝鮮人のおばあさんの話があります。

記録集には壮絶な手記も寄せられた。「本名を名のりたい。本当の自分に戻りたい」。 韓国・済州島出身で、東大阪市立長栄中学夜間学級卒業生の文在良さん(89)は、70代で在学中に入国管理局に出頭、50年以上使った別人の名を返上し、本名を取り戻した体験を寄せた。 3歳で来日、戦後帰国したが再び日本を目指して密航船に乗り、生きるため、別人の女性の外国人登録証を買った。

仕事と育児に追われる日々を過ごし、「漢字が書けるようになりたい」と夜間中学生に。 自身のルーツを学ぶうち「死ぬ時は本名で」との思いが募った。 「他人の名前で生きていることが、いつも心に引っかかっていた」と文さん。 強制送還も覚悟で自首し、3ヶ月の取調べを経て本名を手にした。 2013年に83歳で高校も卒業。「夜間中学がなかったら、人生を取り戻すことはできなかった」と振り返る。

 この記事で「本名を取り戻す」とありますが、それは通名(日本名)を本名に切り替えることではありません。 密航し他人の外国人登録を不法に入手して使ってきた名前を、本来の自分の名前に変えたことなのです。 そしてそれは、当局の取り調べと処分を経て、新たに合法的な在留資格を得たということも意味します。

 このような在日は結構多いものです。 有名人では今はお亡くなりになりましたが、尹学準さん。 彼も日本に密航して「李継栄」という名の外国人登録証を購入し生活してきましたが、小学生の子供が親である自分の名前に疑問を抱いたのをきっかけに入管に出頭し、取調べの末、合法的な在留資格となり、本来の名前である「尹学準」を使うようになりました。  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/12/03/7933877 

 しかし本名を取り戻せていない有名人もいます。 金時鐘さんです。 彼も日本に密航して「林大造」名の外国人登録を入手し、この名前で生きて来られました。 そしてこの「林大造」名で、今度は韓国の戸籍(今は家族関係登録簿)を作られました。 ですから今は本名が「林大造」で、「金時鐘」はペンネームということになっています。

 彼は親から「金時鐘」という名前をもらい、韓国ではこの名で生活し学校に通われました。 しかし日本密航で不法に入手した「林大造」という名前がそのまま日本でも韓国でも本名(法律名)となってしまったのです。 在留資格も他人である「林大造」を引き継いでいるものと思われます。

 金時鐘さんはこのような自分史を語っているのですが、入国管理局や警察に出頭することもなく、従って法的に極めて疑問な形のまま生きてこられました。 これからもこの法的問題を解決することなく残る余生を過ごされるものと思われます。

【拙稿参照】

毎日の余録に出た金時鐘さん    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/08/27/8950717

本名は「金時鐘」か「林大造」か  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/08/23/8948031

金時鐘『朝鮮と日本に生きる』への疑問 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/07/28/7718112

金時鐘さんの法的身分(続)     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/08/13/7732281

金時鐘さんの法的身分(続々)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/08/26/7750143

金時鐘さんの法的身分(4)    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/08/31/7762951

金時鐘さんの出生地        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/07/05/7700647

金時鐘『「在日」を生きる』への疑問 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/03/01/8796038

韓国密航者の手記―尹学準     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/12/03/7933877

在日の密航者の法的地位      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/06/23/6874269

韓国語のできない嫌韓派2019/03/28

 4年ほど前に、嫌韓派の人たちは韓国語ができないことについて、次のように論じました。  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/01/17/7540292

今の日本では「嫌韓派」が大きな勢いを得ています。 嫌いなら無視すればいいのにと思うのですが、そうではなく韓国に関する本やネット記事を熱心に読むなど、非常に関心の高い人たちです。 しかし彼らのほとんどが韓国語を知らないし勉強しようともしないという特徴があります。 ネットで嫌韓のコメント・投稿する人は韓国語ができないと見て間違いありません。 韓国に関心がありながら韓国語ができないという‘嫌韓派’の姿は、興味深いものです。

‘嫌韓派’は体験に基づくものが余りなくてネットや本、雑誌などでの偏った情報ばかりを追求しています。 だから特定の政治的社会的テーマではこと細かく知っていながら、初歩的・基礎的知識に欠ける場合が多くなっています。 嫌韓派は拙ブログでも投稿・コメントをよくしてくれますが、私にはヘエー!?こんなことも知らないで韓国を批判しているのか!とビックリして参考にならないのが多いものです。 またレイシズムとしか言い様のない非常識なものも多いです。 けれど本人が自分のことをレイシズムや非常識とは自覚していないのは困ったものです。

 その後の‘嫌韓派’の人たちは、やはり今なお韓国語を知ろうとしないですねえ。 昔なら韓国語を勉強する場所自体がありませんでしたが、今は韓国語教室が日本全国にたくさんあるし、NHKハングル講座もあります。 韓国語の教材も昔は使い難いものばかりでしたが、今は洗練されて非常に勉強しやすいです。

 このように韓国語を勉強する環境ははるかに良くなっているのですが、それでも嫌韓派の人たちは、韓国に関心があっても韓国語を勉強しようとしません。 かつては、これはこれで興味深い現象と考えていましたが、今はもう、そう考えることがなくなりました。 

 彼らは日本国内で日本人に向かって日本語で吠えているだけです。 しかも偉そうに‥‥、 繰り返し何度も。 私には何も得るところがありません。 別に言えば、彼らは飲み屋でわけの分からないことをグダグダと管を巻いているようなものです。 本人はそれでストレス解消となるでしょうが、ただそれだけのことですね。 老人ボケ(差別語ですが)防止に役立っているのかも知れませんねえ。 ただ、それを聞かされる周囲はウンザリするだけです。 

 「‘嫌韓派’はネットや本、雑誌などでの偏った情報ばかりを追求している。 だから韓国の政治的社会的テーマではこと細かく知っていながら、初歩的・基礎的知識に欠ける」という私の評価は、今も変わりません。

 保守論客が嫌韓雑誌に所論をたくさん書き、本も出版しています。 彼らには嫌韓派はいいお客様ですから大事にしているし、嫌韓派に喜ばれるような論考を書き連ねておられます。

 私には一銭の金銭的利益もありませんから、韓国語を知ろうともしない嫌韓投稿者には冷たくあしらうだけです。 それが陰湿・狭量だと言われるなら、陰湿・狭量で何故悪い!?と居直ります。

【拙稿参照】

韓国語が出来ずに韓国を論じる人たち http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/03/16/9047781

嫌韓派と韓流派         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/01/17/7540292

水野俊平『笑日韓論』 (続)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/09/20/7439097

漢字を廃止した韓国で「知的荒廃」?-呉善花(12) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/03/09/7240684