「原子力ムラ」は差別語では‥2012/09/22

 「原子力ムラ」とは、

原子力産業や原子力を用いた技術およびそれに対して肯定的なマスコミなどの集団を指す言葉。日本の伝統的な村社会が排他的であるという特徴をなぞらえて、原子力廃絶論者が揶揄的に使う。 2011年流行語大賞にノミネートされた。

と説明されています。「ムラ」を否定的な意味で使っているのですが、都会人が地方を「田舎者」と卑下する心理に似通っています。

 ところで、これは「田舎差別」というだけに止まらないと思います。というのは、「ムラ」というのは、同和地区(被差別部落)を指すのに使われる言葉であるからです。口語ですから、文章の中では主に会話文に出てきます。

「あの人、ムラの人とちゃうか(‘違うか’の方言)」  

 このような言い方は、同和地区の人も、地区外の人も使います。ネットで「ムラ 同和」あるいは「ムラ 部落」で検索すると、出てきますが、数はそう多くありません。そういう使い方をする人が減ってきているのでしょうかねえ。

 それはともかく、「ムラ」が同和地区を指称する言葉として古くから使われているのを知っている私には、「原子力ムラ」というのは「原子力関係の社会は特殊部落だ」という意味に聞こえてきて、なじめないのです。

 「特殊部落」とは、同和地区を指す典型的な差別語とされています。これを使うと、すさまじい反応が出てきたものでした。例えば1970年代に司会者の玉置宏がテレビで「芸能界は特殊部落だ」と発言して、激しい糾弾を浴びた事件がありました。

 また現代コリア研究所が「現代朝鮮研究所」の時代であった1968年に、「朝鮮研究は日本史学の特殊部落」と書いて、激しい糾弾を浴びた事件もありました。   http://news.onekoreanews.net/detail.php?number=71434&thread=01r04

 これらの「特殊部落」の使い方は、何も同和地区を念頭に置いたものではなく、自分たち同士で集まり排他的な傾向にあって特殊な環境になっている、という意味で使われています。おそらく「特殊部落」が同和地区を指すという知識自体がなかったのでしょう。知っていれば使いませんから。それでも人格を否定されるほどの激しい糾弾を浴びたのでした。

 「原子力ムラ」という言葉を考案した人も、「ムラ」とは同和地区を指す場合があることをおそらく知らなかったのでしょう。

 あるいは人権団体が何の抗議もしないところをみると、ムラ=同和地区という言葉の使い方は無くなりつつあるのでしょうかねえ。

コメント

_ 小川 ― 2012/09/23 09:16

「むら」が差別用語ですか、少なくとも私が育った高知県では、そういう使い方はされてなかったですね。被差別部落を差別意識を込めて使うとしたら「よつ」や「部落」「あっち」などでしたね。

「むら」というのは、密集度の少ない集落又は行政単位での村ということでしょうが、確かに都市に住んでいてその中である特定の地区を「むら」と言った場合、排他的特殊地区という言い方に聞こえます。
原子力村という言葉を誰が言い出したのか知りませんが、私は、ある特定の利権を得ている特殊な集団で極めて排他的で特定目的(原子力は安全神話)のためには一致団結する人達という風に聞こえました。
部落も使い方によっては差別用語にもなります。
チョウセンやシナ、三国人なども差別用語だという人たちがいます。私が小学校のころは「くろんぼ」は黒人に愛着を持った言い方だったのですが、今では差別禁止用語となっています。いち・に・さん・よっつのよっつが差別用語でないように要するに言葉をつかう時の目的や状況によってどんな言葉も差別用語になるでしょうし、そうでない場合もあります。
朝鮮人が自衛隊旗でもある旭日旗を攻撃したり、ヒダリマキ教師が国歌・国旗を否定したりすることと、その言葉は差別用語だと糾弾することはある意味似ていると思います。
私は、言葉狩りの方が危険だと思っています。

今の日本では「中国」という言葉そのものが差別意識をもって使われている言葉ですね。

_ 辻本 ― 2012/09/23 13:55

>「むら」が差別用語ですか、少なくとも私が育った高知県では、そういう使い方はされてなかったですね。被差別部落を差別意識を込めて使うとしたら「よつ」や「部落」「あっち」などでしたね。

 私の経験では、同和地区の人が自分たちのことを言う時に「ムラ」を使います。
 周囲の人では、同和地区の人と付き合いのある人がこれを使うようです。
 そういう付き合いのない人は、小川様のおっしゃるように「よつ」「部落」などでしたねえ。

_ 小川 ― 2012/09/23 21:50

辻本様
コメントありがとうございます。

>私の経験では、同和地区の人が自分たちのことを言う時に「ムラ」を使います。

=なるほど、おらがむら・おらが常識の通じる部落ということなんですね。
私は、高知県で長い間、警察官をやっていて教師の集団とも親交がありました。ある町では被差別部落の集団じゃなくては市の幹部や教育委員会の幹部になれないような状態も見てきました。そのような状況の中で、被差別部落の重鎮とも意見をまじわせてきました。
そんな私の経験からすると部外者ではなく差別を受けたものが乗り越える時こそ環境や時代を変えることができるという思いです。
朝鮮人や中国人にも当てはまることではないかと思っています。
私はいつも相手の環境に生まれたなら自分はどういう行動を取るかを考えてきましたが、結論は、人として先祖や育ててくれた環境や自然などすべてに感謝しプライドをもって生きていこうということでした。
言い方を変えれば、プライドを持っていないような人間と話しても何も生まれないということです。

いつも自制の精神をもって言いたいことは主張している辻本さんのブログを自身の主張の手本にしたいと思っています。

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