水平社宣言2007/07/07

 2006年12月10日(日)のテレビ番組、サンデープロジェクトで同和問題の討論がありました。  そのなかで、藤田敬一さんが「勦(いたわ)る人もダメになり、勦(いたわ)れる人もダメになる」という発言をされました。  これは水平社宣言のなかにある一節

「そしてこれ等の人間を勦るかの如き運動は、かえって多くの兄弟を堕落させた事を想へば、此際吾等の中より人間を尊敬する事によって自ら解放せんとする者の集團運動を起こせるは、寧ろ必然である。」 http://www13.ocn.ne.jp/~seimi/142suihei.htm

から出てきたものです。それは、安易な同情をする周囲の人たち及びそれを受け入れる自分たちは堕落するものである、ということです。差別問題における「勦(いたわ)る」「勦(いたわ)れる」関係とは、そういうことなのです。

 80年以上も前の「宣言」は、現在の解放運動の問題点を的確に指摘していると考えます。  水平社運動を継承したと自称する解放運動は、この宣言の精神を全く忘れて、「勦(いたわ)る」ことを過激に要求して実現させました。  しかしそのためにまさに「堕落」し、「人間の尊敬」から程遠くなったと言っていいでしょう。  ここ数年の間に次々と露見した同和関係の事件を見れば、こう考えざるを得ません。

 サンプロでの藤田さんの発言を聞いて、久しぶりに水平社宣言を読み直した次第です。

コメント

_ matuoka shinryo ― 2020/05/05 22:05

主様へ

「勦」の「いたは(る)」の読みが、泉鏡花作品等では確認できましたが、諸橋大漢和辞典では確認できませんでした。文学作品でなぜ「いたは(る)」という読みが使用されるようになったのか、その経緯をもし御存知でしたら、お知らせ頂けないでしょうか。

以上宜しくお願い致します。

                松岡眞了拝

_ 辻本 ― 2020/05/06 11:19

 「勦」を「いたわる(いたはる)」と読んだのは確かに泉鏡花ですね。それ以外に、巌谷小波、長塚節など明治~大正時代に活躍した作家が使っているようです。
 水平社宣言がこの漢字を同じように選んで使ったのは、こういった文学者たちの影響かも知れません。
 水平社創立者たちが、当時の文学に慣れ親しんでいたということなのでしょう。

 「勦」は漢和辞典にありますように、本来は「いたわる」ではありません。 このように読んだのは、日本の一時期の文学者に限られると言えるかも知れません。 その経緯は、浅学にして分かりません。 文学史研究のテーマとして、面白いと思います。

_ masa ― 2022/12/16 19:45

水平社宣言の、「勦わるかのごとき…」を拒否するというのには、後の同和行政を批判するような視点がたしかにありますね。この点、藤田さんの言うとおりだと思います。
最近、あなたの灘本・師岡論争へのコメントを拝見しました。(それがきっかけでこのブログに辿り着きました。)あなたの結論に賛成です。差別問題に関わる方で、あの論争での灘本氏を支持される方は少ないのでうれしく思いました。明治日本を前近代的な天皇制国家だと評する左派の破綻はますます明らかになってきました。ただ灘本氏にも言い足りてないところがあり、それが水平社宣言で垣間見えた同和行政を批判する視点でした。師岡氏もそれを言いたかったのでしょうね。
角岡伸彦氏の著書に『はじめての部落問題』があります。『こぺる』でその書評を以前したので、機会があればぜひ読んでくださいませ。「部落問題はなぜいまも残っているのか」2006年10月号というものです。(ただその拙稿には、不本意ながら、“誤読”されてしまった残念な箇所があります。それは10頁の上段、最初の段落半ばに、「諸悪の根源はすでに……」以下の数行のことです。ここは私の見解ではなく、全解連や国民融合論の考え方を代弁してのべた箇所です。「諸悪の根源は……」の前に、「それによれば」とでも付け加えておけばよかったのでしょうが…。何人もの人に誤解されてしまい残念でした。

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