同和教育が差別意識をもたらす ― 2010/12/29
『こぺる』2011年1月号に、「なぜ学生は部落に対してマイナスイメージをもってしまうのか」(石元清英 関西大学)という論文が掲載されています。筆者は長年部落問題を講義してこられた方です。
それによれば学生たちがそれまでの小中高で受けてきた部落問題教育は、 >あるところにA地区という部落があって、そこは周囲から強く差別されている、部落の人たちは結婚に際して未だに相手方からの反対に遭い、差別されるなどといった、非常に抽象的な言い方で部落問題を教えられるという。‥‥‥その結果、こうした教育を受けた児童・生徒たちは、現在も部落が周囲から強く差別されているのだから、部落というところは周囲に比べてよっぽど異なったところなのだろうと思ってしまう。そして、歴史の話だけで終わるという部落問題教育は、児童・生徒たちに部落というところは江戸時代の賎民身分であった子孫が代々住み続けている特異なコミュニティであるかのような印象を与えてしまう。>(6~7頁)
というもので、現在の実際の部落(同和地区)とは全く懸け離れたイメージを持つようになっている、と論じておられます。
これはおそらくその通りだろうと思います。小中高の同和授業で、部落の悲惨さを何遍も聞かされ、あるいはそのようなビデオを何回も見させられ、そして部落差別はしてはいけませんと繰り返される、そのような授業を強制的に受けてきた子供たちが、その結果、部落に対してどのようなイメージを持つようになるのか? ということです。
筆者は授業で、学生たちに部落に対してどのようなイメージを持っているかのアンケートをしたところ、「暗い」「怖い」「遅れた」貧しい」「閉鎖的」という答えが多く、逆に「明るい」「やさしい」「進んだ」「豊かな」「開放的」という答えはほとんど0に近いという結果を出しています。(3頁)
同和教育は差別の解消ではなく、逆に何も知らない子供たちに差別意識を植え付けているのではないか? という深刻な問題を提起する論文だと思います。
コメント
_ 流れ者D ― 2011/01/12 18:04
_ 志方雅一 ― 2011/08/20 17:30
_ いっちょかみ ― 2011/09/17 18:54
この構図、何かと同じですね。「侵略は悪い」「植民地化は悪い」そこから始まる永遠の土下座・謝罪。捏造された歴史を徹底して教え莫大なODAなどは教えない。「絶対善」の地位を守るために国を挙げてウソで塗り固める。
翻って、同和教育はどんな効果があったかというと、大半の人にとって同和地区は見知らぬ付き合いの無い場所であるわけで、結局知識として解放運動に一定理解のある(消極的なものも含めて)人間を多数生み出したと思いますよ。別な言い方をすると「潜在的罪悪感」とでも言うんでしょうか。そういう人間が役所へ就職すると、行政闘争もしやすくなったでしょう。
同じく、一方に罪悪感を植え付けもう一方が「絶対善」の立場で何かと要求する近隣関係は、はっきりとこの国を解体する目標を定めています。この2つのよく似た非対等な関係は、比較検討してみると突破口が見えてくるのかもしれません。
_ ふじ ― 2014/12/30 01:22
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当の部落出身の子どもの認識も、現在では相当変わってきているでしょうね。
これは、寺園敦史他編著『同和利権の真相・1』(宝島社文庫)にもあったエピソードなのですが…
「何で俺らだけ皆(地区外の子ども達)と別々にされなアカンねん、今時部落民なんて”民”はないわ。もう狭山とか部落問題とかええわ、うんざりや」
90年代後半に、大阪市内の地区内出身の中学生らが、卒業前に書いた作文の一節の要約ですが、彼らの本音はこんな感じなのではないでしょうか。
第一部落から住民が少なくなってきている。
大阪市内の都市型部落では、2002年の同和対策に関する特別法の失効を境に、部落を出て地区外に移り住む住民が増えてきているようで、2年ほど前にある地区を訪れた際には、地区内は雑草だらけの更地ばかりになっていました。