差別の現実から学ぶとは?2010/12/19

 昔のことですが、同和問題の授業や研修のなかで、「差別の現実から学ぶ」ということが強調されていました。これは今でもやっているようです。ネットで「差別 現実 学ぶ」で検索すると、たくさんヒットします。

 ここで学ぶべき「現実」とは、清く正しく生きている被差別者が差別という不条理のために苦労している、ということと思われます。少なくとも私はそのように理解しました。

 ところが、このような考えで実際に「同和」を名乗る人と接することが多くなると、このような人の何を学べというのか、という気持ちが強くなりました。

 どんな本か忘れましたが、差別がなぜ悪いのかという解説のなかで、差別というのはその人の人格を破壊するからだ、だから差別してはいけない、というのがありました。

 それを読んで、成る程その通りだ、「オレは同和だ」と名乗って圧力をかける人は差別によって人格が破壊された人なんだろう、とすると自分はそのような人がいるという現実からどのように学べばいいのだろう、と思ったのです。

 人権問題をやっておられる方と、私的に話をする機会がありました。

 彼はある講演のなかで、部落に関する差別事象として「あの地区内を車で走って犬を轢いたらトンデモナイことなる」という根拠のない噂が飛び交っている、という話をしたら、講演後に誠実そうな中高年男性がやってきて、実は私は地区内で犬を轢いたことがあって、すると自分が飼い主だという人が3人も現れて、その人たちは犬に餌をやっているからというだけだが、結局は3人に20万円ずつ渡して解決した、という話をしたというのです。

 またある店で解放運動団体と飲食した際、その店の主人が「あそこ(同和地区のこと)ヤツか」などとつぶやくのを聞きつけて、さっそく確認会を行なったところ、こちらは穏やかに話しているのに店の主人はすっかり怯えきってどうも様子がおかしい、何か隠していることがあるだろうと、別に私的な席を設けて聞いてみた見たところ、実はこの人はかつて「同和」の人から些細なことで脅されて多額の金品を取られた経験者だと分かった、ということでした。

 差別の現実から学ぶということは、こういう現実からも学べばなりませんが、一体どのように学べばいいのでしょうか?