解放運動2014/05/02

 朝鮮の李朝時代の両班の、現在から見れば非道徳的な振る舞いについて論じました。   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/03/26/7254093 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/03/29/7261186

買えばお金を払う、借りたものは返す、という現代では当たり前の倫理は、両班と常民との間では成立しなかったのです。常民は両班の無理難題に黙って従う、それが朝鮮の中世社会です。

 これを読んで、だから朝鮮人なんて奴は‥‥などと溜飲を下げて自らのレイシズムを高める人もいるでしょう。 しかし、日本ではこんなことはあり得ないと思ったら大間違いです。 つい十年ほど前まで、このような非道徳な振る舞いがまかり通ったことが、一部ですが日本社会の中にあったからです。

 それは解放運動の世界にありました。

活動家の転落  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/05/17/3518593

 ここで藤田敬一さんは、ある解放運動活動家の非行について 

「約束は守る。借りたら返す。買うたら払う」は、市民生活の常識です。それを長年にわたって破ってきたとは。情けなさに身もだえする年の暮れ

と述べておられます。 そこでは特定の活動家のことになっていますが、解放運動に接したことのある人、特に会社の総務や役所などで業務上に解放運動と付き合わねばならなかった人には実感できるのではないかと思います。 「さもありなん」「こちらもそうだった」と。

 同和対策事業が1969年に施行されました。 その事業の中で、奨学金制度があります。 同和奨学金は他の奨学金に比べかなり有利でしたが、それでも借りたものですから返さねばなりません。 しかし返済した人は0に近いでしょう。 解放運動は、わが運動に参加すれば奨学金は返さなくていいと宣伝していました。 これを真に受けた人が多かったのです。 確かに解放運動の先進地域では、返済金を肩代わりする制度を行政に作らせたこともありました。

 同和地区の産業を活性化するために、同和企業に融資する制度もありました。 利息はほとんど0で、非常に有利なものです。 しかしこれも返済した人はほとんどいないでしょう。 同和企業の社長さんが「そんな(返済義務)こと、行政が何とかしてくれる」と言っていたのを今も鮮明に記憶しています。

 解放運動がモラル崩壊をもたらしたと言えます。 これが1970年代から2000年代前半までの30数年にわたり、解放運動が日本中に猛威をふるったなかでの出来事でした。 ほんの最近です。

 隣国の古い時代の李朝両班モラル喪失を知って溜飲を下げる前に、近年のわが日本ではどうだったかを検証すべきでしょう。

 今の若い世代の人たちには想像もつかないような世界が、日本にもありました。

【拙稿参照】

闇に消えた公金―芦原病院・同和行政 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/04/29/346418

これが「真摯に反省」?      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/05/27/382079

飛鳥会事件―「心から謝罪」は本当か?http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/02/24/1206080

解放運動に入り込むヤクザ     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/05/04/1482616

水平社宣言            http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/07/07/1631798

部落(同和)問題は西日本特有の問題 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/07/14/1652936

解放運動の「強姦神話」       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/07/28/1685192

活動家の転落           http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/05/17/3518593

差別の現実から学ぶとは?     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/12/19/5589789

かつての解放運動との交渉風景   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/08/27/6074508

郵便ポストを設置させた解放運動  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/07/07/6502784

コメント

_ 健介 ― 2014/05/02 20:26

 詳しくは調べたわけではないが、このような問題は行政府の対応が悪かったに過ぎない。
 他にもあるがそれは土地収用法の適用ができなかったことでしょう。
 成田空港のことです。
冤罪問題と逆の形の問題です。江戸時代ならこのようなことは起きなかったが、わが国が近代化していく過程において、生じたものでしょう。
 国内の返済モラルを担保している道徳を江戸時代にできたと思う。それが近代化する過程に、法律の齟齬が生じた。
 高利貸しに借りた金の返済の担保はヤクザがしていたと思う、したがって、そのヤクザと関係した、同和に金を貸すことは、確かに近代においては当然ですが、それは近代化された社会であることが条件でしょう。
 所がわが国は異なる。法下の平等がよそから来たものだからでしょう。
 公安のちょっと名前を失念したが、その人がヤクザの六割が同和の人だと、話していた。 
 おそらく彼等はびっくりしたでしょう。
 西洋近代社会をまねた我国の浅はかな現象ですね。
まあ今はお上から借りた金は個人だと返済を執拗に求めるが、法人、団体だと、差ほどでもないとおもうし条件が緩やかではないか。
 いわゆる補助金のことです。
我々のモラルも落ちているというより、そもそも我々のモラルを明示的に自覚していない。
 どなたか我々日本人のモラルはこれだと文章にて示せるか?

_ (未記入) ― 2014/05/04 19:48

>どなたか我々日本人のモラルはこれだと文章にて示せるか?

 自分で調べるべきもの。他人任せは恥ずべき。

_ 健介 ― 2014/05/05 21:10

>>どなたか我々日本人のモラルはこれだと文章にて示せるか?
 自分で調べるべきもの。他人任せは恥ずべき。


別に恥ずべきことではない。それに調べるものでもない。
 私が何をかいているか、それを読んでほしい。

小保方女史の捏造(私は別に捏造とはおもっていない)について、アレだけマスコミはいうなら、河野談話もおなじように報道したら、いかがと、いっているにすぎない。 ごく普通の日本人のモラルは、そんなに変わっていない、朝鮮人とは大きく異なる。
 いわゆる我国知識人が駄目であるに過ぎない。明治以降に成長した人々で、明治10年以降に生まれた人は多いと思う。戦後は特にひどいに過ぎない。
 
我国の文系の学者の程度は大元が狂っているから、話にならない。
その一例は美濃部達吉だが、彼は神童といわれたくらい利巧な人だったが、天皇機関説攻撃にたいして、有効に対抗できなかった。挙句の果て国会で自らの説にたいして、奇妙な弁明をした。
 この弁明が従軍慰安婦のに対する河野談話にたいして、安部首相がしたことと構造が同じに過ぎない。
 美濃部は弁明したが内心は馬鹿馬鹿しいと思っていたでしょう。同じように安倍氏もです。只美濃部が弁明をした対象は帝国憲法で当時も今も普通の人には何がなんだかわからないから、その姿が見えない。
 しかし従軍慰安婦については普通の日本人には、それが分かる。
 当時美濃部に帝国議会で弁明をさせた力はなにだったか。
 同じように安倍氏に河野談話の継承発言をさせた力はなにか?

アメリカのホロコースト屋の祭文祭文倭以前タールに聞くといいでしょうね。
 見えているよ。俺はね。

_ (未記入) ― 2014/05/16 05:36

>私が何をかいているか、それを読んでほしい。

 読んでも理解できる内容ではない。

_ mahlergstav ― 2014/05/17 15:04

同和=両班、日本にも両班時代があった?論理が飛躍していますね。同和は差別される存在で、ある意味軽蔑される闇の世界。両班は、貴族階級で羨望の眼差し。

差別され軽蔑されるものが不正を働くのは、寧ろ当然。だからこそ差別され軽蔑される。

両班は羨望の眼差しにも関わらず、不正を働く。とても同日に談じられるものではないですね。

_ mahlergstav ― 2014/05/17 15:16

日本で両班と似たような状態はつい最近まで、今でも多少はあるでしょう。

今から40年くらい前だと、大学の先生、旧帝大系の学生、上級公務員が酒気帯び運転しても不問に付してくれることが多かった。

前途ある人達だから、些細なことで経歴に傷をつけるのは如何なものかと。それに乗じて、やりたい放題する不届き者も多かった。

今は、違います。結婚式で上座に座る人は、些細な不正も許せません。だから上座に座れます。下座に座る人は、パチンコ屋や新聞販売店のオヤジ。上座に座る大学の先生や上級官僚より遥かに金持ちだが卑しいから、下座に座る。本人達もよく心得ている。

下座に座る人が酒気帯び運転しても、適法に処分されるだけで済むが、上座に座る人が酒気帯び運転すれば、経歴に傷をつけられる。人生終わりですね。それだけ社会的信用が高いというわけです。

昔は、上座に座る人は酒気帯び運転しても良い、特権があると考えていたようです。両班文化の名残でしょう。

同和は下座に座る人だから、不正は当然。上座に座るようになっても改まらないので社会問題化します。

_ (未記入) ― 2014/09/12 06:52

>今から40年くらい前だと、大学の先生、旧帝大系の学生、上級公務員が酒気帯び運転しても不問に付してくれることが多かった。

 あなたもその恩恵にあずかったということですね。

 酒気帯び運転の見逃しは、昔はいくらでもありました。 警察署がする飲酒検問では地元の人間ならば見逃すのが普通でした。
 
 警察に知り合いがいれば、酒気帯びどころか、被害者さえいなければ交通違反はすべてモミ消してくれたものです。 だから新聞記者は違反を全然恐れなかったですねえ。
 
 今は昔、何十年も前の話ですが。

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