「差別と闘う」ことへの疑問2007/12/15

>講義の中で大賀氏は、笑いを交えながらこう語っていたことが思い出されます。 >「日本共産党はいう。『何故、部落と呼ばれる地区にだけイイ住宅が次々と建つのか。地区外の市営住宅はオンボロやないか』、と。しかし私に言わせればそれは間違った考え方、ねたみ差別だ、と。我々を批判する方々も(解放住宅に)住んでみたらええんや(ここで一同笑い)」>

 その当時(1970~80年代)は「ねたみ差別」論が盛んに言われていました。  ある同和教育推進校で、一般生徒が部落民の生徒に「あんたらえーねえ。ただで勉強教えてもろて」と発言して、大きな問題になったことがありましたが、これを思い出しました。  当時は解同の言うことはきっと正しいと、私も含めてみんな判断停止状態でしたねえ。

>あっしらは、反差別の「闘い」の為の、行政への要求闘争は、運動の方法論として必要なことだ、と教えられてきました。 >大賀氏は‥我々学生にも、もっとマルクス・レーニンを読め、と強く勧めていました。>

 私もかつては解同に賛成の意見をもっていました。しかしこの行政要求闘争だけは馴染めませんでした。今はすべて馴染めなくなって、かなりの年月が経ちます。

 民闘連に関わった時、行政に「我々は民族差別をなくすためにこれだけ努力している。行政は援助しろ」と要求する闘争に連れていかれました。その終了後に、「運動というのもは自腹でやるものだ。役所にお金を呉れというのは乞食と同じだ。」と言って、非常に怒られたことがありました。

 「反権力」を唱えながら、何故その権力から自分らの運動資金を取ろうとするのか、分かりませんでした。今は昔ですが、こういった思い出があります。

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