砧という道具2008/01/05

> 砧は一打一打の面積は狭いのでアイロンみたいに頻繁に行うことは無理ではないでしょうか。>

 日本では秋に行なうものとされていますが、朝鮮では季節関係なしに行なわれており、頻繁だったようです。  日本の着物の洗濯後の仕上げは洗い張り(伸子張りや板張り)が主で、砧を打つことは明治になって廃れました。洗い張りは3~40年前までは、よく見られたものでした。

>実際に縫製したままの着物を綾巻きに巻きつけたり、台の上で畳んだまま叩いている図はあるのでしょうか。>

 日本でも朝鮮でも、糸を解いて反物状にしてから砧を打ちます。着物のまま巻いたり畳んだりしている絵画や写真資料は両国ともにありません。

>ただ道具の使い方を推定する割りに考え方が大雑把に思えたので。>

 拙論は「砧」についての誤解・間違いを指摘することに重点を置いてきました。使い方について詳しくは論じておりません。その点で「大雑把」と感じられたと思います。

 なお糸を解くことについては、拙論の『第90題 朝鮮の砧』における「二種類の砧の使い分け」の一節のなかで触れております。  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daikyuujuudai

在日特権2008/01/12

 在日韓国・朝鮮人は「特権」を有しており、それを許さないと主張する市民団体があります。http://zai.japan.aikotoba.jp/aisatu.html  「特権」の一つが在留資格の「特別永住」で、それをなくせ、という考えを打ち出しています。

 しかし特別永住がなぜ「特権」なのか、ちょっと理解しかねるところです。この法的地位は、外国人の在留資格のなかではもうこれ以上はないというぐらいの有利なものです。しかし当たり前ですが、日本国籍者よりも権利は制限されています。この制限は、当人が帰化することによってのみ解消します。  特別永住が「特権」であるのかどうか、疑問とするところです。

  それに「特別永住」は、126-2-6、4-1-16-2、4-1-16-3、協定永住などの変遷の末にできた法的地位です。この法律をなくすことは、余りにも現実的ではありません。

(参考)http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/08/25/1750381  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/09/01/1762857     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/09/08/1781500    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/09/15/1798285

 ところで「在日特権」の中身ですが、人それぞれの考えがあるようです。  私の考えでは、日本人にもそして本国の韓国人にも有していない権利が在日だけに与えられていたら、それが「特権」だと思っています。

 一つ例を挙げると、韓国における指紋押捺義務について、本国の韓国人は住民登録の際に一本指の指紋押捺が義務付けられ、日本人は韓国に長期滞在するなら10本指の指紋押捺が義務付けられています。  しかし在日は韓国で長期滞在は可能ですが、日本の永住権を放棄しない限り住民登録できませんので、指紋を採られることはありません。  つまり指紋押捺について、在日は日本でも本国の韓国でも指紋を採られないのです。このように日本人にも本国韓国人にもない権利が在日にあります。  こういったものが「特権」ではないかと思います。

映画「パッチギ」2008/01/19

> 映画『パッチギ』について、首をかしげるような歴史認識を感じさせる台詞が多々あったことも事実。 >主人公の日本人高校生の家が経営する酒場での、客の会話中  「日本人は、朝鮮人を60万人(?)牛や馬のように連れてきた」 など。 > 奈良県内の旧家の出身で、差別体験を持たない井筒氏ですが、元から反権威・反権力色がかなり強い人だけに、仕方が無いのでしょうか。

 私の体験からすると、在日活動家たちが日本人を相手とみると、 「日本人は、朝鮮人を60万人(?)牛や馬のように連れてきた」 というのは、必ずと言っていいほどに出てくる言葉です。要するに日本人に対して、このような話を聞かせて優位に立とうとするものです。  そのこと自体が歴史事実かどうかよりも、在日活動家たちの性格というか思考法の一つと考えるべきものです。  これに雷同=すり寄る日本人が多いものです。井筒さんもそういう方と思われます。

>部落問題や在日の問題を勉強中の友人は、最近公開された続編『パッチギ!2 ラブ&ピース』を見て、 これって教育映画じゃないの?と申しておりました。 >映画中、ベトナム戦争が終結し、南北「統一」を果たしたのを新聞で見た在日の主人公に、「これで朝鮮も統一やで」と言わせているのがひっかかった、とのことです。

 1975年にベトナムの統一が北によって実現したとき、次は朝鮮の統一だ、と朝鮮総連も日本の左翼革新系の人たちもよく主張していました。  当時はベトナムだけでなく、カンボジア、ラオスも社会主義国となり、日本では革新自治体が大きく広がり、日本共産党が躍進していました。そして韓国の朴政権は軍事独裁政権として国際的にも評判が悪く、アメリカのカーター大統領候補は韓国から米軍を撤退されるとまで言っていました。  そのような時代でしたから、「これで朝鮮も統一やで」という発言は不思議でも何でもなく、リアリティがあったものです。

年金問題に思う2008/01/26

 今、年金が大きな問題となっています。これについて、若干の違和感を持っています。

 私の記憶からなので、確かなことではありません。

 年金の混乱の原因の一つに、国民の年金番号が、国民年金・厚生年金・共済年金で違い、さらに転退職を繰り返したり、名前の変更があったりすると、これも番号が違ってくることが多いことです。これについて、統一した番号にすればいい、ということが1960年代か70年代に提起されたことがあったはずです。  ところが、当時は国民総背番号制は国家が国民を管理するものだからと反対する意見が強く、年金番号の統一も総背番号制を志向するものとして、反対する人が多かったように覚えています。  つまり年金というような個々人の利益に関するものは、それぞれが自己管理すべきもので、国家の管理強化に使われてはならない、ということだったと思います。

 今の混乱を見るに、あの時に総背番号制を導入して、国家による管理をしていればよかったのではないか、と思えます。  当時総背番号制に反対した人たちはどう考えているのか、聞いて見たいと思うのですが、そういった人たちのコメントが出てきませんねえ。

 もう一つ、左翼系の人が言っていたことが、年金というものは国家が人民から搾取するものだ、社会主義になれば搾取は無くなる、年金を払うぐらいなら社会主義の実現に努力すべきだ、ということでした。

 またある朝鮮総連の方が、我々はいずれ祖国に帰るのだから、年金は貰えない、会社に勤めると厚生年金を強制的にとられるけど我々には無駄だ、このお金を返してほしい、と言っておられたことは明確に覚えています。