尹東柱の創氏改名記事への疑問2018/07/16

 韓国の有力紙『朝鮮日報』に「チャン・ソクジュの事物劇場」というコラムがあります。その2018年6月28日付けが「尹東柱の『ペクソク詩集』」と題するもので、尹東柱の経歴が簡単に紹介されています。 そこに尹東柱の創氏改名について、次のように記述されていました。  

東柱は日本留学の許可を得ようと平沼東柱に創氏改名するという屈辱に耐えねばならなかった。

 これを読んで、あれ!おかしいと思い、調べてみました。 この前後の尹東柱の関係略歴は次の通りです。

  1938年春     延禧専門学校(今の延世大学)入学

  1940年2~8月  創氏改名の設定創氏の届出期間。 戸籍名が「平沼東柱」となる。

  1941年12月   延禧専門学校卒業

  1942年1月    延禧専門学校に「平沼東柱」への改名を届け出る

  1942年4月    東京の立教大学入学

 これによって尹東柱が「平沼東柱」に創氏改名したのは1940年で、延禧専門学校の2年生の終わりから3年生の前半であることが分かります。 そして創氏改名は周知のように家族名が変わることですから、個人で創氏改名することは出来ず、戸主が届け出るものです。 ということは、尹東柱の創氏改名は父親の尹永錫(あるいは祖父の尹夏鉉の可能性もある)がこの年の2月から8月までの間に役所(おそらく面事務所)に届け出し、受理されたことになります。 そしてその時から戸籍名が「平沼東柱」となります。

 ウィキペディア「尹東柱」では次のように記されています。

1940年に卒業後に大学進学のために日本へ渡航しやすくするために創氏改名で「平沼東柱」にしている。

 また「ヌルボ・イルボ 韓国文化の海へ」というHPでは、 https://blog.goo.ne.jp/dalpaengi/e/8ddcf214a857c84be720d76aed00203c

※日本留学のため<創氏改名>を受け入れざるをえなかった。 (2018年6月24日付)

と記されています。

 しかし普通に考えると、卒業後の進路は最終学年の4年生の時に自分の成績などを見ながら決めるものです。 卒業が1941年12月ですから、同年の夏か秋頃に尹東柱は日本留学を決意し、留学のための手続きを始めたとみるべきでしょう。 そしてその時の尹東柱は既に「平沼東柱」と創氏改名していました。 従って「日本留学の許可を得るために創氏改名した」 「日本留学のため<創氏改名>を受け入れざるをえなかった」という記事は、留学の1年半以上も前に留学手続きを開始したことになってしまい、おそらくあり得ないことと思われます。

 そしてもう一つ気になることがあります。 尹東柱は延禧専門学校在学中、1940年の創氏改名後も「尹東柱」の名前で通したと考えられるのです。 というのは卒業後の1942年1月になって、すなわち日本留学の3ヶ月前に延禧専門学校に行って、「平沼東柱」と改名する届出を出しているからです。

 宋友恵『尹東柱 青春の詩人』(筑摩書房 1991年10月)に次のように記されています。

いま延世大学に保管されている延専の学籍簿に改名した名と届出の日付がはっきりと残っている。   ユンドンヂュ―平沼東柱 1942年1月29日 (114頁)

 つまり1942年1月までの延禧専門学校の学籍簿にある名前が「尹東柱」だったのです。 だから尹東柱は1940年の創氏改名後も学校では「尹東柱」の名前で通学し授業を受け、この名前で試験を受けて成績を取っていたということです。

 しかし日本に留学するとなると、渡航証明書や留学先の立教大学への提出書類は戸籍名でなければなりません。 従ってこういった書類を調えるために、延禧専門学校の卒業証明書も戸籍名である「平沼東柱」とする必要があったので、一旦卒業した延禧専門学校に赴いて改名の届出を出したものと考えられます。

 ところで創氏改名に関して、日本名に変えたらすぐさまこの日本名にしなければならなかったと思われている方が多いようです。 これは誤解です。 それまでの契約書や土地・会社登記等々に記載される名前は、創氏改名したからといって直ぐに書き直す必要はなく、従来の民族名でもそのまま有効でした。 今回の尹東柱の場合は学籍簿ですが、創氏改名したからといって直ぐに変える必要はありませんでした。 ただ卒業証明書等では学籍簿通りの名前になるので、次の学校に進学する時や社会に出た時に戸籍名でないと同一人物性の証明が難しくなるので、その時になって改名届けを出したということです。

 ところで「平沼」という創氏名ですが、これは尹氏の宗族・門中がこういう名前で創氏しようと決めたと思われます。 上述の宋友恵『尹東柱 青春の詩人』には次のように記されています。

ユンドンヂュの姓が日本風の平沼となっているのは、当時、尹氏がそのように創氏したのでそれに従ったものです。(114頁)

 ここでも尹東柱が日本留学のために創氏改名したという説が誤りであることを示しています。 尹東柱の創氏改名は日本留学という個人的事情ではなく、尹氏一族が決めたことなのです。 だから立教大学に留学中の保証人として父の従兄弟である「平沼泳春」の名前が出てきており、尹一族の創氏名が「平沼」であることを傍証しています。

 以上をまとめますと、尹東柱は延禧専門学校2年終わりか3年の前半に尹氏一族が「平沼」と創氏したことにより「平沼東柱」と創氏改名した、しかし学校にはこの改名を直ぐには届け出ず、卒業後に日本留学直前になって改名を届け出た、これによって「平沼東柱」という名前の卒業証明書を得ることが出来た、そして「平沼東柱」の名前で渡航証明を得て渡日し立教大学に入学した、 という経過になります。

 尹東柱は日本留学という個人的理由によって平沼東柱と創氏改名した、これは歴史事実とかけ離れた俗説というべきものです。

【関連拙稿】

尹東柱記事の間違い(産経新聞)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/02/09/7568265

尹東柱記事の間違い(毎日新聞)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/02/15/7572811

尹東柱記事の間違い(聯合ニュース) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/01/29/8339905

水野・文『在日朝鮮人』(11)―尹東柱  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/06/26/8118773

尹東柱は中国朝鮮族か韓国人か   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/21/8075000

尹東柱のハングル詩作は容認されていた http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/07/11/8618283

『言葉のなかの日韓関係』(2)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/04/09/6772455

『言葉のなかの日韓関係』(3)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/04/11/6774088

『言葉のなかの日韓関係』(4)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/04/13/6775685

コメント

_ ヌルボ ― 2018/07/22 19:43

 初めまして。
 辻本さんのブログは、久しい前から愛読してきました。幅広い資料と緻密な考察に基づく記事は大変勉強になり、また私自身のブログ記事作成に役立たせていただいたことも何度もありました。
 そして今回のこの記事。私の最近の記事の一部が貼られていたのを見て驚きました。
 ご指摘の内容はたしかにごもっともです。
 私も宋知恵『空と風と星の詩人尹東柱評伝』(←1991年以降の情報も多数収録)を読み、創氏改名は尹東柱ではなく尹氏一門が決めたものであることは知っていましたが、記事の本筋から少し外れる(??)但し書きと軽く考えてしまい、いい加減な書き方になってしまいました。ここはたとえば「日本留学の必須事項として、尹東柱は(留学の2年前に)尹氏一門が創氏改名にあたり決めた「平沼」という姓を日本で用いていた」とすべきでしたね。今少し確認した上で訂正しようと思います。
 今後もよろしくお願いいたします。

_ ヌルボ ― 2018/07/22 19:50

 『朝鮮日報』の記事について。
 「平沼」東柱について、ある韓国サイトで「あの民族詩人・尹東柱が創氏改名していたとは、ショック!」という(短絡的な)カキコミに対して「留学のためにやむなく・・・」といった説明がなされていました。
 この『朝鮮日報』の記事も、「今の」多くの韓国人をナットクさせる書き方ではありますね。しかし、たとえば朴婉緒の自伝的小説を読むと、終戦直後、創氏改名をしていた農民たちが創氏改名をしていない地主を「親日派」として襲撃する場面もあったりして、そんな単純なものではないことがわかります。韓国の人たちもまずはちゃんと史実に即して考えてほしいものです。(が、この先10年はムリかも・・・。)

_ ポクスンア ― 2018/07/30 14:31

尹東柱の日本名の届出が尹一家の創氏改名の時期と
ずれていることで一層、彼の苦悩がわかりますね。

なお、私はヌルボ氏の記事を見た時に、上記記事の趣旨のようには読めませんでした。
疑心暗鬼の目で見ると同じ文章も違って理解されてしまう一例だと思います。

_ 辻本 ― 2018/07/30 19:19

>彼の苦悩がわかりますね

 尹東住が創氏改名で「苦悩した」とする根拠の資料の提示をお願いします。

 尹東柱が創氏改名について何か発言したようなものはなかったと思うのですが。

_ 辻本 ― 2018/08/01 04:57

 本文でも書きましたが、契約や登記名などは創氏改名しても従来の民族名のままにしておいても有効です。
 従って、創氏改名時と、土地や会社の登記名の変更の時期がずれるのは、よくあることでした。 
 同じように創氏改名をしたからといって、学生が学校にすぐさま届け出る必要はありませんでした。
 こういう場合、創氏改名に「苦悩した」とはとても思えません。
 尹東柱も創氏改名について発言をしていないならば、同様だったことが考えられます。
 「苦悩した」とは思えないのですがねえ。

_ 海野 ― 2018/08/12 01:41

ヌルボ氏のコメントに
>尹東柱は(留学の2年前に)尹氏一門が創氏改名にあたり決めた「平沼」という姓を日本で用いていた」
という一文がある。
朝鮮戸籍の日本人(以降朝鮮人といいます)に姓とは別に新たに家族単位の呼び名「氏」を創らせるのが創氏です。改姓ではありません。それまでの姓「尹」は変わらず、戸籍の中に残りました。創氏は全ての朝鮮人に強制でしたが、改名は任意でした。「東柱」という名前は変わっていませんので改名はしていないと思われます。従って引用の一文は
「尹東柱は(留学の2年前に)尹氏一門が創氏にあたり決めた「平沼」という氏を日本で用いていた」とするのが正確である。

>創氏改名をしていない地主
上述のように創氏は必須でしたから、創氏をしていない朝鮮人はいませんでした。裁判所の許可が必要で、費用もかかる改名をしていない者は朝鮮在住の朝鮮人では大多数でした。

_ ヌルボ ― 2018/08/13 15:54

海野さんへ。

 ご指摘の通りです。たしかに創氏改名に際して決めたのは「氏」であって、「姓」ではありませんね。
 なお、延禧専門学校の学籍簿の画像を見ると、「姓名」欄の「尹東柱」が赤線で消されて、横に「平沼東柱」と記されています。当時の日本の学校の学籍簿は「姓名」と「氏名」が不統一に用いられていたようです。(たぶん今も。)
 ただ、振り仮名欄はありませんが、同じ漢字でも日本では「ドンジュ」ではなく「とうちゅう」と言っていることは、はたして「名前は変わっていませんので改名はしていない」ということになるのかどうか? (戦後も、外国人が帰化申請をする時に、日本風の名前を強要されるという話はかつてよく聞きました。今は「薦められる」?)

_ ヌルボ ― 2018/08/13 15:58

辻本さんへ。

 「尹東柱が創氏改名で「苦悩した」とする根拠の資料の提示をお願いします」というのは、根拠のない思い込みを厳しく排するいかにも辻本さんらしい問いかけですね。
 もちろん、尹東柱が創氏改名について自身の考えを具体的に書いたものがない以上、「苦悩したことはない」とも断定できませんが。
 ただ、私としては立教大在学時に書かれた『たやすく書かれた詩』の「六畳部屋は他人の国」等の詩句から、「苦悩」という強めの言葉がどの程度適切かはわからないものの、少なくとも「心に引っかかるもの」、「おだやかならざる気持ち」はあったと受けとめています。

_ 辻本 ― 2018/08/13 19:54

>『たやすく書かれた詩』の「六畳部屋は他人の国」等の詩句

 ここに出てくる「他人の国」は、どう解釈すればいいのか、難しいですね。
 東京の立教大学に留学後、2ヵ月ほどの作詞です。

 東京の大学ですから、入学時には日本の各地方から進学してきた学生が多くて、お互いに「お宅のお国はどこですか」と故郷を尋ね合った体験をしたと想像されます。

 この場合の「国」は、国家ではなく、出身地あるいは故郷を意味します。 尹東柱も立教大学入学時に、新入生同士でお互いに「お国はどこですか」と聞き合ったと思われます。

 そういう時に尹東柱には、自分の出身は日本という国じゃないんだ、違う国なんだ、日本の地方と同じにしないでくれ、という意識があったのかどうか。

 「六畳部屋は他人の国」という語句を、日本は自分の国ではないという意味で言ったのか、この東京は自分の故郷ではないという意味で言ったのか、微妙ですねえ。

_ ヌルボ ― 2018/08/13 23:54

 私は「六畳部屋は他人の国」だけしか書きませんでしたが、辻本さんのことですから、もちろんこの詩全体を読まれたことと思います。この詩に漂う孤独感をどのように説明されるのか知りたいところです。
 また、「この場合の「国」は、国家ではなく、出身地あるいは故郷を意味します」と断定的に書かれているのは何か根拠があるのでしょうか?
 元の韓国語では「ナラ」で、「コヒャン」ではありません。「ナラ」を「出身地あるいは故郷」と解釈するのは無理があると思いますが・・・。

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