尹東柱記事の間違い(産経新聞)2015/02/09

 韓国の有名な詩人である尹東柱について、産経新聞が記事にしています。

尹東柱没後70年で追悼式 日韓100人が献花       戦時下、日本留学中に治安維持法違反容疑で逮捕され、福岡刑務所(現福岡拘置所)で獄死した韓国の国民的詩人、尹東柱の没後70年に合わせ、福岡市の拘置所前で8日、追悼式が開かれ、日韓の約100人が献花台を設け、詩を朗読した。         尹は中国東北部の朝鮮人移民が多い北間島(現吉林省延辺朝鮮族自治州)出身。太平洋戦争中に立教大や同志社大で学んだが、朝鮮語で詩を書いたとして逮捕され、懲役2年の判決を受けて、昭和20年2月16日に27歳で獄死した。死因は不明とされる。         「死ぬ日まで天を仰ぎ 一点の恥じ入ることもないことを」で始まる「序詩」(金時鐘訳「尹東柱詩集 空と風と星と詩」)が代表作。戦後、韓国では誰でも知るほど作品が広まり、中国でも生家が整備された。          追悼式には韓国から尹のおいも参加。寒風の中、参加者が日本語と韓国語で好きな詩を朗読した。企画した「福岡・尹東柱の詩を読む会」の馬男木美喜子代表は「多くの人が集まり、東柱がこれだけ愛されているということを再確認できた。これからも彼の作品に光を当てたい」と話した。           同志社大と立教大では直筆原稿などを展示する遺稿巡回展が開かれる。

http://www.sankei.com/west/news/150208/wst1502080036-n1.html

 この記事のなかで重大な間違いがあります。 「朝鮮語で詩を書いたとして逮捕され」とありますが、実際は独立運動をしたということで逮捕されました。 そして治安維持法違反で懲役2年を受けました。 治安維持法は最高刑が死刑ですから、軽い刑です。 尹東柱がしたという独立運動は友人間で独立の夢を語ったという程度でした。 朝鮮語の詩を書いたことが原因ではありません。

 なぜこれが重大な間違いかというと、日本帝国主義は朝鮮人がハングルを使うことを禁止したという虚偽の歴史が広まっているのですが、この根拠の一つとなっているのが尹東柱の事件だからです。 つまり産経の記事は、あの産経でさえこう書いているのだからと虚偽の歴史をさらに信じ込んでしまう可能性の高いものなのです。

 産経の記者はおそらくウィキペディアなどのネット情報に基づいたのでしょうが、ネット情報は間違いが多くそのまま信じてはいけないことの典型例です。

 尹東柱については拙論で論じたことがありますので、参考にしていただければ幸いです。

『言葉のなかの日韓関係』(2)      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/04/09/6772455

『言葉のなかの日韓関係』(3)      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/04/11/6774088

『言葉のなかの日韓関係』(4)      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/04/13/6775685

【補遺】

 尹東柱は治安維持法第5条の適用を受けて、懲役2年の刑を受けました。 この第5条は国体変革(=日本国家の否定)の考えを宣伝・扇動したことに対する罪で、懲役1年以上10年以下です。 ですから懲役2年刑は比較的軽いと言えます。

 尹東柱の治安維持法違反については、下記の論文が詳しいです。

http://www.ritsumei.ac.jp/mng/er/wp-museum/publication/journal/documents/12_p11.pdf

コメント

_ 無名氏 ― 2015/02/19 04:32

論文の提示、ありがとうございます。日本側の論文を探しているところだった大きな力を借りました。(私は韓国人です。でたらめ日本語で失礼します。)

尹東柱事件については、大韓民国では公式的に「独立運動」を理由としています。以前から判決文も公開されておりその内容も知られています。
「朝鮮語で詩を書いたとして逮捕され」は韓国側でもたまに見せることはしますがむしろ日本側からたびたび出るものと考えられています。あの言葉いが出ている理由は全く分からないですね。韓国の過去の新聞資料などを確認してもあんな言及は見えません。

「日帝の朝鮮語の使用禁止」に関して尹東柱事件は論拠にしません。朝鮮語学会事件や学校の朝鮮語選択科目化や朝鮮語新聞廃刊などを理由に話してはいるのですが。
(誤解しないようにちなみに、私はあの論拠の妥当性や朝鮮語禁止という結論を主張するのはありません。ただし、尹東柱事件は論拠がないということだけです。)

_ 辻本 ― 2015/02/19 18:44

 久しぶりに、拙論が役に立ったという嬉しい投稿です。

 尹東柱が「朝鮮語の詩を書いて逮捕された」という間違いは、かなり広がっているようです。 何しろ太田修教授という、その道の専門家までが尹東柱事件について「朝鮮語の詩が当時なぜ禁止されたのか」と言っているのですから。

 日本における朝鮮近代史研究のレベルがそれだけ低いということかも知れません。
http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/02/15/7572811

_ 無名氏 ― 2015/02/21 20:00

実は、その論文でも最初部分に「当時、日本の植民地統治下にあった朝鮮では、皇国臣民化政策を推進するため朝鮮語の使用が禁止されていたが、尹東柱は朝鮮語の詩作に取り組んでいた。」という言及があります。
これはおそらくいわゆる「國語全解」、「國語常用」が強く推進された社会的背景と官公庁や学校内で朝鮮語排除を指すものと見ますが、相当な誤解の余地がある言明と思われます。
実際には朝鮮語自体が取り締まり対象はなく、『朝鮮語大辭典』の出版許可や『每日新報』の朝鮮語の発行などがあるので、「禁止」と断言することはできないでしょう。

太田修教授の発言は『毎日新聞』の2015年02月15日大阪朝刊に収録されたことは確認されるが、その他の出所がないため実際の発言の有無は確言しにくいと思います。 韓国側報道でも発見されません。
ただし、太田修教授がセンター長の『同志社コリア研究センター』の「尹東柱70周忌・詩碑建立20周年記念行事のご案内」( http://do-cks.net/2015/02/02/yundongju/ )では『朝鮮語で詩を書いたことにより「治安維持法」で逮捕され』という言及があるので、太田修教授の見解である可能性もあることはします。単純錯誤か公式見解なのかは分からないですが。

_ 辻本 ― 2015/02/22 02:32

>実は、その論文でも最初部分に「当時、日本の植民地統治下にあった朝鮮では、皇国臣民化政策を推進するため朝鮮語の使用が禁止されていたが、尹東柱は朝鮮語の詩作に取り組んでいた。」という言及があります。

 確かにありますねえ。これは見落としていました。ありがとうございます。
 この論文の著者の一人である水野直樹さんは、岩波書店『図録 植民地朝鮮に生きる』の編者の一人です。この本の中で次のように記しています。

「戦時動員態勢下で朝鮮人えお徴用、徴兵するために、朝鮮語抹殺政策は暴力性を強めていった。しかし一方で、日本語普及にはかなり限界があったため、実際には朝鮮人用のチラシや文書には朝鮮語を使わざるをえなかった。」 (86頁)

 この文章自体が矛盾しています。
 実際に図録のなかでは、ハングルで記された当時の資料が多数収録されています。
 朝鮮語禁止(あるいは朝鮮語抹殺政策)をどうしても言わなければならないという執念を感じますねえ。

>太田修教授の見解である可能性もあることはします。単純錯誤か公式見解なのかは分からないですが

 これは同センターのあいさつ文の中にあります。こういう文章は決裁を経なければならないものですから、公式見解です。

_ 辻本 ― 2015/02/22 13:48

 岩波書店『図録 植民地朝鮮に生きる』については、かつて拙論でも論じたことがあります。

『図録 植民地朝鮮に生きる』(1)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/11/02/6621470

『図録 植民地朝鮮に生きる』(2)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/11/03/6622490

『図録 植民地朝鮮に生きる』(3)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/11/04/6623234

 朝鮮語は禁止されていたとか、朝鮮人固有の姓名を奪ったとか、歴史史実に反する主張を繰り返すのは、執念を通り越して妄念と言えるかも知れませんね。

_ 無名氏 ― 2015/02/24 19:29

その論文は正確には学術論文ではなく「報告書」なので、該当導入部分の記述が厳密ではなかったようです。そしてその部分は水野直樹教授の執筆がないようです。実際、尹東柱判決文の発表会当時に水野直樹教授は朝鮮語の作詩については取り上げず「徴兵制関連発言」を言及しました。

京都大学の水野直樹教授の朝鮮語に関する論旨は日中戦争以後の朝鮮総督府の政策方向についてのことで、「事実」として朝鮮語禁止を言うのとはちょっと違うと思います。
朝鮮語の取扱いについては、朝鮮総督府の初期およびそれ以前の韓国統監府時代からずっと争点になっています。 外地で国家共用語として日本語の普及と現地語の現実的必要性が衝突するのです。

同志社コリア研究センターのwebsiteの掲載文と《毎日新聞》大阪朝刊の記事に関しては同centreと太田修教授にお問い合わせしておきました。回答するかどうかは確信することができないが返事が到着するとその内容を必ずお知らせいたします。

_ 無名氏 ― 2015/02/25 22:33

同志社大学の太田修教授の返信を受けました。
その内容は関連記事にcommentします。
( http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/02/15/7572811 )

_ (未記入) ― 2016/12/07 22:55

拘留中に下鴨警察署で尹東柱が刑事の前で自分の詩を朗読させられていたといういとこの証言があります。このことは、尹の朝鮮語の詩原稿が証拠物件としての押収され、特別視されていたことを意味します。朝鮮語は制度上はどうあれ、若者が自発的に書いたものは全て嫌疑がかけられていたのです。

_ 辻本 ― 2016/12/08 05:33

 治安維持法違反ですから、朝鮮語であれ何であれ、「自発的に書いた」ものは押収されますね。

_ 木下 ― 2017/02/19 15:27

 私の母方の祖父は戦前師範学校を出て、朝鮮半島の学校で教師をしていました。祖母や母も一緒に朝鮮で生活していました。祖父母や母の話を聞くと、日本人町の中では日本語だけでしたが、日本人町の外では、ハングルが普通に話されていたそうです。私の母は、子どもだったので、いち早くハングルを覚え、祖母に通訳をしていたそうです。そして、敗戦前に家族で日本に帰るときには、みんなハングルがペラペラになっていました。
 つまり、日常生活において、日本語が強制されていたとか、朝鮮語の使用が禁止されていたというのは完全に間違っています。

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