植民地下の朝鮮で実施された選挙2015/01/03

 戦前の朝鮮は日本の植民地でした。だから最高権力者は宗主国の日本から派遣される総督です。 この総督の下に政治権力機構が整備されるのですが、ここに地方議会があり、議員は選挙によって選ばれていたという歴史事実については余り知られていないようです。

 選挙は一定の租税を納めたものだけ参加できる制限選挙でしたが、多数の朝鮮人が立候補し、議員となっています。 上記の写真は当時の京城府会議員選挙風景の写真で、李圭憲著『写真で見る韓国の独立運動 下』(高柳俊男・池貞玉訳 1988年11月 国書刊行会)の171頁に掲載されているものです。 写真のキャプションは

日帝は『内鮮一体』というスローガンの下に形式的な各級議会を設け、朝鮮人に立候補を強要した。光化門紀念碑閣の前に立ち並ぶ立候補者の立看板書いた看板

とありますが、この写真から感じられることは今と負けず劣らずの激しい選挙だったようです。 

 当時の朝鮮での地方議会選挙は1931年、35年、39年、43年の四回実施されました。 この写真には立候補者の名前の立看板が全部で26枚、うち14枚が朝鮮名です。 半分以上が朝鮮人ということになります。 創氏改名は1940年で、これで日本風の名前に変えた朝鮮人の割合が80%だったのですから、写真は1943年実施の選挙ではないでしょう。 とすると、それ以前の1931、35年、39年のどれかの選挙と思われます。

 さらに看板に記された名前を見てみると、立候補した朝鮮人の名前の横にハングルが振られているのが分かります。 これはハングルでの投票が認められていたからだと思われます。 当時の内地の選挙では、内地に居住する朝鮮人も選挙権があってハングル投票が認められていたからです。 植民地の文字が宗主国内の選挙で使われても有効だったというのは、世界史的に見て稀有な例です。 従って日本の植民地であった朝鮮でもハングル投票は認められていたと考えていいでしょう。

 植民地下朝鮮での選挙についての研究は少ないようです。 しかし研究テーマとしてはかなり面白いものです。 元気が回復すればやってみようかなと思うのですが‥‥。

【拙稿参考】

戦前の在日の参政権 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainanajuuichidai

解放運動の力が落ちたこと2015/01/08

 あれは十何年か前のことだったから、世紀の変わり目の2000年前後のことと思います。ある解放同盟の活動家の方が、「ある企業に電話して解同の○○だと名乗ったら、電話に出た若い社員が、‘解同’って何ですか?と平然と聞かれて、こっちが驚いた。ちょっと前までは‘解同’と言っただけで、相手は言葉を震わせて「はい、すぐに上司に変わります」と言ったものだが、‘解同’という言葉自体を知らない者が電話に出てくるなんて、思ってもみなかった」とおっしゃったことを思い出します。

 「解同」と聞いただけで震え上がったのは、何も企業だけでなく、各自治体もそうでした。解同のゴリ押し、法・ルール無視の嵐は1970年~90年代のことでした。 解同の同和利権の話をすると、昔でしたら「お宅もそうなんですか。うちでもそういうことがありました」というような話がすぐに出てきたし、「バカ!こんな話、解同に知られたら大変なことになるぞ!」「解放運動に巻き込まれたら大変なことになる」とたしなめられるのが普通でした。

 解放運動の理念に共鳴した人でも、解同への不信を実際に体験・見聞することがよくありました。 例えば、解同が大衆動員する集会・デモは日曜日に行われることがほとんどです。 集会やデモ行進を整理するのは解同の青年行動隊の人たちです。 彼らの多くが耳にイアホンをしているので、大勢の人を整理するために無線で連絡をとっているので大変なんだなあと当初思っていたのですが、どうも様子がおかしい。 そうすると青年行動隊の人が、集会・デモの進行とは全く関係ない時点で、一斉に表情が変わりイアホンに耳を傾けているのです。 しばらくして「やった!○○が勝った!」「ちくしょう!」という声が聞こえてきました。 何のことはない、競馬中継を聞いていたのです。

 世間が解放運動に対して見る目が変わったのは、21世紀に入ってからだろうと記憶しています。 決定打は解放運動の様々な不祥事がマスコミに報道されたことでした。 今は「解同」と聞いても誰も震えることがなくなりました。 この点だけでも少しは世の中よくなったのかなあと思います。  

【拙稿参照】

闇に消えた公金―芦原病院・同和行政 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/04/29/346418

松岡徹さん            http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/05/26/381520

これが「真摯に反省」?      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/05/27/382079

飛鳥会事件―「心から謝罪」は本当か?http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/02/24/1206080

解放運動に入り込むヤクザ     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/05/04/1482616

同和地区の低学力         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/05/18/1515064

水平社宣言            http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/07/07/1631798

部落(同和)問題は西日本特有の問題 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/07/14/1652936

解放運動の「強姦神話」       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/07/28/1685192

差別と闘うことへの疑問      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/12/15/2513505

弱者の腐敗            http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/12/29/2534690

松岡徹氏に関する拙稿が役立った  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/02/23/2653204

活動家の転落           http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/05/17/3518593

差別の現実から学ぶとは?     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/12/19/5589789

同和教育が差別意識をもたらす   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/12/29/5614412

かつての解放運動との交渉風景   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/08/27/6074508

郵便ポストを設置させた解放運動  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/07/07/6502784

同和地区の貧困化         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/07/29/6525302

「原子力ムラ」は差別語では‥   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/09/22/6580751

解放運動             http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/05/02/7299711

日本人をバカにした本―橋本治と中島京子2015/01/12

 毎日新聞の書評欄に、中島京子さんが橋本治『バカになったか、日本人』(集英社)の書評を書いています。 読んでみて、新聞にこんなことを堂々と書く人がいるのかとビックリした次第。

 書評によれば、日本人はバカになったそうです。 そして「日本国民の頭はもう少しよくならなければならない」と強く訴えています。

一つ覚えの「景気回復」、あとは「丸投げ」

本書は、著者が二〇一一年〜一四年の間に書いたエッセイをまとめたもので、<東日本大震災>から<安倍政権が進める憲法改正>までを論じている。 振り返ると残念なことに、進まないのは震災復興と原発事故の収束、進むのは増税と安全保障政策と改憲論議、そして後退するのは社会保障政策、という三年間だった。 この政治状況を、昨年末の史上最低投票率衆議院選挙で承認して締めくくってしまったわけで、主権者たる日本国民は、「バカになったか」と疑問を呈されても仕方がない立場にあるように思う。

日本人にも、バカでなかったころがあるのか、明確には示されないが、本書が扱うのは、「戦後」である。震災がすべての始まりだったように語られがちの現代日本の「ヘン」さのもとを、著者はまずその直前、二十一世紀が始まって以来の状況を俯瞰(ふかん)して読み解き、さらにそれ以前に遡(さかのぼ)って、日本社会を色濃く性格づけた「戦後」を整理する。

「『戦後』は『戦後』のまま立ち消えになって行く」というエッセイで指摘されるのは、日本における市民の不在である。 「『近代市民社会』と言われる時の『市民』がそれで、これは『右でもない、左でもない、リベラルな存在』であるはずのものである」「戦後というのは、旧来の考え方から離れて、日本人が『市民』になろうとして、『市民社会』なるものを形成しようとした時代だった」。 主権者である意識を持ち、自分達の社会をよりよくしようと努力する市民。

それを育成するべくメディアも教育も動いたのが「戦後」であったのに、そしてたとえば一九七〇代には、公害をターゲットとする市民運動も盛んだったが、公害が減少したら市民運動も衰退した。 「衰退してもかまわなかった。 日本はどんどん豊かになって行ったから。 『生活が大丈夫だから、政治なんかどうでもいい』になってしまった」。 景気の良さが市民の芽をつぶした。 結果、日本に市民は育たず、それゆえ市民のための政党は生まれず、いつのまにか市民という言葉も古臭く響くようになった。 だから本来市民となるべきだった人たちは膨大な数の無党派層と化して今日あり、政治なんかどうでもよくしてくれる「景気回復」を求めて(そう、好景気こそがこの二十年以上、この国の人々の悲願であり続けている)、「アベノミクス」を唱え続ける政権を支持してしまったというわけだ。

「日本の『戦後』は、『戦後』という時代区分だけがあって、格別の成果も持たず、ただ立ち消えていく。日本で一番厄介な問題は、戦後社会の日本人のあり方にふさわしい政党が今になってもまだ存在しないということだろう」。 それが民主党でも、いわゆる第三極と呼ばれる政党でもなかったことの理由も、明快に記されている。

しかし「景気の回復」といっても、それがかつてのものとは意味を変質させてしまったのが二十一世紀だ、と『二十世紀』の名著もある著者は指摘する。 「物を作る」が無効となり「金融で金儲(もう)けをする」がスタンダードとなった二十一世紀の先進国では、「景気回復」の恩恵に与(あずか)れるのは金を持っている層だけ。 しかし、そこは考えようとせずに、政治に望むことはひたすら「景気回復」、なすべき議論を「丸投げ」「先送り」「素っ飛ばす」「多分忘れる、絶対忘れる」という凄(すさ)まじい方法で避け続ける日本人。

有効な薬についての記述はないが、本書の中で三度に亘(わた)って著者が強く訴えていることは、傾聴に値すると思われる。「日本国民の頭はもう少しよくならなければならない」

 橋本さんは自分が考える理想の「市民」を設定して、そのように動かない日本人は「市民」ではなく「バカ」なのだそうです。 そして彼が「日本国民の頭はもう少しよくならなければない」と三回も強く訴えているのを、中島さんは「傾聴に値する」と全面賛成しています。

 橋本さんや中島さんによれば、「市民」ならば安倍政権を支持しないはずなのに選挙でこの政権を選んでしまった日本国民は「バカ」だということです。 だから自分たちは他の「バカ」な日本人と違って本当の「市民」であり、だから賢いのだと思っているようです。 これが酒席の与太話ではなく、堂々と活字にするとはねえ。

 日本国民が民主的な選挙で選んだ結果が意に反するものであれば、まずは自分たちの力不足を反省すべきものでしょう。 それなのに日本国民はバカだと言いつのっているのです。 そのうち、賢い自分がバカな日本国民を統治してやらねばならないと独裁主義になっていくような気がします。

 これほど日本人をバカにした記事が大手新聞に載ったのにビックリした次第。 これの掲載を決めた編集者の見識も同じなんでしょうねえ。

嫌韓派と韓流派2015/01/17

 今の日本では「嫌韓派」が大きな勢いを得ています。 嫌いなら無視すればいいのにと思うのですが、そうではなく韓国に関する本やネット記事を熱心に読むなど、非常に関心の高い人たちです。 しかし彼らのほとんどが韓国語を知らないし勉強しようともしないという特徴があります。 ネットで嫌韓のコメント・投稿する人は韓国語ができないと見て間違いありません。 韓国に関心がありながら韓国語ができないという‘嫌韓派’の姿は、興味深いものです。

 一方では、韓流にはまった人(「韓流派」―中高年女性が大半)が韓国語を熱心に勉強しており、上記の‘嫌韓派’とは非常に対照的です。 冬ソナを契機に始まった韓流ブームは10年余りを経て来ましたから、その時に韓国語の勉強を始めた人のなかには韓国語能力試験最高レベルの級を獲得している人が続出しています。 また70を越えた白髪の女性が韓国語教室に通い一所懸命に勉強する姿はしばしば見かけるもので、今時の若い学生たちに是非見せてやりたいものです。 

 つまり今の日本では韓国に高い関心を持ちながらも韓国語を勉強しようとしない人(嫌韓派)と、熱心に勉強している人(韓流派)という二つの大きな流れがあります。 それ以外に韓国に批判的でも韓国語をやっている人や、反対に韓国の反日に連帯しながらも韓国語ができない人なんかもいますが、これは少数ですね。

 そして次に大きな特徴として、‘嫌韓派’と‘韓流派’とが全く交わっていないことが挙げられます。 だから‘嫌韓派’は本屋では嫌韓本や嫌韓雑誌ばかりに目が行き、韓流雑誌には目が行きません。 また韓国映画や韓国歌手リサイタルにどれ程のファンが押し寄せるのかについて、‘嫌韓派’は見ようとも知ろうともしません。

 これは逆に、もう一方の‘韓流派’が本屋に山積みになっている嫌韓本や雑誌には目もくれず、だからその方面の知識がほとんどないのと対照をなしています。

 さらに特徴として挙げられるものは、‘嫌韓派’は体験に基づくものが余りなくてネットや本、雑誌などでの偏った情報ばかりを追求しています。 だから特定の政治的社会的テーマではこと細かく知っていながら、初歩的・基礎的知識に欠ける場合が多くなっています。 嫌韓派は拙ブログでも投稿・コメントをよくしてくれますが、私にはヘエー!?こんなことも知らないで韓国を批判しているのか!とビックリして参考にならないのが多いものです。 またレイシズムとしか言い様のない非常識なものも多いです。 けれど本人が自分のことをレイシズムや非常識とは自覚していないのは困ったものです。 なお拙ブログでは、こういうものは公開しないようにしました。

 一方‘韓流派’は何べんも韓国旅行に行ったり、また韓国人の友人を作る場合もよくあるので、その経験に基づく知識は貴重なものです。 百聞は一見に如かずという諺があるように、体験で得られた知識は頭のなかで得られた知識より優れているものなのです。 しかしこういう人の投稿がほとんどないのは寂しいですねえ。

 それでは‘嫌韓派’と‘韓流派’、どちらが優勢か?と問われれば、データがないので分からないとしか言いようがありません。 現在言えるのは、‘韓流派’は「冬ソナ」を契機として沸き上がったブームが今衰えてきてはいるがまだ根強いものがあるということと、もう一方の‘嫌韓派’は李大統領の竹島上陸や天皇謝罪要求発言以降に大きな勢いを得て今に至っているが、在特会というトンデモ集団の跳梁やインターネット上での非常識なコメント・投稿などに対して世間から逆風が吹き始めたようだ、ということです。 

 ‘嫌韓派’はこの「トンデモ」「レイシズム」「非常識」が消え去り、‘韓流派’並みに韓国語を勉強して韓国を体験するようになれば良質の社会層となるだろうと思います。 また一方の‘韓流派’は「韓国大好き」を維持しながらも‘嫌韓派’並みに日韓の社会や外交、歴史等を勉強するようになればいいなあと思っているのですが‥‥。

【拙稿参照】

中高年女性の韓流ブーム      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/10/30/5457817

過激な言動は犯罪を生む      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/03/23/6755958

私がコメントしない訳       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/03/06/7238847

嫌韓は「日本の韓国化」である   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/12/23/7522145

水野俊平『笑日韓論』 (続)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/09/20/7439097

韓国の反日外交の定番2015/01/22

 日本経済新聞の「早読み 深読み 朝鮮半島」は鈴置高史さんが担当するコラムで、なかなか鋭い分析をしてくれるので大いに参考になります。 最近では韓国政府の反日外交に関して、次のような発言をしておられます。

鈴置: 韓国人にとって「事実」よりも「韓国の味方になってくれる日本人」が大事なのです。だから冒頭で紹介した記事も「反アベの韓日の歌手が出演する合同コンサートをソウルと東京で開こう」と訴えたのです。       真実がどうであれ、要は反安倍のムードを日本でも盛り上げ、謝罪を引き出せばいいのですから。         日本のリベラルが「日本の悪行」を暴く。すると韓国政府がそれを外交問題化し、日本政府に対し高みに立って何かを要求する――というのが日韓関係の定番でした。「慰安婦」に限りません。「偏向教科書」も「政治家の歴史認識」もそうでした。        ことに内政問題で立ち往生した時は必ずといっていいほど、韓国政府は「日本の悪行」に飛びついて外交問題化し、国民の批判を交わそうとしました。         盧泰愚(ノ・テウ)政権(1988―1993年)が後半期に入った頃の話です。韓国政府高官からわざわざ呼び出され「何かいい反日の材料はないか」と聞かれたことがあります。           レームダックに陥り始める中、政権への批判が盛り上がってきたので「国民の目をそらす反日カードを発動することにした」というのです。

何と答えたのですか?        鈴置: 「日経新聞に反日を求められても……」と答えました。私のこの体験とどれだけ関係があるかは分かりませんが、「慰安婦」はこの後に政治問題化していきました。          いずれにせよ、日本と外交戦争をする時は日本国内で呼応する勢力を確保しておく――というのが韓国の対日工作の基本です。           朝日新聞だけではありません。謝罪関連では左派の政治家が頼りになりますし、自民党の政治家の一部も状況によっては韓国の熱心な支持者になりました。              朴槿恵(パク・クンヘ)政権も「『首脳会談はしない』とそっぽを向いて見せれば、謝罪派なり親韓派が『日本は譲歩すべきだ』と言い出し、その圧力に負けてアベは言うことを聞くだろう」と考えたのでしょう。        でも、普通の日本人は「何度でも謝罪を要求してくるしつこい韓国」に嫌気しました。日韓議連に所属する国会議員に対し、支持者から「脱退せよ」と抗議の電話がかかってくる時代になったのです。

「うるさい韓国は放っておけばいい」との思い。国民的合意に昇華したように見えます。        鈴置: いまだに「韓国の言い分も聞こう」と主張するリベラル派もいます。でも日本では、彼らの説得力は劇的に落ちました。韓国にとって「日本のリベラル頼み」は限界に達したのです。          韓国人の一部もそれに気がつき「対日新思考外交」が唱えられ始めました。2014年末から2015年初めにかけてです。        「アサヒ」にも「クワタ」にも頼らない、新しい外交スタイルの模索が韓国で始まったのです。

 韓国にはもともと反日情緒がありましたが、日韓の交流が深まるとともに消えていくだろうと思われていました。 しかし実際にはそうならずに反日はエスカレートし、冷静であらねばならない政府までもが反日に熱を上げています。 そしてついには1965年の国交正常化以降最悪の日韓関係になりました。

 この韓国の反日の震源地は、鈴置さんが 「日本のリベラルが『日本の悪行』を暴く。 すると韓国政府がそれを外交問題化し、日本政府に対し高みに立って何かを要求する――というのが日韓関係の定番」 と論じたように、日本の革新・左翼にあります。

 ならば日本の革新・左翼の諸君は何故このような行動をしたのかということですが、それは彼らの「アジア人民との連帯」思想です。これについては拙稿で3年ほど前に論じたことがあります。        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/08/11/6538315

 なおこれは革新・左翼だけでなく、執権与党の自民党内にも韓国の反日に肩入れする政治家がいました。 これについて鈴置さんは「自民党の政治家の一部も状況によっては韓国の熱心な支持者になりました」と論じています。

 これは、日本は大国・強国なのだから日本の方が遠慮せねばならないという、韓国に対して高みに立つ思想が内包されているものです。そしてこの思想は自民党だけでなく、民主党や日本のマスコミにも広く見受けられるものです。これについても拙論で論じました。

中韓は子供と思って我慢-藤井裕久  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/12/27/7157809

実は韓・中を見下している「毎日新聞」社説  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/02/19/7226754

毎日新聞 「“強い国”こそが寛容に」  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/06/15/7344974

朴大統領のこれから―大胆予想2015/01/25

 韓国民の間では朴大統領の人気がかなり低下しているようです。 世論調査では支持率30%、不支持率60%だそうです。 不支持の理由としては「意思疎通不足」「増税」「経済政策の不満」」などが挙げられています。 5年任期のうちまだ2年しか経っていないので、残りの3年間はさらに人気が低下してレームダック陥る可能性があります。

 これまでの韓国大統領の例では、就任当初は日本とは歴史問題を取り上げないと言っておきながら、任期末期に近づいて支持率が低下すると変身したかのように歴史問題で反日政策を唱えるのが繰り返されてきました。 日本に対して強気の姿勢を見せることが人気低下の歯止めになると考えられていたからです。 しかし朴大統領は就任当初より強硬な反日政策をとりましたので、これまでのような手法では人気回復はできません。

 朴大統領不支持理由のうち「意思疎通不足」は長年培われてきた本人の性格によるものでしょうから、これを改めることはちょっと難しいでしょう。また「増税」「経済政策の不満」などは、誰が大統領をやってもこうせざるを得ないという面がありますから、これも仕方のないところでしょう。

 しかしこのまま何の手立てもせずに行けば、功績がなく国民から嫌われた無能な大統領として終わってしまいます。 だから人気を回復するための何か秘策を考えているものと思われます。 それは何かを大胆予想してみました。

 それは北朝鮮との電撃和解です。 これまでは金大中・慮武鉉大統領が北朝鮮を訪問しましたが、この二番煎じでは人気は回復しないでしょうから、この時よりもっと衝撃的な和解を目指すのではないかという気がします。

 朴大統領はかつて北朝鮮を訪問して金正日と会ったことがあり、また「統一テバク(大当たり)論」を唱えています。 そして金正恩第一書記は今年の新年の辞で「南北首脳会談はできない理由はない」と述べました。 従って南北和解のハードルは低くなっています。 あとは大統領と第一書記の決断だけです。

 韓国は北朝鮮の核廃棄を求め、北朝鮮は韓米軍事演習の中止と国家保安法等の廃止を求めるでしょう。 朴大統領はこれを受け入れるだろうというのが、私の大胆予想です。

 そしてこれが約束されて首脳会談が実現すると、韓国は北朝鮮に多額の援助を行います。 15年前の金大中大統領の北訪問の際は5億ドル(約500億円)でしたから、朴大統領はその何倍ものお金になるでしょう。

 北朝鮮では経済発展のためにお金を使うという発想そのものがありませんから、金正恩は韓国からの援助金を自分の体制維持に使うだけです。 朝鮮労働党、人民軍、主体思想、先軍政治はそのまま残ります。 それでも朴大統領にとっては南北の緊張緩和を成し遂げ、統一への道筋をつけたという功績を残すことができて満足することになります。 ひょっとしたら金大中さんのようにノーベル平和賞を貰えるかも知れません。

 和解統一の方向が決まれば、北は南に韓米相互防衛条約の廃棄と在韓米軍の撤収を迫り、南は北に改革・開放(=市場経済の導入)を要求するでしょう。 中国は東アジアでの覇権を狙っていますから、北も南も両方を支持して影響力をさらに強めます。 韓国はアメリカを捨てて中国に寄り添うこととなります。

 以上は自分勝手に大胆に考えた予想です。 当たるも八卦、当たらぬのも八卦の世界ですが、このような未来小説を書けたらいいなあと思っています。

【拙稿参照】

“統一大当たり論”―バラ色の夢に酔う韓国(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/06/21/7349444

“統一大当たり論”―バラ色の夢に酔う韓国(2)http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/06/25/7352791

“統一大当たり論”―バラ色の夢に酔う韓国(3)http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/06/29/7369328

北朝鮮を甘く見るな!(1)        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/07/23/7395972

北朝鮮を甘く見るな!(2)        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/07/28/7400055

北朝鮮を甘く見るな!(3)        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/08/02/7404064

韓国と北朝鮮の崩壊論           http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/05/25/7321054

原始社会(2)2015/01/30

 今回は韓国や朝鮮とは全く関係のない「人類史」の話です。以前に書いた原始社会 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/05/11/7307645 という論稿の続きになります。

 動物の行動のすべては‘個体維持’と‘種族維持’が動機だという話があります。 ‘個体維持’とは個々の肉体を保つことで、食欲のことを指します。 動物は食欲があるからエサを探しまわります。動物の日常は食欲を満たすための行動がすべてと言っていいほどです。 もう一つの‘種族維持’とは繁殖のことで、性欲を指します。 動物は発情期になると、性欲を満たすために激しい行動を行ないます。

 動物は食欲も性欲も本能のままに動きますので、それぞれの個体がひたすら食欲と性欲を満足させるためだけに行動します。

 食欲は肉体の維持ですから、食欲を満たせなかったら短時日のうちに身体が衰えて死にますので割りと分かりやすいです。 しかし性欲のほうは、これが繁殖に結び付くのに数ヶ月以上の時間が必要になります。 この時間差の故なのか、原始時代の人間には性欲を満たすと子供ができるということが理解できないようです。

 人類学の古典的名著『未開人の性生活』(新泉社 1971)は、ニューギニアに近いトロブリアンド諸島に人類学者マリノウスキーが20世紀初めに訪れて、現地種族の婚姻や生殖、妊娠、性生活について調査したものです。 ここにビックリするようなことが報告されています。原始社会段階にある彼らはセックスと妊娠・出産とは関係ないという考え方を頑なに持っていることでした。 従って、彼らは性的放縦すなわち我々が今言うところのフリー・セックスを行ないます。

 マリノウスキーが如何に説明しても、彼らは様々な「事実」を挙げて激しく反論します。 彼らの挙げる「事実」とは、この本の「第七章 生殖と妊娠に関する考えと慣習」のなかに列挙されています。 一例を挙げると、未婚女性は既婚女性よりも熱心に性生活を送っているが妊娠しないという「事実」。 マリノウスキーは「多少誇張されているが、実際に存在する事実」と認めています(143頁)。 ただし今日の一般常識に反するこの「事実」が何故現れるのかについては言及していません。

 ところでこのような性的放縦はここだけに限られるのではなく、キリスト教などの影響で貞淑道徳を植えつけられる以前の原始社会に割りとよく見られる現象のようです。 つまり純粋な原始社会では、セックスと妊娠・出産とが結びつくものとはされておらず、従って「家族」があっても父親と子供のDNA上の真実の血縁関係については思いもよらないことなのです。

 ここで動物のサルを想起してみると、サルは発情したらそのまま行動します。メスは腕力の強いオスに性欲を掻き立てられるようで、強いオスはより多くのメスと交尾することができます。 逆に弱いオスは遠慮せざるを得ませんし、メスからも嫌がられますから交尾が難しくなります。 これらは本能のまま行動であって、オスは何もメスに自分の子供を宿してやろうなんて思いません。 相手のメスに子供が出来ても、これが自分の子供なんてちっとも感じることなく、発情期が過ぎれば元のように自分のためにエサを捜し求めます。

 このサルから人類が歩み始めたのですから、原始社会の男は性欲を満たす本能だけがあるのであって、自分のDNAを残したいという欲望はないということです。 性欲の相手にした女から子供が生まれても、自分の子供だという感情は出てきません。 

 そして男が ‘これは自分の子供だ’ ‘自分の子供が欲しい’ と考えるようになった時点から現在につながる「家族」の歴史が始まり、同時にこの時が原始社会から一歩踏み出して文明へ向けた次の段階へ歩む人類史の始まりとなります。

【拙稿参照】

原始社会 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/05/11/7307645