植民地下の朝鮮で実施された選挙2015/01/03

 戦前の朝鮮は日本の植民地でした。だから最高権力者は宗主国の日本から派遣される総督です。 この総督の下に政治権力機構が整備されるのですが、ここに地方議会があり、議員は選挙によって選ばれていたという歴史事実については余り知られていないようです。

 選挙は一定の租税を納めたものだけ参加できる制限選挙でしたが、多数の朝鮮人が立候補し、議員となっています。 上記の写真は当時の京城府会議員選挙風景の写真で、李圭憲著『写真で見る韓国の独立運動 下』(高柳俊男・池貞玉訳 1988年11月 国書刊行会)の171頁に掲載されているものです。 写真のキャプションは

日帝は『内鮮一体』というスローガンの下に形式的な各級議会を設け、朝鮮人に立候補を強要した。光化門紀念碑閣の前に立ち並ぶ立候補者の立看板書いた看板

とありますが、この写真から感じられることは今と負けず劣らずの激しい選挙だったようです。 

 当時の朝鮮での地方議会選挙は1931年、35年、39年、43年の四回実施されました。 この写真には立候補者の名前の立看板が全部で26枚、うち14枚が朝鮮名です。 半分以上が朝鮮人ということになります。 創氏改名は1940年で、これで日本風の名前に変えた朝鮮人の割合が80%だったのですから、写真は1943年実施の選挙ではないでしょう。 とすると、それ以前の1931、35年、39年のどれかの選挙と思われます。

 さらに看板に記された名前を見てみると、立候補した朝鮮人の名前の横にハングルが振られているのが分かります。 これはハングルでの投票が認められていたからだと思われます。 当時の内地の選挙では、内地に居住する朝鮮人も選挙権があってハングル投票が認められていたからです。 植民地の文字が宗主国内の選挙で使われても有効だったというのは、世界史的に見て稀有な例です。 従って日本の植民地であった朝鮮でもハングル投票は認められていたと考えていいでしょう。

 植民地下朝鮮での選挙についての研究は少ないようです。 しかし研究テーマとしてはかなり面白いものです。 元気が回復すればやってみようかなと思うのですが‥‥。

【拙稿参考】

戦前の在日の参政権 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainanajuuichidai

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