韓国を理解できるか2015/02/14

 日本では韓国についてこれまで様々に論じられてきて、それなりに分かったつもりになってきた。 また冬ソナを契機とする韓流ブームにより韓国に親近感を持つ人も非常に多くなった。 だから韓国への理解が深まったように見える現象が現れた。 しかし李前大統領の竹島上陸や天皇への謝罪要求がきっかけとなって韓国を訪問する日本人は激減し、また書店ではいわゆる嫌韓本や嫌韓雑誌が飛ぶように売れるようになった。 今の日本は韓国への考えが大きく変化している時代に差し掛かったと言えるだろう。

 何故このような事態が現れたかというと、かつての日本人が理解していた韓国に比べて、近年目の前に見える韓国があまりにも理解し難いと感じるようになったからと思われる。 それは例えば大統領が日本の悪口を世界中で言って回る「告げ口外交」とか、「日本海」という海域名を「東海」に変えろとか、韓国人が盗んだ対馬の仏像を返さないとか‥‥「反日の暴走」(澤田克己)とか「常軌を逸した反日」(豊田有恒)と評される程にたくさんある。 これらが以前の韓国理解では説明し切れないのである。

 それでは日本では以前の韓国についてどのような理解をしてきたかと言うと、それは二つある。 一つは、韓国人はかつての日本の植民地支配で受けた苦痛を忘れていないから反日感情を持つのは当然だというものである。 逆に若い人は植民地体験がないのだから日韓友好の努力をしていけば韓国の反日感情は収まっていくものと考えられた。 だから多くの日本人は我が日本はどれだけ悪いことをしたかの歴史を学び、学校ではこれを子供たちに教え、そして多くの日韓友好の行事を行なった。 しかし韓国の反日感情はますます大きくなるばかりであった。 これは日本の植民地支配がそれほど過酷であったからだとか、日本の一部の政治家らによる植民地支配を正当化する<妄言>のせいであると説明され、多くの日本人はこれで一応は納得したというか、納得させられていた。

 もう一つは、日本は大国・強国であり、あるいは民主主義成熟国、大人なのだから、そうでない韓国には日本の方から手を差し伸べてあげねばならないというものである。 これは韓国に対する侮辱とも言えるものであるが、意外と根強いものである。例えば澤田克己は次のようなエピソードを紹介している。

日本語を話す韓国の金鐘泌元首相が「なんだかんだと言っても日本は大国ですから」と言い、中曽根康弘元首相や竹下登元首相らが「やっぱり韓国の事情も考えてあげないと」と話していた (澤田克己『韓国「反日」の真相』文春新書92頁)

 また民主党の藤井裕久元大蔵大臣は産経新聞のインタビューで「中韓両国は子供と思って我慢すればいいんです」と発言している。  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/12/27/7157809

 毎日新聞は社説で「安倍政権は韓国や中国に対しては、成熟した民主主義国家として関係改善に積極的に動き、アジアに貢献する姿を示すべきではないか。」と論じた。 これは成熟した民主主義国が未熟な国に配慮して動けということである。 ここには我が日本は成熟しており、未熟な韓国・中国とは違うんだという高慢さが隠れている。  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/02/19/7226754

 これは別のたとえで言うと、駄々をこねる子供・弱者とこれに「泣く子に勝てぬ」とばかりに甘やかす大人・強者との関係であり、これを国家関係にまで引き上げているのである。 結局は我が日本を高みにおいて韓国を見下す軽侮意識なのであるが、このような考え方は以上のように保守政治家だけでなく、進歩的とされる政党やマスコミにも広く共有されていた。 

 これまで日本人による韓国理解は以上のように、①日本が多大な迷惑をかけたというものと、②小国・未熟・子供と同じで駄々をこねているというものの二つの理解があり、韓国と相対するときはこの理解に基づいていた。 しかし近年の韓国の激しい反日は、この二つの理解では説明しようにも説明できない現象である。 以前の考えではもはや対応できないのである。

 つまり韓国はなぜこんなことを言い出し行動するのか、多くの日本人は理解できなくなったというのが現状なのであり、だからこれまで何かと韓国を擁護してきた親韓派の人までもが「近頃の韓国はちょっとねえ」などと批判的になってきている。

 ここに日本で嫌韓本や嫌韓雑誌がなぜ大量に売れるのかの理由が見えてくる。 韓国の現在の激しい反日についてこれまでの理解では対応できず、ならばどのように理解したらいいのかを探している現状のなかで、嫌韓本・雑誌の記事がああ成程そうだったのかと納得できるものとなってしまったのだ。 理解し難い韓国をうまく説明していると感じられる嫌韓本・雑誌に多くの日本人が飛び付いたのである。

 一方嫌韓本・雑誌に対して批判する人は従来の理解の仕方で批判する。 歴史を今なお反省していないとか、差別意識を引きずっているとかの批判になるが、現在の韓国の反日現象をどう分析して説明すればいいのかを提示していない。 しかも嫌韓本・雑誌の中身を読まないで題名だけを見て批判する傾向が強いので、説得力がまるでないと言っていい。 しかしこういった人たちが韓国から「良心」と称賛されるので、 従来の理解の仕方は根強く残ることだろう。

 嫌韓本・雑誌のブームはまもなく終わる。 何故ならこれまでの記事でほぼ言い尽くされているからである。 いわばネタ切れである。 同じネタを手を代え品を代えて説明されても、いずれは飽きられる。

 とするならば、これからは韓国を以前とは違った観点から深く鋭い分析を行なう方向に行くべきだろうし、それが出来る評論家・研究者が生き残ることになるだろう。 嫌韓本・雑誌の著者・論者のうち、どれだけの人が生き残るであろうか?

【拙稿参照】

日本から親韓派がいなくなる―『週間朝鮮』http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/02/16/7223713

日本から親韓派がいなくなる(続)―西岡力 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/02/23/7229138

《日本=加害者・韓国=被害者》は人間関係を悪化させる http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/08/29/7423860