「三韓」の用例(7)―朝鮮王朝実録2015/07/04

  『朝鮮王朝実録』は、李氏朝鮮の成立から日韓併合までの約430年間にわたる王朝の記録です。 この王朝実録にも「三韓」が多数使われています。 ここでは李成桂(太祖)が高麗を倒して新たに朝鮮国の王として即位した太祖元年(1392年)の7月から12月までの半年間に限って、「三韓」の用例を探してみました。 これは国の始まりの時代ですから、国名といったものを考察するのには重要な時期と言えます。

{1}太祖元年7月17日条       これを智異山の岩石の中から得た。そこには「木子が豚に乗って下りて来て、また三韓の国土を回復するだろう」と書かれていた。       (原文)得之智異山巖石中、書有木子乘猪下、復正三韓境

 「木子」は「李」を分解して二つの漢字で表したもの。李氏が三韓の領土を支配することになるだろう、つまり李氏朝鮮王朝が樹立されるだろうという予言です。

{2}太祖元年10月22日条       三韓は王氏が亡んでから、李氏が策略を謀り、様々な様相を呈しながらもう何年かが経った。       (原文)其三韓自王氏亡, 李氏運謀, 千態萬狀已有年矣

「王氏亡」は王氏が開いた高麗国が滅亡したことです。王氏高麗から李氏朝鮮に王朝交代がなされたことを示しています。「三韓」は高麗あるいは朝鮮全体の領域です。

{3}太祖元年10月22日条        王氏が昔三韓を有した報いもそうであったように        (原文)乃王氏昔有三韓之報, 亦然矣,

 高麗を開いた王氏は「三韓」朝鮮全体を支配していたということです。

{4}太祖元年10月22日条          それは三韓の臣民が李氏を尊んで、臣民たちに兵火がなくなり、人それぞれが天の楽を楽しむのも、即ち天からの命なのだ。        (原文)其三韓臣民, 旣尊李氏, 民無兵禍, 人各樂之樂, 乃帝命也。

 「三韓」の民が李氏の支配下に入るのは、天命だということです。「三韓」は朝鮮全体です。

{5}太祖元年11月6日条       優れた功績は三韓にあらわれて、本家の子孫も分家の子孫も百世まで栄えるだろう。        (原文)顯功烈於三韓, 茂本支於百世。

 この「三韓」も朝鮮全体を意味しています。

{6}太祖元年12月16日条       殿下は大義に従って軍隊を返し、三韓の人々を堕落から解放したのですから、殿下が世を救った功績は社稷にあるのです。           (原文)殿下擧義旋旆, 使三韓之民, 得免於糜爛, 是殿下康濟之功, 在社稷矣。

この「三韓」も朝鮮全体を意味しています。

{7}太祖元年12月16日条         城を築き、武名が轟き、航路が開かれ、三韓で40年間苦しめられた倭寇の災難が一日で止んだ。          (原文)以之築城堡, 武衛以奮, 漕路以通, 三韓四十年倭奴之患, 一朝而息矣。

 この「三韓」も特定地域ではなく、朝鮮全体を意味していると見た方がいいでしょう。

{8}太祖元年12月16日条       7月12日に至り、天は怒り、民は離反したので、三韓は翻然として殿下を推戴しました。       (原文)至七月十二日, 天怒民離, 三韓翻然, 推戴殿下。

 「殿下」とは、高麗に代わって朝鮮王朝を開いた李成桂(太祖)のことです。「三韓」は当然朝鮮全体の人民を表しています。

{9}太祖元年12月16日条         殿下は王氏に忠誠を尽くされましたが、天が見るには、三韓のみんなが知っていることであります。        (原文)殿下爲王氏之至誠至忠, 上天所鑑臨, 三韓所共知也,

 「三韓」は朝鮮全体の人民を指しています。

{10}太祖元年12月16日条         今天は既に殿下に命令して、三韓で父母の役目をするようにした。       (原文)今天既命殿下, 而父母三韓矣。

 この「三韓」は朝鮮全体の領域です。

 以上の10例がありました。 全ての例で、「三韓」は「‘三つ’と‘韓’」という二つの言葉の合成語ではなく、従って馬韓・辰韓・弁韓を指すものではありません。 見ての通り「三韓」はこの二文字で一語として、「私たちの国」あるいは「我が国土」、「我が国民」に近い言葉です。

 {2}{3}のように「三韓」に王氏や李氏が王朝をもったということからすると、「三韓」は王朝・政府・国家といった人為的組織ではなく、それよりも意味が広い「(我が)くに」「(我が)ふるさと」「(我が)はらから」などのような意味ではないだろうかと思います。 朝鮮全体の領域や文化圏を表す表現として「青丘」「三千里」「海東」「大東」などがありますが、このような言葉としてもう一つ「三韓」があると見た方がいいように思われます。

「三韓」の用例(1)―中国古代   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/06/08/7664404

「三韓」の用例(2)―朝鮮古代   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/06/13/7667715

「三韓」の用例(3)―日本古代    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/06/18/7671200

「三韓」の用例(4)―朝鮮古代金石文 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/06/22/7678138

「三韓」の用例(5)―中国古代金石文 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/06/26/7680561

「三韓」の用例(6)―沖縄金石文   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/06/30/7690495

コメント

_ 健介 ― 2015/07/04 09:53

間違いね。当時の朝鮮半島の国の認識はそれまでの歴史があり、三韓つまり、三つの韓という認識だった、つまり朝鮮半島を統一したもとしてはみていなかった。そのため王朝があっても、それは統一王朝ではなく、三韓という三つを支配するという意識だった。
 あんた、結論だ先にある事、南北朝鮮やわが国の左翼や、右および、ある種のわが国の知識人、それは朝鮮人支那人、それとある種の西洋人と同じ気質の持ち主ですね。貴殿は挑戦の影響下にある人でしょう。
 私は学者ではないが、もっと西洋学問の方法を身につけることだと思う。この場合は歴史学ないし考古学ですけれども。
 朝鮮ブログにおいて、辻本氏のそれは優れているとは思うが、ちょっとなあと思う。
 何故このような文章の書き方をするのか私にはわからない。
てづから、学問的をかたちどっているが、一種のプロパガンダ文章を書くのかわからない。わが国の学校教育レベルを侮っているのかな?

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