朝鮮植民地史の誤解 ―毎日の読者投稿2021/08/03

 毎日新聞の7月31日付けの読者投稿欄「みんなの広場」に、次のような投稿がありました。誤解のないように全文を引用します。 なお名前と住所は伏せています。https://mainichi.jp/articles/20210731/ddm/005/070/002000c

植民地支配の歴史に向き合う=無職・荒木〇〇子・78 (宮崎県〇〇市)

私は78年前に朝鮮で生まれ戦後、2歳で引き揚げてきたが、出生地が朝鮮であるということを50年あまり、人前で言えなかった。私自身の差別心からである。

次のようなことを聞いた。20代の父の職場での役職は、50代の朝鮮人よりもずっと上で、部下としてこきつかっていたこと。給料も日本人は6割加給されていたこと。お手伝いさんを3人も雇っていたこと。私は子供心に、朝鮮人は劣っているという感性を刷り込まれていた。

50代の頃、植民地支配の歴史を学んだ。日本が朝鮮の人々の土地と仕事を奪い、日本語を強制して言葉を奪い、創氏改名で名前まで奪った事実を知った。国家としての日本も個々の日本人も歴史の事実に向き合い、どうすれば近隣諸国との未来を再構築できるのか、模索しなければならない。

 人の人生ですから、どのような気持ちを持ってきたのかは様々になりますので、この人はこのような考え方・感性を持ってこられたのかと思うだけです。 ただ歴史事実として指摘しておかねばならない所があります。 「日本が朝鮮の人々の土地と仕事を奪い、日本語を強制して言葉を奪い、創氏改名で名前まで奪った事実」という部分です。 

 「土地を奪い」は併合直後から約10年間に施行された土地調査事業のことと思われます。 この事業を「朝鮮人の土地を奪う」ものとする主張は、今も根強いですね。 実はこれは土地(主に農地)の権利を調査し確定するものであって、従って私有財産制の確立という意味がありました。 ですから、それまでの李朝時代では土地の所有権が不確実だったのが、この事業を機に「この田畑は自分が耕作する権利がある」ことが公的に証明されることになったのです。 これが「日本人が土地を奪った」というように、話がすり替わりました。 かつての朝鮮史の概説では、日本人が騙して土地を奪ったという架空の物語を出していましたねえ。

 「仕事を奪い」とは何のことか分かりません。 朝鮮で「奪われた仕事」とは何なのか? もともと朝鮮は農業国で、商工業は未発達でした。 貨幣は李朝末期(19世紀後半)にようやく普及する経済状態でした。 果たして日本は朝鮮人からどんな仕事を「奪った」のか、疑問になります。 日本は鉄道建設、鉱山開発等々で朝鮮人を多数雇用していたのですがねえ。 この投稿者自身が、家では「お手伝いさんを3人も雇っていた」と書いており、仕事を奪うどころか与えていました。

 「日本語を強制して言葉を奪い」も、かつての朝鮮史の概説によく載っていました。 日本の植民地ですから公用語が日本語になったのは確かですが、朝鮮人が日常生活で朝鮮語を使うことは自由でした。 例えば学校では日本語で授業が行われるのですが、一旦校門を出ると友人、家族、近所とのコミュニケ―ションは朝鮮語だったのです。 それ以前に、当時の朝鮮人には教育の義務を課せられませんでしたから、学校に行く・行かないは自由と言ってよかったのでした。 こんな状況で、なぜ「言葉を奪う」となるのか、首をひねります。

 「創氏改名で名前まで奪った」も間違いですね。 創氏は家族の名前である「氏」を新たに付け加えるものであって、「名前を奪う」ものではありません。 日本名に変えても金とか李とかの先祖伝来の民族名は朝鮮戸籍の本貫欄に移されており、その民族名を公的に証明することができました。 また創氏改名で日本名に変えたのは80%で、残りの20%の朝鮮人は民族名を維持しました。 これで何故「名前まで奪った」となるのか、不思議ですねえ。

 「土地を奪った」「言葉を奪った」「名前を奪った」という誤った朝鮮史は、私の記憶では1990年代まで、全国的に広まっていました。 これを強く主張する人はたいてい教師でしたね。 おそらく日教組などの教育者団体が広めたのではないかと思っているのですが、どうなんでしょうか。

 この間違った歴史が今なお定着しているようで、今度の毎日新聞の読者投稿欄にも採用されたということです。 担当記者の勉強不足を指摘するとともに、一旦定着した誤りを正すのにかなりの時間と努力が必要なんだということを、改めて感じました。

【土地調査事業についての拙稿】

植民地時代の土地調査事業の遺跡が文化財に https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/04/16/9367694

土地調査事業           http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/04/23/3273840

水野・文『在日朝鮮人』(7)―人口の急増 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/05/14/8089137

『現代韓国を学ぶ』(2)      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/06/06/6470236

毎日新聞「在日3世代100年の歴史」への違和感(1)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/08/13/9278142

『金達寿伝』を読む―金家はなぜ没落したか http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/09/07/9293017

【創氏改名のついての拙稿】

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/03/28/8423913

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (2)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/03/30/8425667

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (3) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/01/8436928

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (4)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/03/8441238

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (5)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/05/8444253

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (6) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/07/8447420

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (7) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/09/8451992

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (8) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/11/8457633

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (9)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/14/8478676

朝鮮人戦死者の表彰記事ー1944年  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/10/29/8716160

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (11)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/02/11/9346012

宮田節子の創氏改名論    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/11/10/7487557

創氏改名の誤解―「世界史の窓」  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/03/26/8421515

西川清『朝鮮総督府官吏 最後の証言』 (続) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/10/21/7467784

朝鮮名での設定創氏が可能な場合 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/02/12/1178596

創氏改名とは何か (00年4月1日) http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daijuunidai

創氏改名の残滓 (01年6月1日) http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daisanjuudai

創氏改名の手続き(04年10月1日) http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainanajuudai

コメント

_ 河太郎 ― 2021/08/06 15:42


この人は78歳で団塊の世代の少し前ですが、団塊世代と同じく、自虐史観の偏向教育とマスコミの嵐にさらされ、今もそこに安住しているのですね。

>50代の朝鮮人よりもずっと上で

外形的には、それは事実ですね。しかし、それの解釈は「部下としてこきつかっていたこと」は実父から聞かされたのであればそれはあくまで実父の例であり、それは一般化できる訳ではありません。

朝鮮人も京城帝国大学卒業し高等文官試験に合格すれば、日本人の部下をもつ朝鮮人高級官僚の誕生でした。
また東大卒、京大卒などの朝鮮人高級官僚もいました。
朝鮮人道知事の誕生は、日本が国家として、朝鮮人の上司と日本人の部下を認めた極めて画期的な政策です。
朝鮮人の下に日本人を置いてもいい政策を採ったのです。
日本統治時代、13道の知事は道あたり15人前後誕生しています。5つの道はすべて歴代日本人ですが、残り8道は日本人朝鮮人混在し、結果として道知事は日本人130人、朝鮮人72人でした。これは朝鮮人もちゃんと登用したことの証であり、朝鮮人差別を金科玉条に論ずる者には不都合な真実でしょう。

私は朝鮮人差別はあったと思いますが、だからと言って日本非難の論拠にはなりえません。
人種差別は当時も非難されるべきものと思いますが実態を詳しくみれば必ずしもあてはまらないものもあります。
朝鮮日本統治時代の公的な不平等、待遇不均衡には、合理的理由、背景があり、あるいは一般日本人の差別意識にも時代背景があり、それらを無視して、人種差別だ、人種差別だ、と非難糾弾するだけでは、歴史の真実は見えてきません。
明治政府は薩長閥に牛耳られていたと否定的な評価をすればいいものではないのと同じです。

>給料も日本人は6割加給されていたこと。
 今でも企業では社員に外国勤務手当を払うのが常識であることなど、この人は想像もつかないのでしようね。
 自己の無知など思いもしないのでしょうね。

>お手伝いさんを3人も雇っていたこと。
これはあくまで経済問題であり、これを差別と結びつけるのは偏狭ですね。
国内でも、裕福な家庭ではお手伝いさんは普通でした。

>私は子供心に、朝鮮人は劣っているという感性を刷り込まれていた。
不思議ですね。子供は外国人と直接に接すると外国人の人間性に触れて、子供なりに素直に肯定的に見るものです。日本に戻って成長する間に、この人の周りには朝鮮人差別を露骨にする人しかいなかったのですね。

_ 辻本 ― 2021/08/07 05:04

>今でも企業では社員に外国勤務手当を払うのが常識

 朝鮮総督府に勤務する日本人は、6割の外地手当が貰えました。
 これは単に内地に戸籍があるというだけで貰えました。
 当初は治安が不安な朝鮮に赴任するためのものだったようですが、赴任ではなく朝鮮に生まれ育った日本人も6割の手当が貰えました。

 日本からの赴任も現地での採用も関係なく、日本人ならば同じ扱い方をされたということです。
 つまり同じように朝鮮で生まれ育ち、そして同じ仕事をしていても、内地戸籍か朝鮮戸籍かで6割の手当が支給される・されないの差別が生じたのです。

 今の海外勤務手当とは、大きな違いがあります。

>日本に戻って成長する間に、この人の周りには朝鮮人差別を露骨にする人しかいなかったのですね。

 戦後の日本における朝鮮人差別は、激しくまた露骨でした。
 日本での生活で朝鮮人差別を見聞するのは、1970年頃までは日常であった時代ですね。
 今は昔ですが、激しく露骨的な朝鮮差別の時代があったことは、記憶に留めてほしいものです。

_ 河太郎 ― 2021/08/07 09:52

>赴任ではなく朝鮮に生まれ育った日本人も6割の手当が貰えました。

これは小生も知りませんでした。
これは総督府の給与体系で、日本人と朝鮮人は異なる俸給表で計算されていたということですかね。
待遇は、主に、職歴、学歴、日本語能力で決まっていたと思うのですが、この3項目による待遇差は仕方ない面がありますね。
これらの条件が同じでも日本人という加給項目があったのでしょうか。

>日本からの赴任も現地での採用も関係なく、日本人ならば同じ扱い方をされたということです。

 今より学歴偏重だったのは間違いないでしょうから、日本人でも学歴による差異は大きかったと思います。
 日本人だからといって能力のない人間に地位と収入を保証するほど総督府は甘くはなかったでしょう。

>つまり同じように朝鮮で生まれ育ち、そして同じ仕事をしていても、内地戸籍か朝鮮戸籍かで6割の手当が支給される・されないの差別が生じたのです。

同一労働・同一賃金は今の日本でも漸くやっと日本政府が決定しました。野党が前から強力に主張したいたことに政府も漸く賛成しました。企業経営からみるとコスト増になるので及び腰だったのを政府が決断しましたね。

今の日本でも正規・非正規の格差が問題です。欧米ではこの問題は少ないようなので、日本政府が解決しなければなりませんね。

人種差別を考えるときに、政府の政策が平等にベクトルが向いているのか、平等に鈍感なのかの視点が大事だと考えます。

日本帝国は、内鮮一体を掲げていましたので、日本本土と朝鮮を同一にする、朝鮮を日本本土と同じレベルに引き上げることを基本にしていました。それは日本が朝鮮半島で実施した一連の政策を見れば明らかです。
朝鮮を搾取するなど誰も考えてはいなかったでしよう。

ある時点で、日本人と朝鮮人に格差があったとしても、その内実、理由などを見て人種差別か否かを判断すべきです。いずれは、その格差はなくす方向に進んでいた場合が殆どではないかと思います。

公民権法前のアメリカの乗物の白人席・黒人席にみる差別を朝鮮人差別と比較するのは違うのではと思います。
「朝鮮人差別」と声高に主張する意見にはその内実をみて判断しています。

_ 辻本 ― 2021/08/07 13:56

 日本人であるということで6割の割増し手当が出て、朝鮮人であることでその手当が出ない。

 同じ部署で同じ仕事をしながら、そんな差別を目の前で見るのです。
 時には、上司の朝鮮人より部下の日本人の方が給与が高いということもありました。

 朝鮮総督府は、朝鮮人たちが施政にどういう不満を抱いているかを毎年のように調査するのですが、外地手当は不満の筆頭に出てきますね。

 出自の違いだけでこれだけの差別があることは、民族差別・人種差別があったと言わざるを得ませんね。

_ 河太郎 ― 2021/08/07 17:04

>日本人であるということで6割の割増し手当が出て、朝鮮人であることでその手当が出ない。
>同じ部署で同じ仕事をしながら、そんな差別を目の前で見るのです。
>時には、上司の朝鮮人より部下の日本人の方が給与が高いということもありました。

日本の朝鮮統治は、その時代の価値観、年代的制約などに基づきなされました。
朝鮮統治には日本からの資金の持ち出しが相当ありました。つまり日本国民の税金です。
日本もその時代は貧乏な国でした。そのような中で日本帝国は資金を朝鮮統治につぎ込みました。
国はいつの時代も予算の配分には苦労します。どの国も同じです。
従って、ある時期には、日本人優遇の政策も必要でしょう。そうしないと日本人が総督府に勤務しません。
韓国併合の理念だけでは薄給で朝鮮に赴任する日本人官僚はいないでしょう。

日本帝国は帝国の国益のために朝鮮半島経営をしなければなりません。しかし日本は欧米のように植民地を搾取することが国益とは全く考えていませんでした。それは台湾、朝鮮、戦時南方における政策をみても分かります。
朝鮮半島は日韓併合により日本の「新附の地」つまり日本の一部、一地方となったのです。ですから日本帝国は朝鮮を日本と同じのレベルにすることが大目的でした。

ある期間に、総督府の日本人と朝鮮人の給与格差があったのも仕方ないと思います。
日本の予算がふんだんにあれば朝鮮人官僚にも十分な給与を支給するとも可能でしたが、現実はそうではありませんでした。限りある予算で日本人と朝鮮人の給与が決められたと思います。
確かにそれを差別と感じた朝鮮人官僚がいたのも事実でしょう。
しかし、それは差別が目的ではなく、色々な事情から結果としてそうなったのです。

>朝鮮総督府は、朝鮮人たちが施政にどういう不満を抱いているかを毎年のように調査するのですが、外地手当は不満の筆頭に出てきますね。出自の違いだけでこれだけの差別があることは、民族差別・人種差別があったと言わざるを得ませんね。

私は、日本統治時代に総督府の日本人と朝鮮人の給与格差があったのは事実と思います。
しかし、それをもって日本の朝鮮人差別の一例とすることはできないと思います。

_ 辻本 ― 2021/08/08 17:36

朝鮮は日本の植民地でした。
日本の国会で成立した法律は朝鮮では適用されず、朝鮮人の法的地位は日本人とは違いました。
ですから権利・義務も違いました。
これはすなわち、支配する側と支配される側の違いです。

この違いを無視して、日本人は朝鮮人を対等に処遇していたとすることは、大きな間違いです。
「差別」という言葉を使うなら、日本は朝鮮を差別していたことは否定できない事実です。

_ 河太郎 ― 2021/08/08 20:20



>朝鮮は日本の植民地でした。

植民地とは、収奪が基本で、資源を植民地から安く買い、製品にして植民地に売る。植民地に教育振興を図らず、産業振興などもしていません。
しかし、日本は朝鮮から収奪もしていませんし、朝鮮に物も売りつけたりしていません。教育振興、産業振興、農業振興、身分制度廃止などを実行しました。台湾も同じです。
異民族統治であるのは欧米と同じですが、内実は植民地とは全く異なります。
私は日本の朝鮮統治を一言でいえば、王政専制国家を廃して法治国家とし、近代国家の基礎を築いたことです。
中世そのままの朝鮮王朝を廃して近代国家をつくることに邁進しなければなりませんでした。日本が江戸時代から明治維新、明治国家建設に前進したように。

>日本の国会で成立した法律は朝鮮では適用されず、朝鮮人の法的地位は日本人とは違いました。ですから権利・義務も違いました。

それは当然です。法は地域の実情に合わせて適用しなれければなりませんし、そうでなかったら問題を起こします。
併合当時、朝鮮は中世ともいっていい状況です。そもそも法治主義が成立していず、経済活動の基本たる基本の土地所有権の明確化のために、土地調査事業を10年かけて実施しました。
その資金は日本が出し、調査員の養成のために学校まで造りました。

>これはすなわち、支配する側と支配される側の違いです。

確かにそうです。しかし日本統治時代には、李朝時代には得られなかった自由をはるかに、はるかに多く享受したことも事実ですね。

>この違いを無視して、日本人は朝鮮人を対等に処遇していたとすることは、大きな間違いです。

日本統治時代は日本人と朝鮮人は対等だつたとは私も思っていません。格差はありましたが、それもいずれは無くなったのだろうと思います。
しかし、その時は朝鮮独立という難題に日本は直面しなければならなかったでしょうね。

>「差別」という言葉を使うなら、日本は朝鮮を差別していたことは否定できない事実です。

日本人朝鮮人の私人間の差別問題はこの際置いておきます。
論議すべきは、日本という国家が公的に朝鮮統治時代に朝鮮人差別を行っていたか否かですね。
米国のバスの白人席黒人席の差別のようなものは朝鮮ではなかっのではと思います。全てを調べたわけではないので、全く無し皆無、とは断言する自信はありませんが。
しかし、日本が内鮮一体、一視同仁と公言し、日本女性皇族と朝鮮王族の結婚を実現した(1918年)ことを考えると、公的に日本が差別していなかったと言っていいと思います。
勿論、待遇格差はあったことは認めますが。

_ (未記入) ― 2021/08/10 20:43

通りすがりの独り言:在外加俸は、最終的に高等官に関しては朝鮮人官吏にも適用されました。詳細は最後の全羅南道知事である八木信雄の回想録(『日本と韓国』)に出てきます。蛇足ながら、この八木さんは安岡正篤の弟子で、戦後、細木某を安岡に紹介したのが彼だったそうです。

_ 河太郎 ― 2021/08/12 15:11

>通りすがりの独り言:在外加俸は、最終的に高等官に関しては朝鮮人官吏にも適用されました

朝鮮人官吏にも在外加俸とは、「エッ」と不思議に思い、朝鮮人でも内地に住居がある者がいて、その者に支給なのかと思い、手元の『日本と韓国』を調べてみました。

八木信雄『日本と韓国』123頁----Yとは八木信雄氏のこと。以下引用

Yそこで、「こんなことではいけない」と小磯総督の強い指示があって、韓国人官吏にも日本人官吏同様の在勤加俸を支給することになり、財源の都合もあって、昭和19年、と翌年の2年度間で完全に実施されたわけだ。
財務担当の局長や課長は財源の捻出に大変苦労したという話だったよ。(以上引用終わり)

そこで、興味があるのは、日本人に在勤加俸する理屈はある意味分かりますので、朝鮮出身で朝鮮在住の朝鮮人高官に在勤加俸をした理由は何としたのでしょうかね。

日本人朝鮮人の差別を総督府は無くす意図もあり、その流れの中での事だとは思いますが。

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