朝鮮総督府における給与の民族差別2021/08/17

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/08/10/9407660 の続きです。

 朝鮮総督府に勤める役人には、日本人と朝鮮人との間に民族差別と言うべき給与の格差がありました。 これについて、東京帝国大学法学部を卒業し、高等文官試験合格者であった任文桓の回顧録『日本帝国と大韓民国に仕えた官僚の回想』(ちくま文庫 2015年2月)に次のように回想されています。

(親友の秋山)昌平がたまたまバウトク(任文桓本人のこと)と同じ高校(第六高等学校)、大学(東京帝国大学)を同時に卒え、同年に高文(高等文官試験)を通り、いっしょに朝鮮の役人になった ‥‥ 日本人と朝鮮人の役人間の差別を、一般読者に簡単明瞭に納得させるには、昌平とバウトクを比較してみるに限る。 (222頁)

東京から京城までの赴任旅費としてバウトクには70円が渡された。ところが昌平は60円も多い130円を貰った。(223頁)

バウトクの月給は75円であった。ところが昌平の方は、この金額の6割に当たる植民地勤務加俸なるものが上積みされ、その上に宅舎料なるものまで加給されるので、昌平の月給は130円を上回った。(223頁)

バウトクのように日本で勉強し京城に家一軒持たない者には、加俸も宅舎料もくれないくせに、朝鮮で生まれ、そこで学校を卒え、京城にある豪華な自宅から通勤する者でも、父母が日本人の原種でありさえすれば‥‥大手を振って加俸と宅舎料が貰えた。(224頁)

 日本人と朝鮮人との間には民族の違いというだけで、これだけの給与の差がありました。 当然ながら民族間に葛藤感情が生まれますが、葛藤が具体的に表面化することはなかったようです。 任は次のように記します。

官界というところは、何と言っても月収の嵩が人品を決める標準となる世界であった。 したがってバウトクの下で働いている属僚でも、原種日本人でありさえすれば、月収は彼(バウトク)よりはるかに多く、彼(バウトク)が日本の名門学校で学び、特待生として優遇され、朝鮮の役人中には例がないほどに優秀な成績で高文に合格したと自負してみたところで、彼(バウトク)の部下である原種日本人役人どもは、鼻でこれをせせら笑っていた。 ‥‥年功序列の厳しい官界の仕来りは、内鮮人(内地人と朝鮮人)間においては完全に乱れ‥‥(224頁)

 こういう民族差別は、これは酷いと見るべきか、それとも植民地なのだから当たり前だと見るべきなのか。 差別を受ける側(朝鮮人)は前者、差別をする側(日本人)は後者となるのでしょう。 

 朝鮮総督府の日本人官僚の回想録があって私もいくつか読んでみましたが、朝鮮人との給与格差に言及したものは記憶にありません。 朝鮮人とは同じ官僚としてわだかまりなく仕事をしていた、あるいは日常生活でも仲良く付き合っていた、というようなものばかりでした。 民族差別は余りにも当然で、言及する必要もないと考えられていたようです。

 なお6割増しの外地手当(加俸と呼ばれていた)は、終戦直前である1945年の4月から朝鮮人に支給されるようになったとあります。 ただしいきなり6割増しとなって日本人と同じになったのか、それとも段階的に増やして支給するものだったのか、その点は分かりませんでした。 いずれにしても、日本敗戦=朝鮮解放のわずか四ヶ月前のことでしたから、印象に残らなかったようです。

 また日本人の思い出話に、普段おとなしくまじめに仕事をして信頼していた朝鮮人が終戦後すぐに太極旗を振って「独立」「解放」を叫ぶのを見て驚いたというのがありました。 日本人にとって、「え! まさか? あいつが!?」と裏切られた気持ちになったのでしょうが、植民地下における民族差別の実際をみると、さもありなんと感じますね。

【拙稿参照】

朝鮮植民地史の誤解 ―毎日の読者投稿 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/08/03/9404045

植民地朝鮮における民族差別はもっと知られていい http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/08/10/9407660

コメント

_ 海苔訓六 ― 2021/08/18 13:08

北海道大学の論文『日本統治下の台湾・朝鮮における植民地教育政策の比較史的研究』を読むと、1920年の普通学校就学率は4%しかありません。これが1925年には三倍以上になっていることが分かります。要するに三・一独立運動前は日本は朝鮮人女性の教育に力は入れてなかったことが示されていると思います。柳寛順さんの評価は日本でも様々ありますが、朝鮮人女性の教育に関しては大きな功績を残したということですね。
https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/handle/2115/29085
上記論文によると、3.1万歳事件以降、日本も朝鮮人女性の教育に力を入れますが「有償教育」だったとのことです。
朝鮮人と日本人は法的身分が違う。まず戸籍が違う。朝鮮人は朝鮮戸籍令で管理され、日本人は戸籍法で管理されてます。

で、朝鮮籍にある児童は「朝鮮教育令」が適用されますが、これは義務教育でもないし無償教育でもなかったとのことです。
ですから教育に限定して見ても、日本支配下の朝鮮では露骨な民族差別があったということになると思います。

_ 辻本 ― 2021/08/18 19:09

 大日本帝国臣民の義務は三つあって、納税・兵役・教育です。
 朝鮮人はこのうち兵役と教育の義務がありませんでした。
 つまり三大義務のうち、二つの義務が免除されていました。
 これが民族差別の根拠となっていたということですね。

 教育に関しては、特に朝鮮人女性は植民地時代末期でも就学率10パーセントぐらいです。
 ですからこの時期に来日した在日一世の女性のほとんどが、字を読めなかったですね。
 字の読めない在日一世女性が、日本で暮らすのにどれほど苦労したか、たくさん聞き取りしたことがあります。

_ 河太郎 ― 2021/08/18 20:47

>海苔訓六 ― 2021/08/18 13:08
>ですから教育に限定して見ても、日本支配下の朝鮮では露骨な民族差別があったということになると思います。

露骨な民族差別と決めつけるのは、内実として、全体をみれば、全く違うのでないでしょうか。
日本の場合でも、明治初期は初等教育も有償のため、就学率が低かったそうですが、明治33年に尋常小学校の授業料無償化をして就学率が上がり、10数年後の大正初期には就学率は90%くらいに上がっています。
明治5年の学制開始から明治33年授業料無償化まで28年もかかっているのです。

旧制の中学校、女学校、高等学校,旧制6帝大なども同時に一斉に誕生したのではなく、年数をかけて誕生しています。つまり、漸進主義しか仕方ないし、それが最良なのです。予算、人員、等そして、前の経験が後に生かされるのてす。

日本の朝鮮統治で初等教育、中等教育を整備し、1924(大正12)年には京城帝国大学まで創りました。日韓併合後わずか14年後です。もちろん京城帝国大学の入学者には初期は日本人8割、朝鮮人2割、統治末期でも6割と4割と差はありましたが、これを民族差別と決めつけるのは違うのではないでしょうか。

朝鮮総督府は、1946年から8年制義務教育を開始する計画を立てていました。

ある時点の教育制度の不備を取り上げて差別と断ずるのはどうですかね。

_ 海苔訓六 ― 2021/08/19 10:11

辻本さま
丁寧なご返信、誠にありがとうございます。
→教育に関しては、特に朝鮮人女性は植民地時代末期でも就学率10パーセントぐらいです。
 ですからこの時期に来日した在日一世の女性のほとんどが、字を読めなかったですね。
 字の読めない在日一世女性が、日本で暮らすのにどれほど苦労したか、たくさん聞き取りしたことがあります。

…李氏朝鮮時代も、日本支配下時代も、朝鮮人女性の識字率は本当に低かったようですね。

その反面、李氏朝鮮時代も朝鮮人一般男性の識字率は高かったようです。
イザベラ・バードの朝鮮紀行を読むと『李氏朝鮮時代の一般男性は、身分の低い朝鮮人も含めて男に関しては大半ハングルを理解して読める』と記録されていますし、
ガリーナ・ダヴィドヴナ・チャガイ女史の「朝鮮旅行記」(東洋文庫)を読むと『朝鮮における識字率はかなり高い。どんな小村にも学校があり、読み書きのできない朝鮮人には滅多にお目にかかれない。』と書いてあり、李氏朝鮮時代の朝鮮人一般大衆の識字率はかなり高いことが記されています。

たまにネット上でネット右翼みたいな連中が、
『李氏朝鮮時代の朝鮮人の識字率は著しく低くて、それを日本が学校を作ってハングルを教えてやった』などと恩着せがましく書いているのを見かけますが、まあ朝鮮人男性に関していうなら嘘でしょう。彼らの大半は日本が来る以前からハングルを理解して読めていたことはイザベラ・バードもアリフタンも言及していますから。

_ 河太郎 ― 2021/08/20 16:18

任文恒著『日本帝国と大韓民国に仕えた官僚の回想』に次の一節があります。

「バウトクの担任教授がその理由として気の毒そうに彼に伝えたところによると校長は次のように言ったらしい。<答辞の巻紙は永久保存されるものであり、その中に植民地人の姓名が残るのは、校史として面白くないから、今度かぎり首席を退け、次席にやらせろ。>その結果、文甲一組の高野が答辞を読んだ。
バウトクは、これはありそうなことだと簡単に引き下がったが、巻紙を書いた習字の女先生に謝るのは汗をかいた。」(同書149頁)

これは明からに朝鮮人差別であり、全く言い訳はできませんね。しかも六高(岡山市)の校長のやったことですから驚きですね。

任文恒氏(バウトク)は16歳で内地に来てからは別世界と思うほど朝鮮人差別を受けなかった。

「ところが、三等席の向かい側に座っているねんかみさんとおかみさんの体からは、軽蔑らしい陰影すら見られない。」(同書82頁)
「時が経つにつれて、車内にいる乗客全体が、向かい側座っている二人の日本人と同じ人間あることがはっきりして来た。彼(バウトク)が小用に通路を歩いて行っても、鮮人のくせに生意気な、という眼光を投げかける人間など一人もいない。同じ日本人でありながら、(朝鮮の)錦山の町に流れついた日本人とは、まるで人種が違うかと思えるほどであった。」(同書83頁)

又、経済的に窮地に陥ったときに「砂漠の炎天に焼かれている異民族に、生き返るに足りる十分な水を施したのである。(同署138)」と最大級の表現で感謝の言葉を記している。この感謝の言葉は、氏の同志社中学校、第六高等学校、東京帝国大学に在学中の回想にも何度も出てくる。

これらの体験が、弁解の余地のない答辞朝鮮人差別事件に対しての氏の怒りを
沸騰させなかったのかもしれませんね。

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