在日は日韓の架け橋か2010/07/11

 1980年代に、民族差別と闘う運動団体では、在日は日韓の架け橋だ、という主張がなされていたことを思い出します。  架け橋になるべき在日に通名を名乗らせることは、架け橋にならないではないか、だから在日は本名を名乗るべきだし、日本も在日に通名を強要してはならない、というような論理だったと記憶しています。

 その時は、そんなものかなと賛成していたのですが、在日自身から次のような話を聞いて、疑問を感じることとなりました。

 近くの小児科に子どもを連れていったら、待合室に十数人ほどがいた。しばらくして、韓国から来たばかりのお母さんが赤ちゃんを抱いて、診察室に入った、しばらくすると、日本語と英語で話す医者の大きな声が聞こえてきた。そして看護婦が待合室に出てきて、「誰か韓国語の分かる人はいませんか?」と繰り返し叫んだ。そのお母さんは日本語が全くできず、赤ちゃんの急変であわてて医者に来たようだった。看護婦は私(本名を名乗る在日)の方を何回も見るのだが、私は韓国語ができず、そのままじっと黙っていた。

 こんな話だったのですが、この時に、在日はその存在だけで日韓の架け橋になりえないことを感じました。

 考えてみれば、日韓の架け橋になろうとすれば、両国の言葉だけでなく、両国の文化・習慣・感性等々をも知っておかなければなりません。これは二つの国の勉強をするということです。つまりは普通の人の二倍の努力をしてこそ、架け橋としての役割を果たせるものなのです。

 しかし当時の差別と闘う運動団体は、在日が本名を名乗り、自らの民族的出自を明らかにすることが日韓の架け橋だと主張していました。  ところが上述の話のように、架け橋として実際に必要な時に、本名を名乗る在日は、何の役にも立たなかったということです。

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