被差別正義2010/08/06

 1970年代、差別問題に取り組む団体において、部落民・在日・障害者等々といった社会的に差別されているとされている人間に対して、神化というか聖化というか、正義そのものだとする風潮がありました。

 被差別者の言うことは何でも正しいとして、差別者側に立つ人は自分の罪におののいて、ただ聞くのみ、という関係でした。

 差別者の立場に立つ人は、被差別者側に土下座しつつ、すり寄ろうとする状況になるのですが、それはさらに自分を被差別者の立場になりたいという考えを持つに至ります。

 ある団体では、その構成員の一人(健常者)が、自分の耳に棒を刺し、さらに自分の目をつぶそうとしました。自分を障害者にして、被差別側の立場になりたいということだったのですが、さすがにこれは周囲の人が止めて、事無きを得ました。しかし、当時の差別問題に関わったことのある私には、これを愚かだと決めつけることは出来ません。

 差別問題に取り組む団体では、こんなことはあっても全くおかしくない風潮というか、体質があったのです。  被差別者=善=正義、 差別者=悪=不義という考えに溺れ込んでしまうと、差別者は卑屈になって自分の肉体を傷つけることもある‥‥そのような風潮・体質です。

 そして被差別者は、自分の存在そのものが正しくて、周囲は最初からすべて悪だと思考方式ですから、傲慢になっていきます

 解放運動は罪作りな運動をしていたものだ、というのが今の私の感想です。

「同情は差別」か?2010/08/13

 わが職場にはアルバイト学生がよく来ます。雑談でいろんな話を聞くのですが、ある時、学校の必修科目である人権授業で、障害者である講師が、「障害者を可哀そうだと同情するのは、自分を高みにおいて障害者を差別するものだ」と言ったそうです。授業を受けていた学生たちはみんなビックリ。

 その講師は、普段は車椅子を使うのですが、学校内では杖をついてヨタヨタ歩くそうです。階段では、ほとんどコケそうなぐらいなのですが、授業で「同情は差別だ」と言いましたから、そんな姿を見た学生はみんな見て見ぬふり。だれも「手を貸しましょうか」と言わなくなったとのことです。

 また街で障害者を見かけても、出来る限り近づかないようにしたとのことです。もし何か同情的なことを言ったりしたら、「差別だ!」と怒られるかも知れないからです

 これが「人権授業」の成果なのでしょうか? 疑問に感じたものでした。

「レイプ事件」考、それは泣き寝入りではなく自殺だった2010/08/19

 この数日ほど、拙HPのアクセスが急に多くなりました。

 何事か?と調べたら、NHKの討論番組「日本の、これから ともに語ろう 日韓の未来」で、崔洋一監督が一般参加者の発言に対して、「36年間にわたる植民地支配がそれによって肯定されると いう考え方(を持つ人)は、基本的に歴史を語る資格がない」と発言。  これについて小倉教授がたしなめたにも拘わらず、崔監督は居直った、という経過があったようです。

 これが2ちゃんねるで、大きな話題となり、その過程で拙HPの{第87題 暴力にみる民族的違和感} http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihachijuunanadai にある崔監督の発言が取り上げられました。そのために拙HPのアクセスが急増したということのようです。

 ところで、この拙稿において、被害者の女性は「泣き寝入りした」と書きました。この文を書いたのは1994年でしたが、その時はそういう情報だったのです。(なおHPにアップしたのは2006年3月です)

 ところがかつて民族差別を闘う運動団体のリーダーだった佐藤勝己氏は、それどころではなく「自殺」があったことを報告しています。

>1970年代の初頭であった。民族差別問題に熱心に取り組んでいた都内某大学の女子学生グループがいた。彼女らはある在日韓国人青年を呼んで勉強会を開いた。その青年は、贖罪意識を煽って次々と女子学生の体を犯した。遂に、チューターの女子学生が自殺するという悲劇が起きた。他にも幾つか似たような事件が起きている。‥‥贖罪意識を利用して日本人女子学生の体を弄ぶ在日韓国・朝鮮人が今もいるかもしれない。>   佐藤勝巳「映画パッチギLOVE&PEACE”の欺瞞を切る」(『現代コリア475号』2007年10月号 42頁下段 ) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/03/07/2708813

 拙論では「泣き寝入り」としましたが、実態はもっと酷いものだったということです。

 なお佐藤氏の文章の引用のなかにおける省略部分には、次のようなくだりがあります。

>日本人女性の贖罪意識を扇動して、女性に貢がせヒモのような生活を送っていた在日韓国人一世もいた。