民主主義者は忙しい-70年代の活動家たち2010/09/05

 70年代の左翼系の活動家諸君の間で流行った言葉に、「狭山・沖縄・三里塚、民主主義者は忙しい」というのがありました。

 狭山は部落問題において、解放同盟が最大の焦点と位置づけて全国にアピールし、多くの左翼活動家諸君がこれに関する集会やデモに駆けつけたものでした。   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%AD%E5%B1%B1%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 沖縄は1970年代の返還問題で、これも多くの左翼活動諸君が集会やデモに参加しました。    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84%E8%BF%94%E9%82%84

   そして三里塚(成田)闘争。現地では集会やデモともなれば、火炎瓶があちこちで飛び交い、非常に緊張した状況でした。これにも多くの左翼活動家諸君が馳せ参じました。    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E9%87%8C%E5%A1%9A%E9%97%98%E4%BA%89

 この三つは当時の左翼や革新において代表的な課題だったのですが、それ以外に原子力船「むつ」であったり、日本原であったり、大小様々な闘争が取り組まれていました。

 これらの問題は、相互には何の関係もありません。狭山は部落問題における冤罪事件であり、沖縄返還はアメリカとの外交的あるいは主権の問題であり、三里塚は空港という公共事業における土地収容の問題です。

 ところが当時の左翼活動家諸君の多くが、これらの集会やデモに参加していたのです。先週は狭山、今週は沖縄、来週は三里塚‥‥と全国の集会やデモに行ったのでした。一つの問題だけでも、その中身を知るのに大変なのに、これらの問題に次々と顔を出す、それが当たり前のような雰囲気でした。

 これを彼ら自身は「民主主義者は忙しい」などと言っていましたねえ。しかし考えてみれば、これは単に「闘い」を求めていただけのことでした。その中身なんて関係なく、権力に対して闘いたい、ということだったと思います。

 反権力、この一点だけで彼らは団結していました。この傾向は今も続いているようです。

 一方の右翼の方も、ある時は北方領土問題、またある時は日教組、そして反共等々、冷静に考えてみれば互いに繋がりのない課題を同時にやっていましたねえ。

 結局、左も右も似た者どうし、という感想を今でも持っています。

外国人参政権要求-最終目標はやはり国政参政権2010/09/12

 かつて拙論で、在日の地方参政権要求運動の「最終目標は国政参政権」だと論じたことがあります。

http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dairokujuukyuudai

 これを書いたのは、十数年前の1990年代初めで、拙HPに掲載したのは6年前の2004年でした。

 ところで最近の毎日新聞に、民主党の代表を選ぶ選挙に外国人党員が参加したことに関連して、金光敏さんという在日が次のような所論を発表しています。

http://mainichi.jp/area/osaka/news/20100911ddlk27070356000c.html

  記事の題名は「総理大臣を選ぶ民主党代表選 ◇外国籍党員も貴重な一票 景気回復や地方参政権への期待込め」となっており、さらに所論の中身ににも  「今回は民主党の代表選でありながらも、内閣総理大臣を選ぶことから、初めての政治参画に心高ぶらせた在日コリアンも少なくない。」とあります。  外国人でありながら、よその国の最高責任者を選ぶことに関与するのですから、当然のことながら「心高ぶる」ことでしょう。

 彼の主張では、最終目標は地方参政権ではなく、国政参政権だということです。ならば、いつまでも外国人であり続ける意味は一体何だろうか?という疑問を抱かざるを得ません。

 一方で韓国では2012年からは、海外居住僑民にも大統領選挙や国会議員比例代表選挙の選挙権を与えることになっています。従って在日は自国の国政に関与する権利を得ました。

 在日がさらに日本での参政権を要求するのは、いかがなものかと考えます。

赤松啓介さんの思い出2010/09/17

 故赤松啓介氏は、古くからの民俗学・考古学者で、共産党員でした。戦前は唯物論研究会事件に関連して逮捕され、特高から厳しい拷問を受けながらも、非転向を貫いた方です。 戦後も共産党員として活躍されましたが、1970年代に高齢のため離党しました。それからは自由な執筆活動をするようになりました。  

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E6%9D%BE%E5%95%93%E4%BB%8B

 彼は夜這いを体験した最後の世代で、この経験に基づく著作が有名です。私も、彼の家を訪ねた時に、この話を聞いたものでした。

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/02/02/2596000

 ところで、彼からはこのようなスケベ話だけでなく、戦前の拷問体験も話も聞きました。

 深夜に留置場から警察の道場に連れてだされた、電気も付けない真っ暗な中に、火のついたロウソクが一本立っている、その前に座らされて、体を固定される、手の指も十本とも固定される、特高は蒲団針を十本持ってきて、目の前でロウソクの火で焼く、そしてそれを一本ずつ自分の爪のなかに刺していく・・・・

 そういう拷問を受けたために、彼の爪は変形したままでした。耳も拷問のせいで遠くなっておられました。このような厳しい拷問にも拘わらず、彼は非転向を貫きました。

 その時は私も左翼がかっていましたので、非転向の彼を尊敬して話を聞いたものでした。そして転向者に対しては、裏切り者として批判するものと期待していました。

 ところが、彼は転向者に対して、そのような言葉は全くすることがなく、むしろそんな人もいて当然、それはその人の生き方だと肯定されたのには驚きました。  あの厳しい軍国主義のなかで、この赤松は転向もせず何年もの間ブタ箱に入っていたが、しかしそうしないで、その場では一歩後退して一旦世に出て、知識を身につけ研鑽していこうとするのも一つの生き方だとおっしゃったのです。

 非転向を貫いた方が、転向者に対して決して悪く言わない、むしろ同情するような言い方には、その時は大いに驚いたのですが、後になって成る程そうだなと納得するようになりました。

 ある人は非転向を貫き、またある人は転向して自分のことに邁進したのですが、一方が正義で、他方は裏切りだとする評価は決してしてはならない、ということを学びました。

 人はその時のその時代を、自分の最善と思うところを生きていくものです。その時代を体験しなかった後世の若造が、その時代の人々の選択を良い悪いと評価することは、余りにも傲慢なことです。