韓国人でも日本人でもない―しかし同化する在日韓国人2023/02/14

 今度は在日韓国・朝鮮人について昔に書いて、未公表だった原稿です。 内容は具体的に在日と接したことのない日本人には抽象的すぎて、理解できないかも知れません。 具体例はこれまでの拙HP・拙ブログに書いてきましたから、それをご参照くだされば幸いです。 なお今回発表するに当たり「ですます」調に直しました。

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 民族差別と闘う運動を担っていた在日活動家が、「私は韓国人でもなく日本人でもなく、在日です」と自称するようになったのは1970年代からだったと思います。 それは、総連・民団という在日を代表する公的組織が本国との繋がりを重視して本国の在外国民(公民)としての自覚を求める本国志向だったのに対し、日本での生活を重視して日本国内の差別を告発する日本志向でした。 つまり本国志向から日本志向への転換を宣言したものでした。

 これは、一世が若くして来日し必死に働いてきたがいつかは懐かしの本国に帰りたいと思う一方、二世以降は生まれ育った日本から離れたくないという世代間の意識の違いであり、従って世代交代とともに必然的に起きる現象だったとも言えます。

 このように二世以降は日本志向となったのですが、だからといって日本人ではありません。 自分は日本人ではなく韓国・朝鮮人だという意識は当然ながら持ちつつも、実際に本国韓国人と出会って受ける大きな衝撃と違和感(例えば、下手な韓国語をバカにされる)によって自分は韓国人ではないという意識も生じます。

 1990年6月1日付け『朝日ジャーナル』の「<民族>と<帰化>の狭間に揺れる―日本人に〝見えない″青春」という記事の中で、金明美さんという二世(21歳)が次のように発言しています。

姉に誘われて(民団)青年会に行き始めた。 高卒後、韓国に留学して韓国語を勉強。最大の収穫は、在日同胞の友だちがたくさんできたことだ。 本国の人からは、韓国語をしゃべれないからと、日本人扱いをされた。 〝私たちは日本人でもないし、韓国人でもない。 在日韓国人なんだ″という思いが強まった。(94頁)

 一世と二世以降の世代論で言うと、一世は外国人意識が濃厚であるのに対し、二世以降は外国人意識が希薄だということです。 そしてこれは、いつまでも本国志向にとらわれている在日一世に対する二世以降の批判であり、逆に一世からは二世以降が日本に同化して嘆かわしいという批判となります。

 しかしやがて一世は高齢化とともにその存在感を失っていき、在日社会は二・三・四世が主役となって日本志向へと変化したのでした。 1990年代以降、二世以降の在日で本国に帰りたいと考える人は皆無とは言えませんが、ほとんどいないでしょう。 あれほど本国志向だった総連系人士も、このまま日本で暮らして骨を埋める決意をし、お墓を日本国内に準備するようになりました。

 在日の日本志向は止まることはなく、この日本が他人の土地ではなく自分の土地という意識になりました。 彼らは外国人(韓国・朝鮮籍)であっても外国人意識に欠け、中身は全くの日本人になっていきました。 こうなると日本国籍の取得=帰化への拒否感が薄れていきます。

 日本の植民地支配に由来する在日(在留資格は特別永住等)は以上のような経過を歩みつつあるのですが、一方で近年に来日して定着した韓国人、いわゆるニューカマーが多くなりました。 彼らは本国で生まれ育ってからの来日ですから、本国の親族・親戚としょっちゅう交流しており、まさに一世です。

 ですから今の在日社会では、昔から続いてきた在日の二世以降と、近年のニューカマー一世とが具体的に接触することになります。 そこでは同じ韓国人なのに全然違うという緊張感が漂うのを否定するわけにはいきません。 それは在日も韓国人だと考えるところから生じる緊張感です。

 在日はニューカマーに会う時、自分は韓国語のできないパンチョッパリ(半日本人という意味の侮蔑語)だと名乗るか、あるいは在日であることを隠すかをするのがいいようです。 またニューカマーの方も、韓国人なのに韓国語ができない在日に対する苛立ちを見せることが多いのですが、それは在日が日本人なんだと思い込むことで解消するようです。

 在日はもはや韓国人ではなく日本人であるとすることが実態に即しています。 従って在日は日本への完全同化の方向に向かっており、将来消滅する運命にあることは否定できないでしょう。 

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 以上は昔に書きためておいたものです。 ところで2023年2月10日付け『中央日報』に「【グローバルアイ】ある在日の遺言」と題する記事がありました。 在日作家の絵画を長年にわたって収集してきた河正雄(ハ・ジョンウン)さんの話です。 https://www.joongang.co.kr/article/25139606 (日本語版は https://japanese.joins.com/JArticle/300855) この記事の中で次のような記述があります。

日帝強占期と戦争、つらい屈曲の時間を韓国人でも日本人でもない在日として生きてきた彼は‥‥

 この文は「中央日報」のキム・ヒョンイェ記者の地の文です。 本国韓国人である記者が在日同胞を「韓国人でも日本人でもない」と表現したところに目が行きました。

 かつて本国韓国人は在日を見て、韓国語ができず、またあまりに日本的な雰囲気や身のこなしに不愉快さを露骨に見せていたものです。 そんな韓国人ばかりを知っている私には今回、韓国の新聞記者が在日を「韓国人でも日本人でもない」と言ったところにちょっとビックリ。 記者は取材対象の河正雄さんが言ったことを、違和感を持たずにそのまま書いたのでしょうかねえ。

【拙稿参照】

韓国人でもなく日本人でもない      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/05/24/3539242

在日が自分の民族の言葉を身に付けようとしなかった言い訳 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/12/12/5574193

在日コリアンと本国人との対立   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/11/20/6208029

姜信子『棄郷ノート』を読む    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/10/19/8977899

「同化」は悪だとされた時代    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/02/15/8018723

水野・文『在日朝鮮人』(21)―同化  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/09/23/8197450

第40題 在日朝鮮人は外国人である http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daiyonjuudai

第41題(続)在日朝鮮人は外国人である http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daiyonjuuichidai

第49題 合理的な外国人差別は正当である http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daiyonjuukyuudai

第54題 「差別・同化政策」考  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daigojuuyondai

第19題 消える「在日韓国・朝鮮人」  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daijuukyuudai

コメント

_ 辻本 ― 2023/02/14 09:31

 朴一『<在日>という生き方―差異と平等のジレンマ』(講談社選書メチエ 1999年11月)の表紙に、「日本人でもない。韓国人でもない。『異質』な存在として日本で生きる60万在日コリアン」と書かれています。

 「日本人でも韓国人でもない」は本人の個人的主観であって、客観的には日本人であるか韓国人であるかのどちらかを選ばねばなりません。
 在日は外国に行く時、帰化していれば日本のパスポートを持ち、帰化していなければ韓国のパスポートを持って行くしかありません。
 自分は日本人でも韓国人でもない在日だから日本のパスポートも韓国のパスポートも必要ない、とはなりません。
 朴一さんが言う「在日の異質」性は、日本という狭い場所において本人だけの情緒としてのみ存在しているのです。
 
 在日は日本で生活を営む限り、大多数が日本への同化の道をさらに歩み、本国との繋がりを切ることのできない一部の在日だけが韓国(あるいは北朝鮮)の人間として生きることになります。

 日本人でもな韓国人でもない「異質」を強調する朴一さんの主張には、疑問を感じます。

_ 特別永住団塊世代 ― 2023/02/15 14:27

私は、74歳の在日2世の女性です。辻本さんの韓国・朝鮮関連の経験・知識には敬服します。

私は、親が民団系でしたので、朝鮮学校とは無縁でした。朝鮮学校への入学勧誘があったとき、母親は、子供達が望んでいないと、どなって追い返していたのを覚えています。

韓国語を学びたいと思いませんでした。理由は、韓国・朝鮮の民族性に疑問があったからです。

その代わりに、必須の英語の他に、フランス語を勉強しました。理由は、「美しい言語」との触れ込みと、フランス革命を生み出した文化的先進性に引かれたからです。言語に興味があったので、エスペラント語や、現象学に惹かれてドイツ語すらちょこっと始めました(これらは、早々に挫折)。露骨に言えば、生活上の必要性の無い韓国語は、学んでも、啓発されるものが見いだせなかったのです。

本名を名乗ろう運動の勧誘もありましたが、氏名は、記号に過ぎないと思っていたので、生活上、便利であればいいと思っていました。当然ながら、通称名を維持しました。それに、周りの日本人にとって、韓国朝鮮人は厄介で、関わりたくない存在であろうとの私の認識でした。

私は、現在、年金暮らしですが、ずっと帰化はしたいと思っていましたが、手続きが面倒なので、見合わせていました。それに、未婚で子供がいないので、子供がいる将来性のある帰化希望者の待機リストの改善に貢献したいと思っていました。

しかし、完全に年金に依存することになって、帰化を考えています。

_ 辻本 ― 2023/02/17 15:44

 74歳で帰化を考えておられるのですか。
 かなり大変な作業になると思われますので、早めに準備されるのがいいでしょうねえ。

 私の周囲の狭い範囲ですが、韓国の除籍謄本(韓国は2008年に戸籍制度がなくなって戸籍が閉鎖されたので、それ以前の戸籍は除籍謄本となる)を、両親等の分まで取り寄せて日本語訳を付けねばなりませんから、それだけでも大仕事でした。

 日本では両親が婚姻届を出した役所を見つけるのにも手間がかかったと言います。

 在日は、他の外国人とは違って帰化要件の緩和措置がありますが、帰化に必要な資料を揃えるのに、かなり苦労するようです。

 なお資料がちゃんと準備できれば、帰化を認められるまでの時間は、緩和要件がありますから、他の外国人よりも早いようですね。

 帰化は、思い立ったら早く準備にかかるのがいいと思います。

_ 特別永住団塊世代 ― 2023/02/19 10:42

同化の一事例に過ぎない投稿に対し、個人的な助言、ありがとうございます。

私の母が、94歳で亡くなり、古い家屋の相続登記のため、韓国戸籍の入手に悪戦苦闘している、正にその最中にあります。

_ 辻本 ― 2023/02/19 12:04

 相続ですか。在日の相続は大変ですね。
 
 知り合いも、韓国戸籍(除籍謄本)を入手するのに、本籍地住所が分からなかったので、これを見つけるのにかなり苦労したそうです。
 さらに韓国戸籍に記載されている名前・生年月日が日本の外国人登録のそれと違っていると、これを整理して韓国戸籍と外国人登録の記載を一致させねばならず、これに時間と手間と費用がかなりかかったそうです。
 また相続に関する法律が韓国と日本とで違っていますから、どちらの法律に拠るのか、これも頭が痛くなるようです。

 相続は日本人でも大変ですが、在日は二つの国が関係しますから、大変さは二倍でしょう。

 あせらずに着実にやっていくしかないと思われます。

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