先軍政治は改革開放を否定するもの ― 2011/12/23
金正日が亡くなり、金正恩が後継者となったので、北朝鮮は改革開放に向かうだろうという観測が強いようです。 その根拠は、改革開放しなければ北朝鮮は立ち行かないし、金正恩はそれを自覚しているだろうから、ということのようです。 しかしこれは勝手な観測でしかありません。その理由を論じます。
亡くなった金正日が「先軍政治」を掲げ、経済よりも軍事に重点を置きました。これは父親の故金日成の遺訓によるものです。
金日成は、晩年は息子に全てを任せて、わが国は順調に発展しているという報告に満足して、悠々自適の隠居生活をしていました。しかし1991年頃、北朝鮮の惨状に気付いてビックリし、金正日を叱りつけ、自ら国家運営に乗り出しました。そして不倶戴天の敵であるはずのアメリカや韓国と関係改善しようとしました。
金正日を叱りつけたことについて、後に金正日自身が次のように語っています。(1996年12月の秘密演説)
>首領様におかれては生前に私に絶対に経済事業に巻き込まれてはだめだとおっしゃいながら、経済事業に入り込むと党事業もできず、軍隊事業もできないと何回も念をおされました。
これは黄長燁書記の韓国亡命の際にもたらされた資料のようです。これによれば、金日成は金正日に、経済に関わるな、軍事に専念しろと命令しました。
先軍政治の出発点はここにあります。つまり金日成の遺訓なのです。金正日は父親の遺訓を守り、経済をかえりみず、ひたすら軍事に専念してきたのです。
軍事を司るだけの国防委員会が、なぜ国家全般事業行ない、外国との条約批准を行なう機関なのか、国防委員長がなぜ国家の最高職責なのか。 それは金日成の後継者であり、国家の最高指導者であるべき金正日が、経済に関わるな、軍事に専念しろという遺訓を受けたからです。
金正日は国家最高指導者でありながら、国防委員会で軍事に専念し、経済には知らん顔をするという変奇的な体制になりました。最高指導者が在籍するのが国防員会ですから、ここが国家の最高機関となります。これを1999年頃に「先軍政治」として公式に掲げて推進することとなったわけです。
今度の金正恩は、祖父である金日成から直接遺訓を受けていないので、その意味では自由ですが、父親の金正日の遺訓には従わざるを得ません。
しかし金正日は「先軍革命の道を歩まねばならない」との遺訓を残したようです。とすると、金正恩は先軍政治すなわち、経済に関わることなく軍事に専念することになります。改革開放によって我が国を立て直そうという発想は出てきません。
北朝鮮の経済崩壊状態は、先軍政治がある限り続くと見るべきでしょう。北朝鮮において物資的富の生産はできず、外国からの援助に頼るしかありません。
世界を威嚇し、振り回し、時には自国民の飢餓状況を見せて同情を買うなど、あらゆる手段を使って外国から援助を引き出そうとする、それが北朝鮮の先軍政治です。
金正日が具体的にどのような遺訓を残したのか分かりませんが、先軍政治が続く限り、改革開放はあり得ないと考えます。
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