戦後朝鮮人の振る舞い―NHK記事に民団が人権救済申し立て ― 2020/09/25
NHKの「1945ひろしまタイムライン」で、「朝鮮人」を巡る記述が問題になっていることで、今度は民団が「民族差別を扇動する」として人権救済を申し立てたそうです。 https://mainichi.jp/articles/20200924/ddm/041/040/116000c
申立書では、1945年8月20日の設定で投稿された「戦勝国となった朝鮮人の群衆」が「乗客を窓から放り投げた」などの内容は、「朝鮮人の不当性を際立たせる叙述で、背景事情について注釈もされていない」として、人種差別撤廃条約やヘイトスピーチ対策法の「不当な差別的言動」に当たると指摘。
これについて私は拙ブログ8月23日付で、戦後の朝鮮人の振る舞いの「事実を語るべきか否か」の問題だと指摘しました。 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/08/23/9281241
民団は「事実」を語ることが「不当な差別言動」だと主張しているようです。 ところで、かつて民団の団長であった権逸氏は自らの『回顧録』の中で、次のような「事実」を語っています。
法はあって無きに等しく、警察は文字通り無力であった。したがって、非人道的で破廉恥な行為が平然と行われ、理性が喪失した社会のようであった。このような社会状態が醸しだしたものであるかも知れないが、左翼朝鮮人だけでなく、一般の在日同胞のなかにも、故なく威張り散らして、法を無視することが少なくなかったことは、良識ある同胞の憂慮するところであったし、私たちは見るに忍びなかった。当然のように無賃乗車する者もいたり、中には白墨で車内に『朝鮮人専用』と書いて他人が入るのを拒むことすらあった。傍若無人というほかなかった。 (『権逸 回顧録』 権逸回顧録刊行委員会 1987年10月 106頁)
ここに書かれた「事実」は、NHKの「1945ひろしまタイムライン」の記事に符合しています。
さらに権逸氏は次のように述べます。
顧みると、当時のこのような行動は、長い間抑圧されてきた者の自然発生的な反発感から出たものであり、またそれらの者たちにとって感情的には痛快感が得られたかもしれないが、このような行為は敗戦で萎縮した日本人の胸に、朝鮮人に対する憎悪感を植えつける要因になったのではないだろうか。 (同上)
ところで、今の民団は戦後朝鮮人の振る舞いについて、「事実」を語るな(=事実の隠ぺい)を主張しているのか、それとも「背景事情」を考えれば当時のそんな振る舞いは正当だと主張しているのか、どっちなんでしょうかねえ。
【拙稿参照】
戦後の朝鮮人の振る舞い―事実を語るべきか http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/08/23/9281241
終戦後の在日朝鮮人の‘振る舞い’ http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/11/14/7054495
張赫宙「在日朝鮮人批判」(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/10/27/7024714
張赫宙「在日朝鮮人批判」(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/11/01/7030446
権逸の『回顧録』 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/11/07/7045587
在日朝鮮人の「無職者」数 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/01/05/7971706
水野・文『在日朝鮮人』(14)―終戦直後の状況 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/07/22/8135824
闇市における「第三国人」神話 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daijuusandai
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