戦後朝鮮人の振る舞い―「事実」の経過2020/09/28

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/09/25/9299094 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/08/23/9281241 の続きです。

 終戦直後の在日朝鮮人の振る舞いという「事実」に関して、もう少し資料を提示したいと思います。

 まずは当時の在日朝鮮人たちがどのような考え方をしていたか。 米国の研究者のリチャード・H・ミッチェルは、次のように分かりやすくまとめています。

多くの朝鮮人は、積年の日本統治下の隷属から解放されたにもかかわらず、自分たちの法的地位が、日本人と同等になっているという現実に強い憤りを感じていた。 彼らは解放民族として、勝利者である連合国側のメンバーとしての待遇を期待していた。それは、自分たちには、公式に日本人よりも高い地位が与えられるべきだというものであった。多くの朝鮮人は、自分自身を日本の敗戦によって解放された奴隷だと思っていた。 (リチャード・H・ミッチェル『在日朝鮮人の歴史』彩流社 昭和56年6月 130頁 金容権訳)

1945年に出版された朝鮮人の刊行物には、純粋でしかも鮮やかに、自分たちの考えをこのように記している。「我々は二流の民族であるが、日本人は四流である。したがって、我々は、当然これまで以上の待遇を受けるだろうし、日本人は、我々より悪い待遇を受けることになるだろう」と。 (同上 130・131頁)

 それではこのように考えた在日朝鮮人たちは、どのような行動をとったのか。 立命館大学の文京洙さんは、当時の在日朝鮮人組織の資料に次のように記されていることを報告しています。

当時の在日朝鮮人の状況を朝連第三回全国大会の報告は次のように述べている。 

(日本に)在留した同胞たちも大概一定の職業はなく、解放の喜びと独立国民という自尊心を誤解し、さまざまな不祥事があいついでいることは遺憾である。

労働者も、勤労精神を忘れ、ちょっとした闇商売で収入を得ると、家庭に最低限の生活費を入れるだけで酒食に使い果たしてしまう傾向があった。

多少知識のある非良心的な層は、何ら事業もせずに、毎日自動車と宴会に明け暮れ一攫千金を夢見ている。彼らは、何かの会とか同盟とかいう二、三人の団体をつくっては酒とタバコなどの物資を獲得し、私腹をこやすなどの悪行を重ねている。こうした行為を清算しなければ、将来、われわれの信用は失墜し、正当な物資の配給も受け取ることはできない。

ごく少数ではあるが、もっともたちの悪い一部のものたちは、いわゆる集団強盗、窃盗、悪質闇商人と化し、同胞の体面と生活に大きな影響を及ぼしている。 (以上は新幹社『ほるもん文化6』1996年2月号所収の文京洙「戦後日本社会と在日朝鮮人」 174頁)

 「朝連」は「在日本朝鮮人連盟」で、当時の在日朝鮮人の最大組織。 後の朝鮮総連につながります。 また「第三回大会」は1946年10月14日から開催されました。 以上は終戦直後当時に在日組織自身から出た発言なので、注目すべきものです。 

 後に在日本韓国居留民団の団長に就任した権逸さんはこの時代を次のように回顧しています。

左翼朝鮮人だけでなく、一般の在日同胞のなかにも、故なく威張り散らして、法を無視することが少なくなかったことは、良識ある同胞の憂慮するところであったし、私たちは見るに忍びなかった。当然のように無賃乗車する者もいたり、中には白墨で車内に『朝鮮人専用』と書いて他人が入るのを拒むことすらあった。傍若無人というほかなかった。 (『権逸 回顧録』 権逸回顧録刊行委員会 1987年10月 106頁)

 著作家の金賛汀さんは在日朝鮮人の歴史を概説する中で、次のように記しています。

在日朝鮮人の間には植民地支配を通して、法律は朝鮮人を苦しめるために存在しているという意識から、順法精神は極めて薄く、統制物資の密売密造に犯罪意識はほとんどなかった。 その上日本の敗戦で自分たちは「解放国民」になったから日本の法律に従わなくてもよいという思い込みもあった。 (金賛汀『在日 激動の百年』朝日選書 2004年4月 100・101頁)

 このように当時の在日朝鮮人の振る舞いが「悪行」「法を無視」「順法精神は極めて薄い」とあっただけに、日本人からの反発は相当なものでした。 この資料はたくさんありますので、誰でも直ぐに見つけられるでしょう。 20年前の拙論 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daijuusandai から主なものを紹介します。

ヤミというと第三国人のことを書かなければならない。 敗戦のために在日朝鮮人は優位な立場に置かれた。 外国人であっても本来なら日本の法の下にあるのだが、日本の官憲の弱みにつけこんで、治外法権に近かった模様である。 (『戦後世相辞典』 奥山益郎)

朝鮮人は、すべてのやみ市市場活動の中核をなし、またかれらの無法な行動は今日の日本のすべての商取引や社会生活に影響を及ぼしている。 かれらは警察をはばからず、輸出入禁止の取引を誇示し、またなんらの税金もはらっていない。‥‥事実、大阪・神戸においてはすべての露店・飲食店は朝鮮人・台湾人の手中に帰したといわれている。 (1946 年8月 国会における椎熊議員の発言)

第三国人の一部には、治外法権があるかのような優越感をいだかせ、社会の混乱に乗じて徒党を組み、統制物資のヤミ売買、強・窃盗、土地建物の不法占拠などの不法行為をほしいままにし、戦後の混乱を拡大した ‥‥覚醒剤、密造酒となると、これは第三国人の独壇場という感があった。特に第三国人らが製造するヒロポンは家内作業で密造するため不潔で、また患者らの要求に応じた即効性のある粗悪品だったから、品質の点でもさまざまな問題があった。 (『朝日新聞記者の証言5』朝日ソノラマ)

 在日朝鮮人と日本人との間の対立・緊張関係は長く続きます。 従って日本人の中には、かつての体験を思い出すように朝鮮人に対する厳しい感情を吐露し、時には文章化することが多々ありました。 それが「民族差別」だと大きく問題化したのは、1970年代に入ってからと思われます。 そのはしりが1970年の漫画雑誌『少年サンデー』に掲載された梶原一騎の「おとこ道」に出てきた次のセリフとキャッチフレーズです。

「最大の敵は、日本の敗戦によりわが世の春とばかり、ハイエナのごとき猛威をふるいはじめた、いわゆる第三国人であった!!」 「殺られるまえに殺るんだ、三国人どもを!!」 (『少年サンデー』8月30日号 1970 55頁)

第三国人を相手どって凄絶な死闘を敗戦下の東京にくりひろげられた“相馬組”血の抗争史はかくて幕を切っておとす!! (同上 64頁)

 これには抗議が押し寄せて、結局連載が中止となったそうです。 これ以降、終戦直後の在日朝鮮人の振る舞いについて日本人が当時の気持ちをそのまま表すことに対して、「差別発言」と糾弾されることになりました。 これはダイエー社長だった中内功さんが『ビッグマン』という雑誌で次のように語った時まで続きます。

その当時(終戦直後の神戸の闇市)は第三国人に支配されていまして、主に台湾人、韓国人ね。 (『ビッグマン』1983年1月号』)

 この時も民族差別と闘う団体が激しく抗議し、これに対し中内さんは、あなたたちは当時のことを何も知らないと反論したようでしたが、結局は謝罪しました。

 『少年サンデー』事件の3年後に、在日朝鮮人の振る舞いを考察する研究論文が出ました。 加藤晴子「在日朝鮮人の処遇過程にみられる若干の問題について―1945~1952年」(『日本女子大学紀要 文学部33』昭和58)です。 しかし民族差別と闘う団体から批判が出ていましたねえ。 「何のための誰のための歴史学か!?」と。 

 こういう経過のなかで、研究者の中には当時の在日朝鮮人の振る舞いを積極的に肯定し、正当化する人も現れました。

こうした朝鮮人の生きるための闘い‥‥敗戦による混乱の中で、たくましく活気にあふれた在日朝鮮人の活動 (内海愛子「『第三国人』ということば」 明石書店『朝鮮人差別とことば』1986年11月所収 126・127頁)

 内海さんはこの論稿の中で、在日朝鮮人は「解放国民」なのだから、日本人は彼らの振る舞いに対して反感を持ってはいけないと主張しています。 ですから警察が彼らの不法行為を取り締まることを「弾圧」と表現しています。

 終戦直後の在日朝鮮人の振る舞いに対して、日本人側からは当時の気持ちを表に出せない状態が長く続きました。 今度のNHKの記事とそれを毎日新聞等が報道し、民団が「民族差別を扇動」するものとして抗議に乗り出したことは、静まり返っていた問題が再び表面化したものとして、私には関心が行くものです。

 私の個人的な感想ですが、NHKは、日本は歴史を直視していないと批判されている、だったら在日朝鮮人の歴史を直視することは許されて当然だ、という心情があったのではないかと思います。

 今回のブログは、在日朝鮮人の振る舞いに関してこれまでの議論の「事実」関係を資料に基づいて整理し、まとめてみました。

【拙稿参照】

戦後朝鮮人の振る舞い―NHK記事に民団が人権救済申し立て http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/09/25/9299094

戦後の朝鮮人の振る舞い―事実を語るべきか http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/08/23/9281241

水野・文『在日朝鮮人』(14)―終戦直後の状況 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/07/22/8135824

張赫宙「在日朝鮮人批判」(1)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/10/27/7024714

張赫宙「在日朝鮮人批判」(2)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/11/01/7030446

権逸の『回顧録』          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/11/07/7045587

終戦後の在日朝鮮人の‘振る舞い’  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/11/14/7054495

在日朝鮮人の「無職者」数      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/01/05/7971706

闇市における「第三国人」神話    http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daijuusandai

コメント

_ itarodesign ― 2020/10/05 17:04

ダイエー社長だったのは中内功さんです。

_ 辻本 ― 2020/10/05 21:19

本当ですねえ。
ご指摘、ありがとうございました。
早速、訂正しました。

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