小松川事件―民族問題を絡めてはならない(1)2024/11/03

 66年前の1958年に発生した小松川事件は在日朝鮮人が起こした凶悪事件ですが、これに民族問題を絡めて救援活動が行われたので、在日朝鮮人の歴史を語る本などでは必ずと言っていいほどに出てきます。 拙ブログでも取り上げたことがあります。

 犯人の李珍宇は事件について民族問題と絡められることに困惑していたという証言がありましたので紹介します。 出典は加賀乙彦『ある死刑囚との対話』です。 加賀はバー・メッカ殺人事件の死刑囚である正田昭と手紙をやり取りしていて、その内容を本にしました。 このなかで正田は東京拘置所で同囚の李珍宇に出会い、話を交わしていたというのでした。

R(李珍宇)は生前私に、自分の犯罪が在日朝鮮人一般の問題として広く展開されてゆくことに戸惑い、困ってしまう‥‥と申しておりました。 (加賀乙彦『ある死刑囚との対話』弘文堂 1990年3月 78~79頁)

 李珍宇は死刑囚として東京拘置所にいた際に、同じく死刑囚で同じ拘置所にいた正田昭にこのような話をしていたのでした。 この証言はそれが出てきた経過から、内容に間違いがないと思われます。 “自分の犯罪は民族問題ではない”ということです。

 次に正田は李珍宇の事件について考察します。 正田は同じ死刑囚として李と話を交わしたというのですから、その発言内容には重みがあると思います。 それを紹介します。 正田はもともと学があり、囚人生活のなかで小説家にもなりましたから、文才があると言っていいでしょう。 紹介する文には当時のインテリらしい表現が出てきますが、今ではちょっと読みづらいかも知れません。

R(李珍宇)少年の場合、その行為から考え、大江健三郎氏にしろ、他の論者にしろ、何故最も根源的理由とごく普通に認められているものを見過ごしているのか、不思議でなりません。 それは性欲、それも異常に強い性欲です。 単に禁断的状況にあるが故ならず、明らかに一般より数倍する外部からうかがえる、かつ昼間においても自瀆しないでいられぬ程の人間が為した強姦殺人‥‥ (同上 66頁)

 「自瀆」なんて、今は知る人がいないでしょう。 オナニー(自慰・手淫)のことです。 事件について大江健三郎などが民族問題を言っているが、「根源的理由」は「異常に強い性欲」である、というのが正田の考えです。

李少年の犯罪が単純に性欲のためだとする考え方の方に、私は賛成です。 (同上 69頁)

「女の人を自転車から引きずり下ろしたとたん、僕は夢を見ているようだったと。 これは夢なんだと思った」と。 すなわち、彼は女の人の体に触れたとたん ‥‥自分の行為は理性(精神)によって律しられておらず、肉体の支配に委ねられたことを感じ、だからこそ「夢を見ている」と覚えたのです。 ひとたび、肉体の論理が人間を支配すると、行為はとことんまで行く。 原始的で凶暴なものが噴出し、その最後まで行ってしまう。 李少年の殺人はかくして成就し‥‥ (同上 70頁)

 李珍宇は自分の事件を「夢を見ている」と言っているんですねえ。 ここらあたりは私には理解できませんが、正田は同じく殺人事件を犯した体験から、李がその時の自分自身の精神状況を「夢」と語ったことが理解できるようです。 それは、後先も何も考えずに湧き上がる感情のまま行動したのが強姦殺人だった、それはまるで夢の中のようだった、ということなのでしょうか。

殺人という異常な行為は李のように「夢」と感じられる。 つまり非現実的な世界の出来事として感じられる。 なぜなら精神にとって肉体は常に非現実的なものなのですから。 このことはドストエフスキーが、おそらく世界で初めて発見したことではないでしょうか。 (同上 70~71頁)

 李珍宇は凶悪犯罪行為を実際に行なっていながら、「非現実的な世界の出来事」すなわち「夢」と感じているということですね。 正田はドストエフスキーを引っ張り出してきて、李の「夢」が分かると言っているようです。 私はドストエフスキーをほとんど読んだことがないからでしょうか、ちょっと理解できませんねえ。

在日朝鮮人であること、圧迫された人間であることは、彼の犯罪とは無関係かどうか、 この点について私は無関係だとは言い切れない。 ただそれが第一義的なものではないといえる (同上 71頁)

 民族問題は第一義ではないというのは、私もその通りと考えます。(続き)

 

 【拙稿参照】

小松川事件(1)―李珍宇救援を呼びかけた人たち http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/04/04/9574532

小松川事件(2)―李珍宇と書簡を交わした朴壽南 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/04/08/9575512

小松川事件(3)―李珍宇が育った環境 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/04/12/9576502

水野・文『在日朝鮮人』(17)―小松川事件 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/08/15/8152243

小松川事件は北朝鮮帰国運動に拍車をかけた https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/12/02/9639109

コメント

_ 海苔訓六 ― 2024/11/03 09:52

ドストエフスキーは一時期ハマッて「地下室の手記」から後期の大作と呼ばれる著書はほぼ全て読みましたが、今現在の自分はドストエフスキーが「人間の心理を深く分析して描き出した」みたいな評価は過大評価だろうと思っています。ペトラシェフスキー事件だったかネチャーエフ事件だったかで死刑判決出されて執行直前まで追い詰められて殺される側の人間心理に関しては体験して、実際にまわりの仲間は発狂したり、自身もてんかん症状が悪化したりしていますが、殺す側の人間心理に関しては流刑地のシベリアで囚人たちから聞き取ったことがベースになっているだけです。
凶悪犯罪者の囚人たちから聞き取った内容は「死の家の記録」に詳述されていますが、この本もタバコが壊血病を防ぐとか今の科学的な観点で考えたらおかしい記述も散見されますし、そういうことは訳注などで書いておかないと誤解を招くと思うのですが工藤先生とかもそういう訳注は書いてなかったと思います。

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