砧を頂いた在日女性の思い出(3)―先行研究 ― 2020/10/12
http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/10/07/9303008 の続きです。
私が砧について論稿を最初に発表した時(1996・97年)は、朝鮮の「砧」の先行研究は渡辺誠「ヨコヅチの考古・民具学的研究」(『考古学雑誌第70巻3号』)がありました。 しかしこれは「ヨコヅチ」という考古・民具学的遺物を広く集めて比較検討するなかに朝鮮の「砧」の槌があるということだけで、「砧」そのものへの考察ではありません。
先行研究の本格的な論文としては、李哲権「衣を打つ音―『砧』の比較文学的研究」(『比較文学研究64』東大比較文学会)がありました。 しかしこれは文学の面から日本・朝鮮・中国では「砧」にどのような心情が込められていたのかを比較し考察したもので、私の関心のある、形=道具としての「砧」について論じたものではありません。
当時は朝鮮の「砧」の先行研究は以上の二点ぐらいで、他には何かのついでに「砧」にちょっと触れる程度で、「砧で布を柔らかくした」などの誤解したものが多かったですねえ。 「砧」には日本も朝鮮も二種類があって布地によって使い分けるということ、そしてその形がどのように変化したのかを論じたのは私が最初だと思います。
ところで以上の先行研究のうち李論文は朝鮮の砧について、次のように論じています。
こうした細々した仕事(砧打ち)はもちろん母と娘の夜業となるが、これには非常な労力と忍耐が必要であった。 いってみれば、砧は母や娘たちに苦痛をもたらす苦役以外のなにものでもなかった。
朝鮮の民謡に「嫁暮らし」という題で砧が悲しみと苦しみの対象としてしか詠まれていないのも、実はこのような生活の実態と深い関係がある。 したがって、昔の朝鮮の女性たちにとって、砧はある意味で宿命的なもので、短い一生は砧をうつ音の中に消えてしまうといっても過言ではなかった。
それ故、朝鮮文学における砧の詩のコノテーションは、中国や日本文学における砧の詩の場合のように男女の思慕の念や恋慕の情を表わすものに決してなりえなかったのである。
李論文は文学の面から見て「砧」について朝鮮・中国・日本を比較しながら論じているのですが、なるほど、そういう見方もあるのかと勉強になったものでした。 私はモノ・カタチとしての「砧」を追求していたので、このような感想を持つことはほとんどありませんでした。 ですから新鮮に感じたものでした。
ところで私は「砧」の研究について地元郷土誌に発表したと言いましたが、その97年8月号で次のような文で論稿を締めくくりました。
いま日本では朝鮮問題に関心を寄せる人が多いが、それは民族受難とそれに対する闘いの歴史というイデオロギーに重点があるようで、普段の具体的な日常生活に目を向ける人は少ないという印象を持つ。
砧はかつての在日朝鮮人の生活ではごく普通に見られた光景であった。今それが捨て去られ、記憶からも消えつつある。 イデオロギー的な観点からすれば、砧なんて些末で枝葉末節、何と下らなく、つまらないことを研究するのかとお叱りの声が聞こえそうである。
しかし生活という具体性からかけ離れた在日朝鮮人像を描くイデオロギーには、私は大きな違和感を抱く。
20年以上前の論稿ですが、このようにまとめに書いた気持ちは今も変わりありません。
【拙稿参照】
砧を頂いた在日女性の思い出(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/09/21/9297618
砧を頂いた在日女性の思い出(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/10/07/9303008
第118題 砧―日本の砧・朝鮮の砧 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyaku18dai.pdf