「砧」と渡来人とは無関係 ― 2007/04/14
東京の世田谷区に「砧」というところがあります。これについて、砧が渡来人がもたらした文化と考え、それが地名になったと考えている人が多いようです。 しかしそこは、明治22年に喜多見・宇奈根等5カ村が合併した時に「砧村(きぬたむら)」と命名された地名です。 古代どころか江戸時代さえも遡ることができません。 従って朝鮮からの渡来人とは全く関係のない地名であることは断言できます。
砧は、日本では源氏物語に出てくるし、中尊寺所蔵の絵画(12世紀)や伊勢名所絵巻(13世紀)にも描かれるもので、千年以上の歴史を辿ることができます。
しかし、朝鮮半島では19世紀末の日清戦争頃のヨーロッパ人の旅行記に出てくるものが最古で、百年ほどの歴史しか辿れません。
砧は日本では資料が古くまた豊富ですが、朝鮮では近代以前は皆無と言っていいものです。
「砧」という文字を見て渡来人を連想するというのは、こじつけ妄想です。
なお木製の横槌を「砧」という人がいますが、これについては渡辺誠名誉教授が間違いであると明確に指摘しておられます。
コメント
_ Kawai Oyaji ― 2007/04/15 10:36
_ みいこ ― 2013/10/28 13:28
すてきになったわ。
あのね、砧ってさあ、昔の漢詩にも出てくるわよ。
長安一片の月
万戸衣を打つの声
秋風吹き尽きず
全てこれ玉関の情
何れの日にか胡虜を平らげて
良人は遠征をやめん
何とかっていう有名な支那人が書いた詩なの。
秋に衣を打つなんて、これ砧じゃないかしら。
きっと遣唐使がもちかえったのよねー。
えらいわねぇ。
_ 通りすがり ― 2015/03/25 10:38
李白の詩は想像を掻き立てられます。
み吉野の 山の秋風小夜更けて ふるさと寒く衣うつなり って参議雅経の歌を思い出させますね。
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