韓国の小説の翻訳に挑戦(11)―ソン・ボミ2016/09/01

 語学勉強のための小説翻訳。 今回も日本ではほとんど知られていない若手の家ですが、今年度の韓国翻訳新人賞募集の課題小説「臨時教師」の作者といえば、知っている方もおられるかも知れません。

散策 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/sannsaku.pdf

【これまでの小説の翻訳】

キム・エラン「立冬」 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/rittou.pdf

ファン・ジョンウン「上流は猛禽類」 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/jyouryuuhamoukinnrui.pdf

クォン・ヨソン「伯母」 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/imo.pdf

申京淑「ある女」 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/aruonna.pdf

申京淑 「伝説」  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dennsetsu.pdf

申京叔「今私たちの横に誰がいるのでしょうか」 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/imawatashitachinoyokoni.pdf

孔枝泳 「真剣な男」 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/shinnkennnaotoko.pdf

孔枝泳「存在は涙を流す」 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/sonnzaihanamidawonagasu.pdf

殷熙耕 「私が暮していた家」 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/watashigakurashiteitaie.pdf

殷熙耕「他の雪片と非常によく似たたった一つの雪片」 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/tanosubete.pdf

水野・文『在日朝鮮人』(19)―関東大震災・吉野作造は調査したのか2016/09/04

 関東大震災で虐殺された朝鮮人の数について、次のように記されています。

殺された朝鮮人の数は司法省の発表では233名、朝鮮総督府の資料では832名、政治学者吉野作造(1878~1933)の調査では2,711名とされるが、朝鮮人留学生らの「罹災同胞慰問団」の名目で行なった調査では6,415名という数字があげられている。(18~19頁)

 このうち吉野作造の調査による「2711名」について、調べてみました。 吉野作造『中国・朝鮮論』(平凡社東洋文庫 松尾尊兊編)に、編者の松尾による次のような註があります。

吉野は、改造社の『大正大震火災誌』(1924)に「朝鮮人虐殺事件」を書き、埼玉県当局の通牒などを紹介して、流言の出所について、官憲の責任あることを述べ、ついで朝鮮罹災同胞慰問班の一員から聞いたという、朝鮮人の虐殺地点と人数(計2,613名)を記した‥‥東京大学吉野文庫に保管されているこの全文は、姜徳相・琴秉洞編『関東大震災と朝鮮人』(みすず書房「現代史資料」のうち)におさめられている。(300頁)

 ここでは吉野作造が「聞いた話」として「2,613名」が出ており、吉野自身が調査したとは記されていません。 そこでその資料となった『関東大震災と朝鮮人』という資料集を調べてみました。

次に朝鮮人の被害の程度を述べる。之は朝鮮罹災同胞慰問班の一員から聞いたものであるが、此の調査は大正12年10月末日までのものであって、其れ以後の分は含まれて居ないことを注意しなければならぬ。(360頁)     合計2,613人(362頁)

 この資料集の編者(姜徳相・琴秉洞)による解説では次のように記されています。

吉野作造氏のものは赤松克麿氏の助力のもとに10月末日迄の調査をまとめ、改造社の依頼に応じた原稿であるが、改造社によれば豊富な資料と精細な検討によって出来た鏤骨苦心の好文字であったが其筋の内閲を経たる結果遺憾ながら「全部割愛」を余儀なくされたという。 統計は「朝鮮罹災同胞慰問班の一員から聞いた」ものであり、その意味で金承学氏の調査と根拠を一にするが、それでも地名人員に少なからざる差異がある。(ⅹⅹⅴiii頁)

 つまり吉野作造は自ら調査したのではなく、「金承学氏の調査」を根拠にしたとなっています。 それではこの「金承学」とは誰か? それはこの資料集のなかにあります。

独立新聞社社長金承学(341頁)

 当時上海にあった大韓民国臨時政府の機関紙の「独立新聞」の社長です。 水野直樹・文京洙『在日朝鮮人』に記されている「朝鮮人留学生」ではありません。

 水野直樹・文京洙『在日朝鮮人』では根拠となった出典資料が提示されていません。 ですから、そこに出てくる人数が何に基づく人数(2711人となっているが、吉野自身の論考では2613人)なのか確認できないし、「罹災同胞慰問団」と「朝鮮罹災同胞慰問班」とは同じなのか違うのか、という基本的なことすら分かりません。 

 関東大震災に関して、ほんの少し調べただけで、かなりの疑問が出てきました。

【拙稿参照】

水野・文『在日朝鮮人』(13)―関東大震災への疑問 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/07/19/8134282

関東大震災時の「在日朝鮮人虐殺者」の数 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/06/09/398058

関東大震災の朝鮮人虐殺  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/08/26/8163009

水野・文『在日朝鮮人』(20)―南朝鮮革命に参加する在日2016/09/08

(1961年5月16日の朴正熙らによる韓国軍事クーデター)によって南北統一への絶好の機会を逃した金日成は、その原因を韓国における前衛党の不在に求め、「南朝鮮革命」をめざす前衛党の建設や「反米救国統一戦線運動」に傾いていく。その間、組織内から民対派を排除して排他的な指導体制を固めつつあった韓徳銖・金炳植も、北朝鮮の「南朝鮮革命路線」に対応する総連組織の改編をすすめた。(154頁)

 北朝鮮は韓国(南朝鮮)の革命をめざし、様々な工作活動を韓国で行なってきた事実を示しています。 具体的にどのような工作活動であったか、この本では在日朝鮮人が関係した次の事件を挙げています。

「母国留学」などを通じて韓国にわたって直に民主化運動に身を投じる在日青年も70年代には少なくなかった。早くは71年、徐兄弟(徐勝・徐俊植)がソウル大学留学中に国家保安法違反で韓国陸軍保安司令部に逮捕されている。取調べ中に拷問をうけた徐勝は自殺を図って顔面に火傷を負い、公判に現れた徐勝の姿に在日社会が受けた衝撃は大きい。徐兄弟はともに非転向をつらぬき、韓国の民主化以後になってようやく釈放された。75年には、13人もの在日青年が逮捕される「学園浸透スパイ団事件」(11・22事件)があり、白玉光・康宗憲・李哲・金哲顕の四人が当初は死刑を宣告されるという事件も起こっている。在日朝鮮人が「スパイ」として逮捕される事件は80年代の新軍部政権時代まで続き、確認されているだけでその数は100人余りに及んでいる。(188~189頁)

維新独裁が在日二世の社会に投じた暗い闇を象徴するのが文世光事件であった。74年8月15日の「光復節」を祝うソウルの会場で、在日二世の文世光が大阪府警から盗んだ拳銃で朴大統領狙撃し、同席した陸英修夫人が銃弾を受けて死亡した。その場で逮捕された文世光はソウルの地裁で死刑判決をうけ、12月20日に死刑が執行される。事件自体はいまなお不可解な部分が多いが、“民族”や“社会”に目覚めて極限を生きた在日二世を象徴するような出来事として在日社会に投じた波紋は大きい。(189頁)

 ここに出てくる在日朝鮮人のうち、徐勝、金哲顕さんは北朝鮮に密出入国したことを自ら認めていますから、確かです。 他にも密出入国をした方がいることでしょう。 北朝鮮に行って何をしたのかというと、当然のことながらスパイ教育でした。 そして韓国に潜入して工作活動、すなわち韓国社会を混乱させて革命状況を作ることを企図しました。 だから彼らは韓国の民主化運動に関わったのです。 韓国の民主化運動は独裁政権に反対するという当然に発生する大きな動きでしたが、そこには北朝鮮の工作活動の部分があったことに注意をしなければなりません。

 文世光事件は、2002年に金正日自らが北朝鮮の犯行であることを認めました。 つまり在日朝鮮人青年は北朝鮮の工作活動に利用されたのです。 あるいは「“民族”や“社会”に目覚めて極限を生きた在日二世」が北朝鮮の工作活動に積極的に参加したとも言えるでしょう。 この当時に韓国の民主化運動に関心を深め連帯を求めた在日韓国・朝鮮人たちは北朝鮮を全く批判せず、韓国への批判に集中していたという特徴があります。

 そしてこの「南朝鮮革命」のために、日本国内の在日組織である朝鮮総連が積極的に関わったことは、上述引用の通りこの本にも明記されています。このことはやはり強調しておかなくてはなりません。

第58題 在日韓国人政治犯救援活動 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daigojuuhachidai

在日韓国人政治犯         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/05/17/5092838

1970~80年代の韓国民主化連帯闘争  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/01/16/5639024

1970年代の北朝鮮=総連の手口   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/11/12/6199653

韓国映画『南営堂1985』      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/05/20/7316008

【これまでの拙稿】

水野直樹・文京洙『在日朝鮮人』(1)―渡日した階層 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/06/8066021

水野・文『在日朝鮮人』(2)―渡航証明と強制連行 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/11/8069125

水野・文『在日朝鮮人』(3)―強制連行と強制送還  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/17/8072649

水野・文『在日朝鮮人』(4)―矛盾した施策 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/25/8077594

水野・文『在日朝鮮人』(5)―強制連行と逃走  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/29/8080041

水野・文『在日朝鮮人』(6)―渡航の要因 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/05/09/8086320

水野・文『在日朝鮮人』(7)―人口の急増 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/05/14/8089137

水野・文『在日朝鮮人』(8)―戦前の強制送還者数 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/05/19/8092119

水野・文『在日朝鮮人』(9)―ハングル投票  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/06/19/8115076

水野・文『在日朝鮮人』(10)―子弟の教育 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/06/22/8116734

水野・文『在日朝鮮人』(11)―尹東柱   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/06/26/8118773

水野・文『在日朝鮮人』(12)―財産を形成した在日 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/07/12/8129867

水野・文『在日朝鮮人』(13)―関東大震災への疑問 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/07/19/8134282

水野・文『在日朝鮮人』(14)―終戦直後の状況 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/07/22/8135824

水野・文『在日朝鮮人』(15)―外国人の地位 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/07/25/8138588

水野・文『在日朝鮮人』(16)―国籍剥奪論の矛盾  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/07/30/8142349

水野・文『在日朝鮮人』(17)―小松川事件 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/08/15/8152243

水野・文『在日朝鮮人』(18)―北朝鮮帰国事業  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/08/21/8156717

水野・文『在日朝鮮人』(19)―関東大震災・吉野作造 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/09/04/8169265

蓮舫の二重国籍疑惑2016/09/09

 民進党の蓮舫は二重国籍ではないかという「疑惑」が提起されて、ちょっと騒がしいです 。私は15年前に二重国籍について論じたことがあります。http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daisanjuusandai  また在日韓国人から国籍について相談を受けたこともありましたから、この「疑惑」に関心があります。

 問題の要点は、蓮舫が1985年の日本国籍法の改正(父母両系主義に変わった)に伴い、日本国籍を選択した際に、台湾籍を離脱したのかどうかという点に絞られます。 「疑惑」を提起した人は、台湾は20歳以上の成人でないと台湾籍を離脱できないから当時17歳の蓮舫は台湾籍を離脱していない、というものです。 これに対し蓮舫は、保護者の父親と離脱の手続きをしたと主張しています。

 しかし父親が手続きをしたというのは、蓮舫の子供時代の記憶によるものですから、確かなものではありません。 父親が亡くなって20年以上も経っていますから、その時にどのような書類を用意してどのように手続きをしたかも今は分からないでしょう。 ちゃんと手続して台湾籍を離脱したかも知れませんし、手続きが不十分で離脱に至っていないかも知れません。 またその時に台湾側の窓口がどのように対応したのかも分からないでしょう。

 台湾籍を今なお有しているかどうかについては、結局は台湾当局の正式な調査結果を待つしかありません。 30年も前のことですから、当時の資料が果たして残っているのかどうか。 台湾の戸籍を見れば台湾籍を有しているかどうかはすぐに分かるはずと思う人があるかも知れませんが、それは簡単ではないです。 台湾籍を離脱していても、それが戸籍に記載されるかどうかは別問題だからです。 これは日本でも同じで、他国の国籍を取得した日本人は日本籍から離脱するため戸籍から除籍されねばなりませんが、そうせずに戸籍に残っている例が多いものです。

 確かなことは、その後の蓮舫は自分が日本の単一国籍者として行動し、台湾籍者としての行動をしていない(具体的には台湾のパスポートを取得する・台湾の参政権を行使するなど)ことです。 つまり二重国籍者とは思ってこなかったし、そういう振る舞いもしてこなかったということです。 そして周囲もまたそれを認めてきたということです。 このことから、今回の「二重国籍疑惑」は、大きく問題にするほどのことではないと思います。

関東大震災の日本人虐殺2016/09/15

 関東大震災では朝鮮人が多数虐殺されましたが、その具体的な数字はなかなか分かるものではなく、色んな数字が飛び交っていることは前に論じました。 一方、日本人も多数虐殺されている事実には、これまで言及しているものが少ないです。

姜徳相・琴秉洞編『現代史資料6 関東大震災と朝鮮人』(みすず書房 1963年10月)には、「㊙震災後に於ける刑事事犯及之に関連する事項調査書」と題する資料が収録されています。(370~449頁) 関東大震災の際に起きた事件を詳細に調査し報告した政府側の資料です。そこには朝鮮人虐殺だけでなく、日本人も虐殺された事件が報告されています。

第五章 鮮人と誤認して内地人を殺傷したる事犯  第一 概説  一、鮮人に対する殺傷の外、鮮人と誤認して内地人を殺傷したる事犯少なからず。 何れもその容姿、態度又は言語の情況等に因り鮮人なりと誤解を受け、自警団其の他の民衆の為に害を加へられたるものにして其の数八十九人を算す。 犯人は捜査の上之を明にすることを得たるを以て其の情最も軽きものの外は何れも之を起訴したり。其の数実に百八十七人に達せり。(433頁)

 被害者89人の内訳は、死亡58人、重傷13人、軽傷18人。  一方の加害者として起訴された187人の内訳は、殺人124人、同未遂1人、傷害致死34人、傷害28人。(434頁)

 そして資料では各個別の事件の発生日時、場所、犯人氏名、被害者氏名、罪名、犯罪事項をまとめています。 犯罪事項には「日本刀を以て殺害す」 「竹槍、鳶口及び棒を以て乱打し日本刀にて斬付け又は足蹴して死に致す」 「針金にて後手に縛し竹の棒、鳶口にて殺害す」 「軍隊が被害者を保護の為め同行途中殺害す」 「群衆とともに石塊を投げ付けて殺害す」 「巡査が被害者を保護中駐在所より連出して殺害す」 「被害者が電報配達の為め鈴木伝次郎方へ行きたるを誤認し傷害死を致す」などと記されています。(434~438頁)

 自警団らは朝鮮人だけでなく日本人も多数殺したことが分かります。 その内容からは、やはり「虐殺」と言わざるを得ないでしょう。 虐殺された人数は、立件されたものだけで58人です。

【拙稿参照】

水野・文『在日朝鮮人』(19)―関東大震災・吉野作造 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/09/04/8169265

水野・文『在日朝鮮人』(13)―関東大震災への疑問 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/07/19/8134282

関東大震災時の「在日朝鮮人虐殺者」の数 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/06/09/398058

関東大震災の朝鮮人虐殺  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/08/26/8163009

蓮舫の過去の「国籍発言」2016/09/16

 民進党の蓮舫が過去に自分の国籍について語ったことが明らかにされて、現在の発言との矛盾が指弾されています。    http://www.sankei.com/politics/news/160915/plt1609150009-n1.html

 この記事に出てくる蓮舫の過去の発言を再録しますと

①「赤いパスポート=(日本旅券)になるのがいやで、寂しかった」  朝日新聞1992年6月25日夕刊

②「父は台湾で、私は、二重国籍なんです」  週刊現代93年2月6日発行号 

③「在日の中国国籍の者としてアジアからの視点にこだわりたい」 朝日新聞93年3月16日夕刊 

④「だから自分の国籍は台湾なんですが」  CREA97年2月号 

⑤「私は帰化しているので国籍は日本人だが、アイデンティティーは『台湾人』だ」  週刊ポスト2000年10月27日発行号 

 このうち②・③・④では自分が外国籍(台湾あるいは中国)を有しているとしています。 ①は日本が嫌だという感情、⑤は自分の気持ちが国籍のある日本にはないことを語るものです。

 これを読んで1990年代の日本は、そういう時代だったということを思い出します。 そういう時代とは、在日外国人というだけで有利だった時代という意味です。

 1980年後半に在日外国人の指紋押捺義務反対運動が起こり、これは日韓の外交問題にまでなって1991年に永住者の指紋押捺が免除され、さらには2000年には非永住者の指紋も廃止されました。 つまり在日外国人の運動が大きな問題となって社会を動かし、遂には日本政府を譲歩させて目的を達成するという大成果を収めた時代です。

 そんな時代でしたから在日外国人というだけで、その発言はマスコミに大きく取り上げられたものでした。 マスコミ(朝日など)は在日外国人から日本を批判する発言を期待し、そういうことを話す在日外国人を選んでいました。 つまり在日外国人が、自分の能力や努力ではなく、在日外国人という地位だけで有利に扱われた時代だったのです。 しかし日本が大好きで早く帰化したいなんて言う在日外国人は無視されました。

 1990年代はそういう時代だったと記憶しています。 私の憶測ですが、蓮舫はそんな時代にあって‘自分は外国籍を持っている’ ‘外国人としてのアイデンティティがある’と発言したことは、それによって自分の発言が注目される、あるいは大きく取り上げられ有利だという風潮に乗ったものと言えるように思えます。

 私の憶測が合っているのかどうか分かりませんが、蓮舫さんには過去の自分の発言をどういう気持ちで行なったかを振り返り、今それをどう思っているのかを語ってもらいたいと思います。

蓮舫の二重国籍疑惑  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/09/09/8176022

水野・文『在日朝鮮人』(21)―同化2016/09/23

在日の同化について、この本ではどう論じられているのだろうかと、「同化」という言葉の出てくるところを探しました。

一方で、日本政府は、「帰化」をめぐる裁量権を名目にして好ましい者、つまり日本に完全に同化した者のみを日本国民とする政策をその後も押し通した。(127頁)

日本側のこうした同化主義は、韓国側の在日に対する「棄民政策」と裏表の関係にあった。65年、李東元外務部長官は、「在日韓国人は日本に同化される運命にあり、在日韓国人に対して、そのような方向での日本国民の配慮を期待する」と語り、当時の韓国政府の認識を露わにした。(160頁)

戦後20年を経てもなお、日本社会は、自らの歴史が産み落とした民族的少数派の存在を、「禍根」や「異様」としてしか見なしえず、在日朝鮮人は弛まない差別や同化の圧力に直面していた。(165頁)

総連など既存の民族団体や在日の知識人・作家の多くは、この「市民運動」(日立就職差別裁判闘争のこと)に対して日本の大企業に就職することは「同化につながる」としてつよい警戒心を示した。‥‥日立闘争を支援する崔承久の行動や発言が「同化を助長」すると批判され、青年会会長職を解かれるという一幕もあった。(177・180頁)

佐藤勝巳は、80年代に入ると、在日の同化が「自然の流れ」であると主張するなど日立闘争を闘った時代から大きく変貌していくが(200頁)

飯沼は、その論旨を次のように要約している‥‥二世以下の人々は‥‥祖国とのきずなを堅持しなければならないし、もし、そのきずなを手離してしまったら、もはや日本社会のなかに同化されてしまうほかないだろう。(200頁)

在日朝鮮人は、相変わらず、地域社会の異物、もしくは部外者としての同化か異化かの二者択一の生を余儀なくされていたのである。(209頁)

在日朝鮮人に対してはそれまで同化か排除の姿勢で貫いてきた日本の入管行政(212頁)

民族名を維持したまま日本国籍を取得するケースも増えているが、日本社会の同化圧力は依然として強く、そうした事例は多いとはいえない。(214頁)

かつて理想郷とされた北朝鮮イメージの失墜は、在日二世や三世の帰化や同化を促す要因ともなっている。(222~223頁)

在日朝鮮人の同化や「帰化の雪崩現象」(229頁)

 以上のように、この本の基本的な考えは「同化」は悪いということです。 民族主義的観点からすると、同化は民族性を喪失することを意味しますから当然悪いことになります。しかしそんな観点から離れると、人間は生まれ育った場所に将来も生活して一生を終えると決心したならば、その社会に馴染もうとするものですから多かれ少なかれ同化していくのは当然です。

 今の在日社会はもう三・四・五世の時代なので、祖国とは切れている場合が非常に多いです。 ですから一日24時間・一年365日の生活なかで、祖国の人たちと共通する民族性はほとんどなくなっています。 祖国の人たちとはコミュニケーションが出来ず、また冠婚葬祭などの重要な家内行事に祖国の親戚と共に参加することもなくなってきています。 日本への同化現象は顕著で、もはや同化は終了したと言ってもいいでしょう。 従って在日の若者たちの同化を憂慮したり嘆く段階はとっくに過ぎたのです。 このあたりの事情について、朴一さんの『<在日>という生き方』(講談社 1999年11月)では、次のようにまとめています。

これ以上「同化」しようない    ‥‥在日の新しい世代の動向を「同化」という言葉ではくくれないことがわかるだろう。   そもそも「同化」とは、一世のようにもともと朝鮮人としての民族的属性を備えた人びとが少しずつその属性を失い、「日本人化」していくことを意味する。 東京大学の山内昌之は同化現象を「移民が保持していた出身国の文化や慣習を放棄して受入れ国の文化や慣習を取り入れて別の存在になること」と定義しているが、この定義に依拠するかぎり、国籍をのぞけば、最初から日本人とほとんど変わらない三世・四世が日本人に「同化」するというのは、かなり奇妙な表現である。‥‥彼らは、成長の過程で民族にめざめて、母国語を学習したり、民族文化にふれるなど、コリアンとしての民族的属性を獲得していくことはありえても、これ以上「同化」=「日本人化」しようがないというのが実際である。 というのも、国籍を除いて日本人と変わらない彼らは、「同化」の前提となる民族的素養を最初から身につけていないからである。」(26~27頁)

 朴一さんがこの部分で論じているように、在日の同化は終了したと言っていいでしょう。 従って同化を悪として、日本社会が在日に「同化圧力」をかけているというような言い方をそろそろ止めるべきです。  日本社会が何も「同化圧力」をかける努力は必要ないのです。 これまで在日の父母たちは家庭内で朝鮮語を使わず、子供たちの同化傾向を叱りつけることもなかったのですから。 子供がこの人と結婚しますと日本人を連れてきても、何十年か前は勘当でしたが、その後は仕方ないと認め、今は祝福する時代になっているのです。

 つまり在日社会はこれまで口先では同化は駄目だと言いながら同化を拒否する努力をせず、実際に同化を受け入れてきました。 日本社会からの「同化圧力」云々の主張は、責任を日本側に転嫁して日本社会に対して闘いたいという反日思想を表明しているに過ぎません。 今は在日の「同化」が終了したことを前提にして、ルーツを大事にしながらもこの日本社会にどのような寄与貢献が出来るのかが課題となるべきです。 「同化」には積極的な意味があることを、アピールされるべきではないでしょうか。

 また在日独自の文化(チェサやクッなどの民俗行事)は、日本文化の一つとして認められていくことになるでしょう。 それはまた、日本文化がそれだけ広がりを持つということになります。

【拙稿参照】

「差別・同化政策」考   http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daigojuuyondai

在日朝鮮人は外国人である http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daiyonjuudai

(続)在日朝鮮人は外国人である http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daiyonjuuichidai

朝鮮語を知らない在日朝鮮人 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainijuuhachidai

「同化教育」考      http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daikyuujuunidai

「同化」は悪だとされた時代  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/02/15/8018723

【これまでの拙稿】

水野直樹・文京洙『在日朝鮮人』(1)―渡日した階層 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/06/8066021

水野・文『在日朝鮮人』(2)―渡航証明と強制連行 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/11/8069125

水野・文『在日朝鮮人』(3)―強制連行と強制送還  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/17/8072649

水野・文『在日朝鮮人』(4)―矛盾した施策 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/25/8077594

水野・文『在日朝鮮人』(5)―強制連行と逃走  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/29/8080041

水野・文『在日朝鮮人』(6)―渡航の要因 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/05/09/8086320

水野・文『在日朝鮮人』(7)―人口の急増 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/05/14/8089137

水野・文『在日朝鮮人』(8)―戦前の強制送還者数 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/05/19/8092119

水野・文『在日朝鮮人』(9)―ハングル投票  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/06/19/8115076

水野・文『在日朝鮮人』(10)―子弟の教育 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/06/22/8116734

水野・文『在日朝鮮人』(11)―尹東柱   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/06/26/8118773

水野・文『在日朝鮮人』(12)―財産を形成した在日 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/07/12/8129867

水野・文『在日朝鮮人』(13)―関東大震災への疑問 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/07/19/8134282

水野・文『在日朝鮮人』(14)―終戦直後の状況 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/07/22/8135824

水野・文『在日朝鮮人』(15)―外国人の地位 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/07/25/8138588

水野・文『在日朝鮮人』(16)―国籍剥奪論の矛盾  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/07/30/8142349

水野・文『在日朝鮮人』(17)―小松川事件 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/08/15/8152243

水野・文『在日朝鮮人』(18)―北朝鮮帰国事業  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/08/21/8156717

水野・文『在日朝鮮人』(19)―関東大震災・吉野作造 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/09/04/8169265

水野・文『在日朝鮮人』(20)―南朝鮮革命に参加する在日  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/09/08/8173965

首をひねる無罪判決2016/09/25

 いわゆる振り込め詐欺で、被害に遭いそうなった人が気付いて「だされたふり」をして、犯人逮捕に協力したところ、逮捕された犯人が去る12日に無罪の判決を受けたことが話題になっていました。(9月18日報道) http://bylines.news.yahoo.co.jp/sonodahisashi/20160918-00062311/  なぜ無罪なのか首を捻ります。 法律を厳密に適用すると無罪になるのかも知れないですが、どうも常識からずれているように思います。

 これと同じ日に、韓国でも首を捻るような無罪判決が出たことが報道されました。 これは女性トイレ覗きですから悪質な性犯罪なのですが、何故か無罪とされました。 日本語版には出てきませんので、訳してみました。 http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2016/09/18/2016091800349.html

「公衆トイレ」でないと‥‥店外トイレで女性が用を足しているのを覗き見た男に最高裁判所が「無罪」

食堂の横にある屋外トイレで、女性が用を足しているところを覗き見た男に、最高裁判所が最終的に無罪の確定判決を下した。 このトイレが性犯罪法で定められる「公衆トイレ」に該当しないためだという理由であった。        最高裁判所三部(裁判長 パク・ポヨン)は、性暴力犯罪の処罰等の特別法違反容疑(性的目的のための公共場所侵入行為)で起訴されたA(35)に無罪を確定したと18日明らかにした。

会社員Aは2014年7月26日午後9時頃、全羅北道全州市のある食堂で、20代の女性がこの店の屋外トイレに入って行くのを見て、その後をついていった。      Aは女性が入った個室のすぐ横の個室に入り、間仕切りの隙間に頭を突っ込んで女性が用を足しているのを覗き見し、摘発された。

検察はその年の9月に、性暴力犯罪処罰特別法第12条を適用し、Aを起訴した。 この条項によると、性的欲望を満足させる目的で公衆トイレ等の公共の場所に侵入した場合、1年以下の懲役または300万ウォン以下の罰金刑に処することが出来る。    しかし一審は1年間の裁判の末、事件が起きたトイレは公衆トイレ等に関する法律が規定する「公衆トイレ」ではないとして、無罪を宣告した。

現在の公衆トイレ法は、公衆トイレを「公衆が利用できるようにするために、国家、地方自治体、法人または個人が設置するトイレ」と定義している。        ところが裁判所は、このトイレが一般大衆でない食堂利用客のために設置されたものであり、公衆トイレに該当せず、処罰することが出来ないと見る。

検察は「裁判所が性犯罪処罰法の制定趣旨に反し、公衆トイレの概念を非常に狭く解釈した」ものであり不服としたが、二審と最高裁判所の判断も変わらなかった。      最高裁判所は「原審は、性暴力犯罪処罰と公衆トイレ等に関する法律における公衆トイレに関する法理を誤解したという違法には当たらない」とした。        結局、商店街のトイレのように利用客のために設置されたトイレでは、Aのように行動しても処罰することが出来ないという判決が確定した。

政界では、法が規定する性犯罪処罰可能な場所を、既存の公衆トイレ、開放トイレ、移動トイレ、簡易トイレなどに限るのではなく、設置・提供目的と関係なしに全てのトイレとせねばならないという声が出た。       裁判所が罪刑法定主義によって厳格な法解釈をしたという評価と同時に、法の文言に余りにも固執して国民の常識と乖離した判決を下したという指摘も出た。