韓国映画 『南営洞1985』2014/05/20

 韓国の映画『南営洞1985 国家暴力:22日間の記録』を鑑賞。 映画の宣伝文句は次の通りです。

1985年、軍事政権下の韓国。民主化運動の中心人物であった金槿泰(キム・グンテ)は、公安警察に不当逮捕され、22日間の壮絶な拷問を受けた。これがアメリカの人権団体を通して国内にも知られるところとなり、軍事政権への不満が噴出。87年の6・29民主化宣言への呼び水となった。  金槿泰の死去を受け、彼が残した自伝的手記を、韓国きっての社会派監督、鄭智泳が映画化したのが「南営洞1985」である。彼をモデルにした主人公、キム・ジョンテ役にパク・ウォンサン。冷血非道な拷問技師、イ・ドゥハンをイ・ギョンヨンが演じている。

 映画は苛酷な拷問シーンが続き、まるで暴力映画か恐怖映画のようでした。実話に基づいているとされているのですが、ちょっと気になる点が一つありました。

 それは公安警察側がこれはデッチ上げであることを自覚しながら冷酷な拷問を繰り返し、事件を作り上げていったとしている点です。 これはおそらくあり得ない想定でしょう。 公安警察は、韓国を共産主義から守らねばならないという使命感があり、この容疑者が正にその手先であるという確信があるからこそ、拷問してでも供述を得ようとしたはずです。 だから、本当は違うかも知れないなどと考えながら拷問したという映画での想定はリアリティがありません。

 ところで映画では、韓国の公安警察は捜査および情報収集能力が非常に劣っているという表現をしていました。 容疑者が拷問に耐えかねてどこそこで誰と出会ったという虚偽の供述をし、警察はそれを記録するのですが、実はそれはアリバイがすぐに分かるようなモノだったという場面があったのです。 ある人間を敵国のスパイではないかと捜査するなら、その人の行動パターン、接触人物、通話記録、お金の動き等々をすべて調べ尽くした上で、相当詳しい見通しを持った上で逮捕するものですが、映画ではそんな捜査をしなかったことになっています。  もしこれが事実ならば、韓国公安警察の捜査は稚拙であり、また捜査員の能力がかなり低いということになります。

 韓国には北朝鮮からのスパイ(間諜・工作員ともいいます)がかなりの数で送り込まれていたのは事実です。 しかし韓国当局がこのように稚拙な捜査と苛酷な拷問を繰り返していたとするならば、肝心のスパイに行き着くことはありません。 そもそも22日間も拷問したところで、大した情報を得られるものではないのです。 だから本物のスパイは見逃していたと言っても過言ではありません。 当局は北のスパイ組織を摘発したと発表したのですが、本当のスパイたちは腹を抱えて笑っていたことでしょう。 

 近頃の韓国では北の影響を受け、或いは北の指令を受けて行動していると思われる団体が目立ちます。 北のスパイが今なお暗躍していることを窺わせますが、こういう事態の遠因として、かつての稚拙な捜査でスパイを見逃してきたからと言えるのではないかと思います。

 韓国映画「南営洞1985」を見て、昔の私だったら、北に対する警戒があれほど厳しい韓国の捜査当局がこんな無能であるはずがないと否定していたでしょう。 しかし近頃の韓国の様相を見ると、案外その通りだったのではないだろうか、などと思うようになりました。 韓国の捜査官たちは使命感だけは高くて捜査能力が低かったから、拷問に頼ろうとしたと思えます。

コメント

_ (未記入) ― 2014/05/24 21:25

「おそらくありえない想定でしょう」という言葉自体がリアリティのない想定だと思います。「おそらくありえない」って、ただの主観ですか。根拠は現在の物差しですか。それとも当時の「日本の中の」物差しですか。韓国のその時を生きた人達がまだたくさん生きています。
「アカ」という名のもとに、人権が蹂躙されていた時代です。
tsujimotoさんはその時、韓国で生活していたのでしょうか?その時、韓国語が理解できたのでしょうか?当事者が身近にいたのでしょうか?自由を求める人がすべて「アカ」でしたか。あの時代の絶望がわかりますか。

_ (未記入) ― 2014/05/25 17:14

 本当は犯人ではないだろうと思いながら拷問するものかね。 こいつは犯人に違いないと思っているから拷問するものだろ。
 映画では、警官が真犯人ではないと知りながら拷問したとすれば、確かにリアリティがない。

_ (未記入) ― 2014/05/26 08:53

アカがその民主化運動を利用していたのは確かなのでは?
韓国の民主化運動を公正に評価するとき、その一面は見逃してはいけないと思うのですが。
もちろん、民主化を望んでた、アカでない人にも、アカとレッテルを貼って、弾圧したというケースも当然考えられますが。

_ (未記入) ― 2014/05/27 19:43

 あの時に韓国の民主化運動をしていた人は、自分が「アカ」でないことを言わなかったねえ。
 「アカ」でない証明は簡単。みんなの見ている前で、金日成の写真を破り捨てればいいだけ。
 そんなこともしないで、「私は独裁政治を終らせたいだけ」と主張しても、周囲からは「やっぱりアカなんだ」と思われる。

_ (未記入) ― 2014/05/31 18:15

韓国の民主化を指揮した人や、民主化を応援した日本の知識人や政治家のなかで、
今現在に至るまでに、民主主義とは程遠い北朝鮮の体制を、
「一度でも」批判をしたことのある人って、どれだけ居るんですかね?
印象としてはほとんどいないような気がするのですが。
その点が韓国の民主化に関わった人たちが、
胡散臭く見られ、挙句の果てには北シンパやアカとまで言われてしまう要因ではないかなと。

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