在日の古代史(3)2023/07/15

https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/07/08/9600251 の続きです。

韓国の歴史研究は宗教裁判と同じ

 李成市さんは韓国の古代史研究の状況について、次のように報告しています。

南の歴史学界では、戦前の日本の研究を否定すれば、歴史の真実が現れるといった単純化がまかり通っているところがある。 より深刻なのは、ほとんど歴史研究に対する判断能力を有するとは思えない国会を市民が動かして、研究者たちの長年の研究成果を否定し、その成果物を廃棄処分にするようなことが現実に起こっている。 そうした陰謀論に基づく古代史に対する発想が歴史研究を隘路に陥れているようなところがある。 そもそも歴史現象は複雑であって、遠く隔たった時代の価値観から素朴にその成否を決定できるものではない。 それにもかかわらず、そのような単純化が横行しているのが南北を問わず現在の歴史学界を覆っている雰囲気である。 (109頁)

 植民地時代の朝鮮史研究は、日本人研究者がリードしていました。 これには理由があって、李朝時代では朝鮮の知識人たちは中国の歴史に大きな関心があって、自国の歴史にさほど関心がなかったのです。 ですから自国の歴史研究というのは、李朝時代に停滞していました。 そして日本によって植民地化されてからようやく朝鮮史研究が始まったのですが、やはり当初は歴史研究で蓄積のある日本人研究者がリードするしかなかったのです。 そしてその歴史研究の基本は、実証主義となります。

 しかしその実証主義的歴史研究は朝鮮植民地化を正当化するものとされて、解放後の韓国でも北朝鮮でも全面否定されることになりました。 そのため歴史資料を綿密に検証してあらゆる角度から検討する実証主義よりも、まずはそれまでの日本人の研究を否定して、自らの歴史観・歴史像を打ち立てることから始まるという極めてイデオロギー的な歴史研究が跋扈するようになったのでした。 韓国の歴史の本を読んでいると、「実証主義」という言葉が否定的に使われるのに出くわして驚かされますが、それはこんな事の次第によるのです。

 実証主義から離れてイデオロギーまみれとなった歴史は単純なものとならざるを得ず、李成市さんはそのあたりの事情を「そのような単純化が横行しているのが南北を問わず現在の歴史学界を覆っている雰囲気」と言っています。

解放後の南の歴史学界では『三国史記』が民族資料として、いわば聖典化され、いわゆる初期記事は、考古学や人類学の無媒介な援用によって歴史的な事実を伝える貴重な資料であるとして重視する傾向がある。 また、戦前の日本人研究者は、実証史学という方法論によってわが国の古代史を歪曲したということをもって、歴史史料を実証的に研究するという方法論(実証主義)は植民地史学である批判が歴史学界や市民の間に広く浸透している。 (109~110頁)

(歴史研究は)史料に記された記述をまずは疑ってかかることから始めなくてはならず、1145年に編纂された『三国史記』の史料批判(吟味の手続き)は必須である。 とりわけ『三国史記』の五世紀以前の記述は極めて簡略であり、史料批判は容易ではない。 逆にそのような手続きを咎めるような学問は、研究ではなく宗教学といわなければならない。 「聖典」に対して疑いを差し挟むような者はけしからんというのであれば、中世の宗教裁判と違うところはないであろう。 (110頁)

 李成市さんは、韓国では『三国史記』が史料批判もされずに聖典化されている現状を報告しています。 「史料批判」とは結局「実証主義」と同義なのですが、これをしようとしない学問は「研究ではなく宗教学といわなければならない」「中世の宗教裁判と違うところはない」と厳しく批判しています。

おわりに

 李成市さんの結論は次のようです。

近代植民地主義のトラウマを古代史研究に持ち込むことは、学問的営みとはかけ離れた行為となる可能性がある。 トラウマが精神的な症例であるとすれば、そのような行為はあえて病的な行為としてその治療に取り組まざるを得ない。 (115頁)

 韓国の歴史研究を「トラウマが精神的な症例」「病的な行為」とは、ビックリするほどの厳しさですね。 そして李成市さんは「その治療に取り組まざるを得ない」と宣言しておられています。 ここは大いに期待するところです。 (終わり)

【古代史に関する拙稿】

在日の古代史(1)―古代渡来人と広開土王碑改竄 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/07/01/9598436 

在日の古代史(2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/07/08/9600251

『韓国・朝鮮史の系譜』(1)     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/05/02/6796822

『韓国・朝鮮史の系譜』(2)     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/05/04/6798932

『韓国・朝鮮史の系譜』(3)     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/05/07/6803186

『韓国・朝鮮史の系譜』(4)     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/05/10/6805823

『韓国・朝鮮史の系譜』(5)     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/05/13/6809067

檀君神話はお伽話       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/03/15/7590818

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