『韓国・朝鮮史の系譜』(3) ― 2013/05/07
新羅は高句麗と百済を滅ぼし、新羅・高句麗・百済の三国(=三韓)を統一したのですが、中国の唐朝からは大同江(今の平壌を流れる川)と龍興江(今の元山の北、永興を流れる川)以南の領有が公認されただけ、高句麗の領域の大半を占める以北は「渤海」という国の領域となりました。 新羅は渤海を次のように認識しました。
靺鞨の建てた異類の国であり、これを『三韓』の人々の『同胞』として意識することはなかった‥‥統一新羅の立場からいうと、高句麗の正統性を継ぐのはあくまでも新羅であって‥‥新羅の人々は渤海を高句麗の正統な継承国家とは認めず、あくまでも靺鞨人の建てた異類の国として位置付けたのである。 このように『渤海』を異類視する認識は、新羅人のみならず、その後の高麗時代の人々、および朝鮮時代の人々にもそのまま引き継がれていった。(82頁)
従って新羅は高句麗の旧領域に建てられた渤海について、次のように認識することになります。
高句麗の継承国家として認めないという認識は、逆にいえば、高句麗の旧領を靺鞨人が不当に『占拠』しているという認識につながる」(83頁)
ところで靺鞨人とは後に女真人・満州人と呼ばれる人たちです。高麗人や朝鮮人は旧高句麗領である満州地方に住んでいる靺鞨人に対する侮蔑感を持つようになります。 ところがこの靺鞨人=女真人が中国の北宋を亡ぼして「金」国を建て、高麗を服属させました。
女真人に対して伝統的に侮蔑意識をもつ高麗の人々は、しかし現実世界においては女真人の金朝に服属し、その冊封を甘んじて受けなければならなかった。この屈辱感から『金国討伐論』や『称帝建元論』などが提起され‥‥(112頁)
高麗では自分より下等と信じていた靺鞨人=女真人の「金」国を宗主国として崇めねばならないという屈辱感から、皇帝の称号を使い、独自に年号を制定して「金」国と対抗しよう(称帝建元論)とか、あるいは「金」国を倒そう(金国討伐論)とか、およそ非現実的な議論が盛行するようになりました。これは小中華思想と呼べるものでしょう。
朝鮮の小中華思想は、17世紀に「明」国を亡ぼした「清」国が朝鮮を服属させた時に、政治的・実質的には清国に従属しながらも、心の中では我こそはあんな野蛮とは違う文明人だ、我が国が文明の中心だと勝手に思い込むものです。これは400年前の話ですが、この小中華思想が実は更に500年も遡る12世紀の高麗時代にすでに芽生えていたのです。
朝鮮(韓)民族の小中華思想はかなりの歴史を持つ、非常に根深いものだということです。この小中華思想は現代の北朝鮮に受け継がれていることは、以前に論じました。
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