アクセス数の急減2013/04/04

 先月の下旬から、本ブログのアクセス数が急減しました。  理由は、どうやら下記の拙論のようです。

 【過激な言動は犯罪を生む】(3月23日)

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/03/23/6755958

 これまで拙ブログを訪問してきた人たちが、これを読んで一斉に離れた、ということのようです。

 つまり在日への民族排外主義あるいはレイシズムを有している人たちですねえ。おそらく、私のことを理解者か仲間とでも思っていたのでしょうか。

 私は、品性卑しく常軌を逸するような人たちとは一線を画したいと思っていますので、これは幸いなことです。

『言葉のなかの日韓関係』(1)2013/04/07

 徐勝・小倉紀蔵編『言葉のなかの日韓関係』(明石書店 2013年4月)を購読。

 編者の一人が「徐勝」さんですのでイデオロギー的だろうと思ったのですが、中身はまともな論文集でした。

 徐勝さんはご存じのとおり、北朝鮮に密入国して工作員となり、韓国でスパイ罪で服役しながらも非転向を貫いた人です。従って彼の考え方には北の思想が色濃くあります。もしかしたら今なお北の指令を受けているかも知れません。

 そんな方の編集した本ですが、なかなか面白かったので、少しずつ紹介します。       まずその徐勝さん。

韓流現象が起こり、日韓はズブズブの融合状態に近づいていったともいえる。‥‥根腐れしたあだ花がいつまで咲き続けるか大いに疑わしい。    (6頁)

 今日本で起きている韓流ブームについて、彼のようなイデオロギー的な人には「根腐れしたあだ花」に見えるのですねえ。少なくとも喜ばしい現象ではなく、苦々しく否定すべきものと考えているようです。

 立場は違いますが「嫌韓流」と一脈通じているようで、興味深いですね。やはり「両極端は似る」が、ここでも当てはまりそうです。

『言葉のなかの日韓関係』(2)2013/04/09

 尹東柱は韓国では「国民詩人」「抵抗詩人」として有名で、日本でも彼の詩を評価する人が多く、彼の詩集や評伝、論文がかなりあります。 この尹東柱について、小倉紀蔵さんが

尹東柱はいちども韓国人であったことはない‥‥尹東柱は韓国人ではなく、朝鮮人(チョソンサラム)なのである。 (15~16頁)

と論じているので、一体どういうことなんだろうと訝しく思いました。

 尹東柱は1917年9月に間島省(今の中国吉林省延辺朝鮮族自治州)で生まれ、1941年延禧専門学校(今の延世大学)を卒業し、1942年に日本の立教大学そして同志社大学に留学。翌1943年に独立運動をした嫌疑で逮捕・起訴され、2年の刑を言い渡され、1945年福岡刑務所で獄死。

 尹東柱はこのような経歴の詩人です。小倉さんはこの経歴から「大韓民国が誕生したのは1948年8月であるから、その前に死んだ尹東柱が大韓民国の国民であったことはいちどもない。‥‥それなのに、韓国では、尹東柱を韓国人だと思い込みすぎている」(15~16頁)  「彼(尹東柱)は大韓民国の国民ではなかった。中国で生まれ、満州国で育ち、植民地朝鮮と日本で学び、日本風の名前(平沼東柱)をもった朝鮮人であった。」(20頁)と論じました。

 さらに尹東柱の作詩になかにある、現代の韓国語辞書に出てこない言葉が、実は中国朝鮮族で今なお使われている言葉であると論じました。(16頁) つまり尹東住は朝鮮半島南部に成立した韓国ではなく、朝鮮(チョソン)の詩人だということを、強く打ち出したのです。(20頁)

 成程そういうことだったのか、と感心しました。小倉さんのこの考えは、韓国ではおそらく受け入れられないだろうと思いますが、私には新鮮なものです。

『言葉のなかの日韓関係』(3)2013/04/11

 尹東柱は「序詩」という10行ほどの詩が最も有名です。韓国の教科書に掲載されてきており、韓国人なら誰でも知っている詩です。日本では何人もの人が日本語訳をしていますが、その中で朝鮮文学研究の第一人者である大村益男さんが「最高のできだ」とする宇治郷さんの訳(156頁に掲載)を紹介します。

  死ぬ日まで天を仰ぎ   一点の恥なきことを、   葉かげにそよぐ風にも   わたしは苦しんだ。   星をうたう心で   すべて死にいくものを愛さなくては   そして わたしに与えられた道を   歩みゆかねば。

  今夜もまた 星が風にふきさらされる。

 私は、この詩は作者の生き方、つまり将来への強い希望(星)と同時に、この希望に対して揺れ動き悩み苦しむ心(葉かげにそよぐ風・星が風にふきさらされる)を詠ったものと思いました。

 ところで小倉紀蔵さんはこの本のなかで、この詩について「木の葉(葉かげ)」「風」は「はかなく、うつろいやすく」、また「星」とは「永遠に変わらず輝くもの、硬質で堅固なもの」であり、この詩が「不動で不変で永遠であると思われる星もまた、ひとひらの木の葉と同じように実は搖動しつつ風に吹かれて滅びゆくものなのだ、といっている」と論じています。(18頁)

 成程、そういう解釈ができるんだなあと感心するのですが、次に小倉さんはこの解釈に対して多くの韓国人が「強い不快感を表す」(19頁)と記しています。韓国人は「ここでいう星というのは、韓国人という民族を指しているのだ。どんな風にも揺らぐことなく耐え、抵抗する確固たる民族の魂を、尹東柱はうたっているのだ。日本によってずたずたにされてしまったが、決してこわれることのない民族の言葉、心、生というものを、星という言葉に託してうたっているのだ」と言うのです(19頁)。

 小倉さんはこのように解釈する韓国人が 「(自分の解釈が)この『序詩』に対する大韓民国的な『正答』であると威圧的かつ声高に主張」 「『道徳的正答』という暴力的な概念をふりまわして、それ以外の解釈や思考を威圧したり排除したり」(19頁)すると指摘します。そして 「(尹東柱の)言葉を特定の政治的・道徳的立場に本質化して吸収することは、詩への冒瀆」(23頁)と厳しく批判します。

 小倉さんが、「尹東柱は韓国人ではない」と強く主張するのも、このような韓国人の解釈への批判です。http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/04/09/6772455

 尹東柱の詩を素直に読めば、政治的・民族的・イデオロギー的なものはありません。しかし韓国では尹東柱は「民族的抵抗の詩人」「悲劇の詩人」であることを繰り返し教えられてきているのですから、その詩は「(日本に)抵抗する確固たる民族の魂」となるのです。

 ここは小倉さんの批判が正しいと思うのですが、おそらく韓国では受け入れられないでしょうねえ。

『言葉のなかの日韓関係』(4)2013/04/13

 小倉さんは、韓国人が尹東柱の詩について 「(自分の解釈が)この『序詩』に対する大韓民国的な『正答』であると威圧的かつ声高に主張」 「『道徳的正答』という暴力的な概念をふりまわして、それ以外の解釈や思考を威圧したり排除したり」(19頁)すると指摘し、 「(尹東柱の)言葉を特定の政治的・道徳的立場に本質化して吸収することは、詩への冒瀆」(23頁)と厳しく批判しました。http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/04/11/6774088

 韓国人がそのように解釈するのは、「そもそも学校の国語の時間にそのように教えられているので、ほかの解釈は排除されてしまう」(19頁)からです。

 ところで韓国では詩というものに対して日本とは違う考え方を持っていることを、この『言葉のなかの日韓関係』のなかにある金貞禮「なぜ韓国人はハイクに魅かれるのか」という論文が論じています。金貞禮さんは日本の俳句と韓国の詩を比較して、次のように記しています。

(俳句が)ひたすら『今ここ』に咲いた花やさえずる鳥たち、向こうの山を越えていく雲を、それほどまでに繊細に描く詩歌が、この世にあることが驚きだった。‥‥‥何故、このように単純で、時代状況と無関係な詩歌が、これほどまでに多くの人々から愛されているのか。‥‥‥潜水艦に酸素が足りなければ、いちばん先に気づいて鳴くカナリア、その鳥の鳴き声が船の中の人々を目覚めさせるように、詩人とは時代の空気の中に酸素が足りないとき、その状況を詩によまなければならない。まさに詩人とはそうあるべきだと固く信じていた私にとって、俳句の中の花と木々はあまりにもなじみのないものであった。俳句は、イデオロギー志向的で、詩と詩人の社会的責任が強調される、韓国の詩の存在様相からは遥かに遠い対極点にあったのだ。」(183~184頁)

 韓国では、詩というのは「イデオロギー志向的で、詩と詩人の社会的責任が強調される」のです。これを読んで、ああ成程そうだったのかと思いました。韓国ではどんな文学作品であっても、すべからく社会的意味を持たなければならないような論調があり、私には花鳥風月あるいは人間の喜びや苦悩を描いた作品はそのまま素直に読めばいいものなのに、どうして社会的主張が込められているはずだとして読み込もうとするのか?と違和感を持つことが多かったのですが、そういうことだったのかと納得した次第。

 植民地時代(日帝強占期)の朝鮮人文学には優れたものも多いのですが、今の韓国では親日派=民族の裏切り者の作品として読んではならぬとタブー視されるのは、こういう事情があるからなんでしょうねえ。

 逆に尹東柱が韓国で高く評価されるのは、その詩が優れていることだけでなく、彼が第二次大戦中に日本の官憲に逮捕されて、日本の敗戦=朝鮮の解放前に若くして獄死し、解放後の民族対立に巻き込まれなかったという経歴からなのでしょう。この経歴のゆえに「民族抵抗の詩人」「悲劇の詩人」「純粋な抒情の詩人」「端正」「けがれのない」「清潔」「知的」というような、歯の浮くような賛辞が連なるわけですねえ。

『言葉のなかの日韓関係』(5)2013/04/14

 朝鮮学校における教育については、反日教育ばかりがクローズアップされていて、朝鮮語教育がどうなっているのかについてはそれ程知られていないし、私もよく分からなかったのですが、この『言葉のなかの日韓関係』に収録されている、宋基燦「在日朝鮮人の朝鮮語教育、その実態と意味」という論文で、成程そういうことだろうなあと新たな知識を得ることができました。論者は韓国出身でありながら、実際に朝鮮学校に出かけて取材した上で論じているので、なかなか説得力のある論文です。

 朝鮮学校で使われる朝鮮語というのは、本国で使われる言葉とは違ってきていて、「在日朝鮮語」と言うべきものです。 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/05/13/6444331

 在日朝鮮人社会では、朝鮮語は日常的な社会生活ではほとんど使われないのですが、総聯機関や朝鮮学校という限られた場所では朝鮮語が日常的に使われています。このような在日の言語状況について、宋基燦さんは次のように論じます。

総聯組織と朝鮮学校では、在日朝鮮人社会の中で公式言語として朝鮮語が日常的に使われる唯一の場所だといえる。朝鮮学校での授業は、日本語の授業を除き、すべて朝鮮語で行われる。日本語を母語としている二世から朝鮮語を学んだ三世の教師が、四世の生徒を教えている光景は、朝鮮学校でのみ見ることができる。朝鮮語を教える先生、学んでいる生徒、いずれも朝鮮語を母語とはしていない。したがって彼らの間の朝鮮語使用には第一言語として日本語の影響が大きく現れる。また、母語が日本語であるために、総聯組織と朝鮮学校でも公式的場面ではない場合、会話は日本語で行われる。それは、総聯の専従職員も例外ではない。彼らも家庭に帰れば、みな日本語を使用しているのである。 (55~56頁)

日本語が母語でありながら、学校では毎日朝鮮語を使っているのですから、朝鮮語教育という点に限ればかなりの成果を収めています。しかし学校が北朝鮮系であることから、開放性あるいは国際性という観点から見るとかなりの問題を抱えることになります。

政治的に北朝鮮を支持している総聯組織と朝鮮学校は、教科書編纂や修学旅行などの事業を通じて北朝鮮と密接につながりを維持している。しかし北朝鮮と日本の間に国交がないため、総聯系在日朝鮮人といっても北朝鮮と日常的に接することができるわけではない。北朝鮮を支持するということは、韓国と韓国から来た人々との交流を難しくさせることを意味し、このような環境は総聯組織と朝鮮学校の言語生活が朝鮮語を母語とする集団として孤立したまま、独自の発達を促す主要因となった。‥‥‥北朝鮮を支持する政治的な姿勢は現実的に総聯系在日朝鮮人たちの共同体を一種の『社会的孤島』へと変換させた。また、このことは朝鮮語を母語とする他集団との接触を制限し、総聯系在日朝鮮人の世界に、独特の形態の朝鮮語使用を成立させていった。 (62~63頁)

 朝鮮学校の朝鮮語はこのように閉鎖的なものになっており、そのために独特な言葉となってきているのです。そして宋基燦さんはこのような朝鮮語について、次のように分析しています。

「彼ら(在日朝鮮人)にとって朝鮮語の使用は『民族意識』の表明である。すなわち、彼らにとって朝鮮語は単なるコミュニケーション・ツールではなく、エスニック・アイデンティティを表出する手段なのである。(54頁)」 「在日朝鮮人の朝鮮語学習と使用は、その実用性よりアイデンティティ・ポリティクスとして機能している。(73頁)」

 つまり在日朝鮮人にとって朝鮮語は民族意識の確認に役に立っているが、学校で習得した朝鮮語が日本で営まれる実際の社会生活では役に立っていないということです。

 ここ10年前から続いている韓流ブームで韓国語を学ぶ日本人が急増しました。これによって韓国語を教えることを職業にできるという、それまででは信じられないような時代になりました。これは朝鮮学校で朝鮮語を学んできた者にもチャンスなのですが、彼らはこのチャンスを生かすことができないでいるようです。或いは韓流ブームに生かすことができないような朝鮮語を教えられてきたと言うこともできるようです。

『言葉のなかの日韓関係』(6)2013/04/17

 宋基燦さんは「在日朝鮮人の朝鮮語教育、その実態と意味」という論文で、日本語を母語とする在日朝鮮人生徒たちが朝鮮学校で朝鮮語を使っていることについて、「英会話教室で同じ母語の受講者同士で、英語の会話をさせられるときがある。その時のぎこちなさと、朝鮮学校の日常言語実践における演劇性とは連関している」(70頁)と論じています。つまり朝鮮学校における朝鮮語の使用は「演劇」なのです。 彼は朝鮮学校で行われた焼肉パーティに参加して、その時に交された学校関係者の朝鮮語会話の経験を次のように記しています。

焼肉パーティに参加した人々が、楽しく飲み食いしながら交す談話に、彼らの母語である日本語ではなく朝鮮語を使うためには、まず参加者にある程度以上の朝鮮語能力が必要なのである。パーティに集まった人々は朝鮮学校の先生や職員、地域の朝鮮青年同盟など、みな朝鮮学校出身であるために、朝鮮語の会話『演劇』が可能になったのだが、彼らのこのような朝鮮語能力は、決して一夜にしてなったものではなく、日々の参加と実践によって身体化したものなのである。    朝鮮学校で行われている日常的実践を『演劇的』と把握すると、反省会のときに激しく批判し合ったりしながらも、仲の良い友達関係が維持されることや、生徒たちが校門を出るや否や即座に日本語使用モードに切り替えることなどの、彼らの一見『奇妙な』行動を理解することができる。あくまで俳優として舞台の上で互いに敵を演じただけだから、舞台の裏で憎み合うことはないし、舞台を下りてからも演技し続ける必要はない。(70~71頁)

 「演劇」だから悪いということではありません。外国語教育にはこのような「演劇」が必要です。しかし朝鮮学校は在日朝鮮人にとって、本来は自分たちの言葉を学ぶ場であって、外国語を勉強する所ではないはずです。にもかかわらず朝鮮学校における朝鮮語教育は、一般の外国語教育と同様に「演劇」となっているということです。つまり朝鮮語は自分の民族語なのに、外国語として学んでいるのです。ここが本国の韓国・朝鮮人や中国の朝鮮族との大きな違いになります。 宋さんは更に次のように記します。

『演劇的』といっても、朝鮮学校における日常的実践と違う点は、生徒の実在性にある。生徒たちは朝鮮学校のなかで『演技』をしながら学習し、人間関係を築き、笑い、泣き、感じ、成長していく。朝鮮学校は舞台の上の仮想の世界ではなく、手でさわることのできる『リアリティ』に満ちた生の空間でもある。だからこそ、その空間のなかで『演劇的』に学習された朝鮮語能力も実在性と実用性を備えているのである。(71頁)‥‥‥朝鮮学校の生徒たちにとって、朝鮮語によって構築される朝鮮学校の公的領域の生活は仮想現実ではない。それは、私的領域として日本社会という世界が実在することと同様にリアルなのである。したがって、朝鮮学校の生徒が自由に往来可能な2つの世界においてそれぞれパフォーマンスを行なうとき、行為主体として生成されるアイデンティティの正当性は、『舞台』の実在によって保証される。(73~74頁)

 朝鮮学校の生徒は、「朝鮮語によって構築される朝鮮学校の公的領域の生活」と「(日本語によって構築される)私的領域として日本社会という世界」との二つの間を「自由に往来」しているのですが、それは朝鮮語を使う朝鮮学校が「演劇」をする「舞台」であるからなのです。

『言葉のなかの日韓関係』(7)2013/04/21

 金貞禮「なぜ韓国人はハイクに魅かれるのか」によれば、韓国では俳句が最近になって評価されてきているようです。それ以前の状況については、金貞禮は次のように分析しています。

一般的に韓国人が考える「詩」とは、詩人の「志」がよみこまれるものであって、イメージだけのこのような詩(俳句)にはあまり共感できなかった‥‥とくに、自分の「志」をよみこむのにはあまりにも短い17音節の定型詩で、どこか型にはまったような音数律だけのこの詩型の堅固さに抵抗感があった‥‥それにその詩型が「日本を代表する伝統詩」となると、抵抗感は増すばかりであった‥‥しかしながら、近代を代表する英米詩人の目というプリズムを通して、一種の純化過程を通過して韓国に入ってきたとき、俳句はどこか奥深い、神秘的な詩になったのでないか。 (188頁)

 日本の俳句は、韓国人は植民地時代に当然に接していたはずですが、それを通しては俳句に共感することができず、英米を通してようやく共感できるようになったということです。なるほど、日本から直接ではなく、先進国と考えられた英米で評価されているから、そこを通して入ってきたというのは、十分にあり得ることでしょう。

 韓国人は日本の文化に対して優越感を持とうとするのか、かなり低く評価する傾向があります。時には露骨な侮辱の言葉も投げ掛けることもあります。そんな風潮を持つ韓国人に日本文化を理解してもらう方法として、英米での評価事例を提示するのがいいのかも知れません。

 金貞禮は韓国で俳句が評価されるようになった理由として、もう一つ韓国社会自体の変化を挙げます。

韓国社会の変化、いわば1980年代までの巨大言説が政治の民主化とともに変化を遂げてきたこととの関係も指摘できよう。たとえば、1990年代の初頭、日航財が主催する「世界こども ハイク コンテスト」の審査委員であった佐藤和夫先生から「韓国の子どもたちの俳句はスローガンみたいでおもしろくない」と言われたことがある。どういうことかと聞き返すと、韓国の子どもが作った俳句には「親には孝行、国に忠誠、火の用心」のように自分の思いがたっぷり入っていて「叙情性が足りない」ということであった。私は思わず納得してしまった。そもそも韓国では「詩」というのはそういうものであったからである。花鳥風月ばかりよむのは、吟風弄月といって排斥された。いつも世間に向かって目を大きく開け、自分で洞察したことを言葉で表現し、大衆を悟らせることが、長い間、韓国で詩人と詩に担わされた使命であった。私はコンテストの審査員としてスローガンぽいハングル ハイクをよみながら、いかにも韓国の子どもらしいと思ったのであった。このような現象は、当時の大学講義室でもあまり変わりはなかった。大学生たちも自分の意見を言葉でいわないで、「もの」だけを並べたり「叙景」ばかりで描くようなハイクに、あまり興味を示さなかったのである。  それから20年ほど過ぎた今、韓国の大学講義室で東アジアの定型詩のなかでもっとも人気があるのがハイクのようだ。 ‥‥遡っていけば、あの昔、連歌へ向かって俳句がやっていたことを、今の韓国の若者は、日本の俳句に向かってやっているのだ。彼らは、軽くなおかつ明るく楽しく、お隣の詩型を持って話しかけているのである。(198~199頁)

 韓国では今ようやく、若者のなかで日本の文化を素直に共感できるようになってきているようです。このような動きがもっと広く大きくなればいいと思います。

アジビラのような‥‥2013/04/26

 20年以上も前の話ですが、職場にアルバイトに来ていた学生さん、卒論で安保条約について書こうと思っているのだが、関連の本があれば貸してほしいと言ってきました。

 「それで、安保条約の条文は全部読んだの?」

 「いいえ、読んでいません。私は安保に反対なので、そういった本がほしいのですが‥‥」

 「安保に反対するにしろ、まずは安保条約の条文をすべて読まなくてはならないよ。1960年に改定されているので、改定前のものと比べることも必要だ。」

 「そんなことより、安保に反対する本を読みたいのですが‥‥」

 「そんな本は後回しにしなくては‥‥。それから公的資料、具体的には国会議事録で安保条約に関する議論をすべて探して読むこと。そこには反対する立場からの意見が出ている。国会という公的な場所で、どのような議論がなされているのかが一番大事だよ。そういう公的な場所での議論が、実際の世の中を動かしているのだから。」

 こんなやり取りをしました。学校の授業や周りの友人たちを通して、安保に反対する考えを持つようになったらしいのですが、そういった本をちゃんと読んだことがないとのことでした。反対するにせよ、安保に関心を持つこと自体はいいことなのですが、自分の考えに合う資料ばかりを探そうとするところに違和感を持ちました。これでは論文ではなく、アジビラと同じになってしまいます。

 ところで近頃はアジビラを見なくなりました。代わりに登場しているのがインターネットです。インターネット情報は、情報量は多いですがアジビラと同質のものが多いです。特定の思想にはまり込むと、自分の意見に合う情報のみを探し求めて、アジビラのようなものばかり読むようになり、自分もアジビラのような低質の意見を書くようになります。

 これは右も左も変わらないですね。 

 本ブログでも、このようなコメントがかなり舞い込んでいます。低質なものは公開していません。