アジビラのような‥‥ ― 2013/04/26
20年以上も前の話ですが、職場にアルバイトに来ていた学生さん、卒論で安保条約について書こうと思っているのだが、関連の本があれば貸してほしいと言ってきました。
「それで、安保条約の条文は全部読んだの?」
「いいえ、読んでいません。私は安保に反対なので、そういった本がほしいのですが‥‥」
「安保に反対するにしろ、まずは安保条約の条文をすべて読まなくてはならないよ。1960年に改定されているので、改定前のものと比べることも必要だ。」
「そんなことより、安保に反対する本を読みたいのですが‥‥」
「そんな本は後回しにしなくては‥‥。それから公的資料、具体的には国会議事録で安保条約に関する議論をすべて探して読むこと。そこには反対する立場からの意見が出ている。国会という公的な場所で、どのような議論がなされているのかが一番大事だよ。そういう公的な場所での議論が、実際の世の中を動かしているのだから。」
こんなやり取りをしました。学校の授業や周りの友人たちを通して、安保に反対する考えを持つようになったらしいのですが、そういった本をちゃんと読んだことがないとのことでした。反対するにせよ、安保に関心を持つこと自体はいいことなのですが、自分の考えに合う資料ばかりを探そうとするところに違和感を持ちました。これでは論文ではなく、アジビラと同じになってしまいます。
ところで近頃はアジビラを見なくなりました。代わりに登場しているのがインターネットです。インターネット情報は、情報量は多いですがアジビラと同質のものが多いです。特定の思想にはまり込むと、自分の意見に合う情報のみを探し求めて、アジビラのようなものばかり読むようになり、自分もアジビラのような低質の意見を書くようになります。
これは右も左も変わらないですね。
本ブログでも、このようなコメントがかなり舞い込んでいます。低質なものは公開していません。
コメント
_ 70年代生まれ ― 2013/05/01 16:01
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このような情報が溢れる社会で必要なのは、個人がきちんと情報リテラシーを持つということだと思います。情報リテラシーは知識ではなく、スキルです。実際に情報に接した際に、この情報は1次情報なのか、誰かの主観が入った編集物なのか、根拠のない単なる意見なのか等を判断できるか否かです。こういうスキルは経験が大事で、沢山の情報に接している人はスキルアップできているし、テレビしか見ないような人はできていないような印象を持ちます。
実際、私も仕事で中韓関係を担当するまで、中韓に特に興味は無く、日本は戦争で中韓に酷いことをしてきたんだから、中韓の関係者と戦争の話になったらきちんと謝らなきゃいけないと結構真剣に考え(テレビとかで歴史を知らずに単に謝っても不誠実だとか批判があったので)、ネットで調べてみたら、テレビや新聞で言われていることとちょっと違うぞ!と気づきました。こちらのブログも私の覚醒に大きな力を与えてくれました。本当に感謝の気持ちで一杯です。幸か不幸か、この中韓に関する情報および私の意見を中韓の関係者に話す機会は一切ありませんでした。
話が脱線しましたが、温室育ちでは情報リテラシーを有する人間は育たないということを実感した次第です。インターネットの荒波に揉まれる必要はあると思います(実社会で左右の思想家の意見を直接聞くより簡単で安全ですし)。もちろん、貴ブログのコメント欄に投稿される低質の意見を非公開にするのは、貴殿の当然の権利です。
長文失礼しました。