檀君神話はお伽話 ― 2015/03/15
韓国の古代史を読んでいつも違和感を持つのが「韓民族五千年の歴史」です。 これは、韓(朝鮮)民族の歴史は熊から生まれた「檀君」が創始した「古朝鮮」から始まるとするものです。この「檀君朝鮮」の建国が紀元前2333年とされていますから今から4千数百年前、大雑把に数えて5千年間の民族の歴史となるわけです。
この檀君神話は、13世紀の高麗の時代に一然という僧侶が作った私選の歴史書『三国遺事』のなかに初めて出てくるもので、それ以前の史料には全く出て来ないものです。 官選書(正史)である『三国史記』(12世紀)にもなく、中国・日本の史料にもなく、好太王碑文等の金石資料にもないのです。 おそらく当時の高麗国内の民間に伝承されてきたお伽話と見ていいでしょう。
檀君神話が記録されたのが13世紀ですから、檀君の時期とされる紀元前2333年から3千5百年も経っています。 その間に箕子朝鮮、衛氏朝鮮、楽浪郡、濊、沃沮、馬韓、弁韓、辰韓、加羅、高句麗、百済、新羅、耽羅等々と多くの国が興っては滅んでいます。 このうち高句麗、百済、新羅、加羅、耽羅(済州)の建国神話資料が残っています。 それによれば、高句麗を建国したのは卵から生まれた朱蒙であり、百済を建国したのはこの朱蒙の子供である温祚であり、新羅を建国したのは卵から生まれた赫居世です。 加羅でも卵から生まれた首露が王となっています。 これらの建国神話は卵から生まれた人物あるいはその子供が建国したという‘卵生神話’で共通しますが、中身はそれぞれ互いに違うものです。 また耽羅は三姓神が日本から来た女性と結婚して建国したという神話です。
以上のように古い資料で確認できる建国神話には様々がありますが、すべてに共通するのは‘熊から生まれた’檀君神話とは何の関係もないということです。 だから高句麗の人々は自分たちが朱蒙の子孫であることを自覚し、同じく百済は温祚、新羅は赫居世、加羅は首露、耽等(済州)は三姓神の子孫であることを自覚していたでしょうが、檀君の子孫であるという考えは全くなかったと言えます。
ところが13世紀の檀君神話というのはこれらの国々を飛び越して、いきなり3千5百年前に檀君が国を作ったという話になるもので、その間の長い年月を語り続けられてきた伝承とは全く関係がないということです。 檀君神話というのは13世紀の高麗人の間ではこういう昔話が飛び交っていたという史料になるだけで、それ以上のものではないのです。
しかし韓国ではこの檀君神話を中世の高麗史のなかではなく、古代史の最初に所に置いて史実のように扱い、「韓民族5千年の歴史」を誇示します。 韓国ではプロの歴史研究者までもがこんな「歴史」を大真面目で語り、国立博物館の概説書にも記載しています。 檀君神話はそれまでの高句麗や新羅などの諸国家とは全く断絶しており、比較的新しいお伽話に相当するものとだいうことが理解されていればいいのですが‥‥。
また不思議なのは、日本では神武建国神話はウソだから教えるなと主張する研究者・教師たちが、韓国の檀君神話にはダンマリを決め込んで日韓友好を唱えていることです。 神武東遷神話は九州から畿内へ政権移動したことを示す可能性があって多少はリアリティがありますが、熊から生まれた檀君神話はリアリティの全くないお話です。
【拙稿参照】
韓国・朝鮮の民族の歴史は新しい http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/11/20/5521495
コメント
_ honda ― 2015/03/16 12:09
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史学・考古学・比較神話学等から見た檀君神話の立ち位置については、下記の記事がまとまっています。
「朝鮮神話研究の最前線--檀君神話を中心として」 « 松原研究室
http://matsu.rcks.kyushu-u.ac.jp/lab/?page_id=323
発展の段階説は別にして、次の指摘が壇君の現状を象徴しています。
「しかしながら興味深いことに、古朝鮮建国の始祖檀君が実在するにせよしないにせよ、韓国と北朝鮮に共通するのは、国家としての檀君朝鮮が実在したとして疑わないことであり、それを否定したのは日帝植民史学者たちだけであり、「歴史歪曲」の結果であった、というのである。観点を変えると、こうした大合唱によって、残念ながら、檀君神話の研究には一種の<聖域>が設定されるわけである。」
安重根や李舜臣も同様の構造ですが、民族統合の象徴として利用されていると、その整合性すら疑うことが出来なくなってしまう。これは、彼らの大嫌いな戦前の日本の国家神道と同様で、相変わらずダブルスタンダードを愛する社会だなあという感じです。