日韓歴史共同研究委員会の回想―北岡伸一と木村幹 ― 2024/05/18
http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/05/11/9683297 の続きです。
同じテーブルに着かなければ、日韓それぞれのナショナリストが、それぞれの国の新聞や雑誌で気勢をあげるだけで、両国関係はますます悪くなる。 特に日本にとって隣国・韓国との関係悪化は外交全般の阻害要因になる。 同じテーブルに着きさえすれば、お互い学者としての学術マナーは心得ているから、あまり極端なことは言えない。 相手の見解を直接、見聞きする機会を得て、さらに知りたい気持ちになるかも知れない。 こうした歴史共同研究について、成果がなかったと言う人は、ナショナリズムの激しさと危うさ、そしてこれに一定の枠をはめうる学問の力が全くわかっていない人である。 (193頁)
当時の日韓間では、両論併記というか、お互いの立場を言い合うくらいがせいぜいだと思っていた。 まずは議論のこうした枠組みが大事なのである。 ‥‥ 相手の非を声高に批判するのではなく、自らの立場を静かに守り、説く態度が望ましいと思っている。 (193頁)
歴史研究はナショナリズムと結びつきやすいので、「相手の非を声高に批判するのではなく、自らの立場を静かに守り、説く態度が望ましい」は、日韓歴史共同研究に臨む姿勢として正しいですね。 ただ韓国側がそれを理解し、その姿勢を維持したのか疑問ですが。 結局は、歴史共同研究は両論併記で終わったようです。
その後に開かれた第2期の歴史共同研究に私は参加していないが、残念ながらうまくいかなかったらしい。 その最大の理由は、教科書問題を取り上げたことだと私は考えている。 韓国の教科書は「国定」(当時)、日本は民間会社が編集した教科書の内容を文部科学省が検定するという違いがあって、教科書の役割についての相互理解が難しい。 教科書問題を取り上げればあらゆる論点について相手を批判し合い、パンドラの箱を開けることになると予想していた。 (193頁)
北岡さんは共同研究の教科書小グループには加わらなかったですが、これに参加した木村幹さんが『韓国愛憎』という本の中で触れています。 共同研究で教科書問題がどのように扱われたか、この本から引用・紹介します。
第二期日韓共同歴史研究の委員は、その多くが日韓両国の歴史意識を代弁する傾向を強くし、勢い各委員会の議論も対立的なものとならざるを得なかった。 全体会合でも。両者は明らかに警戒し、ピリピリとした雰囲気が流れていた。 この緊張感のなか、私が委員として所属していた教科書小グループは、歴史教科書の記述を検討するために新たに設置され、その議論が両国教科書の歴史記述に反映される可能性のあるものとして、メディアでも注目を集めていた。 (木村幹『韓国愛憎』中公新書 2022年1月 106頁)
会議の雰囲気は回数を重ねるごとに険悪なものとなっていった。 とりわけ日本側「教科書小グループ」の代表だった古田(博司)先生の発言に対する韓国側委員の反発は強かった。 ついには2009年11月17日、ソウルで行われた13回目の会合で、韓国側の委員たちが、ボイコットを表明する事態にまで発展した。 彼らは「前近代の朝鮮半島には染色の技術はなかった」などといった発言を繰り返し行なう古田先生の謝罪なくしては、会議に応じることはできないと主張したのだ。
結局、この問題は、日本側があらかじめ用意し、韓国側の了承を取り付けた「遺憾の意」を示す文章を古田先生が読み上げることで、「とりあえず」解決したが、その後も韓国側には日本側に対する不信感が残り続けた。 不満を持ったのは古田先生も同様であり、彼はこの事件後、会議には参加しなくなった。 (以上 木村幹『韓国愛憎』107~108頁)
古田博司さんはかつて嫌韓雑誌などによく投稿されていましたが、最近はとんと見なくなりましたねえ。 古田さんは18年前ですが、ある雑誌の座談会で韓国の歴史研究について語ったことがあります。 拙HPでも取り上げたことがありますので、お読みいただければ幸甚。 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daikyuujuuichidai
第二期日韓歴史共同研究への参加で実感したのは、日韓の研究者の歴史に対する姿勢の相違だった。
日本の研究者は、歴史学者が大半を占めたこともあり、歴史事実に対して詳細かつ専門的に議論する一方で、その事実がいかに評価されるべきかについては、よく言えば無頓着、悪く言えば乱暴に議論する傾向があった。
対して韓国の研究者は、個々の歴史的事実の詳細よりも、それがどのように評価されるべきかについて関心を向ける傾向が強く、歴史的事実の詳細については、時に無頓着、あるいは乱暴に対処することがあった。
そして重要なのは、両国の歴史学者たちが自らの歴史研究のあり方こそが「唯一正しい」、つまりあるべき歴史学の姿だと固く信じているように見えたことだった。 こうして私は日韓歴史共同研究でも‥‥何が「正しい」学問であるかにこだわり、これにアイデンティティを見出す人々の間に置かれて疲弊することになった。 ただ粛々と研究を進めればいいのに、皆、どうして「正しい」学問が何であるのかにこだわるのだろう、と思わざるを得なかった。
この第二期日韓共同歴史研究は、五回の合同会議、六〇回に及ぶ各分科会・グループの会合を経て2009年11月に終了した。 日韓の研究者の議論は最後までまったく噛み合わず、2010年3月、両論併記の報告書だけが発表された。 (以上 『韓国愛憎』113~114頁)
日本の歴史研究は、歴史というのは歴史事実の積み重ねだから、歴史資料の緻密な検証する〝実証研究″こそが一番大事なのだ、という考えですね。 対して韓国の歴史研究は、あるべき歴史像があり、それを明らかにするために歴史資料を検証するものだ、ということになります。 ですから日本側からは韓国は実証を軽視しているという批判になり、韓国側からは日本は歴史の評価なくして実証ばかり言っているという批判になるのですねえ。
拙HPでは http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daijuurokudai で日韓の歴史研究の姿勢の違いについて論じたことがあります。 また拙ブログ http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/01/04/7176749 で共同研究の韓国側であった鄭在貞さんについて論じました。 お読みいただければ幸甚。 (終わり)
【古田博司さんの著作に関する拙稿】
『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/03/15/7245000
『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/03/19/7248342
『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(3) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/03/21/7250136
『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(4) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/03/26/7254093
『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(5) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/03/29/7261186
『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(6) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/04/01/7263575
『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(7) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/04/05/7266767
『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(8) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/04/09/7270572
『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(9)http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/04/14/7274402
『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(10)http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/04/20/7289374
朝鮮研究の将来は危機的-古田博司 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/12/23/7145744
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