日本統治下の朝鮮は植民地だったのか(1)2022/04/06

 日本は朝鮮を植民地としていない、と主張する人がいます。 私が「植民地時代の朝鮮」と書けば、そのような反応をする人が少なからずいました。 そこで「植民地」についてうまく説明しているものはないかと探していたところ、木村幹『誤解しないための日韓関係講義』(PHP新書 2022年3月)の中に解説がありましたので、紹介します。

日本の朝鮮半島や台湾における支配は、植民地支配ではなかった、という主張がある。 例えばある人たちは、日本の植民地支配下において、一定の経済発展があったことを以て、その支配が植民地支配ではなかった、と主張する。 また他のある人たちは、朝鮮半島や台湾の人々に教育が与えられ、大学が建設されたことを以て、やはり日本の支配は植民地支配とは言えない、と力説する。 そこで強調されるのは、例えば、イギリスのインド支配や、オランダのインドネシア支配などとの相違である。(66頁)

植民地とは何であるかから考えてみよう。 最初に重要なのは、歴史上に登場する「植民地」には実に様々なものがある、ということである。 日本語の「植民地」という語は、英語のcolonyをはじめとする西洋諸語からの翻訳語であり、これらの西洋諸語の語源はラテン語のcoloniaにある(67頁)

日本が朝鮮半島を支配していた時期の日本人は、「植民地」についてどのように理解していたのだろうか。 当時の植民地問題の「専門家」「植民地政策学」研究者である京都帝国大学教授であった山本美越乃は‥‥ 植民地とは、法律上、本来の国土つまり本土から明確に区別され、異なる法律によって支配されている土地だ、ということである。‥‥ そしてそれは当然だった。 時代はすでに20世紀、植民地を有する列強はいずれも、程度の差こそあれ、近代的な法的枠組みを以て統治を行なっていた時代だったからである。(69~70頁)

重要なのは、植民地とは定義上「場所」だということであり、これと区別される「本国」とどう異なっていたかである。‥‥ その「場所」が本国と異なる状態に置かれているとしたならば、近代的な法的枠組みを持つ国家においてその理由は一つしかない。 それは「場所」に本国と異なる法律が適用されているからである。‥‥ 例えば、その「場所」に住む人々が国政に参与することができないような状況に置かれているとするならば、その理由はその「場所」における法律、例えば憲法や選挙法の適用状況が、本国と異なるからである。(70~71頁)

植民地を本国と分ける基準は、どのような法律が適用されているかであり、また適用されている法律を見れば、その「場所」が植民地か否かがわかることになる。(71頁)

 「植民地」は、その言葉の中に「地」という漢字がある通りに「場所」を指します。 それは、同じ国家領土内で本国とは違う法体系で統治される「場所」なのです。 そしてそこには経済的な「搾取」「収奪」は関係がないことを強調しておかねばなりません。

 例えば香港は1999年まではイギリスの植民地でしたが、1960年代から経済が発展し、90年代までには一人当たりのGNPが本国よりも高くなりました。 つまり本国の人間よりも植民地の人間の方が経済的に豊かになっていたのです。 「搾取」「収奪」された哀れな植民地ではありません。 それでも香港はロンドンの議会で制定される法律を適用されず、本国より任命される総督によって統治されていましたから、「植民地」と言うしかありません。 

 ところで日本が統治した朝鮮は、当初より最後まで日本本国から大きな財政援助を受けていました。 つまり赤字経営で日本側からの持ち出しばかりだったのですから、「搾取」「収奪」がなかったと言うことは可能です。 しかしだからと言って、朝鮮は「植民地」ではないと主張する人がいるのにはビックリです。

 朝鮮における行政最高権力者は日本首相ではなく朝鮮総督であり、東京の帝国議会で成立した法律は朝鮮には適用されず、朝鮮からは議会に代表を送ることが出来ず‥‥、正に「植民地」なのです。

(1930年代までの日本本国では)大蔵省においては、朝鮮総督府や台湾総督府、さらには樺太庁などの予算は一括して「植民地特別会計」という名のカテゴリーにまとめられており、これに勤務する官僚も「植民地」官僚と呼ばれていた。 施行される法令は「植民地」法令という形で一括され、整理されることとなっていた。 内務省はこれらの地域について『植民地要覧』あるいは『植民地便覧』を毎年発行し、朝鮮総督や台湾総督は、関東州長官と並んで「植民地長官」と呼ばれ、日本政府は‥これらを集めた「植民地長官会議」をも定期的に開催 (73~74頁)

 このように朝鮮において「植民地」は、当初はごく普通に使われていました。 ところが1930年代になって、「植民地」の代わりに「外地」という語が使われるようになります。

朝鮮半島や台湾に対して当たり前に使われていた「植民地」という表現が、突如として使われないようになり、代わりに「外地」が使われるようになった経緯については、実は日本政府自身による説明が存在する。 外務省条約局が1957年に出版した『外地法令制度の概要』によれば、その経緯は以下のようなものになっている(74~75頁)

外地なる呼称が情報されるにいたったのはそれ程古いことではなく、25年前の昭和4年(1929)、拓務省が設置された頃からであって、拓務省の前身で規模の小さな拓務局時代には殖民地あるいは植民地なる名称をもって海外領域あるいは異法域の代称とした。 ‥‥ 枢密院の審議に上程されたところ、拓殖は拓地植民を意味し‥統治上面白くない節があるとの理由で‥当然の帰結としてその所管地域についても使い慣らされた植民地なる称呼に替え、外地という名が慣用されるにいたったのである。(75頁)

つまりは、1930年代に入ってからの「植民地」から「外地」への用語の変容は、「統治上面白くない節がある」という極めて国内的なそして政治的な理由によるものであり、何かしらの統治の実態の変化を伴ったものではなかったのである。(76頁)

 1930年頃から「植民地」という言葉にはマイナスイメージが付くようになって「統治上面白くない」から、「植民地」を使わないようにした、ということです。 要は単なる言葉の言い換えでしかなかったのです。

 それがいつの間にか「日本は朝鮮を植民地にしたのではない」という主張になってしまったと考えられます。 言葉を言い換えても、植民地として中身は変わらなかったのですがねえ。

例えば、日本による朝鮮半島や台湾に対する支配の特殊性を、その支配下において大きく人口が増えた点に置く人たちがいる。 そこでは人口増加は、即ち、経済発展や衛生状況の好転の証であり、だから同じ現象がなかった欧米諸国の植民地支配とは異なるものだ、というのである。(80頁)

確かに、日本統治下の朝鮮半島や台湾で人口が増えたのは事実である。 それでは欧米諸国の統治下にあった植民地では人口が増えなかったのか。‥‥ 明らかなのは、程度の差は大きく異なるとはいえ、19世紀以降、欧米諸国の支配下に置かれた多くの地域でも、ほぼ等しく急速な人口増加が見られたことである。(81頁)

背景に存在したのは、西洋列強における資本主義と民主主義の発展であった。‥そこには本国の人々が自らの経済的利益のために、植民地経済の活性化を望む状況が存在し、だからこそ民主主義が根付き始めていた西欧各国政府は、有権者の期待に応えて、植民地への積極的な投資を行なった。 結果、この時期の各植民地では本国による「上からの」経済的刺激により、経済が活性化し、それにより人口も増加することになったのである。(81~82頁)

 要するに、19世紀末~20世紀前半に全世界的な資本主義の発展により、世界の植民地の経済も発展し人口も増えたのです。 植民地はそれまで資源略奪的経営だったものが、この時に開発投資して経済発展を図る経営へと変わったのです。 日本の朝鮮や台湾を植民地にしたのは、まさにこの時期に相当します。 日本の朝鮮・台湾は欧米諸国の植民地と歩調を合わせていたのですから、“欧米の植民地とは違う”という主張は成り立ちません。  (続く)

嫌韓は2005年から本格化した2022/04/01

 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/03/21/9474297 の続きで、木村幹『韓国愛憎』を読んでの感想です。

2005年に本格化する「嫌韓現象」の顕在化だ。 この嫌韓現象が起こった理由について‥‥明らかなことは、嫌韓現象の名前の由来ともなった山野車輪『マンガ嫌韓流』がこの年にヒットしたことであり、この作品がこの時点では、先立つ韓流ブームへのアンチテーゼとして位置付けられていた (139頁)

2003年の爆発的な韓流ブームと、05年以降の嫌韓現象の高揚は、韓国に対する日本社会の関心の顕著な高まりを意味していた‥‥ なぜ日本社会はこんなにも韓国に気を向けるようになったのか、この韓流ブームと嫌韓現象という正反対の現象には、実は大きな共通点があるのではないか (141頁)

インターネットの普及を始めとする情報社会の進展で、それまでは韓国語を学び、新聞を購入するなどしなければ触れられなかった情報を、多くの人々が容易に入手できるようになった。 それらの情報は多くの日本人にとっては、それまでアクセスが不可能に近かったものがアクセス可能になったという意味で「新しい」のだ。‥‥ 一見正反対に見える韓流ブームと嫌韓現象は、こうしてこれまで触れられなかった情報に、一般の人たちが降れられるようになって生じた同根の現象なのだ。(142頁)

 嫌韓現象の高揚・本格化は2005年から始まるという説には、成程と思いました。 拙HPは1999年から始まり、2000年4月以降から韓国・朝鮮や在日問題を中心に話題を批判的に提供してきました。 当初はこのことに関心を有している方からの投稿が主だったのですが、2005年以降に急に嫌韓投稿が増えたのです。 それも全くの素人が、まるで在日や韓国の悪いことは何でも知っているぞと言わんばかりの投稿が多かったです。 

 これは上記のように日本国内では、2003年に冬ソナを始めとする韓国ドラマが日本の中高年女性に非常に新鮮に感じられて韓流ブームが始まったのと同様に、2005年からは韓国や在日への批判的説明が新鮮に感じられて嫌韓現象が高揚した、だから在日や韓国の批判すべき点を分かりやすく書いた拙HPやブログへのアクセスが増えたものと考えられます。

 しかし彼らは元々がほとんど素人でしたから、俄か勉強での知識で「特別永住をなくせ!」とか「通名禁止!」とか主張し、甚だしくは「韓国人は死ね!殺せ!ゴキブリ!」とか「ウソつき!」とか叫ぶのでした。

 せっかく韓国に関心を持ったのだから、議論しながら正しい知識を持ってくれればいい、更には韓国文化に親しみ、また在日と知り合って付き合うようになってくれればいいと当初は思ったのですが、これは無駄でしたね。

 そして彼らは正確な知識や情報を得ようとする気が全くといっていい程にありませんでした。 インターネット情報や嫌韓雑誌・嫌韓本に安易に頼るのみで、情報の根拠を確かめようとする気配がありませんでした。 もしそうしようと思えば、図書館に行って専門書や資料集を探すとか、また当然ながら韓国語を知らなければならないのですが、そんな地道な努力が嫌なんでしょうねえ。

 在日や韓国の悪口を言いたくて、その材料を集めることだけに集中しているようでした。 それも長期間、時には十年以上も続く人もいます。 私は「嫌韓偏執者」なんて名付けました。

韓国メディアもこの状況を自らのビジネスのために利用した。 『朝鮮日報』『中央日報』『東亜日報』を始めとする大手メディアの日本語版記事は、実は韓国で掲載された新聞記事をすべてそのまま機械的に翻訳したものではない。 あくまで日本語版の読者が関心を持ちそうな記事を選んで訳したものだ。(143頁)

日本語版読者が好んで読みそうな記事は、大きく二つに分類できた。 一つは韓流ブームに関わる記事であり、ペ・ヨンジュンを始めとする韓国人タレントの動向や最新のドラマや映画の情報が積極的に翻訳された。 もう一つは領土問題や歴史認識問題、さらには北朝鮮との関係の記事だった。(143~144頁)

実のところ日本人読者の関心をより集めたのは、後者の方だった。 だからこそ、韓国メディアは多くの記事のなかから日韓関係に関わる、しかも時に過激なメッセージを持つ記事を積極的に日本語版に掲載した。 韓国の各紙の計算通り、日本人読者はこれに「また韓国が日本を批判している」として飛びついた。(144頁)

当時、ソウルで会った韓国のある新聞のオンライン版開発者は、この状況に対して私に「嫌韓現象のおかげで日本語版は想定以上の業績を収めている」と嬉しそうに話してくれた。 インターネットの普及が日本に先駆けて進んだ韓国では、すでに「紙」の新聞は斜陽産業になっていた。このようななか、インターネットを通して熱心な読者が付く日本語版は、彼らにとって貴重な収入源にまで成長した。(144頁)

 そういえば拙ブログでも、「私は毎日韓国の新聞を読んでいます」と豪語するような投稿をした人がいました。 へー!すごい!とビックリして聞いてみたら、何のことはない、日本語版でした。 何を偉そうなことを言っているのか、韓国の新聞社を儲けさせているだけじゃないか、と思いましたね。 韓国の新聞をそのまま原文で読めるくらいに、韓国語を勉強してほしいものです。

だが当然、そこには副作用があった。 インターネットを介した情報の収集には強固な「選択バイアス」が働くからだ。 日本語サイトを介した韓国からの膨大な情報流入は、人々がますます自らの偏見を強化することに繋がった。 こうして日本の韓国への見方は、この時期、急速にステレオタイプ化した。 韓国に好印象を持つ人々はこれを確認するための情報を探し、韓国に悪印象を持つ人々は批判を正当化する材料を追い求める。 そんな時代となっていた。(144頁)

 要するに、韓流ファンも嫌韓派も、自分に都合のいい情報だけを探し求めているということです。

 ただし韓流ファンは“好きになれば嫌な部分は見たくない”という当然の心理が働いています。 そしてこのことは外国文化を知って自分たちの文化の幅を広げ、日韓友好を促進することに繋がりますから悪いことではなく、称賛に価します。 

 しかし他方の嫌韓派はレイシズム発言を繰り返し、韓国人とのケンカをけしかけ、時には国益を害するような主張をしますから、害悪でしかありません。 その害悪は、韓国における「反日」と同じレベルです。 これは「嫌韓派は韓国化しつつある」「日本の“嫌韓”は、韓国の“反日”と同じ穴のムジナ」と私が言ってきた所以です。 

【拙稿参照】

韓国語のできない嫌韓派  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/03/28/9052386

韓国語が出来ずに韓国を論じる人たち http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/03/16/9047781

嫌韓派と韓流派        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/01/17/7540292

水野俊平『笑日韓論』 (続)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/09/20/7439097

嫌韓派の論者たち       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/10/19/8708360

漢字を廃止した韓国で「知的荒廃」?-呉善花(12) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/03/09/7240684

日本人のウソ        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/10/05/7000567

在日政治囚「再審無罪」記事への違和感―毎日新聞2022/03/27

 『毎日新聞』2022年3月11日付けに、「特集ワイド  祖国で死刑判決 在日韓国人家族の40年 耐え忍んだ日々、再審無罪結実」と題する長文の記事が出ました。   https://mainichi.jp/articles/20220311/ddf/012/040/001000c

 有料記事ですので、関心ある方は図書館にでも行って、ご覧下さい。

 「北朝鮮のスパイ」にでっち上げられて死刑判決まで受けた在日が、死後に再審無罪を勝ち取ったという記事です。 内容はおおむね納得できるのですが、ちょっと違和感を持つ部分がありましたので、それを書きたいと思います。

 記事の概略は、次の通りです。

軍事独裁政権下の韓国で1981年、「北朝鮮のスパイ」として摘発され死刑判決を受けた後、約17年間投獄された大阪市生野区の在日韓国人、孫裕炯(ソンユヒョン)さん(2014年に84歳で死去)の再審無罪が1月に確定した。 孫さんの死後、裁判のやり直しを求め、闘ってきた親族の長い道のりを聞いた。

「ハルモニ(おばあちゃん)。ハラボジ(おじいちゃん)の再審無罪が確定したよ」。 韓国大法院(最高裁)が、ソウル高裁の無罪判決を支持し、検察の上告を棄却した1月27日。裁判を傍聴した韓国在住の孫(43)から連絡を受けた妻の夫辛花(プシナ)さん(91)は胸をなで下ろした。 韓国の情報機関・国家安全企画部(現・国家情報院)により、孫さんが不当逮捕・拘禁されてから40年以上。 亡くなってから約7年の歳月がたっていた。夫さんら親族は自宅で「罪が完全に消え、公的に名誉が回復されたことが一番の喜びです」と遺影を手に、かみしめるように語った。

 概略は以上で、次に長文の記事となります。 その中で私が違和感を持った部分は次です。

韓国では70~80年代、留学や出張、旅行などで母国を訪れた在日コリアンが、情報機関により「北朝鮮のスパイ」などにでっち上げられ、無実の罪で投獄される人権侵害が相次いだ。独裁色を強める朴正熙(パクチョンヒ)大統領(63~79年)は、民主化や朝鮮半島統一を求める市民への弾圧を強め、その強権発動は全斗煥(チョンドファン)政権(80~88年)でも続き、孫さんも「標的」にされた。

81年4月25日、孫さんは滞在中のソウルの宿舎から、安企部に令状もないままに連行された。その3日前に取引先の金融機関主催のゴルフコンペに参加するためソウルに赴いた後、姉婿の遺骨埋葬に立ち会おうと故郷の済州島に暮らす母や親族らを訪問する予定だった。だが、安企部はそれを「北朝鮮のスパイと接触し、韓国で工作活動をしようとした」という疑いに捏造(ねつぞう)したのだ。

 記事では「国家安全企画部」が孫裕炯さんを「標的」にした理由が書かれていません。 当時「国家安全企画部」は韓国に滞在する在日をむやみやたらに捕まえるということはなかったはずで、何らかの理由がありました。

 理由というのは、その在日が民主化運動に賛同したとか、北朝鮮を称揚する発言をしたとか、観光地でない場所の写真を撮ったとか、ホテルで女性を呼ばなかったとか‥‥そんな行動をしたことで密告されたという場合がほとんどです。 要するに北朝鮮のスパイを疑われる言動か、普通の人ならしないような行動をしている場合でした。

 70~80年代当時、多くの在日韓国人が韓国に滞在していました。 一世のお年寄りは懐かしの故郷を訪問し、また事業している中年層は商売・仕事で韓国を何度も往復し、そして若者は民族を取り戻すべく語学留学をし‥‥。

 当時の彼らは、韓国が北朝鮮と対峙していて「スパイ」に極めて敏感になっており、自分がいつ何時当局に密告されるか分からないという状況を理解していました。 だから彼らは韓国に行くに当たって朝鮮総連との関係を完全に断ち切り、韓国滞在中には自分の言動に大変な注意を払う、それが普通でした。

 それでも人間ですから、うっかり発言したり不注意に行動することがあります。 上述のことをもう少し詳しく言うと、酒席なんかで「金日成も大した奴だ」などと言ってしまったとか、留学している大学で級友たちが闘っている反独裁運動に同情してカンパをしたとか、基地や政府庁舎の写真を撮ったとか‥‥、そんな発言や行動が密告されるのでした。

 だから私は、孫さんが「標的」にされたのは、このような言動が密告されたのだろうと推測したのですが、それが書かれていないところに違和感を持つのです。

 次に密告されて逮捕されると、どういう取り調べをされるのか。 在日の場合、一番追及されるのが前述したように朝鮮総連との関係です。 親族に総連関係者がいるとか、朝鮮学校に通っていたとか、総連系の団体に入ったことがあるとかが判明すれば、もうアウトです。

 私の知っている例では、政治的に全くの無関心でミーハーな在日の若者が韓国留学中に旅行した際に撮った写真の中に「撮影禁止」の看板があって、写真屋から密告され逮捕されました。 その時、十年以上前の高校時代に「朝鮮文化研究会(朝文研)」というクラブに入っていたことで総連との関係を疑われ、2年近く拘束されました。 朝文研には先生の勧めで入っていただけのようでしたが、韓国の当局にはそんなことは関係のないことで、朝文研=総連です。

 また民族差別と闘う活動家のYさんは、70年代の大学時代までは韓文研(韓国文化研究会)に属して活動していたのですが、一念発起して卒業後に韓国の大学に留学しました。 留学の際は朝鮮総連との関係を示すものを全て捨て去り、たとえ捜索されても総連との関係が全く出て来ないようにしました。 そして留学しても級友たちの反独裁闘争は遠くから眺めるだけで、一切関わらないようにしたと言います。 だから留学の2年間無事に過ごして、日本に帰国できたそうです。 当時、在日が韓国に行こうとするには、これくらい気を使わねばなりませんでした。

 その次に追及されるのが、北朝鮮との関係です。 当時は北朝鮮から少なくない工作員が密入国して活動していました。 工作員は朝鮮総連を通さずに、在日を包摂(抱き込み)しようとします。 抱き込まれた在日は北朝鮮に密出国してスパイ教育を受け その後韓国に送り込まれます (学園浸透スパイ事件の徐勝や金哲顕)。 あるいは大統領夫人の暗殺を実行します(文世光)。 彼らは総連との関係が薄く、工作員から直接指示を受けて活動していたと言われます。

 以上のことを顧みると、冒頭の記事の孫さんが死刑判決を受け17年間も獄中にあったのは、孫さんに密告されるだけの言動があったのか、また朝鮮総連と何らかの関わりを持っていたか、あるいは北朝鮮の工作員と関係があったのではないか、と私は推測するのですが、記事ではそこのところが書かれていないことに違和感が出てきます。 

 なお1998年の金大中政権以降、盧武鉉・文在寅の進歩政権下では、朝鮮籍の在日でも韓国訪問が可能になりました。 ですから総連系人士であっても、それなりの手続きを取れば韓国を訪問できます。

 また2002年に北朝鮮が工作員による拉致事件を認めてからは、おそらく工作員は派遣していないものと思われます。

【拙稿参照】

元在日商工人の思い出話―拷問体験 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/06/30/9263151

水野・文『在日朝鮮人』(20)―南朝鮮革命に参加する在日  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/09/08/8173965

第58題 在日韓国人政治犯救援活動 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daigojuuhachidai

在日韓国人政治犯         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/05/17/5092838

1970~80年代の韓国民主化連帯闘争  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/01/16/5639024

1970年代の北朝鮮=総連の手口   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/11/12/6199653

徐勝さんは二回も北朝鮮に行った  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/12/23/8753413

韓国で歴史問題が国内政治化したのは2003年から2022/03/21

 中公新書から最近出た木村幹『韓国愛憎』を購読。 副題が「激変する韓国と私の30年」とあるだけに、彼自身の韓国研究の軌跡を描いたものです。 私自身は彼の授業を聞いたことがありましたから、彼の人生の歩みとも言うべき自叙伝部分は面白く読みました。 それ以外に、日本人が韓国に対して持っているイメージに対する批判はなかなか鋭く、成程そうだろうなあ、という感想です。

 そのうちで、ああ、そう言えばそうだ、これはこれまで気付かなかったなあ、と思い出させてくれたところを一部紹介します。

2003年に成立した盧武鉉政権は、歴史認識問題について、これまでの政権と一線を画す姿勢を示していた。 最大の特徴は、日本との歴史認識問題を、韓国国内の政治対立とリンクさせたことである。 盧武鉉政権は、植民地期から21世紀まで繋がる保守勢力の流れを、植民地期の日本統治機関への協力者、韓国で言う「親日派」の末裔と位置付けていた。

盧武鉉はこの理解を前提に、李承晩、朴正熙、全斗煥と続いた権威主義体制期の韓国は、これら親日派末裔の支配下にあり、彼らによる非民主主義的な支配体制は、一面では植民地期の悪しき遺産だった、と主張した。 つまり、盧武鉉は韓国の民主化と自らの政権による改革を、親日派の末裔から民衆が権力を奪い返す過程として位置付けた。

だからこそ盧武鉉政権は、これまでとは異なり、日本との関係の範囲を超えて、韓国の国内問題としての歴史認識問題にも大きな関心を向けた。 この主張によれば、権威主義体制期に基礎がつくられた韓国の古い歴史認識は、親日派の末裔による統治を正当化する「誤った」歴史認識だからだ。 それゆえにこれを民主化の時代に相応しい「正しい」歴史認識に沿ったものに改めなければならない、と主張した。

重要なのは、盧武鉉政権が積極的な歴史の見直しを国内で行なっていたことだ。 だから彼らは、当然日本でも歴史の見直しが同様に行なわれるべきだと考えていた。 (以上99~100頁)

 それまでは歴史問題は、対日外交で日本側に譲歩を要求する手段として使われており、保守派も進歩派も更なる譲歩を求めて“対日強硬=反日”姿勢を取る点で同一だったと言えるでしょう。 それが盧武鉉政権になって、韓国国内において進歩派が保守派を攻撃する材料として歴史問題を使い出したのです。

 具体的には、“保守派はあの悪辣な植民地支配を受け入れた「親日派の末裔」だ”というレッテル貼りで、これが功を奏しました。 これにより、歴史問題は対日外交だけでなく、韓国の国内政治へと拡大したのでした。

 韓国は解放以降数十年間にわたり「反日」を強固に維持し、右も左も「親日」という言葉を攻撃的に使ってきました。 ですから進歩派である盧政権が保守派を「親日派の末裔」と批判すれば、保守派は“いや我々は「親日」ではない”と反論する経過となりました。

 だから保守派は政権を担当すると、自分たちが「親日」でない証を見せることになります。 それが李明博大統領の竹島上陸と天皇戦争責任発言であり、その次の朴槿恵大統領は対日会談拒否し続け、世界中を行脚して従軍慰安婦問題を訴えて日本を批判しました。 朴大統領と会談した各国首脳は、関係のない日韓の歴史と日本批判をいきなり聞かされて戸惑ったといいますね。

 そして次は進歩派の文在寅政権です。 この政権では、対立する保守派を「親日派」と攻撃する形で「日本」を利用したのです。 一方、日本に対しては外交上において重要視しない国として扱い、関係改善の意思を最初から見せませんでした。

 それまでの「反日」は日本に対してそれなりにまだ気に掛ける存在だったのですが、文政権はそれを通り越して、日本はどうでもいい国あるいは後回しにしてもいい国として扱ったということです。 だから韓国の裁判所が徴用工訴訟で日本企業に賠償・資産売却の判決を下し、そのまま行けば日韓関係の破綻が確実なのに、文政権は何の対処もしません。 韓国全体が「反日」へと流れていくのを、われ関せずと言わんばかりに黙って見ていています。 言うとしたら“これは日本が誠意ある謝罪をしないからだ”と、責任を日本側に回すことだけです。

 まとめますと、進歩政権は対立する保守を「親日派」とレッテル貼りして「歴史の清算」を叫びました。 つまり「日本」を韓国国内の政治対立の攻撃材料として扱い、その考え方の延長として日本に対して軽視するという外交を進めてきた、というわけです。 日韓関係の悪化は韓国国内のこのような政治的要因によって更に甚だしくなり、そしてそれが国際的にどのような影響を与え、国益にどれほど害をもたらすのかなんて考慮しなくなったのです。

 このような経緯を顧みる時、韓国において歴史問題が対日外交から国内の進歩・保守の対立へ、すなわち日本との国際問題だったものが国内政治問題にまで広がったのは、盧武鉉政権から始まったと考えることが出来ます。 そしてこのことは、日韓関係の改善を更に困難にしていったと言えます。

 木村幹『韓国愛憎』は、このような過去の経緯を思い出させてくれました。

 5月から保守の尹錫悦政権が出帆します。 今度の新政権が国内的に「日本」をどう扱い、対日外交をどのように繰り広げるのか、注目したいと思います。 ただし改善への期待は、すべきではないでしょう。 

【拙稿参照】

韓国が対日請求権解釈を変えたのは1992年から http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/03/15/9472590

韓国では日本の存在感はない  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/02/17/8789342

韓国の反日外交の定番     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/01/22/7546410

世界で唯一日本を見下す韓国人 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/10/06/8216253

中韓は子供と思って我慢-藤井裕久    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/12/27/7157809

実は韓・中を見下している「毎日新聞」社説  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/02/19/7226754

毎日新聞 「“強い国”こそが寛容に」   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/06/15/7344974

韓国が対日請求権解釈を変えたのは1992年から2022/03/15

 木村幹『誤解しないための日韓関係講義』(PHP新書 2022年3月)を購読。 今の日本人は韓国に対する関心が高いのですが、その中身が偏ったり間違っていたりする場合が多いですね。 この本はそれを正してくれる好著だと思いますので、皆さんにもお勧めします。

 これを読んでいて、韓国が1965年の日韓条約請求権協定の解釈を一方的に変えたのが、盧泰愚政権の1992年だったなあと思い出させてくれました。

 日韓条約の請求権協定というのは、

日韓両国の財産・権利および利益、そして両国間の請求権に関する問題が、完全かつ最終的に解決されたことになることを確認する

 要するに、1910~45年の植民地支配下における財産等の請求に関わる問題、すなわち補償・賠償等の問題は全て解決したというものです。 ですから、日本も韓国も

日韓基本条約とその付属協定が締結された1965年から、盧泰愚政権が慰安婦問題で日本政府に対して公式の問題提起を行なった1992年までの約27年間、韓国政府は日本政府と同じく、慰安婦問題を含む過去の請求権に関わる問題は「完全かつ最終的に解決された」という立場を取っていた。 つまり少なくとも両国政府の公式見解においては、現在我々が目にしているような、慰安婦や徴用工に関わる補償の問題を巡って日韓両国政府が外交的に対立する状況は、1992年までは存在しなかった。(110~111頁)

とあるように、解決済みでした。 それが1992年になって、“いや、まだ解決していない、例外がある”と韓国側が言い出したのでした。

1992年1月、時恰も大きな注目を集めつつあった慰安婦問題を巡って、はじめて、この問題が請求権協定の「例外」であることを主張 (110頁)

 そしてその後、韓国側はこの「例外」の範囲をどんどん大きく膨らませていきます。

2005年には、時の盧武鉉政権が日韓条約締結に至るまでの外交文書を精査した結果として、慰安婦問題に加えて、韓国人被爆者の問題とサハリン残留韓国人に関わる問題にまで、この例外の範囲を公式に拡大させた。

そして2018年、日本の最高裁判所に相当する大法院が徴用工問題について、請求権協定によっても個人的請求権は依然有効である、としたことはいまだ我々の記憶に新しい。

2021年1月には、ソウル中央地方法院が慰安婦問題に対する日本政府への直接請求権を認める判決を出し、日韓両国の請求権協定の解釈を巡る乖離はさらに大きなものとなっている。(以上 110頁)

 解決済みのものを何十年も経ってから未解決だと主張するのは強弁としか言いようがありませんが、韓国はなぜのように態度を豹変させたのでしょうか。 木村さんはその過程を次のように説明します。

それ(請求権協定)は解決に不満が残らなかったことを意味しなかった。 とりわけ大きな不満が残ったのは、交渉の過程で、相対的に遥かに大きな国力を持った日本の前で譲歩を余儀なくされた韓国の側だった。 彼らは考えた。 本来なら、朝鮮半島を追われた日本が、新たに独立を獲得した韓国に対して譲歩し謝罪すべきなのに、逆に彼らは大きな国力にものを言わせ、我々のプライドを再び大きく踏みにじった。 (108~109頁)

朴正熙が大統領であった時代(1960~70年代)、韓国にとって日本の影響力は極めて大きく、だからこそ彼もまた大きな不満を持ちながらも、日本への譲歩を余儀なくされた。(121頁)

 韓国は、日本との国力差によって自分たちが譲歩せざるを得なかったという被害者意識を有していたということです。 しかしその後韓国は経済発展し、この日韓の国力格差はなくなっていきます。

このような状況(日本からの被害者意識)は、やがて経済発展を遂げた韓国が力をつけ、さらには冷戦下の最前線に置かれる頸木から解放された時、大きな動きをもたらすことになる。 即ち、彼らはその後、それまでの請求権協定の解釈を変え、事実上無意味化させていく方向へと、動いていくことになる (110頁)

1980年代以降、韓国経済における日本の重要性は急速に低下することとなった。 かつては40%をも超えた貿易上シェアは現在では7%台に過ぎないから、その数字だけから言えば、韓国における日本の重要性は5分の1以下にまで低下したことになる。 つまり、韓国においては、この40年間、日本の重要性は継続的かつ着実に低下しているのである。(122頁)

(韓国では)日本の重要性は急速に失われ、人々は日韓関係の維持に大きな努力を払わなくなった。(135頁)

韓国人が日韓関係の悪化に大きな懸念を示さず、状況を放置しているのは、彼らが我々との関係の維持に大きな利益を見出していないからである。(138頁)

 韓国が日韓条約の請求権協定の解釈を変えて、慰安婦や徴用工などの歴史問題を日本に突き付けたのは、日韓の国力差がなくなったために日本の重要性が低下し、それまで表に出ていなかった被害者意識を出すようになったから、という説明は説得力を感じます。

 豊かになったのだからもう過去のことは忘れましょうとはならず、豊かになったからこそ過去の恨みを晴らそうという考え方ですね。

 その始まりが1992年だったのです。

【拙稿参照】

韓国では日本の存在感はない  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/02/17/8789342

韓国の反日外交の定番      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/01/22/7546410

世界で唯一日本を見下す韓国人 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/10/06/8216253

中韓は子供と思って我慢-藤井裕久    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/12/27/7157809

実は韓・中を見下している「毎日新聞」社説  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/02/19/7226754

毎日新聞 「“強い国”こそが寛容に」   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/06/15/7344974

かつての朝鮮学校には日本人教師がいた―『抗路9』2022/03/09

 『抗路』9号に兪渶子「月明かり」と題するエッセイがあって、その中に筆者の朝鮮学校時代の思い出が次のように書かれています。

(1965年頃、朝鮮高校のたった一人の友である)クァンミは絵が上手だった。何でも質問して担任の先生を困らせる私たちを見て、クラスメイトが部活に誘ってくれた。 「青山武美先生なら何でも答えてくれる」と言われ入部した。彼女は絵が上手だった。

顧問の先生は青山武美先生。 絵を描くことも彫刻も何一つできない私を見て、評論家に向いていると思われたのか、渡されたのは絵具ではなく『芸術は生活をどう表現するか』という一冊の美術評論本だった。 お陰で実技は落第点だったけれど、筆記試験で進級できた。 青山武美先生の話は唐突に始まる。 ある時はパリコミューン、フランスの市民革命の話。 またある時は、帰国事業で北に帰った卒業一期生の話。

青山武美先生は民族学校設立時に日本の教職員組合から派遣された教師の一人。 日本語と英語、ロシア語、美術を教えるのは日本の先生たちだった。 後に全科目は朝鮮人の先生に委ねられた。 けれど、青山武美先生だけは定年まで残って私たちの良き教育者だった。‥‥

ある時、私たちは先生に聞いた。 「先生は日本人なのに、朝鮮人の私たちに教えているのですか?」と。 答えは「僕の戦争責任」の一言だった。 先生は朝鮮半島を植民地にし戦争を起こした日本人としての責任を忘れないでいた。 そのような青山武美先生に出会えて良かった。 先生の口癖は「人間は自然だよ。自然が良いだよ」だった。 (146~147頁)

 私は、朝鮮学校の先生はみんな朝鮮人だと思っていたのですが、当初は日本人教師がいたのですねえ。 これは知りませんでした。 新たな知識を得ました。

 そういえば40年ほど前の思い出話ですが、朝鮮学校に通っていたという年配の在日女性が初歩の英語を勉強していたので「学校で習わなかったの?」と聞いたら、「朝鮮学校では〝これからの時代は、アメリカは没落してソ連が世界を制覇する、だから英語よりもロシア語を勉強しろ″と言われて、生徒の半分はロシア語、半分は英語だった、私はロシア語クラスに入って英語は勉強しなかった、しかし英語はやはり必要で、先生はウソを言っていた、それでこの年齢で英語の勉強を始めた」ということでした。 その時に、かつて(1960年代)の朝鮮高校は社会主義祖国の学校らしく、ロシア語を重視していたことを知りました。

 そして今度の『抗路』のエッセイで、そのロシア語の先生は日本人だということが分かりました。 考えてみれば、日本では昔からトルストイやドストエフスキーなどのロシア文学がたくさん読まれており、共産主義者でなくてもロシア語を専攻する日本人学生が多くいました。 ロシア語を知る日本人は多かったのです。

 しかし在日の場合、ロシア文学には馴染みがなく、ロシア語を勉強している在日なんて聞いたことがありませんでした。 ですから朝鮮高校でのロシア語授業は、教師は日本人になったということではないでしょうか。

 そして当時の朝鮮高校では、何人かの日本人教師が日教組から派遣されてロシア語や英語、美術などを教えていたのですねえ。 今では信じられませんが、かつて日教組と総連・北朝鮮との結び付きがそれほど強かったということなのでしょう。

 雑誌『抗路』は私とは考え方が違いますが、「韓国」「在日」を体験した人たちが書いたものですから、読むとそれなりに貴重で、また役に立ちます。

【『抗路』に関する拙稿】

密告するのは同じ在日同胞―『抗路9』座談会 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/03/03/9468948

親の靴職人を継いだ在日子弟―『抗路9』座談会 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/02/24/9466872

在日は「生ける人権蹂躙」?-『抗路』巻頭辞 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/01/31/9460212

戦後補償運動には右派も参加していた http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/02/07/9461960

戦後補償問題の解決とは?―『抗路』外村大を論ずる http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/02/14/9464117

在日誌『抗路』への違和感(1)―趙博「本名を奪還する」  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/05/27/9381682

『抗路』への違和感(2)―趙博「外国人身分に貶められた」  https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/06/02/9383666

趙博さんの複雑な名前     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/11/02/9171893

金時鐘さんが本名を明かしたが‥‥   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/10/26/9169120

在日総合誌『抗路』に出てくる「北鮮」 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/01/16/9338000

在日のアイデンティティは被差別なのか―尹健次 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/06/12/9387023

在日の自殺死亡率 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/04/20/9369020

在日の低学力について(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/04/28/9371638

在日の低学力について(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/05/05/9374169

密告するのは同じ在日同胞―『抗路9』座談会2022/03/03

 戦後から1970年代にかけて、韓国からかなりの人が日本に密航してきました。 理由はほとんどが出稼ぎです。 かつての韓国は世界の最貧国の一つで、働く場所も少なかったです。 ですから日本に密航してでも働きに出て、お金を稼ごうとする人が続出していました。 密航に成功すれば多くの場合、在日同胞の企業に住み込み、働くことになります。 迎え入れる在日企業はそれを承知で、非常に安い賃金で雇い入れます。 なお今と違って、在留資格のない外国人を雇っても経営者は罪にはならない時代でした。 

 『抗路』9号の「座談会 新・猪飼野事情」では、そういう密航者に関して、次のような対談が交わされています。

古川 ―昔は韓国から密航で来て、そういう下働きをやっていたわけやけど、今は密航なんてないわな。 昔は、いっぱい居てはったと言いますね。 在日の生徒の保護者の兄貴が会社を経営してて、昔は密航者を積極的に使うていたらしい。 ちょっと景気が悪くなって経営が苦しくなると、首にする訳にはいかないので、当局にこそっと通報するんやて、「密航者や」と(笑)。 そうすると身柄を拘束されて送還されることになる。 給与も退職金も払わずに済んで、見舞金を渡して終わり、というようなことが、昔はあったといいます。

足立 ―そんなん、非道いやん。

古川 ―「こっちだって日本で生きていくのに死に物狂いやった」と言うてた。

春山(金) ―コリアンタウンのキムチ屋さんが、ちょっと派手に「密航してる人間を使うてるよ」と言ってみたり、韓国人ってそういうところありますやんか。 中国人はそんなことしない、みんな助け合っている。 在日も韓国から来たもん同士も、「チクリ」をしますね。 (49頁)

 密航者を雇い入れた在日企業が、入管や警察に密告(チクリ)するというのですねえ。 密告はケンカなど人間関係が崩れた時になされると思っていたのですが、雇用主が賃金を払いたくなくなって密告する場合があるとは、知りませんでした。

 今は在留資格のない外国人を雇うこと自体が罪に問われますから、雇用主が密告することはないようです。 しかし昔は密航者を雇っても罪にならなかったので、こういう密告があったようです。

 そういえば、昔は密入国の時効は3年でしたので、韓国からの密航者は3年間ひたすら働き続け、3年が過ぎた頃に自費出国の準備をした上で警察や入管に自首し、強制退去命令が出たら1週間以内に故郷へのお土産をいっぱい買って関釜フェリーで堂々と帰国する、なんて話を聞きましたねえ。

 こういう情報は、やはり「在日」と具体的に接している人から得ることができますね。 それが在日社会を分析・理解するのに役に立ちます。

 一方、「在日」をひたすら悪しざまに言う嫌韓派やネットウヨはこういう具体的な体験ではなく、ネットや嫌韓本・雑誌から都合のいい情報だけを選び出して偏った知識を根拠に言うので、読んでも何の役にも立ちません。 本人には新鮮な情報かも知れませんが、私のような者には、何も知らない人間が何を偉そうなことを言っているのか、という感想になります。

 仲間内で与太話する分には構わないのですが、それをコメント投稿して見ず知らずの他人に読ませようとするなんて、ちょっと疑いたくなりますね。。 

【拙稿参照】

在日の密航者の法的地位    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/06/23/6874269

韓国密航者の手記―尹学準   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/12/03/7933877

集英社新書『在日一世の記憶』(その3) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/12/31/4035996

昔も今も変わらない不法滞在者の子弟の処遇 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/03/21/9226536

この在日韓国人の話を検討してみる https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/12/21/9449603

【『抗路』に関する拙稿】

親の靴職人を継いだ在日子弟―『抗路9』座談会 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/02/24/9466872

在日は「生ける人権蹂躙」?-『抗路』巻頭辞 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/01/31/9460212

戦後補償運動には右派も参加していた http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/02/07/9461960

戦後補償問題の解決とは?―『抗路』外村大を論ずる http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/02/14/9464117

在日誌『抗路』への違和感(1)―趙博「本名を奪還する」  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/05/27/9381682

『抗路』への違和感(2)―趙博「外国人身分に貶められた」  https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/06/02/9383666

趙博さんの複雑な名前     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/11/02/9171893

金時鐘さんが本名を明かしたが‥‥   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/10/26/9169120

在日総合誌『抗路』に出てくる「北鮮」 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/01/16/9338000

在日のアイデンティティは被差別なのか―尹健次 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/06/12/9387023

在日の自殺死亡率 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/04/20/9369020

在日の低学力について(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/04/28/9371638

在日の低学力について(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/05/05/9374169

親の靴職人を継いだ在日子弟―『抗路9』座談会2022/02/24

 雑誌『抗路』は以前に論じましたように、思想的立場が左派であることを明確に打ち出している「在日総合誌」です。 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/01/31/9460212 しかし「在日」「韓国」を具体的に体験している人たちの論考ですから、私の知らない事実があったりして、それなりに参考になります。

 ですから私は、考え方が違いますが『抗路』を評価しています。 2022年1月の『抗路』9号に「座談会 新・猪飼野事情」と題する記事があります。 大阪の生野区で活動する在日やこの地区の学校教員だった日本人、五人の座談会です。 この中で古川さんという元教師が次のような体験談を話しています。

僕が鶴見橋中学で受け持った最初の卒業生の在日の子で、今は57・8歳になるけど、勉強がものすごく出来て天王寺高校に行った子がおった。 なのに、五月の連休で辞めて家におると聞いて訪ねてみたら、靴職人の父親の横で靴を作っているんです。 

「なんで辞めたんや、勿体ない」と言ったら、親父さんに「先生、日本人か」と聞かれた。 そうだと答えたら、「それじゃ分からんのぉ、この子、天高に行ったけど、この学力じゃ国公立の医学部は無理や。 私立の医学部にやる金はない。 うちら在日の子は、たとえ京都大学に入っても文学部や法学部なんかだったら、卒業してもどんな会社も役所も採用してくれへん。 

それやったら、早く技を身につけて靴職人になった方がまともに生きていける。 まだこいつらはマシや。 こいつらの上の世代は、ヤクザになるかパチンコ屋か焼肉屋になるしかなかったんや」とアボジに言われて。 (44頁)

 「天王寺高校(天高)」とは、大阪の公立高校の中で「御三家」と言われていた最高レベルの学校の一つです。 「今は57・8歳」とありますから、この高校に進学したのは1970年代後半と判明します。 

 それはともかく、靴職人である父親が子供の通う高校を辞めさせ、靴製造の家業を継がせたというところにビックリしました。 というのは当時の在日は一般的に、お金を稼ぐためにこの日本にいる、まともな企業の就職なんて難しいから日銭を稼ぐ仕事か小さな自営業をやる、それは仕方なくやっているのであって子供には継がせたくない、という人が多かったからです。 というより、ほとんどでした。 ですから靴職人の在日の親が息子にその家業を継がせた、しかも入学して直ぐの高校を辞めさせてまで、というところに、へーっ!これは珍しい!本当か?!と驚いた次第。

 1970年代の在日社会は男尊女卑の考えが強く残っており、女子の進学には反対する親が多かったのですが、男子は違っていました。 ましてや天高という進学名門校に行ったのですから、狭い地域の在日社会では評判になって、親には自慢の息子となったでしょう。 だから金のことは心配するな、もっと勉強しろというのが普通だったと思うのですがねえ。  そうなのに入ったばかりの高校を辞めさせて家業を継がせるというのは私には信じられず、もしこれが本当なら何か「裏」があったのではないかという疑問を抱きました。

 ここからは私の憶測になるのですが、「裏」というのはこの親が密入国者だったのではないか?ということです。 家業に固執して狭い範囲内で過ごすことによって長年秘密がバレないで来た家庭が、これからもこの秘密を維持しようして子供に家業を継がせたのではないか? 子供もそれを知っていて、親友のいる学校を辞めて靴製造の家業を継いだのではないか?

 こういう憶測は本来やってはいけないものですが、当時のごく一般的な在日を知る私にはどうも納得できないと言うか、ちょっと異常としか思えなかったので、あえて憶測をしてみました。

【追記】  

 靴職人といえば、私は岡林信康の「チューリップのアップリケ」を思い出します。  放送禁止歌に指定されました。  今も禁止されているのですかねえ。  禁止理由は、靴製造は部落産業で靴職人は部落民、だから差別を助長する、というものだったという記憶があります。  関心のある方は、検索すると出てきます。  (2月25日 記)

【『抗路』に関する拙稿】

在日は「生ける人権蹂躙」?-『抗路』巻頭辞 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/01/31/9460212

戦後補償運動には右派も参加していた http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/02/07/9461960

戦後補償問題の解決とは?―『抗路』外村大を論ずる http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/02/14/9464117

在日誌『抗路』への違和感(1)―趙博「本名を奪還する」  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/05/27/9381682

『抗路』への違和感(2)―趙博「外国人身分に貶められた」  https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/06/02/9383666

趙博さんの複雑な名前     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/11/02/9171893

金時鐘さんが本名を明かしたが‥‥   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/10/26/9169120

在日総合誌『抗路』に出てくる「北鮮」 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/01/16/9338000

「尹東柱」記事の間違い―中央日報2022/02/17

 今の韓国で最も有名な民族詩人である尹東柱は、太平洋戦争中の1945年2月16日に日本の福岡刑務所で獄死しました。 ですから、この2月16日を前後して、尹東柱の記事が多くなりますね。 韓国の『中央日報』2022年2月15日付で、「【時論】韓国と日本をつないだ尹東柱」と題する記事がありました。 https://japanese.joins.com/JArticle/287796

 そのなかに、歴史的事実として間違いと言わざるを得ない部分がありますので、指摘しておきたいと思います。

尹東柱(ユン・ドンジュ、1917ー1945)の「序詩」(1941)だ。16日は詩人の忌日だ。「生きとし生けるもの」に国とハングルを奪って平沼東柱に改名を強要した日本人も含めたのだろうか。

 「生きとして生けるもの」が誰なのかは読者によって違うでしょうから、そこはいいのですが、その次に出てくる「国とハングルを奪って平沼東柱に改名を強要した日本人」に間違いがあります。

 まず1910~45年の植民地時代、日本は朝鮮で「ハングルを奪った」ことはありません。 当時の資料に、ハングルはたくさん出てきます。 朝鮮総督府は大東亜戦争の意義を朝鮮人たちに理解させるために、ハングルを使った資料を配布しています。 また朝鮮でのラジオ放送にも、時間数は少ないですが朝鮮語の番組がありました。 あるいは朝鮮内での電報は、ハングルで送ることが出来ました。 つまり日本人が「ハングルを奪った」とする中央日報の記事は、明白な誤りです。

 それから日本人が「平沼東柱に改名を強要した」とありますが、「尹」を「平沼」に創氏を決めたのは尹一族であり、尹東柱の父(あるいは祖父―要するに戸主)がその決定に基づいて「平沼」と創氏を届け出たから、尹東柱は「平沼東柱」となったものです。 もし届け出せずに「尹」という名前で創氏することも可能でしたが、尹の門中はそれをしなかったのでした。 ですから日本人が尹東柱に「改名を強要」したことはありません。 これも明白な間違いです。

生存する2人の女子学生の証言によると、写真を撮って川辺で昼食を食べた後、尹東柱は級友に頼まれて韓国語でアリランを歌ったという。当時は禁止されていた行為だった。

 当時は日本語が公用語でしたから、学校や裁判、役所等の公的な場所では日本語が強制されました。 しかしそこから一歩出たら、家族・親戚・近所・友人間等においては朝鮮語を使うことは自由でした。 ですから尹東柱が級友と川辺で昼食を食べた時に「韓国語でアリランを歌う」ことは、何ら禁止されるものではありませんでした。 ここも明白な間違いです。

 尹東柱については、韓国でも日本でも間違いの記事が多いですねえ。 これまで同じような間違いを繰り返しています。 (下記をご参照ください)

【拙稿参照】

毎日のコラム「余録」の間違い―尹東柱 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/09/15/9295605

尹東柱の創氏改名―ウィキペディアの間違い http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/08/11/8939110

尹東柱の創氏改名記事への疑問 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/07/16/8917954

尹東柱記事の間違い(産経新聞)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/02/09/7568265

尹東柱記事の間違い(毎日新聞)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/02/15/7572811

尹東柱記事の間違い(聯合ニュース) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/01/29/8339905

水野・文『在日朝鮮人』(11)―尹東柱  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/06/26/8118773

尹東柱は中国朝鮮族か韓国人か   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/21/8075000

尹東柱のハングル詩作は容認されていた http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/07/11/8618283

『言葉のなかの日韓関係』(2)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/04/09/6772455

『言葉のなかの日韓関係』(3)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/04/11/6774088

『言葉のなかの日韓関係』(4)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/04/13/6775685

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/03/28/8423913

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (2)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/03/30/8425667

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (3) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/01/8436928

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (4)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/03/8441238

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (5)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/05/8444253

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (6) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/07/8447420

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (7) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/09/8451992

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (8) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/11/8457633

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (9) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/14/8478676

朝鮮人戦死者の表彰記事ー1944年  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/10/29/8716160

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (11)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/02/11/9346012

宮田節子の創氏改名論          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/11/10/7487557

民族名で応召した朝鮮人         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/11/14/7491817

尹東柱の言葉は「韓国語」か「朝鮮語」か http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/08/19/8945248

第三次教育令ー朝鮮語教育は廃止されたのか http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/10/12/8971509

朝鮮語は容認されていた―愛国班  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/11/10/8724405

朝鮮語は容認されていた―愛国 (2)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/11/14/8727138

日本統治下朝鮮における朝鮮語放送  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/11/06/8721782

尹東柱の国籍は? http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/03/13/9356544

尹東柱と孫基禎の国籍について http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/07/18/9399145

戦後補償問題の解決とは?―『抗路』外村大を論ずる2022/02/14

 戦後補償問題について、私は前回で次のように記しました。 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/02/07/9461960

戦後補償問題は1970年代までは日本の「右」も「左」も関わっていたが、1990年代以降「右」はもはや解決したとして手を引き、「左」だけが自らの存在証明のように活動を熱心に続けた

 この時期の事情について、外村さんはその所論の中で次のように説明しています。

そうしたなか(1990年代以降)で、戦中派の不満を受け止めつつ、謝罪と戦後補償への反対を掲げる保守派の巻き返しが力を得た。 かくして1980年代までに見られた超党派の枠組みの基盤は破壊されていったのである。(8頁)

この時期(1980年代まで)の日本はGDP等の指標でみれば、アジアのなかで他国とは隔絶した地位にあった。 しかも1990年代初頭までのバブル景気の時期には、日本は最も成功した国家であり、世界の最先端を行く社会であるというような意識すら広がっていた。 総じて現状への批判的意識は薄れ、近代日本の影の部分を見据えようというムードは一般的ではなかった。(8頁)

むしろ(戦後補償問題に)影響していたのは、GDP等で測られる日本の国力への自信であった 。つまり、戦後補償としていくばくかのお金を支出することは、さして負担でないし、アジアのほかの国に対して優位に立っていることは変わらない、むしろ、謝罪してお金を払って解決するのであればそうすればよい、という認識が、謝罪と補償への支持の背景にあったと思われる。(9頁)

だが、日本人が自国の国力は絶大で、ほかのアジア諸国への優位にあるというような自信を持ちうる条件は崩れていった。 自分たち日本人の優位を前提として、他民族への謝罪や補償を認めることはもはやできない。 そうしたなかで、多くの日本人は加害の史実を直視することすら厭うようになっている。 それが今日の日本社会の現実ではないだろうか。(9頁)

 この分析はその通りと思います。 かつての日本は「金持ち喧嘩せず」という諺の通りを実行し、時には謝罪し譲歩してきました。 しかし日本の絶対的優位は1990年代以降の「失われた20年」によって崩れ、アジア諸国(韓国など)の言い分を聞く余裕がなくなったのです。 いつまでも止むことのない戦後補償問題、そしていくら謝罪しても更なる謝罪を要求されることに日本人の多くが〝うんざり″感を抱くようになり、強い反発が見せることになったのは周知のことでしょう。

 外村さんは、さらに次のように論じます。

かくして被害当事者らが納得するような戦後補償の実現は困難となった。 だが、依然として歴史問題の解決は重要課題である。(9頁)

 「戦後補償の実現」=「問題の解決」は困難だと言いながら、「重要課題」だとしておられるところに大きな違和感があります。 そして、この困難な「問題解決」のために、

‥‥ 継続的な関係者の交流、史実の継承といった、市民の「和解」こそが必要であり、それが葛藤を解きほぐしていくであろう。 そのためには、市民一人ひとりが、かつての植民地支配や戦争によって起こった人権侵害の歴史について、自分たちの関係の中で考えることが重要である。 (9頁)

 つまり外村さんは、「市民」が「歴史問題」に取り組むことを「和解」として提唱しています。 解決が困難なのに「和解」が出来るのだろうか? いつまでも解決しない問題ならば、「和解」しても意味がないのではないか?という疑問が湧くのですがねえ。 ところでその「和解」の具体的内容は、

朝鮮人強制連行の史実の調査や被害当事者との交流、犠牲者の遺骨返還、追悼行事等は、貴重な実践である。 慰安婦問題でも、多くの人の心を動かす活動が続けられ、歴史研究にも影響を与えた。(9頁)

 このような実践を行なう「市民」の活動はそれなりに貴重だとは思いますが、あくまで一部の有志で、しかも歴史事実の追究という立場からのみで行なうべきだと私は考えます。 少なくとも、すべての国民に課せられた問題としないようにお願いしたいものです。

【拙稿参照】

戦後補償運動には右派も参加していた http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/02/07/9461960

中韓は子供と思って我慢-藤井裕久    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/12/27/7157809

毎日新聞 「“強い国”こそが寛容に」   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/06/15/7344974

「歴史」を学ぶことの疑問   http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daijuurokudai

糾弾する朝鮮人と反論できない日本人 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daijuuhachidai

「強制連行」考      http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daiyonjuuhachidai

「朝鮮人は朝鮮に帰れ」考   http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daijuunanadai