金正恩の2024年1月15日施政演説(4)2024/02/11

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/02/07/9657120 の続きです。

 施政演説の最後になりますが、その内容は理念・イデオロギーというもので、かなり抽象的です。 それまでは“記念塔を除去せよ”とか“憲法から「統一」などの文言を消せ”とかの具体的な指示があったのですが、今度の段落では具体的に何をどうしようと言っているのか、よく分かりません。 おそらくは自分の言葉に自分で酔っているだけのように思われます。 北朝鮮の国民はひたすらこんな文章を学習させられているのですねえ。 しかし北朝鮮が一体どんな国なのか、たとえ嫌であっても読んで理解する必要があります。 我慢して訳しましたので、皆さまも我慢して読んでくださるようお願いします。

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代議員同志たち!

反帝自主は正義で真理であり、尊厳と主権、平和と安全は、この道にだけしっかりと守護することができます。 正義と平和を守り、進歩と発展を志向し、親善と団結を図ることは、我が党と国家の対外政策的な立場です。 朝鮮民主主義人民共和国は、反帝自主を絶対不変であり、一貫した第一の国策として捉え、不法無法の二重基準で世界の平和と安定を無残に蹂躙し侵奪している米国の極悪な自主権侵害行為を絶対に受け入れないことであり、主権尊重と内政不干渉、平等と互恵に基づく国際的正義を実現し、新しい国際秩序を樹立するために、積極的に闘争に乗り出します。

対外事業部門では、激変する国際政治○○(지형-地形?)と安保環境に主導的に対処するための事業を策略的、積極的に展開し、我が革命に有利な条件と環境を準備し、国権守護、国益死守の原則で一寸の脱線や譲歩も許容してはなりません。 社会主義国との関係発展を優先課題と掲げ、双務的、○○(다무적-多務的?)協力をさらに一層強化していき、国際的規模での反帝共同行動、共同闘争を果敢に展開し、自主と正義を志向するすべての国、民族と思想と制度の違いを超越して団結し、協力しながら国の大概関係領域をより拡大するための事業で、新しい進展を成し遂げねばならないでしょう。 以上の課業が、共和国政府が当面捉えて必ず貫徹せねばならない重要政策です。

国家の尊厳と人民の福利のために、社会主義建設の勝利的前進のために決行せねばならない聖なる事業がどんな実を結ぶのかということは、人民政権機関の役割に大きく依っています。 我々の人民政権は社会主義建設の強力な政治的武器であり、党の路線と政策の執行者です。 すべての人民政権機関は朝鮮労働党の思想と領導に無条件忠実となる鋼鉄のような事業体系と秩序を打ち立て、受動的で観照的な姿勢を完全に消去して、自分の地域、自分の単位に提示された党の政策を○○(주인답게-主人らしく?)用意周到に貫徹せねばなりません。

人民のために存在し、人民の利益のために服務する本来の使命に合わせて党と国家の人民的施策が我が子供たちと公民たちに正確に達するように無限の責任性を発揮して、人民生活問題を解決するための事業が、誰かによく見えるためというのではなく、人々に実際に利益を与える事業になるようにせねばなりません。 地方経済を押し上げる事業をはじめとして、国の経済問題を解決するのに切実な仕事を自ら担って最後まで実現させ、国家発展に真に寄与せねばなりません。

人民政権機関は社会主義制度を擁護固守し、強固発展させるのに相当の役割をせねばなりません。 各単位と住民たちの活動を組織し指揮する行程で、一心団結を強化し、人民の愛国心を奮発昇華させるのに常に関心を持たねばならず、我が社会の社会主義性格を厳格に固守し、原則的な統制と管理でもって国家の円滑な機能を徹底して担保せねばなりません。 社会主義建設の更に一層の前進発展と人民福利増進のための新年度進軍で、代議員同志が持っている使命と責任は依然として重大です。

最高人民会議の代議員をはじめとして各級人民会議の代議員は、人民の支持のなかで選出され、国政に直接参加しながら、人民の意思と要求を政府の施策に反映し、その正確な執行主導し、現れる偏向を適時に対策するよう建議する政治活動家です。 代議員同志たちが人民の代表者として自分の位置と権能を正しく自覚し、責務を果たしてこそ党と政府と人民が一つの有機体に繋がり、国家社会生活全般が活気を帯びるようになり、人民のための路線と政策が徹底して貫徹することができます。 代議員はわずかでも自分だけのための保身や安逸、緩みに陥る権利がなく、積極的でも中身のある行動実践で国政執行を担保せねばなりません。

代議員同志たち!

また強調しますが、今日我が国家が、世界が無視できない名声と権威を持ち、確実な担保のもとに全面的復興の明るい前途を見通すようになったことは、難しい歳月の中でもひたすら党と共和国政権だけを固く信じて、社会主義偉業の勝利のために全てのものを捧げて闘ってきた偉大な人民の高貴な血と汗、尊い献身の代価です。 我が党と共和国政府の政策を絶対的に支持し、誠意を尽くしてくれる人民の期待に比べれば、今まで成し遂げた成果は余りにも少なく、我々に厳しい苦境を耐え忍び、捧げてきてくれた人民の献身と努力を無駄にする権利がありません。

我々は国力が強くなり自信を深めるほどに、我が人民が歩んできた試練に満ちた旅程を一時でも忘れないで奮発し、また奮発してこそ近い将来に人民と約束した豊かで文明の時代を必ず切り開かねばなりません。 まだ多くの難関が存在し、経験せねばならない試練が目の前にありますが、我々の理想と偉業は真理であり科学であり、勝利をもたらさない背信と気勢も天を衝きます。

みんなが愛国で固く団結し、尊厳高い我が国家が無窮の繁栄のために、偉大な我が人民の幸福と栄光のために、我々式社会主義の全面的発展のために闘わねばなりません。

偉大な我が国家、朝鮮民主主義人民共和国、万歳!  (終わり)

金正恩2024年1月15日施政演説(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/01/30/9654884

金正恩2024年1月15日施政演説(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/02/03/9656008

金正恩2024年1月15日施政演説(3) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/02/07/9657120

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【北朝鮮に関する拙稿―2019年以前】

北朝鮮の「갓끈 전술(帽子の紐 戦術)」 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/01/08/9022748

「朝鮮半島の非核化」は「北朝鮮の非核化」とは違うのでは? http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/03/08/8799658

「島国夷」とは?         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/09/16/8677666

北朝鮮の核開発の目的       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/09/07/8671910

自主的、民主的、平和的統一       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/04/22/6421457

南朝鮮解放路線はまだ第一段階      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/03/30/6762019

北朝鮮を甘く見るな!(1)        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/07/23/7395972

北朝鮮を甘く見るな!(2)        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/07/28/7400055

北朝鮮を甘く見るな!(3)        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/08/02/7404064

北朝鮮が崩壊しないわけ         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/08/04/1701479

北朝鮮の百トン貨車           http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/08/11/1716894

『写真と絵で見る北朝鮮現代史』     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/02/06/5665262

韓国と北朝鮮の歴史観が一致する!!   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/02/10/5675477

白い米と肉のスープ           http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/02/14/5680393

韓国の北朝鮮研究            http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/02/22/5698027

1970年代の北朝鮮=総連の手口     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/11/12/6199653

先軍政治は改革開放を否定するもの    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/12/23/6256776

金正日急死への疑問           http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/01/15/6293047

和田春樹『北朝鮮現代史』        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/04/29/6428366

北朝鮮は社会主義の盟主を観念的に目指す http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/02/16/6722829

北朝鮮の宋日昊が日本を脅迫      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/10/10/7455119

北朝鮮を後押しする中国        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/02/08/8011036

金正恩2024年1月15日施政演説(3)―韓国は敵2024/02/07

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/02/03/9656008 の続きです。

 前回では、金正恩は韓国を「大韓民国」と正式名称を使って「国家」として認めるような言い方をしながら、その韓国を「特定走狗集団」「極悪」と罵倒し、国家は国家でも「最も敵対的な国家」「不変の主敵」だとして、戦争が起きればこの韓国を占領・平定すると宣言したのでした。

 そして韓国をもはや同一民族と扱ってはならないので、「8千万同胞」などのような言葉を使ってはならない、憲法から「自主、平和統一、民族大団結」のような文言を削除せよ、とまで指示したのです。 韓国は統一の相手ではなく、わが北朝鮮に吸収・編入すべき国家だということですね。

 今回はこの続きで、さらにビックリするような指示を出します。  ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

憲法改定とともに、《同族、同族関係としての北南朝鮮》、《わが民族同士》、《平和統一》などの象徴として映し出される過去の時代の残余物を処理してしまうための実務的対策を適時的に立てねばなりません。

当面して、北南交流協力の象徴として存在していた京義線の我が側の区間を回復できない水準に物理的に完全に断つことをはじめとして、境界地域のすべての北南連係条件を徹底して分離させるための段階別措置を厳格に実施せねばならないでしょう。

そして首都平壌の南側の関門に見苦しく立っている《祖国統一三大憲章記念塔》を撤去してしまうなど、〇〇(이여)の対策も実行することによって、我が共和国の民族歴史から《統一》《和解》《同族》という概念自体を完全に除去してしまわねばなりません。

 「祖国統一三大憲章記念塔」の「統一三大憲章」というのは、祖国統一三大原則・全民族大団結10大綱領・高麗民主連邦共和国創立方案のことで、これは金日成の提唱に由来があります。 息子の金正日が父のこの遺訓を「三大憲章」と定め、2001年に記念塔を立てました。 それを三代目の金正恩が撤去すると言ったのですから驚きです。 実際に記念塔は撤去されたようです。 朝鮮総連は活動理念にこの三大憲章を掲げているはずですが、どうするのでしょうかねえ。

 さらに民族の歴史の軸とも言うべき 「《統一》《和解》《同族》という概念」を完全に除去すると言うのですから、祖父と父の遺訓を三代目の孫が完全否定した、ということになります。 今回の演説の中で、私が最も驚いた部分です。

 韓国の親北組織である祖国統一汎民族連合(汎民連)はこの金正恩演説を受けて、早々と解散すると決めたようです。 

 日本の朝鮮総連や朝鮮学校では何かにつけて「民族の統一」を口酸っぱくして叫んできましたが、どうするのでしょうか。 また在日韓国民主統一連合(韓統連)のようなところも、どうするんでしょうかねえ。

この機会を借りて、私は我が共和国がどんな情勢変化も揺らぐことなく自分の命のように逃さないで、強力につかみ取る自衛的国防力強化の革命的性格について、再び明確に明らかにしようと思います。  我々が大きくする最強の絶対的力は、一方的な《武力統一》のための先制攻撃手段ではなく徹底して我々自ら守るために必ず大きくせねばならない自衛権に属する正当防衛力というものをまた確言します。

力の論理が支配する今日の世界で、そして数十年余りをわたって戦争の危険が常に漂う○○(열점―熱点?)地域の我が国家において、強力な軍事力保有は国と民族の運命を守るために必ず選択しなければならない必然的な闘争工程であり宿命的に受け入れねばならない歴史的課題です。 敵たちのしぶとい圧迫と制裁が同伴する最悪の国難が持続する中でも、我々が一寸の動揺もなく、最強の自衛的国防力と核戦争抑止力を固めてきた結果、長い歳月の間、この土地でどんな侵略勢力も敢えて最悪の戦争勃発までは考えも及ばなかったのです。

 軍隊を強化してきたからこそ、米国などの侵略勢力は戦争を仕掛けてこなかったという分析のようです。

明白に言いますが、我々は敵たちが触ってこない以上、決して一方的に戦争を決行しないでしょう。  これを我々の弱さと誤判しては絶対にいけません。 そうだとして、我々の自衛的な国家防衛力がひたすら自分を防御し、戦争を防ぐためにだけ局限されていましょうか? 絶対にそうではありません。

すでに私は我が核兵器の戦争抑制という本領以外に、第二の使命について明白に言及したところであります。 大韓民国という最大の敵国が我々の最も近い隣に併存している特殊な環境と米国の奴らの主導下に軍事的緊張激化へ地域情勢の不安定性が増大している現実を冷徹に考察してみれば、物理的衝突による拡大へ戦争が勃発する危険は顕著に高くなり、危険段階に至りました。

我々は戦争を望みませんが、決して避ける考えもまたありません。 戦争という選択をするという何の理由もなく、だから一方的に決行する意図もありませんが、一旦戦争が我々の目の前の現実として迫るなら、絶対に避けることに努力することはなく、我が主権の死守と人民の安全、生存権を守り、我々は徹底的に準備した行動に完璧で迅速に臨むのです。

戦争は大韓民国という実体を無残に壊滅させ、終わらせるようにします。 そして米国には想像できない災難と敗北を抱かせます。 我々の軍事的能力はすでにそのような準備態勢にあって、はやい速度で更新されています。 もし敵たちが戦争の火花でも飛ばすなら、共和国は核兵器も含める、我が手中のすべての軍事力を総動員し、我々の怨讐を断固として懲罰します。

 戦争を仕掛けられたら「大韓民国という実体を無残に壊滅させ」「米国には想像できない災難と敗北を抱かせる」そうです。 すごい決意表明ですね。

 北朝鮮が韓国に対し、戦争するぞと脅迫するのは昔からあったことです。 金正恩政権になってからは、10年前にやっていましたねえ。 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/03/30/6762019 ですから、またいつものことを言っているだけと思えばいいのでしょうが、今度はハッタリではないぞと言わんばかりに本当に戦争挑発するかも知れません。 (続く)   ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

金正恩2024年1月15日施政演説(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/01/30/9654884

金正恩2024年1月15日施政演説(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/02/03/9656008

金正恩2024年1月15日施政演説(2)―韓国は敵2024/02/03

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/01/30/9654884 の続きです。

 次は韓国に関係する部分となります。 何をすべきかについて具体的な内容が含まれています。

 この部分はこれまでの北朝鮮の主張と違っているので、物議を醸しました。 翻訳を掲載するにあたって、これまでと同じように抜粋とか省略とかせず、そして直訳のまま載せました。 ただし私なりの解説と感想を挟み込んでいます。

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代議員同志たち!

今日の最高人民会議では、この80年間の北南関係史に終止符を打ち、朝鮮半島に併存する二つの国家を認めた○○(기초우)で、我が共和国の対南政策を新しく変わりました。 党中央委員会2023年12月全員会議でも厳粛に明らかになったように、我が党と政府と人民は流れて来る歴史の長久な期間、いつも同族、同胞という観点から大きな包容力と変わらぬ忍耐力、誠意ある努力を傾け、大韓民国と祖国統一の大義を虚心坦懐に論じたりしました。  しかし心痛む北南関係史が与える最終結論は、《政権崩壊》と《吸収統一》を夢見て我が共和国との全面対決を国策としていて日々邪悪になっていき、傲慢無礼になる○○(대결광증속-対決狂症の中?)で同族意識が去勢された大韓民国の輩たちと民族中興の道、統一の道をともに歩むことができないのです。

 北朝鮮はこれまで韓国を「南朝鮮」と言ってきたのですが、ここでは明確に「大韓民国」と正式名称を使っています。

 北朝鮮はこれまで、南北問題は同じ民族内の内政問題であって南朝鮮は国家でないのだからとして「大韓民国」と呼ぶことはありませんでした。 これに対して韓国は、半島には二つの国が実際にあるのだから南北問題は国家間の問題として取り上げねばならないと主張してきました。 しかし昨年に金正恩の妹の金与正が「大韓民国」と呼称したので、北朝鮮は韓国の主張に歩み寄ったのかと一時取り沙汰されました。 今回の演説で金正恩自体が「大韓民国」と呼称したので、北朝鮮が南朝鮮を国家として認めたことは確定ですね。

 ところがこれは韓国側の主張に歩み寄ったのではありませんでした。 韓国は「邪悪」であり「傲慢無礼」と非難し、また国家といっても後述するように「敵対国家」なので、そんな韓国とは統一の道を歩めない、ということです。

北南関係がもはや同族関係、同質関係でない敵対的な二つの国家関係、戦争中にある完全な二つの交戦国家関係という現実は、外勢の特等走狗集団である大韓民国が極悪でありながらも自滅的対決妄動をそのままにした北と南の明白な現況であり、世間に向かってためらわずにベールを剥がした朝鮮半島の実像です。 今度我々が朝鮮民主主義人民共和国の国法を論じる最高人民会議で、北南関係と統一政策に対する立場を新たに定め、平和統一のための連帯機構として出してきた我々の関連団体をすべて整理したことは、必ず指摘しておかねばならない必須不可欠の工程だと言うことができます。 我が国家の南側国境線が明白に引かれた不法無法の《北方限界線》をはじめとするどんな境界線も許容することができず、大韓民国が我々の領土、領空、領海を0.001㎜でも侵犯するならば、それは即ち戦争挑発と見なされるのです。

 韓国は「外勢の特等走狗集団」「極悪」だと、厳しいですね。 「平和統一のための連帯機構として出してきた我々の関連団体をすべて整理した」というのは、韓国との交渉窓口となってきた北側の機関をなくすということのようです。 具体的には党統一戦線部や祖国平和統一委員会といった組織のようです。

これと関連して、朝鮮民主主義人共和国憲法の一部の内容を改定する必要があると見ます。

すでに私はこの前の全員会議で、大韓民国憲法というものに《大韓民国の領土は朝鮮半島とその付属諸島とする》とはっきりと明記されている事実について想起しました。 今度一部他の国の憲法資料を見てみると、国家主権が行使される領域部分、もう一度言うと自国の領土、領海、領空地域に対する政治的および地理的な定義を憲法に明確に規定しています。

現在我が国の憲法には上記の内容を反映した条項がないが、我が共和国が、大韓民国は和解と統一の相手であり、同族という現実矛盾的な既成概念を完全に消してしまい、徹底した他国として、最も敵対的な国家として規定した以上、独立的な社会主義国家としての朝鮮民主主義人民共和国の主権行使領域を合法的に正確に規定づけるための法律的対策を立てる必要があります。  朝鮮半島で戦争が起きる場合には、大韓民国を完全に占領、平定、修復し、共和国領域に編入させる問題を反映させることも重要だと見ます。

 韓国をはじめ各国の憲法には、自国の領土範囲を明記しているのに、我が北朝鮮の憲法にはそれがない、だからそれを定める必要がある、としています。 これは朝鮮民主主義人民共和国の領土が朝鮮半島全体であることが余りに明白であったので、憲法にわざわざ記すこともなかったのでしょう。 

 その上で、韓国は和解と統一の相手ではなく、「最も敵対的な国家」と規定し、もし戦争が起きたら「大韓民国を完全に占領、平定、修復し、共和国領域に編入させる」と言っています。 北朝鮮は今は半島北半部の領域だが、いずれ南半部にある大韓民国を自国に編入するということですから、もともと半島全体が領土であったのだという建前に復帰したと見ることができます。  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/11/21/9636056

そして我が人民の政治思想生活と精神文化生活領域で《三千里錦繡江山》、《8千万同胞》のように北と南を同族として誤導する潜在的な単語を使用しないということと大韓民国を徹頭徹尾、第一の敵対国として、不変の主敵として確固として見なすように教育教養事業を強化するということに、該当条文に明記することが正しいと考えます。 その他にも憲法にある《北半部》、《自主、平和統一、民族大団結》という表現が、今は削除されねばならないと見ます。 私は、このような問題を反映して共和国憲法が改定されねばならず、次の最高人民会議で審議されねばならないと考えます。

 韓国とは同族でなく「第一の敵対国として不変の主敵」見なさねばならないとしています。 そのため北朝鮮憲法にある「北半部」「自主、平和統一、民族大団結」という言葉を削除するそうです。 この憲法の条項については下記をご参照ください。 (続く)

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【参考】

朝鮮民主主義人民共和国憲法

第九条  朝鮮民主主義人民共和国は、北半部において、人民政権を強化し、思想、技術、文化の三大革命を力強く繰り広げ、社会主義の完全な勝利を成し遂げ、自主、平和統一、民族大団結の原則から祖国統一を実現するために闘争する。

金正恩2024年1月15日施政演説(1)2024/01/30

 金正恩が去る1月15日に最高人民会議(国会に当たる)で行なった施政演説が波紋を呼んでいます。 韓国に対する脅迫めいた言動は昔からやっていることなのですが、今回は韓国を「第一の敵対国」であり、韓国とはもはや「統一」「和解」「同族」の概念を消し去り、そのために北朝鮮憲法にある「自主、平和統一、民族大団結」を削除するなどと、これまでにない強い表現をしたことに多くの人が驚き、注目しているようです。 

 それではこの施政演説が一体どのようなものなのでしょうか。 労働新聞を購読している人によると、6ページくらいにわたって掲載されていたそうです。 労働新聞のインターネット版に公開されたものがあったので、読んでみました。 http://www.rodong.rep.kp/ko/index.php?MTVAMjAyNC0wMS0xNi1OMDAxQA==

 このうち前の三分の二ほどは主に北朝鮮国内の問題(経済や農村格差など)であり、後の三分の一は国際関係や軍事などを論じており、ここに上記のような韓国を否定する文言が入っています。 今回はこの後の部分を翻訳してみました。 他人の解説を読んで分かった気分になるよりも直接読んで自分で理解する方がいいと思い、ここに公開します。

 北朝鮮独特の言葉遣いが多く、そのままでは意味を取るのが難しい部分もあります。 しかし意訳すると私の解釈が入って誤解されることにもなるでしょうから、原文を尊重してできるだけ直訳としました。 分からない単語は「〇〇」としました。 なお原文は一文一文で改行されているのですが、今回は二文か三文でまとめて、それから改行しています。

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代議員同志たち!

我が共和国は平和愛国的な社会主義国家であり、侵略と干渉のない平穏で安定した環境のなかで自主的発展の道を歩もうとする我々の志向は終始一貫し、そのために捧げた代価も莫大です。  しかし我が国家の安全環境は緩和するどころか、日に日に悪化一路を記録し、今日は世界で最も危ない戦争勃発危険地域になりました。

米国当局者たちは時を分かたず吐き出す、我々の《政権終末》妄言とともに、共和国周辺地域に常時駐屯しているように、膨大な核戦略資産、追従性力を糾合し、歴代最大規模で休みなく行なう戦争演習、米国の指図で強化される日本、大韓民国の軍事的結託などは、我が国家の安全を刻一刻さらに厳しく害しています。 年代と年代を繋いで持続的に敢行されている米国の激しい反共和国対決政策と、それに無条件に屈従する大韓民国のような奴僕国家らの自滅的妄動は我が共和国の敵対心を促進させる一方、軍事力強化の正当な名分と圧倒的な核戦争抑止力をより非常に高めねばならない当為性を十分に提供してくれています。 今米国とその走狗たちは戦争に浮かれています。

我々は祖国と人民、万代に至る後孫の平和を目的に、自衛的国防力強化の一路を変わりなく歩まなくてはいけません。  この席に参加した代議員たちは今日中東で起きている無差別的な戦争の惨禍を他人事だと考えてはならず、軍力であり国家と人民の安全であり尊厳であり位相という確固とした信念を大事にし、我々の自衛的国防力を百倍、千倍の最上最大に固めるために、あらゆることを果たさねばなりません。 

もう一度強調しますが、我が軍隊は国家の安全と人民の平和を、命をかけて守らねばならない自らの崇高な使命を心に銘じて、敵たちの些少な軍事的動きも見逃さず鋭く注視ながら、そのどんな形の挑発行為も圧倒的な対応で徹底して無慈悲に制圧粉砕することができるように確信持って万般の備えの体制を持たなければなりません。 大事変の準備が切迫して現実化し、それを強力な軍事行動で執り行なわねばならない重大な使命を我が軍隊が負っていることに合わせて、全軍の各級が党中央委員会第8期全員会議と党中央軍事委員会精神を真摯に学習し実行し、実戦化した訓練を強化すると同時に、政治思想教養事業にいつものように大きく力を入れることによって政治思想的および軍事技術的優勢でもって、敵たちとの対決で必ず勝利することができるように準備していかねばなりません。

金正恩同志におかれては、人民軍隊の戦争準備は武装装備の現代化を切り離して考えることはできないと仰って、軍需工業部門で造成された情勢と革命発展の要求に合わせて、今年朝鮮民主主義人民共和国の核戦争抑止力強化と国家防衛力増大のための責任ある闘争で堅持し貫徹せねばならない戦略的課業を提示されて、次のように問題を続けて言及された。

この土地に暮らす公民といえば、だれでも祖国防衛を最大の愛国と考え、自覚的に力強く乗り出さねばなりません。 ○○(전민항전-全民抗戰?)で国を守り、革命的大事変も迎えようというのが我が党の戦略的構想です。 民防衛部分では、これまで戦争準備完成を慢性的にやってきて、形式的、見せかけ式に進めてきたところから深刻な教訓を見つけて新しく始めるという観点と立場で革命的に奮発せねばなりません。 国の防衛力、軍事力を強化するための事業は、名実ともに全国家的な事業として共和国領内のすべての機関、企業所、団体と公民は軍事に、対する正しい観点を持って、軍力強化に必要なすべてのことを最優先的に、最も高い質を保障することに違えることはできないという鉄則とせねばなりません。

各級人民政権機関は、一旦有事には即時に戦時体制へ移行できる徹底した対策を立てて、○○(전민항전-全民抗戦?)のための物質的準備も手抜かりなく備えるようにせねばなりません。 最高人民会議の代議員は国の防衛力強化に一役買うことを自分の応分の義務と考えて、自分の部門、自分の単位に任せられる軍事課業を手抜かりなく遂行せねばならず、軍事を粗忽にする現象は適宜に問題を立てて、徹底して克服するようにせねばなりません。 (続く)

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【北朝鮮に関する拙稿-2023年度度分】

核問題は北朝鮮に理がある―金時鐘氏 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/01/23/9653071

在日朝鮮人が話す北朝鮮    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/12/19/9643754

朝鮮民主主義人民共和国の正統性は何か? http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/11/21/9636056

朝鮮総連幹部らには月3万円の教育費支給 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/10/24/9627897

『労働新聞』の論説―朝鮮戦争70周年(1) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/07/27/9605137

『労働新聞』の論説―朝鮮戦争70周年(2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/07/31/9606151

『労働新聞』の論説―朝鮮戦争70周年(3) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/08/04/9607167

『労働新聞』の論説―朝鮮戦争70周年(4) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/08/08/9608146

『労働新聞』の論説―朝鮮戦争70周年(5) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/08/12/9609128

今日は「太陽節」-朝鮮総連に教育費2億7千万円 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/04/15/9577360

核問題は北朝鮮に理がある―金時鐘氏2024/01/23

 このところ金時鐘さんの著作を読んでいるのですが、彼は北朝鮮の核兵器保有を容認しているんですねえ。 金さんは日本の左派リベラルと親しいので核兵器廃絶の考えをしていると思っていたのですが、自国である北朝鮮の核兵器については理解を示しているのです。 その部分を紹介します。 出典は、集英社新書『「在日」を生きる ある詩人の闘争史』(金時鐘・佐高信 2018年1月)です

今、核保有を誇示している北朝鮮とどう向き合うかが、同じ民族ならなおのこと深く考えねばならない焦眉の問題として、目の前にぶら下がっています。 (159頁)

 北朝鮮は金さんの祖国の一つですから、「同じ民族」として「深く考えねばならない焦眉の問題」であるのは、その通りです。 それでは北の核兵器をどう考えるか、金さんは次のように言います。

核の問題だけは北朝鮮に理がある。 (160頁)

ありていに言って、こと核の問題に関する限り、北朝鮮に道理があります。 金日成主席の生存時から、北朝鮮はアメリカに対して、朝鮮戦争の休戦協定を平和協定に締結し直そうと、ずっと提起してきました。 そうなれば北朝鮮が核を持つ理由がなくなる、とも言い続けています。 金日成から金正日に代わったときも同じことを言ってきたし、今の金正恩も、話し合いをするなら私たちも核の問題を考える、それはお祖父様の遺言だとも言っています。 (162~163頁)

 金さんは、北朝鮮の核開発と保有を「道理がある」として正当化しています。 その理由が金日成や金正日、金正恩の発言であるとしていますから、へー! 金さんが北の三代世襲の金一族の言うことを信じているとはビックリ! 一方で日本の首相だった安倍さんのことを「さも民主主義の守護神のように振る舞っています、こっけいというしかありません」(159頁)と酷評しているのを考えると、北の金一族への信頼が深いのは「同じ民族」だからなのでしょうねえ。

まかり間違えば、水爆きのこ雲が極東の空の一角をおおうかも知れない。そのただ中に日本も存在していることを自覚して、好き嫌いを先立てずに北朝鮮との対話の場を作り出す責務が、お互いにあるのです。 戦後補償、拉致問題等、日本には話し合いの糸口をつける有効なカードが手元にあるのではありませんか。 (162頁)

もしも日本やアメリカが、北朝鮮の体制を物理的な方法で潰そうとしたら、北朝鮮を壊滅させるのはたやすいことかもしれない。 しかし北朝鮮はひとりでは死にませんよ。 必ず日本を道連れにする。 岩国あたり、日本海寄りの原子力発電所、横須賀の米軍基地は当然狙われる。 北朝鮮が水爆を保持しているのは、冷厳なる事実ですから。 (165頁)

 これは脅しですね。 北朝鮮を怒らせたら酷い目に遭うぞ、だから日本からまず手を差し伸べよ、ということです。 つまり日本は北朝鮮の脅威に対して恐れおののき、話し合いの糸口を探れ、と言っておられるのです。 金さんは北の代弁人になったのでしょうかねえ。  金さんはこのように北朝鮮の核兵器保有に理解する一方、日本の核保有には反対しているのです。

吉本隆明は反核運動を批判し、核抑止力という観点から核保有を是認していましたね。 僕などからすると、彼の紡いだ膨大な言葉は、壮大な空転に見える。 まったく親近感はありません。‥‥ どこの大学の図書館に行っても、推薦図書で吉本隆明が飾られているんですよね。‥吉本は本当に読まれているんでしょうか? (68頁)

 吉本隆明の反核運動への批判は原発などの原子力開発を否定する運動に対する批判なのですが、金さんは吉本が核兵器保有を是認したと思ったようです。 それゆえに吉本の作品を否定し、彼との対談を拒否したとのことです。

 それはともかくとして、同じ核抑止力であっても日本の核兵器はダメで、北の核兵器はOKとするのが金さんの考えなのです。 これに佐高信さんが異を唱えていないので、彼も同じ考えを持っているようです。

 ということで、金時鐘さんと佐高信さんは北朝鮮の核兵器保有を容認している、というお話でした。 お二人は左派リベラル側の人間であるということなので、違和感が大きいです。

【追記】

 金時鐘さんを批判ばかりしているようですが、実は私は金さんの差別に対する考え方に大いに賛成しているものです。 金さんは部落差別や民族差別などの差別問題で「両側から越える」ことを提起しました。 これは差別問題の解決のためには、差別する側も差別される側も両方から歩み寄って解決の努力をせねばならない、被差別側が差別側を一方的にやり込め、差別側が被差別側に一方的に拝跪し謝罪するようなことでは解決しないと主張するものでした。 私はこれに全くその通りと思い、蒙を啓かれた気持ちでした。 

武田砂鉄の被差別正義論―毎日新聞 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/03/24/8810463

社会的低位者の差別発言      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/05/09/9244588

 しかし差別問題から離れて今回のような問題になると、とたんに疑問だらけとなります。 一度疑問を抱くと、すべてが疑問の対象となってしまいます。 金さんは北であれ南であれ祖国の人との交流があるはずだし、在日同士の交際も多いので、私よりはるかに具体的な事実を知っていると思っていたのですが、これが疑問となってきました。 ここ数年の金さんに関する拙稿は、こういった疑問から出発した批判ですね。

【金時鐘氏に関する拙稿】

金時鐘氏が正規教員?―教員免許はないはずだが‥ http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/01/16/9651219

金時鐘氏は不法滞在者なのでは‥(1) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/10/07/9623500

金時鐘氏は不法滞在者なのでは‥(2)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/10/12/9624809

金時鐘氏は不法滞在者(3)―なぜ自首しなかったのか http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/10/17/9626078 

金時鐘『朝鮮と日本に生きる』への疑問 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/07/28/7718112

金時鐘さんの法的身分(続)     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/08/13/7732281

金時鐘さんの法的身分(続々)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/08/26/7750143

金時鐘さんの法的身分(4)    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/08/31/7762951

毎日の余録に出た金時鐘さん    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/08/27/8950717

本名は「金時鐘」か「林大造」か  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/08/23/8948031

金時鐘さんは本名をなぜ語らないのか? http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/07/02/9110448  

金時鐘さんは結局語らず      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/08/13/9140433

金時鐘さんが本名を明かしたが‥‥ http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/10/26/9169120

金時鐘『「在日」を生きる』への疑問 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/03/01/8796038

金時鐘さんの出生地        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/07/05/7700647

青木理・金時鐘の対談―帰化(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/09/08/9524343 

青木理・金時鐘の対談―帰化(2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/09/15/9526042

金時鐘氏が正規教員?―教員免許はないはずだが‥2024/01/16

 金時鐘さんの著作の読んでいると、次のような話が出てきて、驚きました。

兵庫県で始まっていた「解放教育」運動のあと押しも受けて、正規教員としては在日外国人初の公立高校教員となり、人権教育実践校の兵庫県立湊川高校(定時制)に社会科の教員として赴任しました。 1973年夏、43歳のときでした。 (金時鐘『朝鮮と日本に生きる』岩波新書 2015年2月 286頁)

 何度見ても「正規教員」とあります。

 金時鐘氏は、戦前は朝鮮全羅南道の光州師範学校に通っていて、夏休みに故郷の済州島に帰省していた際に8月15日の「日本の終戦」=「朝鮮の解放」を迎えました。 そしてそのまま学校の授業を受けず、卒業しませんでした。 ですから彼は教員免許を取得していません。 その後、彼は済州島で南朝鮮労働党に加わり、1948年の4・3事件に関わって弾圧を受けたため、翌1949年に日本へ密航してきました。 そして日本でも学校に通ったことはなく、従って教員免許がないままでした。

 つまり彼は教員免許がないのに、日本の公立高校の「正規教員」として就職したというのです。 そのあたりの事情について、彼は『「在日」を生きる』という本の対談で次のように語っています。

兵庫県高等学校教職員組合のある先生から、あなたが教員になってはどうかという話がきました。‥‥金時鐘をぜひ、在日朝鮮人初の正規の公立学校教員として県教育委員会に推挙したい、との趣旨でした。

40を過ぎた者が今さら学力認定の資格試験を受けるということは、かなり以上の精神的重圧でしたが、意を決して応じることにしました。 当時は教員組織も強い時期で、解放教育運動を支援する気運も県全体に広まっていましたので、差別を許さない教育を目指すなら、在日朝鮮人の教員が現れてもいいじゃないかということがアピールにもなったんです。 一人で特別計らいの資格試験を受けて、短期大学卒業同等の学力認定にぎりぎり受かりました。 国籍条項の制約から教諭に準ずる社会科の教員となって、44歳の時、県立湊川高校(定時制)に赴任しました。 (以上 金時鐘・佐高信 『「在日」を生きる』 集英社新書 2018年1月 122~123頁)

   「学力認定の資格試験‥‥ 一人で特別計らいの資格試験を受けて、短期大学卒業同等の学力認定にぎりぎり受かりました」ということは、大学等で授業を受けず、教育実習もしていないにも拘わらず、教員になる資格を取ったことになります。 こんなことは今ではあり得ませんが、1970年代にあり得たのでしょうか。 どんな「資格試験」だったのか、気になって身近の本を探してみました。

金時鐘は自分の湊川高校への就職の経緯について次のように語っている。 ‥‥ 植民地下の朝鮮で師範学校中退だったので、現代日本の法律では、中等教育の教員にふさわしい学歴とはみなされず、採用されるにあたって苦労した。 例えば、受験者は自分一人なのに、七科目それぞれに一名の担当教師が試験の監督と採点を行なうといった大そうなことになった。 そして試験結果は、日本語以外は散々だったにもかかわらず、社会科教員として採用された。 (玄善允『金時鐘は「在日」をどう語ったか』 同時代社 2021年4月 115頁)

資格など何一つ持ち合わせていない自分一人のために、たいへん大掛かりな特別の試験まで設定され、試験の成績は散々だったのに採用された。 (同上 117頁)

 どうやら学校では金さんを採用するために、彼一人だけをアリバイ的に試験を受けさせたものと思われます。 「試験の成績は散々だった」とありますから、結果は本来の合格点には程遠かったと思われます。 おそらくは、採用権限を有している教育委員会に〝試験を実施した、教員としての資格がある″と報告して採用させたものと思われます。

金時鐘(林大造が外国人登録名であり、公的にはそれが正式名)は実習助手として任用された。 教員免許がなければ教諭になれないからである。 (同上 116頁)

 教員免許がないので教諭ではなく「実習助手」という形で採用し、教員の仕事をさせたということになりましょうか。 しかし、なぜこれが「正規教員」なのでしょうかねえ。 「正規」とは〝任期付や臨時でない正規の雇用″という意味なのでしょうが、「正規教員」と言われると違和感が大きくなります。

 ただ1970年代前半は解放運動による同和教育介入が激しかった時代で、同推校(同和教育推進校)では運動側の推薦で簡単に採用が決まることが多々ありました。 こういう学校に、当時盛んだった学生運動の活動家が就職できたのでした。 いわゆる底辺校でも教職員組合の力が強い学校では、活動家が教員採用試験を受けずに就職した場合が少なくありませんでした。 金時鐘さん採用も、当時のこの流れのなかにあって実現したのではないかと思ったのですが、どうなんでしょうか。

 ところで湊川高校では朝鮮語授業担当者の後任に、方正雄さんという方が任用されました。 彼はその時の思い出を次のように語っています。

私が神戸市にある兵庫県立湊川高校の教師になったのは34歳、1985年4月からである。 ‥‥ 見知らぬ二人が‥「湊川高校の朝鮮語の先生になってくれ」というキツネにつままれたような話に「ええっ」と目を見開いた。 まずは朝鮮人で、高校の教員免許があり、朝鮮語が分かる人、その検索に私がひっかかり、「白羽の矢」が舞い込んできたらしい。

「卒業証明書だけでもいただけませんか」と言う。 教員免許は未申請だと告げたので、卒業証明書だけでも、ということらしい。 後から分かることだが、2週間もすれば新学年度の授業が始まり、次の教師が見つからないと「朝鮮語」が先細りとなり、いずれ閉鎖されていく、そういう危機感があった。 校長には私がすでに承諾していると伝え、綱渡りの心境で来ていたそうである。 

当時湊川高校の朝鮮語教師は金時鐘先生と劉精淑先生の2名だったが、劉先生が急遽退職されるという事情だった。 (以上 方正雄「湊川高校・朝鮮語教師の物語」 抗路舎『抗路8』 2021年3月 172~173頁)

 湊川高校が教員免許を持った在日朝鮮人を必死になって探していた、という話はリアルですねえ。 1973年の金時鐘さん採用の時は教員免許なんてどうでもいいという感じでしたが、1985年になるとやはり教員免許が絶対に必要となったようです。 

【追論】

 拙ブログでは金時鐘氏を批判ばかりしているように思われるでしょうが、実は彼の「差別」に対する考え方には共感しています。 数年前のものですが、下記の拙稿をご参照ください。

武田砂鉄の被差別正義論―毎日新聞 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/03/24/8810463

社会的低位者の差別発言      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/05/09/9244588

【追記】

 昔は教員採用試験には国籍条項があり、日本国籍でないと受験できませんでした。   これは民族差別だとして、国籍条項撤廃を掲げる運動がありました。

 こういうことで活動しておられた田中宏さんは1970年代終わり頃に、教員免許を持っている在日を募集して、教員採用試験の受験の申請をさせようとしていました。   当然受理されないのですが、すぐさま裁判に持ち込んで、闘争していこうという戦術です。

 この時に田中さんに呼びかけられた在日を知っています。  大学では勉強の一環として教員免許を取っただけで、実際に教員になるつもりはなくて民間企業に就職していた、それなのに教員採用試験を受けろと言われて困った、と言っていましたねえ。

『故郷忘じがたく候』の元となった逸話(2)2024/01/09

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/01/02/9647749 の続きです。

さてまた、「庄屋を務め給えば、村の人別帳あるべければ、その名前ども見せたまえ」と望みければすなわち帳面を取り出し見す。 庄屋、五人組をはじめ、一郷中みな、金慶山、白孝基などいえる名あり。 いと珍しく繰り返し見る。 その中に解しがたき名も多し。 土民のことなれば文盲なるゆえなるべし。 とかくして、黄昏にも及びければ、案内の者来たりて、客屋というところに導き行く。客屋の主は朴養真という。 その子を朴養安という。 妻をロレンという、文字はなしとなり。 まことに土民にて人品質朴なり。 その余、五人組などと言いて伸守吟という者、挨拶のために旅宿に来たる。 しばらく留めて物語りす。 珍しきことども数々あり。

 やはり日本ですねえ。 自分たちの村の住民の人別帳があります。 中世の朝鮮の村は血縁共同体の集まりであって、日本のような地縁共同体でなかったですから、村の構成員を示す人別帳のようなものはありませんでした。 あるのは国家が人民を把握するための戸籍大帳か、宗族の血縁関係を示す族譜でした。 苗代川は朝鮮人の村とされましたが、その村のあり方は地縁共同体であって、日本と同じになっていたようです。

 女性の名前が一人でてきて、「ロレン」。 朝鮮女性の名前で「レン」といえば、直ぐに思い浮ぶのが「蓮」。 だから「ロレン」は「呂蓮」でしょうか。 しかし中世の朝鮮では、女性は基本的に個々人につけられる名前がありません。(女性に名前があるのは賤民階級―下記参照) おそらくロレンは日本で生まれたから人別帳に載った名前で、漢字を使わずにカタカナ名だったようです。    

翌日、案内の者来たりて、高麗焼の細工場、並びに竈を見物す。 仰山なることどもなり。 この村の半分はみな焼物師なり。 朝鮮より伝え来たりし法をもって焼くにゆえに、白焼などは実に高麗渡りのごとくにて、まことに見事なり。 日本にて焼いたるものとは見えず。 それゆえに、上品の焼物は大守よりの御用のものばかりにて、売買を厳しく禁ぜられる。 これによりて平人の手に入ることなく、他国にても持て囃せることを見ず。 余も案内者に頼みて求めけれど、白焼は得ることはあたわず。 ようよう黒焼の中の上品の小猪口を得たり。 これも余が遠国の者ゆえに、内密にて得させたり。 携え帰りて、今に秘蔵す。 その他は下品にて質厚く、色も薄黒く、烈火にかけても破ることなし。 ゆえに下品は土瓶などに多く造りだす。 これはおびただしく売買して、薩(薩摩)、隅(大隅)、日(日向)の三州はおおかた民間にもこの土瓶を用ゆ。 なお、大阪までもうり来たりて、薩摩焼と称して重宝とす。 薩摩にてはノシコロ焼のチョカという。 チョカとは茶家の心にて土瓶のことなり。 薩摩の方言なり。 土瓶と言いては知る者なし。 さて、それより一郷中、所々見物し終わりて、帰路に赴く。

 薩摩焼には白薩摩と黒薩摩の二種類があり、ここでは「白焼」「黒焼」としています。 白焼はお殿様に納入し、黒焼は庶民の日常雑器として供給していると書いているのは正確です。 今でも薩摩焼の説明に使えますね。

すべてこのノシロコの風俗、みな総髪にて、額の上に集めて結いたり。 京の女の櫛巻きなどという髪のごとし。 礼儀の時は頭にまんきんというものを戴く。 馬の尾にて網のごとく組みて、底なく、耳の上に錫あるいは真鍮にて木の葉の形の金物を左右に付け、巾は額より後ろの方に回し当たるものなり。 高き巾あり、低き巾あり。 高きは高網巾という、上官なり。 衣服は茶色の絹にて袖広く、法衣のごとく、上裾分かれたり。 まず裳を着て、また衣を着す。 上には桃色の細き丸き帯を結ぶ。 下着は日本流の服なり。 身幅袖幅ともに広く、帯は前結びなり。 女の髪は礼儀の時は髻を三つに分けて、平生は櫛巻きのごとくなり。 かくのごとくの風俗にて、馬を追い耕すを見るに、実にこの身、唐土にある心地して、さらに日本の地とは思わず。 

かく無年貢の地を与えてこの風俗を立ち置かるること、薩摩の広きを知るべし。 薩摩の朝鮮通詞はこの村の人、務む。 当村にては平生はおおかた和語に慣れたりと言えども、またよく朝鮮の言葉を用ゆるものありて、通事役を務むるなり。 すべて薩摩は異国の船、毎度漂着するゆえ、諸異国の通詞役人あり。 この村の朝鮮通詞を務むるは、もっとものことなり。

 「まんきん」は漢字で「網巾」と書き、今の韓国語では「망건(マンゴン)」と言います。 男性が使うヘアバンドで、韓国ドラマの時代劇によく出てきますから、ご存知の方も多いでしょう。 「まんきん」は中世朝鮮語かも知れません。

 苗代川村は年貢が免除されていて、代わりに朝鮮風俗を維持するように命じられていたということです。 また朝鮮語の通訳の仕事もしていました。 要するに薩摩藩から保護を受ける代わりに、朝鮮語と朝鮮風俗維持という規制を受けていたのでした。 同化政策とは全く反対の〝異化政策″です。 

 苗代川の朝鮮人陶工について、『東西遊記』の記述は以上でした。 ところで「苗代川村」は今は日置市東市来町美山となっていて、この地名のWikipediaに朝鮮人陶工の歴史が詳しく説明されています。 おそらくそれなりの専門家が書いたものと思われます。

 ところがこのWikipediaには脚注、出典、参考文献にこの『東西遊記』がありません。 ということは、この旅行記は歴史資料としてさほどの価値がないと判断されたようです。 私は書かれている内容にウソがあるとは思えなかったので、来日以来200年経った18世紀末の朝鮮人陶工子孫たちの様子を見るのに貴重な歴史資料と思っていました。 しかしどうやら歴史学界では評価が低いようです。 内容に間違いが多いということなのでしょうかねえ。 (終わり)

【拙稿参照】―女性の名前「ロレン」に関連して

李朝時代に女性は名前がなかったのか http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/02/29/8033782

李朝時代に女性は名前がなかったのか(2)http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/03/23/8055612

李朝時代に女性は名前がなかったのか(3)http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/01/8061795

李朝時代に女性は名前がなかったのか(4)http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/05/04/8083000

かつて朝鮮人女性には名前がなかった http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/12/13/9011386

李朝時代の婢には名前がある    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/03/19/8053165

許蘭雪軒・申師任堂の「本名」とは? http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/03/31/8060665

名前を忌避する韓国の女性     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/03/10/8043916

名前を呼び合わない韓国人女性たち http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/05/14/9072220

『故郷忘じがたく候』の元となった逸話(1)2024/01/02

 1592年に始まった秀吉の朝鮮出兵(文禄慶長の役―壬辰丁酉倭乱)の際に、島津軍によって連れてこられた陶工たちが鹿児島の苗代川等の地に定着し、ここで窯を開き陶磁器を焼きます。 「薩摩焼」と呼ばれるもので、その中の沈壽官窯はとくに有名です。 司馬遼太郎の小説『故郷忘じがたく候』は、この朝鮮人陶工の悲哀を描いたものです。

 この小説について、司馬遼太郎が窯元の沈壽官を直接取材し、沈が「朝鮮の故郷を忘れられない」と語ったことに感激して『故郷忘じがたく候』という小説を書いたと説明する人がいました。  実は薩摩焼の陶工が「故郷を忘れられない」と語ったのは、18世紀末の江戸時代の旅行記に出てくる話です。 司馬はこれを読んで、小説の題名を『故郷忘じがたく候』にしたものと思われます。 あるいは14代沈壽官がそれを読んで司馬に語ったのかも知れません。 それはともかくとして、その旅行記を紹介します。 

 旅行記は京都の橘南谿という医師が書いた『東西遊記』(1795年刊行)で、現在では平凡社東洋文庫『東西遊記2』(1974年3月)の170~173頁に、薩摩焼陶工の話が出てきます。 せっかくなので、当該部分を引用・紹介します。 いわゆる「候文」で読みづらいでしょうが、高校時代の古典授業を思い出しながら読めば、理解できると思います。

76 高麗の子孫(鹿児島)

薩州鹿児島城下より七里西の方、ノシロコという所は、一郷みな高麗人なり。 むかし、太閤秀吉、朝鮮国ご征伐の時、この国の先君、かの国の一郷の男女老若を虜となして帰り給い、薩州にてかの朝鮮の者どもに一郷の土地を賜い、永くこの国に住せしめ給う。 今に至り、その子孫、打ち続き、朝鮮の風俗のままにして、衣服、言語もみな朝鮮人にて、日を追うて繁茂し、数百家となれり。 初め捕われ来たりし姓氏17氏、いわゆる、伸、李、朴、卞、林、鄭、車、姜、陳、崔、盧、沈、金、白、丁、何、朱なり。

 ノシロコは前後の文脈から「苗代川」と推測できます。 薩摩での言い方なのでしょうか。

‥‥賓客なれば、ノシロコの庄屋、礼儀を正して出迎えたり。すなわち、庄屋の家に入り、酒販等のもてなしを受けて、初めて対面して名を問えば、シンポウチュンと答う。 その文字を問えば、伸侔屯と書くという。 「さても珍しきお名前なり。 ことに伸というは唐土にも承り及ばず。 朝鮮元来の姓にや。」と言えば、「そのことにて候。 これは日本に渡りて後に改め候なり。 元来は申と申し候を、先祖の者、この国に渡り上りし頃、太守へお目見えの時、披露の役人衆、猿(さる)とそれがしを披露申されぬ。 その場にて争うべきにあらざれば、そのままに拝礼して終わりぬ。 これは申という字、十二支の猿と読む字なれば、帳面の名をかく読み誤りて披露あられしなり。 その明年の年始拝礼の時も、披露の役人また猿なにがしと披露あり。 後にて、それがしが姓は申(しん)と読み申すなりと断り置きしかど、その役人替わればまた明年も猿と披露あり。 とかく人の声も悪しければ、申(さる)と読まざるように、人偏を付けて伸の字に改めぬるなり」と答う。 その由来も珍しき、手を打ちて笑う。

 苗代川村の庄屋さんは「朴平意」と思っていたのですが、ここでは「伸侔屯」となっています。 庄屋さんも時代によって替わっていったのですかねえ。 なお「伸侔屯」は現在の韓国語では「신모둔(シンモドゥン)」となりますが、橘南谿は「シンポウチュン」と聞こえたようです。 中世朝鮮語の発音かも知れないし、ひょっとして鹿児島弁での読み方かも知れないし、何とも言えません。

 本来は「申」なのに、日本では「サル」と読まれるので人偏をつけて「伸」としたというのは面白いエピソードですねえ。 だからなのでしょうか、文禄慶長の役の際に連行された朝鮮人陶工の話の時に、時々出てきます。 (姜在彦『ソウル』文芸春秋 1992年7月 31~32頁など) 

「さて日本に渡り給いてより、何代になり給うにや」と問えば、「既に五代になれり。 この村の中にも、長寿にて続きたりしは四代なるもあり。 また早く替われる家は八代にも及べるあり」という。 「然らば、朝鮮は故郷ながらにも数代を経たまえば、彼の地のことは思い出し給うまじ」と言えば、「故郷忘じがたしとは、誰人の言い置けることにや。 只今にてはもはや200年にも近く、この国の厚恩をこうむり、言葉までいつしか習いて、この国の人に異ならず、衣類と髪のみ朝鮮の風俗にて、他には彼の地の風儀も残り申さず、絶えて消息も承らざることに候えば、打ち忘るべきことにも候えども、只今何となく折節につけては故郷ゆかしきように思い出で候いて、今にても帰国のこと許したまうほどならば、厚恩を忘れたるには非ず候えども、帰国致したき心地候」と言えるにぞ、余も哀れとぞ思いし。

 ここで伸侔屯は「故郷忘じがたし」「帰国致したき心地」と言いました。 これが司馬遼太郎の『故郷忘じがたく候』という題名の元と考えられます。

 薩摩藩は苗代川住民に対し、移動の自由を認めず、朝鮮風俗習慣の維持を命じ、この村を異域として扱いました。 つまり同化政策とは反対の〝異化政策″を行なったのです。 しかし200年も経つと使う言葉は日本語となり「衣類と髪のみ朝鮮の風俗」となったようです。 (続く)

【参考】

 最近、韓国のハンギョレ新聞に沈壽官の記事が出ました。 2023年12月11日付けと12月18日付けで、内容は沈壽官に関する通説・俗説をかなり冷静に批判するもので、一読の価値があると思います。 ただし日本語版は出ていないようです。 関心ある方は韓国語辞典を引きながら読んでください。 新聞記事ですから、そう難しくはありません。

https://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/1119840.html

https://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/1120764.html

朝鮮の「実学」とは?2023/12/26

 韓国の歴史を読んでいると、朝鮮時代(李朝時代)は近代化するだけの体制や学問、思想があったのに、日本が植民地化してこういった近代化の芽を潰した、という話があります。 その〝近代化の芽″というのが「実学」だということです。 『韓国・朝鮮を知る事典』(平凡社 1986年3月)には、次のように説明されています。

朝鮮の伝統儒教である朱子学が朝鮮王朝中期ごろからしだいに現実離れして虚学化したのに対し、儒学内部からの内在的批判を通じて登場した《実事求是》の思想および学問を実学といい、その学派を実学派とよぶ。‥‥ここにいう実学とは、実証性と合理性に裏付けられた現実有用の学問という意味である。 (182頁)

 こういう類の朝鮮史を読んだ時、李朝時代に近代を準備するだけの学問があったのだ、それが「実学」という名称からして農業を始めとした産業の発展に寄与する実用書なんかがあったのだろうとイメージしたものでした。

 さらに想像を膨らませました。 日本の江戸時代に近代に繋がるものとして、蘭学はもちろんのこと、例えば商人は大福帳のような精細な会計帳簿をつけていて、これが明治になって近代的企業会計を導入するのに大いに役立ったとか、関孝和のような和算学の発達が明治時代に西洋数学の理解につながったとか、つまり明治の近代化を準備する思想や学問が江戸時代に既にありました。 朝鮮も李朝時代にこのような類の学問があり、それが「実学」だと思ったのでした。

 ところが、安宇植という評論家が朝鮮の「実学」について、日本のそれと比較して次のように言っています。

確かに江戸や大坂の商人の商いを見たって、町人や庶民という、武士でない人たちから、新しい儒教が実学思想として生まれてくるわけですけれど、朝鮮半島の場合は商人のなかから実学思想が生まれるなんてなかったですね。 結局、両班階級とその下の中人階級のなかから生まれてくる。

‥‥ 結局、朝鮮では実学思想が両班階級から庶民階級に流れていかないんですよ。 流れていたのは天主教(カトリック)だけでした。 あくまで身分制度がネックになっていくんですね。 実学思想を持つ人たち、ことに近世になってくると金玉均らの周辺にずいぶん集まりますね。 そして情報を提供したり、いろいろ道をつけるけれども、やはり階級的な壁というのが乗り切れなかったんじゃないかな。

‥‥ 中人階級というのは、外国からの文章、情報を翻訳したりする仕事がほとんどですから、外からの情報に一番早く接するわけです。 彼らの持ってきた情報が、たとえば実学派なり、その流れを汲む一部の人たちには入っても、そこから広がっていかない。 結局、実学派の考え方で終わってしまう。 (以上 川村湊編『韓国 知の攻略』作品社 2002年5月 118頁~119頁)

 李朝時代は両班という上流階級が現実離れの朱子学をもっぱらにしてきたのですが、一部の両班階級と実務を担当する中人階級から「虚学」を批判する「実学」思想が芽生えた、しかし実学はそれに止まって朝鮮社会全般に広まらなかった、だから生産・経済を発展させることに繋がる学問はこの時代には生まれなかった、ということですね。

 私はそれまで、李朝時代は実学という未熟ながらも近代を準備できるだけの学問があったと思い込んでいたのですが、それは虚像・幻想だったのでした。 「実学」は「虚学」の朱子学を批判しただけで、現実の社会を豊かにするものではなかったのです。 つまり実学は同じ儒教内での議論に止まり、近代を準備するところにまで到達していなかったと言えるのです。 

 姜在彦『朝鮮儒教の二千年』(朝日選書 2001年1月)や小倉紀蔵『朝鮮思想全史』(ちくま新書 2017年11月)には朝鮮の実学を解説しているのですが、その内容がようやく分かってきました。

 朝鮮は19世紀後半に欧米や日本から、シャーマン号事件や江華島事件などによって開国を強要されて近代に入るという歴史を歩みました。 それは近代への準備を全くできないまま、いきなり、そして無理やりに近代に突入したのでした。 朝鮮の「実学」もまたやはり「虚学」の範囲から抜け出られなかったのです。 それが〝朝鮮の悲劇″と言える歴史の始まりだったと考えます。

 李朝時代の歴史については、拙ブログでは下記のように論じたことがありますので、ご笑読いただければ幸い。

『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(8) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/04/09/7270572

『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(9)http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/04/14/7274402

『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(10)http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/04/20/7289374

朝鮮に封建時代はなかった     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/11/23/7919936

李朝はインカ帝国なみか?     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/11/28/7926396

福田徳三について         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/04/03/9054853

福田徳三について(2)       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/04/21/9062338

李氏朝鮮時代の社会        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/10/14/560250

成均館大の宮嶋教授           http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/01/20/6696277

成均館大の宮嶋教授 (続)         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/01/25/6701490

在日朝鮮人が話す北朝鮮2023/12/19

 在日朝鮮人が日本に帰国することを前提に祖国の北朝鮮を訪問することは、1970年代初めまでは基本的に認められていませんでした。 北朝鮮に行ったらそれっきりで、日本に戻ることができなかったのです。 それが日本政府の方針でありました。 それが改まったのは、1970年代のデタント(東西の緊張緩和)という国際情勢の変化でいつまでも北朝鮮と緊張関係を続けられないとされて、在日朝鮮人の訪朝(一時帰国と言われていた)が認められるようになりました。

 ですから在日朝鮮人は1970年代後半から、十数年前の1960年前後に北朝鮮に帰国した親族を訪ねることが多くなりました。 私自身はこの時期に北朝鮮の親族を訪問したという在日朝鮮人から話を聞いたことがあります。

 二人ほどでしたが、一人は焼き肉屋を経営していた女性でした。 1960年ごろに兄の家族が北朝鮮に帰国しており、その兄を訪ねたそうです。 「北朝鮮はどんな国でしたか?」と聞くと、平壌の地下鉄や都市の風景、観光名所などに行ってきたという写真を見せてくれて、「こんなにきれい所だったよ」と言っておられました。 しかし肝心のお兄さんたちがどんな家に住み、どんな暮らしをしているのかについては全く話がなく、写真もありませんでした。 「北朝鮮はいい国だと言う人と、あんなひどい国はないと言う人とがいますが、行ってみてどうでしたか?」と聞くと、「後ろの方と思ってくれてもいいよ」。 次に「日本と比べて住みやすそうなところでしたか?」「それは日本、あっちは隣の村に行くのに一々許可がいるんよ。」 これ以上聞くとヤバそうなので、話はそれで終わりました。

 もう一人は在日のおばあさん。 「この前、北鮮にいる弟のところ、行ってきましたんや。 北鮮というところ、太ってるのは金日成だけや。」 この方はそれ以上のことを言わなかったし、私も聞きませんでした。 ただ北朝鮮を「北鮮」と言っていたのが印象的でした。

 家が朝鮮総連系の在日の方から、北朝鮮に帰っている兄の話を聞いたことがあります。  「兄貴が北朝鮮にいて、しょっちゅう手紙が来る。 幸せに暮らしているとか書いてあるけど、金送れ、薬送れ、服でも何でも送れ、そればっかりや。 幸せに暮らしていて、なぜ金送れ!なんて言うんや。 総連の奴らは北はいい所なんて言っとるけど、全然いいことない。 そう言うんやったら、あいつらが北に帰ればいい。 自分らが帰らんくせに、何でいい所なんや。」 あまり詳しく聞いてはいけないと思って、これ以上聞きませんでした。

 1980年代になってからですが、ある在日女性の話。 1984年に『凍土の共和国―北朝鮮幻滅紀行』(金元祥著 亜紀書房)という本が出版され、すぐさま買ったそうです。 そして家族が寝静まった夜に、一気にそれを読んだとのことです。 曰く「あれに書かれていることは本当だ」。 その一言を言った後は、何も言いませんでした。 その方の親族に北に帰った人がいるなんて、それまで聞いたことがなかったので少々驚きました。 時々手紙が来ていたようですが、彼女は北について何も喋ってこなかったのです。 

 私の場合、在日から北朝鮮の話を聞いたのは以上の四人だけです。 わずかな情報でしたが、四人とも喜んで話すことはなくポロッとしゃべるだけでした。 その時は、北朝鮮の親族たちはかなり苦労しているのだろう、そんな苦労は身内のことだから他人に話したくないのだろうと思いました。

 一方、当時『朝日ジャーナル』などの雑誌に北朝鮮の訪問記が時々載っていて、そこの人々は質素ながらも〝明るく希望を持って暮らす幸せな北朝鮮社会″が報じられていました。 それを読んでいた私は上記のように在日からの話を聞いていたので、そういう人もいるだろうが苦労している人もいるのだ、訪問記は真実の一面だけを書いたものだと思っていました。 

 ところが1989年に東ヨーロッパで社会主義が崩壊し、社会主義国の内情が暴露されました。 ルーマニアなど社会主義体制下で人民がどれほど悲惨な暮らしをしていて、その真実を外国人に話すことが犯罪になっていたことを知り、ようやく目が覚めたのでした。 そしてそれまで読んできた北朝鮮訪問記の、〝北の人民は明るく希望を持って幸せな生活を送っている″とする記事はすべてウソだと悟りました。 在日が北の親族についてポロッとしゃべってそれ以上言わないのは単なる苦労ではなく非常に深刻なものであること、そしてそれを口外することがどれほど危険であるのか、それが分かってきたのです。 北朝鮮に帰国した親族がいるはずの総連系の人が、北について何も喋ってこなかったのも理解するようになりました。 ポロッと一言しゃべってくれたのは私を信頼したからであって、普通は全く喋らないのです。 『朝日ジャーナル』などの雑誌に掲載されていた北朝鮮訪問記はすべてウソであり、真実は全くないのでした。 

 そのころにロシア少数民族の研究者と話をしたことがあります。 ソ連が崩壊した直後に訪問したので、現地の人は以前より自由にものをしゃべれるようになっていたそうです。 北朝鮮に仕事で行ったことがあるという現地人が、〝我々の国も酷かったが北朝鮮はもっと酷い、世界最悪だ″などと言っていたそうです。 以前の私でしたら〝それは一部を見ただけに過ぎない″と考えたでしょうが、その時はもう〝確かにその通り、滅茶苦茶な国だ″と賛同するようになっていました。

 以上のような経験と、更に横田めぐみさんらの拉致事件が明白になったことによって、私は北朝鮮や朝鮮総連に対する不信感が決定的で動かせないものになりました。 だからこそ北朝鮮を感情的に見るのではなく、冷静に客観的に分析するように見なければならないものです。 しかし一度は北朝鮮を信じ、世に出回る反北朝鮮情報は反共右翼の宣伝物なんて思っていましたから、今の私は北朝鮮に対してどうしても感情的になりますね。

【北朝鮮に関する拙稿】

朝鮮民主主義人民共和国の正統性は何か? http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/11/21/9636056

朝鮮総連幹部らには月3万円の教育費支給 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/10/24/9627897

『労働新聞』の論説―朝鮮戦争70周年(1) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/07/27/9605137

『労働新聞』の論説―朝鮮戦争70周年(2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/07/31/9606151

『労働新聞』の論説―朝鮮戦争70周年(3) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/08/04/9607167

『労働新聞』の論説―朝鮮戦争70周年(4) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/08/08/9608146

『労働新聞』の論説―朝鮮戦争70周年(5) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/08/12/9609128

今日は「太陽節」-朝鮮総連に教育費2億7千万円 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/04/15/9577360

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北朝鮮の核開発の目的   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/09/07/8671910

自主的、民主的、平和的統一       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/04/22/6421457

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北朝鮮を甘く見るな!(1)        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/07/23/7395972

北朝鮮を甘く見るな!(2)        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/07/28/7400055

北朝鮮を甘く見るな!(3)        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/08/02/7404064

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『写真と絵で見る北朝鮮現代史』     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/02/06/5665262

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1970年代の北朝鮮=総連の手口     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/11/12/6199653

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