済州島4・3事件の赤色テロ(1)2018/06/10

 今から70年前の1948年済州島4・3事件。 事件の簡単なあらましを『韓国・朝鮮を知る事典』(平凡社 2014年3月)から引用しますと、

1948年4月3日、南朝鮮の単独選挙に反対した済州島島民の武装蜂起。 単独選挙に反対した島民がデモをしたり、竹槍、斧、鎌、手榴弾、旧式銃などをもって、島内の警察署を襲撃するなどの闘争が続いていた。 4月3日、南朝鮮労働党は武装蜂起を決定し、党の下に人民遊撃隊を組織した。 その規模は300人余り。警察から奪取した武器、弾薬で武装した遊撃隊は、政治犯を釈放し、西北青年会など右翼テロの粛清を行なうなど、一時はほとんど全島を掌握し、5月10日の単独選挙実施を阻止した。

蜂起の鎮圧のために本土から国防警備隊やテロ団が大量に送り込まれた。 国防警備隊やテロ団はパルチザンの家族や島民を虐殺し、部落を焼き払うなどの〈焦土化〉作戦を行なった。 130あまりの村々が焼かれ、討伐隊による住民の集団虐殺が各地で起こった。 遊撃隊は漢拏山を根拠地としてパルチザン闘争を展開した。 (以上、325~326頁)

 この事典では4・3事件を直接説明した記述は以上だけです。 

 ところで世に出回っている4・3事件の概説には反革命権力(警察・軍や右翼。 「討伐隊」「鎮圧軍」「西北青年会」などと呼ばれた)による白色テロが列挙されるのがほとんどで、これに対する革命勢力(南朝鮮労働党の武装組織。 「遊撃隊」「山部隊」「武装隊」などと呼ばれた)による赤色テロはごくわずかに触れるだけのようです。 上記の『事典』でも「遊撃隊は、政治犯を釈放し、西北青年会など右翼テロの粛清を行なうなど」と記している程度です。

 実際には、赤色テロが少なかったということではありません。 4・3事件後の約1年間は革命側が強力な勢力を維持していましたから、かなりの数の赤色テロを引き起こしていました。 そしてそれは白色テロに負けず劣らず熾烈で過酷なものでした。 だから今の世に出回っている4・3事件の概説は、上記の『事典』も含めてバランスを失っているのではないか、というのが私の意見です。 

 そこで赤色テロがどういうものだったかを取り上げたいと思います。 まずは4・3事件の武装蜂起に参加した金時鐘さんは白色テロの実際を記述するなかで、赤色テロに触れているところを紹介します。

(5月)20日の昼すぎ、荒磯の近くで小舟を浮かべて烏賊釣りをしていた父(金時鐘の従姉の夫である高南杓)ら総勢10名の漁師を、(討伐隊が)道頭峰山頂まで引っ立てていって虐殺し、万歳を唱えて討伐特攻隊の警官らは引き揚げていったそうです。 南杓の遺体は目も当てられないほどの傷みようで、眼の片方は刳り抜かれており、右腕は肘の上からもがれてひときれの皮でようやくつながっていたと、こらえきれない憤りを虚ろににじませながら泣きじゃくっていました。 お金もお米もなくて葬式を出せないと訴えてきたのです。

この虐殺はその二日前の18日、この地区の砂水洞で右翼の家族ら6人を武装隊が拉致して殺害したことへの、見境のない仕返しの血祭りでした。 (以上 岩波新書『朝鮮と日本に生きる』2015年2月 220~221頁)

 この最後にある「右翼の家族ら6人を武装隊が拉致して殺害した」が赤色テロです。 本人だけではなく家族までも殺すところが当時の赤色テロでした。 また金時鐘さんは親戚が赤色テロに遭う実際を目の当たりにしたことを記します。 彼は4・3事件で武装蜂起に参加して警察から追われることになり、叔父の家に潜伏します。 叔父は地元の区長で有力者です。

4・3事件の当時、僕は身を潜める場所がなくて一時母方の叔父貴の家の裏に潜んだんですよ。 区長の家ですから、軍人や警察の上役あたりがしょっちゅう出入りする。 叔父貴は警官の上役が来たりすると、甥ごを匿っている負い目も働いてのことでしょうが、ちょっとした酒食でもてなすわけです。 区長の家ですから家捜ししません。‥‥警官や軍人をもてなしている区長の叔父貴を、山部隊は討伐隊に加担している者と見て誅殺します。

明け方、襲ってきた山部隊に竹槍で刺される。二ヶ所、腹を刺されました。 腸がはみ出たまま、母屋の真ん中は板間になりますが、そこを突き抜けて裏の石垣を越えて向こう側の小道に落ちました。 それでもすぐには死なないで、三日間くらい、それこそ断末魔のうめき声をあげて、家族たちは昼も夜も泣き叫んでいる状態でした。 医者も手当てができるわけじゃない。 僕のために殺されたという思いも、僕はずっとかかえてきました。 (以上 集英社新書『「在日」を生きる』2018年1月 106~107頁)

 叔父は区長という立場上、警察等とは付き合わねばなりません。 しかし警察から追われている甥を匿っているのですから、気付かれないように来訪する警察を接待します。 しかし武装隊は自分たちの仲間を匿ってくれている叔父を残酷に殺しました。

 金時鐘さんの記述から赤色テロに関係する部分を引用しました。 ただし金さんは革命勢力側であることを今も維持していますので、白色テロは詳しく記していながら赤色テロの方は簡単に触れるだけです。

【関連拙稿】

韓国映画『チスル』 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/06/01/7332806

コメント

_ A.OTA ― 2018/06/10 23:38

韓国では現在もそうですが植民地時代から反ブルジョア権力の代表選手としての左翼が国民の広い層からのシンパシーを得ているようですね。まさにそれは弱者の味方に対する一種のシンパシーであって思想的な共感ではない。一方で朝鮮戦争の惨禍や軍事政権の教化によるパルゲンイ(アカ)に対する激しい嫌悪感もある。しかしそれは後天的なものであってやはり国民意識の基底には奴隷解放の救世主を待望するような気分が横溢している。4·3事件にしろ新しくは5·18事態にしてもその解釈が反政権的になるのは自然の勢いだと思いますね。5·18では確か暴動民たちがビルの屋上に重機関銃を据えて治安軍兵士を狙い撃ちしてましたけど今そのことはあまり言及されませんよね。韓国よりも社会主義者の層が厚くシベリアや中国で洗脳された帰還軍人が多かった日本の戦後が結局はブルジョアの優勢で推移したことは日本人が韓国人とは逆に「奴隷化」経験がなかったことが大きかったのではないでしょうか。

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