朴一さん『在日という病』を読む(4) ― 2025/09/01
https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/08/27/9798735 の続きです。
韓国に留学するとアイデンティティが揺らぐ
朴一さんは1997年に韓国に留学した時、自分の韓国人としてのアイデンティティに揺らぎを感じます。
いつものようにタクシーを利用し、運転手といろいろ話をしていたら、運転手から突然、こんなことを言われました。
「お客さん、日本人なのに、韓国語うまいね」
私が運転手に「私が日本人に見えますか。 これでも韓国人なんです」と言うと、彼はこう言い返しました。
「韓国人にしては韓国語がへたやね」
‥‥この運転手の一言は、本当の韓国人になりたいと頑張っていた私には棘のある言葉でした。 (以上、126~127頁)
在日が本国の韓国を旅行して〝自分は日本人ではなく韓国人だ”と名乗ると、必ずと言っていいほどに〝ハングギニンデ ジェデロ モタヌンガ(韓国人なのに、ろくに喋れないのか)”と返されたという経験をしますね。 〝自分は民族性を取り戻すために祖国にやってきました”なんて言っても、本国の韓国人は感心するのではなく〝ハングゴガ ノム ソトゥルロ(韓国語が下手くそ!)”と厳しい言葉を浴びせます。 朴さんも例に漏れず同じ経験をしました。
つまりは〝日本で朝鮮人だとバカにされ、韓国に来てみたら言葉ができないとバカにされ‥‥、結局在日は日本でも韓国でも差別される”ということになります。 それで「自分は日本人でも韓国人でもない」という意識になるようです。 だったら、どうすればいいのか? 朴さんは「在日としての生き方を模索」しました。
(1997年の韓国)大統領選挙で味わった、何ともいえない疎外感は、自分は韓国人でありながら韓国人でないというアイデンティティの揺らぎを再確認する機会になりました。 私が日本人でも韓国人でもない在日という生き方を模索するようになったのは、それからのことです。 (136~37頁)
しかし朴さんは自分が「日本人でも韓国人でもない在日だ」と決意しても、それは主観的な情緒に過ぎず、客観的には韓国人なのです。 ですから海外に出かける時には韓国政府から発給される韓国パスポートを持っていくしかなく、そこでは「私は日本人でも韓国人でもない在日だ」と言い張っても通じません。 〝韓国人なのに、なぜ韓国人でないと言うのか?”と怪しまれるだけでしょう。 あるいはまた〝韓国パスポートを持っていながら下手な片言韓国語をしゃべるこの人間は本当に韓国人なのか?”と不審がられるでしょう。 「在日という生き方」は日本国内だけで通用するもので、国際的に通用しないのです。
参考までに、ある在日韓国人がアメリカに旅行した時の手記を紹介します。
在日韓国人がアメリカを旅行する時、いつも経験することですが、アメリカ人は日本で生まれた私たちを、日本人だといいます。 「いいえ違う、韓国人だ」と言っても、韓国から来ている〝ほんとうの韓国人”に比べると、自分はどことなく日本人のような気がします。 そんなことを説明すると、アメリカ人は「じゃ、お前は、韓国にルーツをもつ日本人で、イタリア系、ドイツ系アメリカ人のようなものだ」と言います。 「いや、そうではない、私は韓国系日本人じゃなくて、在日する韓国人だ」といくら言っても、彼らにはこの違いが容易に理解されません。 (李貞順「『在米』から『在日』を考える」 1983年『三千里』所収)
私の知り合いも、同じような経験をしていました。 その話は、20年ほど前ですが拙稿「在日朝鮮人が海外旅行すると‥」 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daisanjuunidai で発表しました。 (続く)
【拙稿参照】
在日韓国人と本国韓国人間の障壁 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/12/12/9641974
『在日コリアンが韓国に留学したら』を読む(2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/12/11/9738817
韓国人でも日本人でもない―しかし同化する在日韓国人 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/02/14/9562752
在日が民族の言葉を学ぼうとしなかった言い訳 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/12/12/5574193
姜信子『棄郷ノート』を読む http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/10/19/8977899
在日コリアンと本国人との対立 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/11/20/6208029
在日コリアンの「課題」 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/01/08/6282960
朴一さん『在日という病』を読む(3) ― 2025/08/27
https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/08/21/9797365 の続きです。
外登証の常時携帯義務
次に外国人登録証(外登証)の常時携帯義務ですが、朴さんはこれに違反して逮捕されます。 ちょっと長くなりますが、引用・紹介します。
1984年6月、事件が起こりました。 車を運転中に名神高速道路尼崎インターチェンジ入り口で飲酒検問があり、私は外国人登録証(以下、外登証)を携帯していないという理由で、警察に拘束され、尼崎西署に連行されたのです。 外国人登録法(以下、外登法)で「外登証の不携帯」という罰則規定があると聞いていましたが、実際に外登証を24時間携帯するのは不可能で、紛失を恐れていた私はいつも自宅の机の中にしまっていたのです。
その日も、外登証を自宅に置いたまま、車で外出し、たまたま高速入口で行なわれていた飲酒検問で、飲酒ではなく、外登証の不携帯で捕まったわけです。 尼崎西警察署に連れていかれると、二人の警察官から取り調べを受けることになりました。 数時間にわたり、名前、住所、職業などの個人情報だけでなく、姉や妹の配偶者の国籍や職業まで聞かれ疲れていた私は、警察官の質問につっけんどんに答えていたところ、突然、質問していた若い警官がキレて、私にこう言ったのです。
「日本の法律を守らんのやったら、さっさと自分の国に帰れ」
この警察官の一言で、私もアンガ-コントロールできなくなり、こう言い返しました。
「外登証の常時携帯って言いますけど、街の銭湯に行くとき、どうすればいいんですかね。 服脱いで、裸になったとき、ビニール袋にこの外登証を入れて、首からぶら下げて入れるんですか。 あなたも、一度やってみてくださいよ」
この一言で、取り調べは終わり、私の外登法違反事件は裁判所送りになり、数日後、裁判所から次のような略式命令が下されました。
「被告人を罰金8000円に処する。 罰金を完納することができないときは、金2000円を一日に換算した期間、被告人を労役場に留置する」
外登証を常時携帯することなど、そもそも不可能なことなのに、それを罪に四日間も労役場留置するとは。 指紋押捺だけでなく、外登証の常時携帯も外国人に対する人権侵害以外の何ものでもない。 指紋押捺拒否運動の方針に、押捺制度の廃止と同時に、外登証の常時携帯制度の廃止を盛り込んだのは、この不条理な判決からです。 (以上、75~77頁)
私は〝何とアホな人だろう!”と思いました。 外登証をうっかり所持しないで外出することは在日の誰でもよくあることですが、警察の検問や不審尋問などの際に見つかったならば、すぐに家に電話して家人に持ってきてもらえばそれで済んだ話です。 しかし、もし家にもなくて今すぐ提示できないとなれば、外登証の番号を言うとか、誰かに身分を証明してもらうとかしなければなりません。
1980年代ですから韓国からの密入国者が多かった時代で 密入国者数は数万人などと言われていて、ある人は10万人を越えるなんて言っていましたね。 それ以外に北朝鮮からの工作員潜入もありました。 ですから警察は韓国・朝鮮人だと分かれば、すぐにその身分を確認するために外登証の提示を求めていました。 もし提示しなければ、密入国などの疑いをかけられることになります。 朴さんはそれを人権侵害だとして、おそらく学生運動のノリでイキがって警察に抵抗したのでしょう。 そんなことをすれば、警察はさらに怪しんで徹底した調査をすることになります。
数時間も取り調べられ、「姉や妹の配偶者の国籍や職業まで聞かれた」といいますから、家人(姉や妹の配偶者)に外登証を持ってきてもらおうとしたのでしょうか。 おそらく朴さんの態度から怪しんだ警察はさらに〝その人は誰だ?”と追及したのでしょう。
ところが朴さんは逮捕されました(後述)。 逮捕されたとなると、家にあるはずの外登証が見つからず、警察官に外登証の実物を呈示できなかったと考えられます。 おそらくは在留資格(当時は協定永住、126-2-6、4-1-16-2など)を確認するまでの間、逃亡の恐れありとして拘束されたものと思われます。 結局、外登証常時携帯義務違反で罰金8000円。 前科がつきました。
当時、在日は免許証の本籍欄に「韓国(あるいは朝鮮)」と書かれていましたから、車を運転していて警察の検問にあって免許証を呈示すると、必ず「外登は?」と聞かれました。 だから在日は免許証と外登証をセットで持っているものでした。 しかし朴さんは持っていなかったし、しかもそれをネタに警察とケンカしたというのですから、おそらく最初から反権力思想の実践をしてやろうと身構えていた、つまり確信犯ではないかと思いました。 こんな些細でくだらないことで警察に抵抗しても、相手は最末端の警官ですから何の意味もなく、本人が時間とお金を損するだけです。 まあ、学生運動の仲間うちで〝武勇伝”の自慢話をするくらいの意味はあったでしょうが‥‥。
ところで朴さんは警察官に「街の銭湯に行く時どうすればいいのか、首にぶら下げて風呂に入れというのか」と聞いたといいます。 これは昔から在日社会で、外登証の常時携帯義務を揶揄する話として語られてきたものです。 これ以外に、在日は相撲力士になったら外登証をまわしに入れておくのか、とかのバージョンがありました。 私がこの話を聞いたのは1970年代初めでしたから、ずっと語り続けられてきたようです。 こんなバカ話を取り調べ中の警察官相手にしたとは、“ほんまにアホ”としか言いようがないですねえ。 また、そんなしょうもない昔の話を数十年経った今度の著書に書き残すなんて、やっぱり〝いちびり大阪人やなあ‥”と思いました。
なお朴さんは「逮捕」されたと書きましたが、これは次の記述によるものです。
1986年7月8日、ついに尼崎市役所の市民課で指紋押捺を拒否‥‥ もし告発されて裁判になれば、二度目の逮捕もありうるわけで (80頁)
と、過去に逮捕歴があったことを明かしています。 それは今回の外登証常時携帯義務違反ですね。
なお念のために申しますと、在日の外登証は1991年の特別永住制度の発足時に「特別永住者証明書」となり、その常時携帯義務がなくなりました。 今回記事のような常時携帯義務違反事件は、それより以前のことになります。 (続く)
朴一さん『在日という病』を読む(1) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/08/15/9796104
朴一さん『在日という病』を読む(2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/08/21/9797365
【在日に関する拙論(2021年以降分)】
『在日コリアンが韓国に留学したら』を読む(1) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/12/06/9737449
『在日コリアンが韓国に留学したら』を読む(2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/12/11/9738817
在日韓国・朝鮮人自然消滅論(1) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/11/26/9734747
在日韓国・朝鮮人自然消滅論(2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/12/01/9736094
在日の「国籍剥奪論」はあり得ない https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/11/19/9732903
玄善允ブログ(2)―在日の錦衣還鄕がトラブルに https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/04/04/9673005
在日韓国人と本国韓国人間の障壁 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/12/12/9641974
在日の定義は歴史意識にある―『抗路11』 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/03/24/9670017
在日のアイデンティティは被差別なのか―尹健次 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/06/12/9387023
『抗路』への違和感(2)―趙博「外国人身分に貶められた」 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/06/02/9383666
李青若『在日韓国人三世の胸のうち』(1)―強制連行 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/12/06/9546013
李青若(2)―「あなたは同化しているね」 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/12/06/9546013
李青若(3)―1990年代の在日問題 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/12/11/9547102
朴一さん『在日という病』を読む(2) ― 2025/08/21
https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/08/15/9796104 の続きです。
在日犯罪者の報道は本名ですべきか通名ですべきか
朴さんはあるテレビ番組で、〝事件報道では在日の犯罪者は通名で呼ぶべきであって本名を使ってはならない”と主張しました。 具体的には「聖神中央教会事件」のことで、この教会の主管牧師が在日であり、信者の少女らを次々と強姦したという事件でした。 詳しくは検索してみてください。 この凶悪犯の在日牧師について、『朝日』など一部の新聞は通名の「永田保」だけを報道し、本名の「金保」を隠しました。 このことについて、朴さんは〝通名での報道をすべき”と主張したのでした。
在日韓国人の多くは日本名(通名)を名乗っていますが、犯罪に手をそめると、日本のマスコミはその人物の韓国名(本名)と国籍を暴くことが多いのですが、『朝日新聞』は「犯罪と出自、国籍に因果関係が見られない場合、在日韓国人の民族名(本名)を暴くことはプライバシーを侵害する可能性がある」という報道指針から、この事件のときも、容疑者の名前を日本名で報じていました。 私のコメントは、こうした『朝日新聞』の報道指針にそったものでした。 (170頁)
犯人の金保(永田保)は在日であり、韓国のキリスト教神学校で学んだ後、日本に戻ってきて聖神中央教会の主管牧師となり、その牧師の地位を利用して凶悪犯罪を繰り返しました。 この牧師はそれより以前にも性犯罪傾向が指摘されていて、その時は韓国に一時逃亡して事なきを得ていたようです。 ですからこの犯人である牧師は、「犯罪と出自、国籍に因果関係」が確かにあります。 しかし『朝日』は本名も国籍も報道せず、朴さんもそれに賛成したのです。
ところで『朝日』の犯罪報道では、一般的に犯人の名前や年齢、住所、所属などの個人情報を出しています。 犯罪報道には犯人のこのような個人情報が必要というのなら、本名や国籍も必要でしょう。 『朝日』はなぜ本名と国籍に限って出さないという報道指針を打ち出したのか、疑問です。
朴さんは、それから20年経った今度の著書でもこの事件について記しているのですから、在日が犯罪者の場合、その本名も国籍も隠すべきだとする考え方を今も維持していることになります。 その理由について、彼はテレビ番組で「ああいう犯罪をした時に在日コリアンの出自を暴くというマスコミのね。 やり方っていうものはいかがなものかと私は思うんですよ」と発言しています。 〝在日はいいことをすれば本名で、悪いことをすれば通名で”という考え方なのだろうと思われます。
金保は懲役20年の実刑判決が下り、罪質があまりに悪いので仮釈放はないでしょう。 逮捕されたのが2005年4月で61歳とされていますから、今は80歳を越えて出所して社会に出ているものと思われます。 なお金が特別永住者なら、強制送還はありません。
指紋押捺拒否
朴さんは1980年代に指紋押捺拒否運動に参加します。
大学院時代、研究以外に私が多くの時間をさいたのが指紋押捺拒否運動でした。‥‥日本人には犯罪者だけに強制される指紋押捺をすべての在日外国人に義務づけることは、民族差別であり人権侵害にあたるという韓さんの主張に、私も共鳴したのです。 (73頁)
実際に朴さんは、1986年の外国人登録切り替え日に指紋押捺を拒否しました。 そんな朴さんですが、私が気になるのは〝彼の本国である韓国での指紋押捺制度をどう考えておられるのか”です。
韓国では国民すべてが住民登録をせねばならず、その際に指紋が強制されます。 このことを朴さんが知らない訳がありません。 彼が指紋拒否運動をした当時、韓国では犯罪者どころか国民みんなが指紋押捺させられているという事実が報道されていました。 また彼の大学には韓国から留学生が多く来ており、彼らは指紋が捺された韓国住民登録証を所持しています。 朴さんは教授ですから、これを見る機会は多くあったはずです。 あるいはまた、1999年に無期懲役囚の金嬉老が仮釈放されて韓国に引き取られて晴れて韓国の国民になった時、韓国の住民登録をする際にマスコミの前で指紋押捺した姿が広く報道されました。 もし朴さんの主張のように〝指紋押捺は人権侵害である”というのなら、韓国では全ての国民の人権が侵害されていることになります。
朴さんは韓国で指紋を強制されて人権侵害を受けている本国韓国人と、日本で指紋を強制されずに人権侵害を受けない権利を有している在日韓国人について、どう記述しているのかに私は注目しました。 しかし結果は全く記述がありませんでした。 ということは、朴さんは自分たち在日の人権侵害には敏感で押捺拒否までしたのに、本国である韓国では全国民が受けている人権侵害には関心がなく指紋押捺を容認にしていることになります。 専門家である朴さんがこのような一貫性のない主張をするのはいかがなものか、と疑問を持ちます。 (続く)
指紋押捺拒否運動への疑問 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daiyonjuunanadai
朴一さん『在日という病』を読む(1) ― 2025/08/15
2年ほど前に発行された朴一さんの『在日という病 ―生きづらさの当事者研究』(明石書店 2023年10月)を読む。 世の評判にはあまりならなかったようですが、これまでの朴さんの著書には参考になるところがあり、下記のように拙ブログでも時々取り上げることがありましたので、読んでみました。
朴一さん http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/05/14/364473
水野・文『在日朝鮮人』(21)―同化 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/09/23/8197450
1950~60年代の大阪紡績王―徐甲虎(阪本栄一) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/03/19/9762010
朴さんの『在日という病』は、「私の65年にわたる在日生活史を通じて、私が体験したエスニック・コンフリクトを事例に、在日コリアンをめぐる諸問題について考察したもの」(9頁)とあります。 また朴さん自身が在日問題の専門家であり大学教授ですから、参考になるような新しい事実や鋭い分析があるものと期待しつつ、私が読んで疑問に感じたところを書きます。
父親は特高の観察下にあった
父が残した自伝には、1936年秋に治安維持法違反で逮捕され、2年半にわたって独房に入ったという武勇伝が記録されています。 釈放後も父は特高警察から「要注意人物」として保護観察下に置かれ続けた、筋金入りの民族運動家です。 (16~17頁)
治安維持法は最高刑が死刑ですから、「2年半」は軽い方です。 そして「特高の保護観察下に置かれた」とありますから、失礼ながら私は特高の協力者(悪い言葉を使えばスパイ)となって在日朝鮮人たちの動向を探っていたのではないか、と思いました。 というのは共産党の古参党員だった人に戦前の話を聞いたことがあるのですが、仲間が逮捕された後に釈放されてきた場合、〝スパイになったのでは”と先ずは疑うものだったということでした。
朴さんの父親も「釈放後も特高の保護観察下に置かれ続けた」とあり、特高とは連絡を取り合っていたのですから、ひょっとしたらと思ったのです。 そして特高から「要注意人物」とされたとあります。 私が想像するには、特高は父親が民族運動と接触する可能性が高い「要注意人物」と判断して、さらに父親には〝在日社会における民族運動の動き(海外の独立運動組織との関係など)を観察し報告する”ことを求めていたのではないかということです。 しかし朴さんは「筋金入りの民族運動家」と書いておられますので、ちょっとビックリです。 父親が〝特高から保護観察されるほどの筋金入りだった”と誇りたかったのでしょうが、私には疑問です。
本名問題
朴さんは高校時代に本名を名乗り始めました。
私も小学校では本名の朴一(パクイル)ではなく、日本名の新井一(あらいはじめ)という通名を使っていましたが、内心は日本人の友人に、いつ韓国人ということがばれてしまうのか、はらはらしながら学校に通っていました。‥‥当時、一般的な日本人の在日コリアンに対するまなざしは明らかに差別的なものがありました。 (18頁)
(高校で本名宣言して自分が韓国人であることを明らかにした後) つきあっていた彼女が友だちと二人と一緒に近づいてきて、こういいました。
新井くんが何人(なにじん)でも関係ないよ。 私は新井くんの人間性がすきやから。
このときの「何人でも関係ない」という彼女の言葉は、私の心に突き刺さりました。 しかし、その一方で、なんともいえない違和感につつまれました。 国がなくなれば、何人も関係なくなるかもしれませんが、国家は存在し、国家に帰属する国民が存在するわけです。 この国で国民として認められない人々が、この国で排除されないため、懸命に日本人の仮面をつけて生きてきた民族的葛藤を、「何人でも関係ない」という言葉で簡単に片づけてほしくないと、思ったのです。 (以上 30~31頁)
差別されることを恐れて、今も多くのアジア系住民が日本名を名乗らざるをえない日本の現状をどこから、どのように変えていけばいいのか。 日本人のアジア系住民に対するまなざしが問われていると思います。 (32頁)
「今も多くのアジア系住民が日本名を名乗らざるをえない日本の現状」というのは、そのようなデータがあるのでしょうかねえ。 私の経験では、在日華僑の方は大体みんな民族名でしたし、近年来日したアジア系外国人もほぼみんなが日本名ではなく民族名です。 ニュースで出てくる事件報道でも、アジア系外国人の名前も民族名ですね。 日本名を名乗るのは日本人男性と結婚した外国人女性か、昔から居住するオールドカマーの在日韓国・朝鮮人(特別永住者)ぐらいでした。 従って「今も多くのアジア系住民が日本名を名乗らざるをえない」という朴一さんの主張には、私には大きな違和感があります。
なお1980年前後にベトナムから約1万人の難民(ボートピープル)が来日した際、日本語の分からない子供が学校に通う時に日本名を使っていたというニュースがありましたが、私の身近なことではなかったので詳細が分からないです。
続けて朴一さんは名前の問題に関係して、「日本人の在日コリアンに対するまなざしは明らかに差別的」とか「日本人のアジア系住民に対するまなざしが問われている」と書いているように、〝在日やアジア系に通名(日本名)を強制する日本が差別的で悪い”〝先ずは日本人が改めよ”という考え方です。 これは民族差別と闘う活動家たちの主張と同じですね。 〝私が本名を名乗れないのは日本のせいだ”〝日本人は在日が本名を名乗れる社会を作れ”というような言い方になります。
しかし自分の名前をどう名乗るかは昔も今も本人の問題であって、外部の人間が強制するものではありません。 そもそも在日や外国人が通名を使うかそれとも本名を使うかは、本人の自由な判断に任せるべきものです。 周囲の日本人は〝名前をどうするかはあなた自身が主体的に選択してください”と言うものです。 もし本名を名乗るというなら〝はい、分かりました、そうしましょう”とせねばならないし、もし通名を名乗るというなら〝はい、その名前を使いましょう、しかし必要な時は本名を使いますよ”とすればいいだけです。 そして昔も今も、これで十分な対応なのです。 日本に「在日が本名を名乗ることのできる社会を作れ」と要求することに対しては、“とうの昔に実現していますよ”という事実で答えるしかないでしょう。
朴さんが高校時代に本名を名乗り始めたのは、本名を使おうが通名を使おうが構わないという社会の中で、ご自分が本名を名乗ることを決意し実践したということです。 おそらく家族・親戚みんなが通名で生活してきて、ご本人も生まれてからずっと通名だったのが、それこそ一大決心で本名を名乗ったということだろうと思われます。 本人は大変な思いだったでしょうが、日本社会は通名も本名もずっと許容してきたのです。
なお、いま日本では在特会とかネットウヨとか呼ばれるレイシストたちが跳梁跋扈していて、〝在日の通名を禁止して本名を使え”と主張します。 そこには在日を晒し者にしたいという差別目的があります。 一方朴さんらは自分たちの民族主体性運動として、〝在日は通名を止めて本名を呼び名乗ろう”と呼び掛けます。 両者は目的が違いますが、中身(通名ではなく本名を使う)が同じであることに関心が行きます。 (続く)
【在日の本名についての拙稿】
第21題「本名を呼び名乗る運動」 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainijuuichidai
第85題(続)「本名を呼び名乗る運動」考 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihachijuugodai
第84題 「通名と本名」考 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihachijuuyondai
「部落民宣言」と「本名を呼び名乗る」運動 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/10/28/9435562
大阪の民族学級―本名とは何か http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/07/31/9403271
在日誌『抗路』への違和感(1)―趙博「本名を奪還する」 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/05/27/9381682
通名禁止、40年前から「左」が主張と実践 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/01/05/6681269
「左」が担った「通名禁止」運動(3) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/03/23/9359710
二つの名前を持つこと http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/06/27/6493072
在日の本名とは? http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/07/01/6497383
通名を本名と自称する在日 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/07/04/6500499
日本名を本名とする在日朝鮮人 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/12/18/6663657
在日の通名使用の歴史は古い http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/01/12/6688526
ある在日の通名騒動記 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/07/16/6904707
通名・本名の名乗りは本人の意思を尊重せねば http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/07/28/6925152
外国人が通名で銀行口座を設ける場合 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/08/13/6945717
外国人の名前 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/08/16/6948002
在日の通名は特権ではない http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/10/23/7019964
通名登録制度を悪用した事件 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/11/02/7031887
本名強要は人格権侵害―判決 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/04/24/7618561
外国と日本の文化の違い―卑猥語(2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/03/18/9358120
「左」が担った「通名禁止」運動(3) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/03/23/9359710
金義晴さんの思い出―本名について https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/04/17/9676429
韓国と日本の特殊詐欺(ボイスフィッシング) ― 2025/08/09
今の日本では特殊詐欺が猖獗を極めていますが、予防や取り締まりが難しいようで、なかなか減る気配がありません。 「特殊詐欺」は韓国では「ボイスフィッシング(보이스피싱)」といいまして、やはりここでも猛威を振るっています。 韓国の有力紙『朝鮮日報』2025年7月31日付けに、韓国と日本のボイスフィッシング(特殊詐欺)について解説する記事があり、興味深かったので翻訳してみました。 https://www.chosun.com/national/national_general/2025/07/31/G5YLFJU6VVFCVJFX6BDJRHHSJ4/
ボイスフィッシング被害額、「デジタル韓国」が「アナログ日本」の三倍
[ボイスフィッシングの「恐ろしい進化」] 日本を制して犯罪の標的となる。
韓国の一人当たりボイスフィッシング被害金額が日本の三倍を超えると昨30日に明らかになった。 ボイスフィッシング犯罪がAI(人工知能)などの先端技術と結合・進化し、デジタル文化が発達した韓国が多国籍犯罪組織の主要「ターゲット」と浮かび上がっている。
警察庁と日本の警視庁などによると、昨年韓日両国のボイスフィッシング発生件数は、韓国が2万800件、日本は2万1000件余りであった。 ところで韓国のボイスフィッシングの総被害額8545億ウォン、日本は719億円(約6730億ウォン)で、韓国が1815億ウォンも多かった。 人口と経済規模(GDP)がすべて二倍以上である日本より、韓国のボイスフィッシング被害規模がもっと大きいのである。 わが国の国民一人当たりのボイスフィッシング被害金額は1万6500ウォンで、日本(5400ウォン)の三倍を超えるものと推算される。
日本は台湾とともにボイスフィッシングの元祖ともいえる国家の一つである。 高度経済成長期が終わり、バブル崩壊が始まった1990年代初め、不法な高利貸金業から派生したボイスフィッシング犯罪は2000年代に韓国にも伝わった。 それから20年余りが過ぎた今、二つの国家の状況が逆転した。
韓日におけるボイスフィッシングの総被害額は、毎年最高値を更新している。 ところで韓国の被害増加の勢いが激しいことは、ボイスフィッシング組織が韓国人を「くみしやすい対象」と見ているためだと分析されている。 日本よりソーシャルメディアの使用率が高い上に携帯電話番号などの個人情報がたやすく流出し公有化される韓国の状況が、ボイスフィッシングに脆弱であるというのだ。
あいつの声、「アナログの日本」ではなく「デジタルの韓国」を狙う
昨年末にソウルの名門大学を卒業した李某さん(24)は、「キン・ミンソク ソウル中央地検 検事」から電話を受けた。 受話器越しの人物は李さんの名前、大学学部学科まで知っていた。 「○○さんの名前で開設された架空名義通帳が金融詐欺に使われていました。 すぐに取り調べに応じなければ、逮捕されることになります。」 1分に一回ぐらい急き立てる電話が来た。 「資金洗浄があったかどうかを確認せねばならないので、仮想通貨に換金して入金せよ」というトンデモない要求だったが、就職に不利益になるか心配になった。 結局彼は10年蓄えてきた貯金3000万ウォンを失った。
同じ頃、海の向こうの日本の福岡で一人暮らしをしているAさん(76)は、大阪にいる20代の孫から電話がかかってきた。 孫は差し迫った声で「友達にお金を貸したのが、返してくれなくて生活費がない」と言って、お金を貸してくれと言った。 ずっと貯めてきた年金100万円(約930万ウォン)を引き出して、ATM(現金自動引き出し機)を通して孫が言っていた口座に送金した。 しかし孫ではなくボイスフィッシング犯だった。
今では日本よりも韓国の方が特殊詐欺の被害が大きいのですねえ。 その要因が〝韓国ではデジタル化が進んでいて、日本はまだアナログに留まっているから”というのは、なるほどと思いました。 ちょっと以前ですが、来日した韓国人が現金社会の日本を体験して、「デジタルの時代なのに、日本は遅れている」とか「あの店は脱税しているんじゃないか」とか言うのをよく聞いたものでした。 それが今では、特殊詐欺のあり方の差になっているのですねえ。 しかし日本でもキャッシュレスが多くなってきているので、これから韓国のような特殊詐欺が増えるのかも知れません。
韓日両国のボイスフィッシング犯罪は、被害者の年齢はもちろん被害額や手口などすべての点で顕著な違いを見せている。 韓国では、検察や警察、金融監督院のような機関を詐称した犯罪が60%を超える。 一方日本は70代以上の高齢層を狙った「家族・親戚」を詐称した「おれおれ」型が中心をなしている。
韓国ではハッキングなどを通してあらかじめ確保した個人情報を使って20代を狙った詐欺が速い速度で増えている。 今年の上半期(1~6月)、20代のボイスフィッシング被害者の割合は23.9%で、60代(25.6%)に続いて二番目に多かった。 4年前よりも20代被害者が6.3%ポイント増えた。 携帯電話を遠隔操作する悪性アプリ、海外送金が容易な仮想通貨での送金を強要するなどの手口も20代30代に合わせて進化している。
一方日本では70代以上の高齢層を対象にした詐欺が猛威をふるっている。 お年寄りに電話をかけて、「おれおれ」と言って息子か知人であるかのように装ってお金を送ってくれというオレオレの手口が大部分だ。 昨年基準で、日本のボイスフィッシング犯罪のなかで、被害者のうちで45%が75歳以上の老人で、被害額の63.8%がオレオレ型であった。 2018年の韓日間のボイスフィッシング被害額の違いは454億ウォンだったが、6年経った昨年は1815億ウォンと四倍くらいに広がった。
韓国のボイスフィッシング被害が急増するのは、韓国がにほんよりソーシャルメディアを多く利用するなど、デジタル文化により馴染んでいるからという分析だ。 警察関係者は「犯罪組織はソーシャルメディアなどに流出した個人情報をうまく活用する」と言い、「韓国の20~30代はオンラインに自分の情報を露出することに日本よりも慣れている」と言った。 グローバルデーター分析企業であるデーターリポータルによれば、今年初めを基準にして、わが国のソーシャルメディア使用率は、人口の94.7%で、日本(78.6%)をリードしている。
携帯電話番号などの個人情報を取り扱う両国間の文化の違いも影響を及ぼしている。 保坂祐二世宗大学教授は「韓国では駐車車両にも個人電話番号を書いておくが、日本では個人の携帯電話番号は名刺にも書かず、親しい人でなければEメール住所も公開しない」と言った。 近い仲でなければ個人の電話番号を知ることが難しい文化のために、日本では家族・親戚を詐称する犯罪のパターンが多いのだ。
日本よりも活発な仮想通貨取引も、国際組織の「犯罪インフラ」に悪用されている。 最近大邱では未登録不法仮想通貨取引所でボイスフィッシング資金6億ウォンを洗浄した一党が検挙された。 今年初めを基準にして、韓国の取引所に上場したコインの種類は、日本に比べて七倍以上多く、一つ一つの取引量は十二倍以上だ。 国内総生産(GDP)と対比して流通現金(紙幣と硬貨)の割合も日本は20%で、韓国(8%)の二倍以上だ。 日本は現金に馴染んでいる高齢層が多いので、ボイスフィッシングの送金さえもATM機器を利用した現金振り込みが多い。
雇用市場が比較的安定している日本と違って、韓国の激しい就職難も影響を与えている。 日本の厚生労働省が昨5月に発表した、今年の日本の大卒者就職率は98.1%で、1997年の調査以降、最高値だった。 しかし韓国の昨4月の青年層(15~29歳)の雇用率45.3%で、12ヶ月連続で下降している。 パク・サンジュン早稲田大学国際学術院教授は「日本の大卒者は望みさえすれば正規職入社が可能であるところから、投資詐欺や海外就職のようなボイスフィッシング詐欺に惑わされる可能性がさらに低い」と言い、「一方、韓国の青年たちが就職難でボイスフィッシング被害を受けたり、犯罪に加担したりする場合が増えている」と語った。
日本と韓国の特殊詐欺(ボイスフィッシング)は、日本では「家族・親戚を詐称する型」で被害者が高齢の場合が多いが、韓国では「政府機関を詐称する型」で被害者には若者が多いと分析しています。 なお日本では今年になって警察を詐称するものが急増しており、若者の被害者も目立つようです。 ですから特殊詐欺は日本も韓国のような「政府機関詐称型」が多くなってきていると言えるかも知れません。
また韓国では日本よりも仮想通貨の利用が多いことや韓国の若者の就職率の悪いことが、特殊詐欺のあり方の差に繋がっているという分析にも、関心が行きます。 日本でも仮想通貨の話が周辺でも聞くようになっており、また「受け子」など特殊詐欺末端役の犯人が無職とかアルバイトとかの若者だったというニュースが多いですね。 この点でも、日本は〝韓国の後追い”をしているのかなあと思います。 言ってみれば、〝日本の韓国化”ですね。
これ以外に、日本ではいわゆる「ロマンス詐欺」が急増しているそうですが、韓国ではニュースに出てきませんねえ。 日本も韓国も独り身の高齢者が増えていますが、韓国の高齢者は生活に余裕がない方が多く「ロマンス」なんて程遠いのかも知れません。
【韓国の特殊詐欺に関する拙稿】
韓国の特殊詐欺 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/08/31/9290686
韓国の特殊詐欺ニュース https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/10/01/9300924
韓国の選挙風景―これは驚き ― 2025/08/03
韓国の週刊誌『週刊朝鮮』2865号(2025年6月30日)の「編集後記」(82頁)に、韓国の選挙風景が書かれていました。
韓国の選挙は都市での様相が日本でもニュースに出てきます。 しかし田舎ではどのような選挙活動が繰り広げられているのか、韓国でもあまりニュースになっていないようです。 その一端を垣間見ることができ、なかなか興味深かったので訳してみました。
知人が慶尚北道のある地方自治体首長の選挙に出馬して落選したのであるが、その彼に会った時の話である。 それなりに成功した社会生活を終えて、故郷のために奉仕しようという気持ちで出馬を決めた彼に最初に連絡してきたのは、地方区選出の国会議員だったという。 この議員はお金を使う規模によって得票率が違ってくるのだと言い、お金を使わない場合に予想される得票率の数字をはっきりと言い切った。 議員はそう言ってさらに露骨に「選挙にはお金を使わねばならない」と言った。 知人はこれを拒絶したが、驚くべきことにお金を使わなかった彼の得票率は、この議員の言ったのとほとんど同じだった。
選挙戦の最中にあったことを聞いてみたら、さらに呆れたことがあったという。 他の候補の運動員は自転車に乗って回り、キャンディーのようなものを田んぼや畑にいるお年寄りたちに投げ与えていた。 後で聞いて見るとそれはキャンディーではなく5万ウォン(5千円ほど)紙幣という。 紙幣を五回折りたためばキャンディーの大きさになるが、これは年寄りが自分のポケットに入れるのにちょうどいいので、自転車に乗って投げて回っているというのだ。 選挙運動員が慣れた手つきで制球力を誇るかのように投げていく姿に、知人は「負けた」と呟いたという。 選挙管理員会でこれを摘発しないのかと問うてみると、返ってくる回答がなかなかのものだった。 遠くから写真を撮っても、これがキャンディーなのか紙幣なのか、区別が難しいというのだった。
選挙の終盤には、村の薬局のバッカス(韓国のエナジードリンク)の空瓶が売り切れるのだが、それはその空瓶の中に5万ウォン札を二枚入れて有権者に配るからだと言う。
企業に長く勤務した彼はその選挙を最後に、もう政治をしようという気持ちをなくした。 その選挙は2022年の選挙だった。
韓国の田舎ではこのような選挙買収が今でも行なわれているのですねえ。 日本でも何十年か昔の田舎では選挙買収がよくありましたが、お札を小さく折りたたんで投げ回るなんてことはなかったですねえ。 地区には謹厳実直な駐在所の警察官がいましたから、買収は隠れてこそこそやっていたと記憶しています。 今はもう日本では買収なんてなくなってきているでしょう。 しかし韓国ではまだまだ行なわれているようです。 韓国の選挙報道を見る時は、背景にこのような買収の横行があることを知っておかなくてはなりませんね。
いま韓国では若い男性が進歩(革新)から保守に傾いています。 ところが、保守政党は昔から年寄り(特に慶尚道地域)から支持されてきたのですが、その実情が今回書かれていたような選挙買収なのです。 『週刊朝鮮』の編集長は、韓国の若者たちはこんなトンデモ体質の保守政党を見切っているとして、今度の号で特集を組んだようです。 この週刊誌は『朝鮮日報』と同系列で保守派とされていますが、これでは保守政党の将来は暗いとして警鐘を鳴らしたかったのでしょう。
韓国の政治世界は、保守派がこの体たらく、一方の進歩派は従北路線まっしぐら、といったところなのですかねえ。
韓国刑務所の歴史歪曲 ― 2025/07/28
『週刊朝鮮』2865号(2025年6月30日)に、クム・ヨンミョン刑務所研究所長「刑務所は忌避施設ではなく基盤施設」という論稿が掲載されました。 彼は韓国の刑務所等の矯正施設に長年勤められた人で、彼の発言には重みがあります。
彼は韓国の刑務所の歴史を概説し、近代の刑務所は懲罰ではなく矯正が目的の施設であると論じました。 その中で、韓国で語られる刑務所の歴史には歪曲があると苦言を呈する部分がありました。 興味深かったので、その部分を訳してみました。
なぜ我が国の認識が特に否定的なのか
クム所長―「朝鮮時代まで、監獄は処罰のための場所だった。 ところで懲役刑が導入されて『監獄』という新しい制度が入ってくる。 あろうことか、その時期が植民地とつながって、人々は監獄制度について否定的な認識を持つようになった。 監獄や行政システムを導入できる力量がなかった時代、学校や郵便局のように日本のものと受け入れただけで、それをただ否定的に見る視覚が残っている。 研究者たちが偏向した視覚で接近した結果だ。 だから韓国で矯正についての研究はほとんどなされないでいる。 人権蹂躙の話はずっと出てきているが、収容空間の不足による過密収容問題が人権侵害につながる問題については誰も関心を抱かない。」
そういえば韓国では刑務所の歴史について、〝独立運動家や民主化闘士などの思想犯が刑務所でどれほど過酷な扱いを受けたか”という話が多いですね。 しかしそもそも刑務所というところは、殺人・強盗・詐欺などの刑法犯の囚人が多数収容されています。 そんな刑法犯は、思想犯よりもはるかに上回る数でした。 ところが韓国では刑務所といえば後者の思想犯の処遇ばかりが取り上げられていて、刑務所そのものの歴史が研究されていなかったのですねえ。
具体的にどのように歪曲されているのか
クム所長―「例えば韓国の矯正を代表する場所である西大門刑務所歴史館でも、多くの歪曲が存在する。 歴史館のコンテンツは最初から西大門区庁の職員らが独立記念館の資料を持ってきて準備し、その過程で誤謬が発生した。 刑務所では実際に独立運動家たちを組織的に拷問しなかったのであって、拷問は主に鐘路警察署で行なわれた。 しかし歴史館では拷問館が設置されていて、柳寛順烈士を中心にした過酷行為を中心コンテンツとして展示されている。 写真パネルにも誤謬が多く、このような展示によって年間65万人になる観覧客、特に外国人に間違った情報が伝わっている。 これは独立運動中心の偏向した解釈による歴史的事実が歪曲されているという点で訂正する必要がある。」
戦前の日本では朝鮮なども含めて、特高などによる拷問はよく聞く話です。 拷問の目的は共産主義や独立運動の組織を解明することにあります。 そのための手段の一つが拷問だったのですが、実は拷問で得られた情報は価値のあるものが少ないのです。 それよりも、自ら進んで供述する情報が確かであり価値あるものだったのです。 だから特高は〝どうやって転向させて進んで自供するようにもっていくか”の方に力を入れていました。 その方法の一つとして例えば、一人の容疑者に激しい拷問をするところを他の容疑者たちに見せると、それを見た彼らは恐れおののいて何の手も加えていないのに自ら進んで供述するようになるというのがありました。
それはともかく、拷問は組織の解明が目的ですから、拷問をやるのは警察署です。 刑務所は取り調べも裁判もすべてが終わって刑に服するところで、しかも事件からかなりの時間が経っていますから、もはや組織の解明なんかは済んでいます。 従って刑務所では拷問は必要ないのでした。 ただし収容者が暴れたら制圧し制裁を課すために暴力を振るうことはあったでしょうが、それは拷問ではありません。
今の韓国では、〝西大門刑務所では独立運動家たちは日本の官憲によって過酷な拷問が受けた”とされています。 しかしクム所長は「刑務所では実際に独立運動家たちを組織的に拷問しなかったのであって、拷問は主に鐘路警察署で行なわれた」と批判したのでした。 このような批判は韓国では珍しいので、私は注目したわけです。 韓国でこのような事実に基づく歴史研究の流れになっていってほしいと願っているのですが、難しいでしょうねえ。 韓国においては〝日本の植民地支配は過酷で残忍だった”という歴史でなければならず、そういった歴史像が要求されます。
西大門刑務所について、下記のようなユーチューブがあります。 参考のため、合わせて視聴してほしいと思います。 日本語字幕がついていて、分かりやすいです。
「慟哭のポプラ」の真実/그곳의 진실 https://www.youtube.com/watch?v=xTrf0Ej6Sfo
【拙稿参照】
戦前の拷問のやり方 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/11/07/5479466
赤松啓介の思い出 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/09/17/5351878
赤松啓介の思い出(続き) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/07/22/6518872
金時鐘氏への疑問(18)―街で墨をかける ― 2025/07/22
https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/07/17/9789454 の続きです。
㉖ 朝鮮の青年たちが朝鮮服の大人に墨を振りかける
金時鐘さんによれば、1939、40年頃の済州島では、朝鮮の青年たちが朝鮮服を着ている大人に噴霧器で墨を吹きかけていたそうです。 ところが金さんの父親はそんな社会の雰囲気の中で、悠然と朝鮮服を着て町を出歩いたといいます。
昭和14、5年と言えば朝鮮服のいでたちで町に出るのはなんとも肩身の狭い時代です。 ところが父は臆するどころか、相も変わらぬ周衣(トルマギ―朝鮮服の外套)姿で町を出歩き‥‥ 町なかでは青年団の若者たちが、もちろん朝鮮の青年たちでありますけど、朝鮮服で出歩く同胞の衣服にさかんに噴霧器で墨を吹きかけて回っていましたが、父は悪びれるどころか悠然と、そのただ中を行き来していました。 ‥‥父は一度も服も顔も汚さずに済みました。 (『朝鮮と日本を生きる』 17・18頁)
ここで疑問は、朝鮮人は昔から長幼の序が厳しい民族なのに〝若者が街を歩いている朝鮮服の大人に墨を吹きかけ回っていた”なんてことが本当にあったのか? また同じく朝鮮服を着ていた金さんの父親はそんな若者の乱暴狼藉を見ても「悠然とそのただ中を行き来していた」というのは本当なのか? それにこれは当時としても犯罪ですから、警察は取り締まらなかったのだろうか?という疑問も出てきます。 さらに金さんは次のような記述もしています。
毎月の8日には割り当てられた地区住民の、総出の神社参拝がありました。 小高い丘の頂上にしつらえてある護国神社の急な長い石段をぞろぞろ、普段着のままの朝鮮服のお年寄りたちがダラダラ登ってゆくのです。 (同上 45頁)
当時の朝鮮人たちは神社参拝を強制されて、「朝鮮服のお年寄り」が動員されました。 この時、朝鮮の青年たちはこんなお年寄りに墨を吹きかけなかったのだろうか? 疑問がどんどん広がります。
つまり朝鮮の若者が朝鮮服を着た人に墨を吹きかけたというのは、金時鐘さんが自分の目で実際に見た光景ではなく、想像をたくましくして記述されたのではないか、という疑問ですね。 (終わり)
金時鐘さんの著作を読み、彼の追想というか体験談にはあまりに疑問点が多いことを発見しました。 拙ブログでその主なものを書いてきました。 18回にもなります。 まだまだたくさんあるのですが、もうこれで終わりたいと思います。
金時鐘氏への疑問(1)―在留資格 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/03/26/9763626
金時鐘氏への疑問(2)―韓国戸籍・墓参り https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/03/31/9764818
金時鐘氏への疑問(3)―教員免許・公務員就職 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/04/05/9766006
金時鐘氏への疑問(4)―日本語・創氏改名 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/04/11/9767588
金時鐘氏への疑問(5)―政党加入・4・3事件 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/04/18/9769221
金時鐘氏への疑問(6)―4・3事件(その2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/04/23/9770375
金時鐘氏への疑問(7)―4・3事件(その3) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/04/28/9771478
金時鐘氏への疑問(8)―西北青年団 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/05/02/9772477
金時鐘氏への疑問(9)―韓国否定と北朝鮮容認 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/05/09/9774295
金時鐘氏への疑問(10)―北朝鮮批判と擁護代弁 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/05/14/9775437
金時鐘氏への疑問(11)―スキー客・新井鐘司 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/05/19/9776467
金時鐘氏への疑問(12)―崔賢先生 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/05/24/9777663
金時鐘氏への疑問(13)―石鹸工場・民戦 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/06/13/9782053
金時鐘氏への疑問(14)―吹田事件 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/06/18/9783181
金時鐘氏への疑問(15)―ハングル https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/06/23/9784276
金時鐘氏への疑問(16)―猪飼野詩集 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/07/12/9788376
金時鐘氏への疑問(17)―豊田先生 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/07/17/9789454
【金時鐘氏に関する拙稿】
金時鐘さんの創氏改名は「金谷光原」―神戸新聞 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/06/03/9779836
金時鐘氏はどういう言葉を使ってきたのか?(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/07/30/9705285
金時鐘氏はどういう言葉を使ってきたのか?(2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/08/04/9706635
金時鐘氏はどういう言葉を使ってきたのか?(3) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/08/09/9707790
玄善允ブログ(1)―金時鐘さんの日本名 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/03/31/9671877
核問題は北朝鮮に理がある―金時鐘氏 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/01/23/9653071
金時鐘氏が正規教員?―教員免許はないはずだが‥ http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/01/16/9651219
金時鐘氏は不法滞在者なのでは‥(1) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/10/07/9623500
金時鐘氏は不法滞在者なのでは‥(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/10/12/9624809
金時鐘氏は不法滞在者(3)―なぜ自首しなかったのか http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/10/17/9626078
金時鐘『朝鮮と日本に生きる』への疑問 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/07/28/7718112
金時鐘さんの法的身分(続) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/08/13/7732281
金時鐘さんの法的身分(続々) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/08/26/7750143
金時鐘さんの法的身分(4) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/08/31/7762951
毎日の余録に出た金時鐘さん http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/08/27/8950717
本名は「金時鐘」か「林大造」か http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/08/23/8948031
金時鐘さんは本名をなぜ語らないのか? http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/07/02/9110448
金時鐘さんは結局語らず http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/08/13/9140433
金時鐘さんが本名を明かしたが‥‥ http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/10/26/9169120
金時鐘『「在日」を生きる』への疑問 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/03/01/8796038
金時鐘さんの出生地 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/07/05/7700647
青木理・金時鐘の対談―帰化(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/09/08/9524343
青木理・金時鐘の対談―帰化(2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/09/15/9526042
武田砂鉄の被差別正義論―毎日新聞 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/03/24/8810463
社会的低位者の差別発言 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/05/09/9244588
金時鐘氏への疑問(17)―豊田先生 ― 2025/07/17
https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/07/12/9788376 の続きです。
㉔ 豊田先生はいつ訓導(正規教員)になったのか?
豊田先生は金時鐘さんの小学校時代の担任でした。 担任の名前は1986年の立風書房版『在日のはざまで』では「金田」先生となっていましたが、後の2001年平凡社版では「豊田」先生に訂正されました。 それ以降の著書では、「豊田」先生となっています。
この先生について、金時鐘さんは次のように記しています。
(1941年12月、中学進学を控えていた時に真珠湾攻撃を聞いて)思わず万歳を叫んだ‥‥ 時は来た、という思いでした。 少年戦車隊のような、学校でも奨励しているどこかの兵学校に進むべきだと、親に無断で担任の「豊田」先生に勇んで申し出ました。 あとで知ったことですが、この「豊田」先生は当時はまだ訓導、今で言う教諭ではない代用教員の朝鮮人教員で、めったやたらと平手打ちを食らわせる猛烈な大日本帝国教員でありました。 (『朝鮮と日本に生きる』岩波新書 2015年2月 40頁)
金さんは真珠湾攻撃のニュースを聞き、小学校(当初は普通学校、後に国民学校)を卒業したら兵学校に進もうと豊田先生に申し出ます。 ですから金さんが6年生の時です。 その時の豊田先生はまだ訓導(正規教員)ではなく、代用教員でした。
5年生のときの理科の時間に李君が答えた解答をめぐっての思い出話です。 先生は6学年のときまで担任であった「豊田」という朝鮮の先生でした。 この先生は代用教員として採用され、がむしゃらにがんばってなんとか一人前の教師になった先生です。 教諭に当たる「訓導」になったのは私たちが卒業したあとのことだったようです。 (同上 62~63頁)
ここでも、豊田先生が訓導になったのは「私たちが卒業したあと」とあります。 ところが、金さんが卒業前の6年生の時に、豊田先生は訓導になったという記述があります。
小学校4年のときから卒業するまでの担任の先生は「豊田」という朝鮮の先生でした。 この先生は代用教員として採用され、がむしゃらにがんばってなんとか一人前の教師になった先生です。 一人前、つまり「訓導」になったのは私達が小学校6年になったときでした (『金時鐘コレクション8』藤原書店 2018年4月 46頁)
豊田先生が正規教員である訓導になった時期は、金さんが小学6年生の時と小学卒業後の時という二つの矛盾した記述があることが確認されました。 ささいなことかも知れませんが、事実関係の間違いは全体の信用性に影響するものです。
㉕ 鼓膜を破るほどの体罰を加える帝国教師
次に豊田先生はどういう人だったか。 金さんは次のように言います。
それだけに厳しさもまた格別で、もうのべつ幕無しにぶん殴るわけです。 鼓膜を破る生徒が何人もおるというほどの厳しい先生でした。 (『金時鐘コレクション8』 46頁)
先生は何人もの子どもに「鼓膜を破る」ほどの体罰をする暴力教師だったそうです。 私は旧日本軍のビンタは鼓膜を破らないように殴ると聞いていたので、軍隊より凄まじい体罰です。 しかも体がまだできていない小さな子どもを相手に、大人が殴っていたというのですから驚きです。 耳から出血して難聴・耳鳴りを起こした子どもが続出し、病院に運ばれたこともあっただろうし、治らずに聴覚障害者となった場合もあっただろうと思うのですが、問題にならなかったのでしょうか。
そして金時鐘さん自身が、「豊田」先生でなく校長先生からですが、鼓膜を傷めるほどに殴られたと言います。
私は、「いいえ」という打ち消し一つ身につけるために、鼓膜を傷め鼻血をださねばならなかったほど‥‥ (『朝鮮と日本に生きる』 49頁)
この小学校では、校長先生さえも生徒に鼓膜を傷つけるほどの体罰をしたというのですから、代行教員でしかなかった豊田先生はさらに激しい暴力を多くの子どもに加えていたのでしょう。 ただいくら軍国主義全盛の時代だったとはいえ、まだ小学生という小さな子供を相手に暴力的体罰が横行していたというのは、ちょっと信じ難いのですがねえ。
この先生は、骨の髄から「皇国臣民」の教育をしないとだめだと思いこんでいる朝鮮の教員であります。 (『金時鐘コレクション8』 46頁)
忠節の帝国教師 (『朝鮮と日本に生きる』岩波新書 72頁)
(金さんは解放後、教員養成所の事務職嘱託に就職) 小学校教員速成養成を目指した教員養成所は、当時行政整備がついたばかりの道学務課が管掌した教育施設でしたが、その道学務課を牛耳っていた特任教育官がなんと、北国民学校といわれた小学校の折の、6学年の担任であった猛烈な大日本帝国教員、かの豊田先生こと金達行(キムタルヘン)奨学士でした。 さすがに気が咎めたのか、君こそ教師にふさわしい勉強家だと、肩を叩きながら教師資格の付与を考える余地があるとの素振りも見せてくれていました。 (同上 143~144頁)
豊田先生は「忠節の帝国教師」「猛烈な大日本帝国教員」ですから、「一途な皇国少年」(同上 46頁)の金さんには覚えがめでたかったと思われます。 だから終戦(解放)後に偶然に出会った時、金さんを「君こそ教師にふさわしい勉強家だと肩を叩きながら」激励したと思われます。 しかし金さんはその時の先生の様子として、「さすがに気が咎めたのか」と記しました。
金さんによれば、「帝国教師」だった先生は戦後に米軍政下の李承晩政権下の教育関係公務員になっていたようですから、いわゆる「親日派」ですねえ。 ですから生き方はぶれておらず、一貫していたことになります。 一方の金さん自身は「皇国少年」から「南労党員(共産主義者)」へ秘密裏に転向していました。 先生は教え子の金さんが共産主義者になったことを知らず、「皇国少年」の思い出だけを持っていたから金さんを激励したのでしょう。 ところが金さんは、その先生が自分をみて「さすがに気が咎めた」といいます。 果たしてそんなことがあり得るのだろうか? 「気が咎める」なら、転向した金さんの方ではないのだろうか‥‥ という疑問を持ちます。
金さんにとって豊田先生は悪い意味も含めて印象深い教師だったようで、様々なエピソードを記憶しておられます。 ところがそんな金さんは、その先生の名前が「豊田」だったのか「金田」だったのか、冒頭のように混乱していたというのが不思議ですね。 (続く)
金時鐘氏への疑問(16)―猪飼野詩集 ― 2025/07/12
https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/06/23/9784276 の続きです。
㉓ 『猪飼野詩集』は猪飼野で詩作されたものではない
私は金時鐘さんの代表作『猪飼野詩集』を読んで、彼は1949年来日して以来ずっと大阪市の猪飼野で暮らしておられたと思っていました。 ある金時鐘研究者も、次のように論じています。
1949 年6月に済州島から渡日し、最初に生活を始めたのが「猪飼野」であり、「猪飼野」は、その後も長年の間、彼の生活の拠点となった地である。 金時鐘は、これまでに何度も「猪飼野」の町を作品のテーマや背景として描いてきた。 1978 年には、「猪飼野」で生活する当時の在日朝鮮人の様子を描いた第4詩集『猪飼野詩集』を発表した。
file:///C:/Users/Takeshi/Downloads/lcs_34_2_okazaki.pdf
しかし金さんは、『猪飼野詩集』を書き公開した時は猪飼野ではなく、吹田市に住んでおられました。 彼は次のように回想します。
私はこの夏の始めまで30年近く、大阪府吹田市の、東海道本線(JR)の電車や列車が地鳴りを立ててひっきりなしに行き交う、線路の間際に住んでいました。 (「善意の素顔―より良い理解のために」 藤原書店『金時鐘コレクション11』2023年8月 所収 55頁)
この「善意の素顔」は1997年11月の講演です。 ですから「30年近く」前は1968年頃になりましょうか。 ある方が1970年代に金時鐘さんの吹田の家を訪問したら、「林」という表札が掲げられていたという思い出話をどこかで書いておられたのを覚えています。 従って金さんは、1968年頃から1997年まで吹田市に住んでおられたことは確かと思われます。
とすれば1968年以前は猪飼野に住んでおられたのだろうと考えて、金さんの書いてきたものを探してみました。 すると2019年の『朝日新聞』文化・文芸欄に金さんの回想エッセイがあり、その中で次のように語っておられるのを見つけました。
猪飼野かいわいで10年余り暮らしましたが、 (金時鐘⑦「語る―人生の贈り物―『猪飼野』なくてもある町」 2019年7月26日付『朝日新聞』)
http://shiminhafiles2.cocolog-nifty.com/blog/files/342e98791e69982e99098e38080e8aa9ee3828b.pdf
ですから、金さんは1949年に来日してから1960年代前半までの「10年余り」を大阪市猪飼野に住んでおられたことになります。 それから1968年頃までの数年間はどこに住んでおられたのか、探してみましたが不明ですね。 そして1968年頃に吹田市に引っ越して、そこで「30年近く」生活されたことになります。 さらにその後は、おそらく今の住所である奈良県生駒市に引っ越されたのでしょう。
まとめますと彼の日本での住所は、猪飼野に1949~1960年代前半、しばらく不詳の後、吹田市に1968年頃~1997年頃、生駒市に1997年頃~現在になると考えられます。
吹田に住んでおられた時、つぎのような事があったそうです。
選挙のたびに繰り返される笑えない喜劇だが、ぜひ一票をと、朝鮮人の私の家まで尋ねてくれる熱心な運動員たちがいる。 (「足元からの国際化」『金時鐘コレクション8』2018年4月 135頁)
この散文は1993年8月に発表されたものですから、「私の家」は吹田市にありました。 金さんの家は選挙権を有さない外国人宅ですから、公職選挙法違反(戸別訪問禁止)には問われなかったのでしょう。
ところで、彼の代表作『猪飼野詩集』は1970年代に『季刊三千里』で連載された詩などを集めたものです。 その年代を測るに、それは朝鮮人集住地区である猪飼野で詩作されたものではなく、日本人ばかりがいる吹田市内の一角で詩作されたものだったのでした。 そしてそこでは彼と周辺の善意な日本人たちと間にどのような軋轢があったのか、上述の「善意の素顔」でそのエピソードが語られていて、興味深いものですので一読をお勧めします。
彼が『猪飼野詩集』を書いたきっかけは、1973年2月の地名変更で「猪飼野」という町名が消えたことでした。 彼にとって猪飼野は、1960年代前半までのわずか10年余りの生活だったのですが、
在日朝鮮人の生活史が地のまま保たれている ‥‥苦難の故郷を見棄ててきた者のうしろめたさから在日民族団体の常任活動家となって、いっぱしの組織活動家になっていったのもまた、在日朝鮮人運動の拠点地域だった猪飼野でありました (『金時鐘コレクション4』366頁)
とあるように、思い入れ深い場所でした。 彼はこのような「猪飼野」の地名が消えることが、「日本の保守政権はたゆみなく、戦前の軍国日本の痕跡を消し去ることに注力してきました」(同上、367頁)と同列に考えておられますから、「猪飼野」の地名変更に反対する意味で『猪飼野詩集』を書かれたと思われます。
しかし実際にその猪飼野に住んでいる人は
『イカイノ』と聞くだけで地所が、家屋が、高騰一方の時節に廉く買いたたかれるといい、ひいては縁談まで支障をきたしている(同上、366頁)
のでした。 地名が消えたのはその住人には理由があったようですが、金さんは〝そこの住人でなくなったから反対した”と言えるようです。
『猪飼野詩集』は、金さんが同胞のいない吹田で生活していた時に同胞集住地区である猪飼野に通いながら過去のノスタルジーに浸りつつ書いたものと言えるのではないかと思われます。 つまり『猪飼野詩集』は〝もはや住民でなくなった金時鐘が書いた詩集”ということです。 研究者が『猪飼野詩集』を論じる際に、吹田に言及しないのが不思議ですね。 (続く)
金時鐘氏への疑問(1)―在留資格 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/03/26/9763626
金時鐘氏への疑問(2)―韓国戸籍・墓参り https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/03/31/9764818
金時鐘氏への疑問(3)―教員免許・公務員就職 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/04/05/9766006
金時鐘氏への疑問(4)―日本語・創氏改名 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/04/11/9767588
金時鐘氏への疑問(5)―政党加入・4・3事件 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/04/18/9769221
金時鐘氏への疑問(6)―4・3事件(その2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/04/23/9770375
金時鐘氏への疑問(7)―4・3事件(その3) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/04/28/9771478
金時鐘氏への疑問(8)―西北青年団 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/05/02/9772477
金時鐘氏への疑問(9)―韓国否定と北朝鮮容認 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/05/09/9774295
金時鐘氏への疑問(10)―北朝鮮批判と擁護代弁 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/05/14/9775437
金時鐘氏への疑問(11)―スキー客・新井鐘司 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/05/19/9776467
金時鐘氏への疑問(12)―崔賢先生 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/05/24/9777663
金時鐘氏への疑問(13)―石鹸工場・民戦 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/06/13/9782053
金時鐘氏への疑問(14)―吹田事件 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/06/18/9783181
金時鐘氏への疑問(15)―ハングル https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/06/23/9784276