矛盾2018/05/31

 韓国人が反日と親日という矛盾した態度をとることについて、作家の関川夏央さんは『「世界」とはいやなものである』(NHK出版 2003年7月)で、次のように書いています。

(韓国の作家や文人が)非公式の席ではまことに心優しく、かつユーモアに富んだひとびとなのに、ひとたびかりそめにも公的なにおいのする席につくと、卒然攻撃的かつ演劇的な雄弁家になりかわる現象をうんざりするほど経験していたからである。 ただの人であった彼らが、にわかに民族や国家を代表するえらい人になる、それも文芸家の仕事なのだろうか、といぶかしむことさいさいだった。

知識人たる作家たちは‥‥相手が日本となれば、これは日本批判か日本との異質性の強調と相場は決まっている。 日本批判ならば国内に誰ひとり反対者はなく、日本では聞いていなくてもみな聞いたふりをしてくれるから、いかにも順当な話題である。 異質性の追究の方は、もともと両国文化は似ていると想定したうえで、部分的異質性を数えあげるという段取りが一般的である。 この傾向は日本にも根強いが韓国ではいっそう著しく、『「縮み」志向の日本』などの俗論から、最近は『万葉集の謎』といった愚論もしくはこじつけまで脈々と絶えない。 (以上、239頁)

 これに類する体験は、韓国人と実際に付き合った日本人ならば、しょっちゅうあることです。 日本人はこれを矛盾と感じるので、多くは当惑します。 だから韓国なんてコリゴリだと遠ざかる人がいれば、いつかは分かってくれるだろうとのんびり構える人もいます。 またこういった反日発言を喜んで受け入れて連帯しようとする日本人もいます。

 ただ韓国人自身がこれをどう考えているのか、あるいはどう自己分析しているのか、そこがなかなか分からないところです。 そんなことは当の韓国人に聞いたらいいじゃないかと言われるかも知れませんが、これはなかなか難しいです。 なぜならそれは相手の矛盾を指摘することになるのですが、“確かに矛盾ですね”と聞いてくれる韓国人はなかなか見当たりません。 逆に反撃されることが度々です。

 ところで日本人にはこんな人はいないと声高に言う人がいるようです。 しかしこれは間違いです。 日本人でも矛盾した主張をし、それを指摘されると逆ギレする人は結構います。 私の経験では、ちょっと昔ですが解放運動がそうでしたねえ。 

 一般人と同じように待遇しないのは差別だから同様に扱えと主張しながら、他方では自分たちは差別されているのだからと特別扱いを要求する。 しかし当人たちはこれを矛盾とは思っていませんでした。 もし「これは矛盾じゃないですか」などと口にしたら、お前は差別者だと糾弾される時代でしたから、じっと黙るしかなかったものです。 集団的・組織的な逆ギレには、個人の力では対応が難しいです。

【拙稿参照】

「同じ」と「違い」      http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daisanjuuhachidai

韓国の対日感情は理解が難しい   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/03/29/8813934

韓国人の対日感情         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/01/12/8317218

韓国人のアンビバレントな感情   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/10/01/8690297

韓国の反日感情はいつ形成された? http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/10/08/8698008

反日意識はどのように継承されたか―植民地時代 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/04/03/8817737

世界で唯一日本を見下す韓国人   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/10/06/8216253

日本を見下す韓国(2)      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/12/22/8285733

光州事件は民主化運動として普遍化できるのか?2018/05/25

 1980年5月18日、全斗煥のクーデターと全羅道出身金大中氏の逮捕に抗議する学生デモが光州で発生し、これに韓国軍が激しい弾圧を加えたことに反発した市民が武器庫を襲撃して武装し、道庁を占拠して韓国軍と銃撃戦をした事件です。 結局は27日に軍によって鎮圧され、200人以上の死者が出るという事態でした。 私はこの事件を過酷な弾圧に対する抵抗運動と考えているのですが、韓国ではこれを「民主化運動」と位置付けることが定着しています。 

 「民主化運動」と位置付ける韓国人は、韓国に民主主義社会を建設するのに非常に大きな影響を与えたと主張します。 それまでの朴正熙政権は確かに民主主義とはとても言えるものではありませんでしたから、民主主義へ向かっての一歩となる事件だったというのは理解できます。 従って事件の真相究明に努力することも理解できます。

 しかし彼らの主張にどうしても理解できないところが一点あります。 それは北朝鮮を抜きにして民主化の普遍性を論じていることです。 光州事件の真相究明の先頭に立ちまた事件の記録を世界記憶遺産登録に努力したアン・ジョンチョルさんの次の言葉に典型的に現れます。

5・18民主化運動というのは、大韓民国の社会を民主主義としてつくり変える上で、相当に大きな影響を与えて、寄与した事件じゃないですか?‥‥ (事件を)正確に、真相も究明されなければならない‥‥(事件を)正しく位置付けられれば、この東南アジアの国家のまだ、軍部政権が統治している国々に、韓国のモデル、韓国のこのような事例がたくさん伝播して、それらの国の民主化に大きな影響を与えればいいなという思いがします。

特に最近、私が、ミャンマーを、ご存知ですよね。そのミャンマーで1988年8月8日、ミャンマー民主化運動が起きて、3000人ほどの市民や学生が死んだという話を聞いたんですよ。それでそちらの民主化運動の指導者たちが私のところに来て、ユネスコに登録する私なりのノウハウをちょっと教えてくれとこう言うので、ミャンマーのヤンゴンに2回行ってきました。それで、今年の2月末にもう一回行ってくる予定ですが。

それでこのように、この民主化運動だとか、この美しい歴史、これらの部分がアジア地域にも、ちょっと伝播したらいいなというそんな考えをたくさんしています。 (以上 『韓国語学習ジャーナル №24』 2018年3月 100~102頁)

 光州事件の体験が「民主化運動」としてアジアに広まることを展望しているのですが、そこに北朝鮮が全く出てきていません。 直ぐお隣りにあってしかも将来統一せねばならない同族である北朝鮮は、かつての朴・全政権時代とは全く質が異なり、極限まで発達した軍事独裁国家です。 またそこで繰り広げられている人権蹂躙は世界最悪といっても過言ではないでしょう。 従ってこの国こそ民主化が必要だと思うし、韓国の民主化勢力は同族として北朝鮮の民主化に真っ先に取り組まねばならない課題だと思うのですが、その気配が全く見えないのです。

 アン・ジョンチョルさんはアジア諸国に韓国の民主化運動のノウハウを伝えようとしています。 しかしなぜ北朝鮮の人民にそのノウハウを伝授しようとしないのか。 民主化されない北朝鮮と統一を展望できるのだろうか。 主体思想というオカルトに凝り固まった北朝鮮と民主化された韓国が共生できるのだろうか。 ここに私が彼らに対して不信感を抱く根拠があります。

光州事件の方がましだった―朝日ジャーナル(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/01/20/8772995

光州事件のほうがましだった―朝日ジャーナル http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/01/15/8769881

「5・18光州事件」小考  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/10/25/8712337

1970~80年代の韓国民主化連帯闘争  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/01/16/5639024

神のように祭り上げられた金芝河2018/05/19

 1970年代、ファッショ的軍事独裁と言われた朴正熙政権のもとで、鋭い政権批判の詩を書いて民主化運動を果敢に闘い、ついには逮捕され、死刑判決まで下った詩人・金芝河。 日本では彼の救援・救出活動が盛んでした。 彼は韓国の民主化運動の象徴的存在として、大いに祭り上げられていました。

 韓国に関心を持つ者は、彼の『五賊』や『良心宣言』などの作品を貪るように読み、時の朴政権への批判を強めたものでした。 そのために金芝河は、まるで神のように祭り上げられる存在となっていました。 当時彼がどのように称賛・賛美されていたか、その頃に発刊されていた『季刊 三千里』から紹介します。

金芝河のしぶとい、不抜の精神と魂はいったいどこからきているのだろう。考えてみるに、それはおそらく金芝河自身が民衆の力を信じているからに相違ない。  ‥‥  誰かのためにたたかっているのではなく、金芝河は自分が真に生きるためにたたかっているのである。従ってその文学はつよく自己解放をふくんだ文学であり、自由への欲求の劇(はげ)しい文学であることは言うまでもない。 (『季刊 三千里』創刊号 南坊義道「金芝河の抵抗―ファシズム下の文学精神」 1975年2月 32・33頁)

(金芝河のような)詩人としてこれだけの作品を書いて、その敵と云いましょうか、その対象をこれだけ震撼させることができたら、以て瞑すべきではないか、とね。その後も続々と、さらにそれに劣らないショッキングな詩が出てきたわけですが、まだ若い人ですけれども、こういう詩人はやはり激動、乱世が生み出すものかもしれませんね。 ともかく南朝鮮―韓国のそういう深刻な状況が生み出した詩人である、ということははっきりいえる。 (同上 金達寿・鶴見俊輔「特集 金芝河 対談 激動が動かすもの」1975年2月 24・25頁)

いまの時代の、民主主義の仮面をつけた狂信的独裁者の権力欲が、自由を葬り去ろうとする韓国にあって、民族的感受性が強く、民衆の心を表現する抒情詩人である金芝河の運命ほど、劇的で美しいものはない。(同上 7号 金慶植「マルトックとの出会い」1976年8月 18頁)

いうまでもなく金芝河は韓国民主化運動の旗手として、とりわけその不屈の魂のシンボルとしてある。‥‥獄中および法廷における鉄火の試練をつうじて、思想家として大きく成長したことに注目したい。いわば思想家としての金芝河の誕生である。‥‥かれは新しい思想を構築するために、たんに思索に沈潜している青白きインテリではない。われわれの眼前に聳え立つかれのまばゆいばかりの魅力は、そのような営みが底辺の民衆とともに生き、たたかい、そしてその民衆とともに救われるためのものであることである。(同上 10号 姜在彦「金芝河の思想を考える―それはどこに立っているか―」1977年5月 28・29頁)

いまや金芝河は韓国と日本をとび越え、世界的な存在として大きくクローズアップされてきている。 ‥‥ 金芝河はあくまで民族詩人である。詩人であると同時に思想家でもある。‥その意思はまた、時代とか民族とかにかかわりなく、人間に普遍的なものとしてしめされている。長い間の受難の歴史のなかで育まれてきた、民族のパトスでありロゴスであるところの民族精神が、詩人金芝河をつうじてわれわれの目の前に明示されているのだ。(同上 19号 金学鉉「光は獄中から・金芝河の思想」1979年8月 154・155頁)

 以上のように賞賛されていた金芝河が、実は1970年代前半には既に転向していたのですねえ。 

金芝河の告白 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/03/06/8798456

 朴正熙政権の人たちは、金芝河を賛美して救援活動をしていた人々をおそらく腹の底から笑っていたものと想像します。

 金芝河はちょっと長く生き過ぎたようで、1991年に転向を告白し、2012年の大統領選挙では保守の朴槿恵を支持しました。 ですから人間的には正直で憎めないと思うのですが、今はもう過去の人物で、評判が悪いですねえ。

 韓国民主化運動の象徴として輝いていた時期で終わっていたら英雄として祭り上げられて尊敬されただろうに、そしてその作品が教科書に載せられていただろうに、と思います。

韓国・朝鮮の歴史批判に向かわない日本歴史研究者2018/05/13

 ちょっと古い論考ですが、『朝鮮史研究会論文集 №39』(2001年10月)に、深津行徳「“古代朝鮮”という空間」に、次のような一文があります。 なお一部「○○」と伏字にしています。

より重要な問題は、その「○○の歴史」を語るさいに、恣意的な史料の選択が行なわれることである。彼らの一部は、そもそも歴史事実など存在せず、それゆえ歴史とは事実を解明することではなくて、自説をさまざまな材料から説明することであるとする。したがって、かれらの叙述のなかに見える明確な事実誤認を指摘することは、彼らの主張をただすための本質的で有効な手段とはなり得ない。彼らはそれを容易に受け入れ、あるいは別の「事実」を自らの叙述のために用意するであろう。(20頁)

 この一文は右派の「新しい歴史教科書をつくる会」に対する批判です。 従って「○○」は「日本」なのですが、これを「韓国」あるいは「北朝鮮」と入れ替えて読み直して下さい。 すると韓国や北朝鮮の歴史学に対する批判として、今でも十分に通用するものです。

 論者の深津さんは日本の右寄りの歴史の登場に危機感を抱いたようですが、私はこれを韓国・北朝鮮への批判と読み替えて、成程その通りだと思わず膝を打った次第です。

 日本の革新・左派系歴史研究者は、右寄りの歴史に対する批判の方法・観点でもって韓国や北朝鮮の歴史に対しても同じように批判したらいいのにと思うのですが、そういうことは昔も今もないですねえ。 

 歴史に限らず日本の革新・左派の諸君は日本を厳しく批判するのですが、その論理を使って韓国や北朝鮮を批判することはしないです。 批判の論理が日本だけに適用されて、韓国や北朝鮮に対してはその批判の論理が喪失するようです。 これが革新・左派の特徴と言えるのでしょうかねえ。

【関連拙稿】

 「南」に厳、「北」に寛だった日本のマスコミ http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/04/24/8832065

金正恩は「改心」したのでは?2018/05/07

 北朝鮮は昨年の1月から9月までに弾道ミサイル20発を発射し、金正恩委員長はアメリカに対して「我々のプレゼントが気に入らないようだが、これから大なり小なりのプレゼントを何度も送ってやろう」とか「アメリカ本土と太平洋作戦地帯が我々の打撃圏内に入った」とか、トランプ米国大統領を「アメリカの老いぼれ狂人を必ず火で罰する」などと好戦的な発言を繰り返しました。

 ところが先月27日の南北首脳会談で、この金委員長が「完全な非核化の実現」を宣言し「これからしょっちゅう会ってアメリカと信頼を積んで終戦と不可侵を約束するならば、なぜ我々が核を持つことがあろうか」と発言するなど、これまでとは大きく違う、殊勝な態度を示しました。

 これについて、彼が「改心」したからという説と、「改心」なんかしていないという説に別れるようです。 前者を唱えているのは、首脳会談当事者である文在寅大統領および彼を80%支持した韓国国民です。 一方後者は、韓国では少数派に転落した保守系です。 日本では懐疑的な論調が多く、後者の立場ですね。

 4月の首脳会談であれ程の大きな花火を上げて、全世界から注目を浴びたのですから、核とミサイルを再開するということは、かなり難しいと考えられます。 ですからここは「改心」したと考えた方がいいのかも知れません。

 金委員長が「改心」したとしたら、昨年の秋頃になります。 この時期に彼に何があったのか? それがさっぱり分かりません。 つまり「改心」したとしても、そのきっかけや理由がなかなか見当たりません。 

 憶測は色々あるようです。 ある人は昨年の秋ごろから中国が本格的な制裁に乗り出したからだと言います。 またある人は、これまでの制裁で金一家の贅沢な生活資金が足りなくなったことに昨年秋に気が付いたからだと言います。 あるいはまたその頃に公表された斬首作戦に怯えたからだと言う人もいました。

 確かなことは、独裁国家ですから金委員長が決断したことです。 とすると一人で考えて決断したのかどうか。 その間外国の要人と会談していませんから、そこから説得されたことはあり得ないでしょう。 すると妹の金与正か妻の李雪主あたりが進言したのか、ということになります。

 しかし一方的に譲歩することはあり得ませんから、非核化の対価は何か?です。 それは在韓米軍の縮小あるいは撤退でしょう。 これが目的で「改心」を決意したのなら、それは北朝鮮の従来路線の延長です。 

 北朝鮮は南朝鮮解放路線=赤化統一という明確な方針を有しています。 それは三段階に分かれ、第一段階が「自主的」。 つまり統一は外勢(アメリカ)を排して民族同士で成し遂げるということです。 

 第二段階が「民主的」。 韓国に北朝鮮に迎合する民主政権を樹立することです。 

 第三段階が「平和的」。 南に成立した民主政権と戦争ではなく平和的に統一することです。

 今は第一段階の「自主的」が成就しようとしています。 これまでのように力づくでアメリカを排するのではなく、話し合ってアメリカに撤収をさせるのです。 つまり今回の金委員長の「改心」は「力ずく」ではなく、「話し合い」によって第一段階を推し進めるやり方に変えたものと評価できると思います。

 そして米朝会談で在韓米軍を撤収させて第一段階を終わらせ、次に第二段階の「民主化」へと進みます。 今の文政権は十分に民主政権ではないかと言われるかもしれませんが、そうではなく少数派となっている保守・右派勢力を、再起できないほどに縮小・壊滅させることです。 これは北朝鮮の仕事ではなく、北朝鮮の意を忖度した文政権の仕事になります。 北朝鮮が手を煩わせることはないでしょう。

 さらに第三段階の「平和的」統一に至ります。 めでたし、めでたしです。 こうなると韓国国民は、最高尊厳の金正恩将軍様を絶対に冒涜することなく、また金日成元帥様が対日戦争と祖国解放戦争に勝利した革命の歴史を学ぶことになるでしょう。

 段々と私の勝手な憶測小説になってきますねえ。 それでも従来路線を維持しながら力ずくから話し合いへの「改心」は、言い当てていると思っているのですが。

 なおまた難癖をつけて、元の「力ずく」へ再度「改心」する可能性はあります。

【拙稿参照】

自主的、民主的、平和的統一       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/04/22/6421457

南朝鮮解放路線はまだ第一段階      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/03/30/6762019

北朝鮮を甘く見るな!(1)        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/07/23/7395972

北朝鮮を甘く見るな!(2)        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/07/28/7400055

北朝鮮を甘く見るな!(3)        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/08/02/7404064

北朝鮮を後押しする中国          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/02/08/8011036

「朝鮮半島の非核化」は「北朝鮮の非核化」とは違うのでは? http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/03/08/8799658

金正恩の発言は既定の北朝鮮の路線  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/03/12/8801876

北朝鮮の内部情報は?      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/04/28/8834853

「白丁」について2018/05/03

 35年以上も前ですが、金石範さんが「差別、雑感」(『季刊 三千里』№25 1981年2月)という小文のなかで、白丁に関して次のように書いておられます。

朝鮮での「被差別部落民」を意味する「白丁(ペックチョン)」ということばの用法について、一言いっておきたい。   在日朝鮮人組織の朝鮮語の機関紙『朝鮮新報』などで、いまでも朴正熙や全斗煥らをさしていう場合、「人間白丁」などと大きな見出しで堂々とでてくる。

白丁は高麗時代に隋から入ってきた言葉で「百姓(ペックソン)」―人民を指していたようだが、しかし長い歴史の過程で「百姓」のどの階層を指し、そしてどのような賤称の響きを持つに至っているか、年輩の朝鮮人なら知っているだろう。

それは「エタ」「ヒニン」と同じような響きを持って人の胸を突き刺す。 白丁は死語ではない。 その人たちの存在とともに、言葉は生きている。 私は先に「チョーセン!」が朝鮮人以外に蔑称として向けられている事実について触れたが、「白丁」を人殺しや人でなしなどの代名詞として、印刷物などで公公然と使用するのはやめるべきだと思う。 

たとえば「人間白丁全斗煥」となった場合、「白丁」という言葉が放つその否定的な毒はどちらに強く突き刺さるか。 それは全斗煥よりも「白丁」に属する者たちに強く向かっていく。「白丁」に属する者が、その形容をどのような思いで聞くか。 「白丁」がそのような形容詞として使われることがないように切に望みたい。 自ら被抑圧解放の立場においている者の場合はなおさらだろう。 (217頁)

 「白丁」という言葉は、それから35年も経った今でも韓国で使われています。 テレビドラマや映画にこの言葉が出てきます。 しかし韓国では問題にはなりません。 日本で「穢多」といえば大問題になりますが、ここが韓国との違いですね。

 これについて、韓国では差別が日常化しているので問題とは気付いていないからとか、そうではなく韓国は差別というものがなくなったから逆に差別語が自由に使われているのだとか、あるいは朝鮮戦争で国土が焦土化して白丁差別は消滅して単なる比喩的表現として残っているだけだとか、いろんな説明があるようです。 本格的には議論されていないようですね。

 北朝鮮でも「백정(白丁)」は、かつては韓国大統領を罵倒する言葉としてしょっちゅう使われていました。 日本でも朝鮮総連の機関紙である『朝鮮新報』にあったことは、私も記憶しています。 「백정(白丁)」は彼らにとっては最上級の侮蔑語ですが、使ってはいけないタブー語ではありませんでした。 近頃はどうなんでしょうか。 

【拙稿参照】

韓国ドラマに出てくる「白丁」   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/05/31/3552264

韓国映画に出てくる「白丁」    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/13/8070271

韓国の有力紙に出てくる「白丁」  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/06/30/8121172

「韓国は差別がゆるい」?     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/04/28/344906

水平社と衡平社          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/03/19/1326206

「白丁」考           http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainijuunanadai

北朝鮮の内部情報は?2018/04/28

 昨日、韓国・北朝鮮の首脳が会談し、板門店宣言が発表されました。

 ところで、この宣言を北朝鮮の内部では国民にどのように知らせているのかに関心が行きます。 というのは、北朝鮮はこれまで、内部向けにはかなり印象の違う説明をする場合が多かったからです。 この内部向けの情報については、なかなか入手が難しいですが、時々専門家が入手して、公表されることがあります。

 毎日新聞2018年4月24日付の「特集 ワイド」面に、北朝鮮に関する情報力では定評のある鈴木琢磨記者の長文の記事があります。 なかなか参考になるものですが、残念ながらインターネット版には載っていないようです。 その記事のなかで、公開されている情報以外に、鈴木さんが入手したという北朝鮮の内部情報があります。 興味深いので紹介します。

 2002年9月に小泉首相が北朝鮮平壌に行って、金正日委員長と会談しました。 横田めぐみさんらの拉致を北朝鮮が初めて認めた会談でしたから、その時の状況は皆さんもご存じでしょう。 その翌月に朝鮮人民軍出版社が発行した兵士向けの講演テキストです。

最高司令官同志(金正日)は、対朝鮮敵視政策に固執していた日本軍国主義の頭目が頭を下げて我が国をまず訪ねてきたことは歴史に特記される大事変であり、これは我が党の先軍政治の偉大な勝利だ、とおっしゃった。 この度の日本の首相の平壌訪問は、日帝が1945年8月15日、偉大な首領さま(金日成)の前にひざまずいたごとく、再び白旗を掲げて我が国を訪ねてきて、最高司令官同志の前で膝を屈し、降伏書に判をついたのと同じである。

 北朝鮮内部では、2002年の小泉首相訪朝はこのように認識されていたということです。 日本側の認識とは大きく違うことに注目されます。

 次に金正恩政権が発足して2ヶ月半ほど経った2012年3月3日に、金正恩委員長は板門店を訪れました。党が内部向けに作成した「発言集」にその時の彼の発言が載っています。

去る祖国解放戦争(朝鮮戦争)の時期には、ここで停戦の談判をしたが、これからの戦いでは停戦という言葉自体を思い浮かべてはなりません。 我々は米帝と南朝鮮かいらいどもを必ず消滅させ、祖国統一の歴史的宿願をどうしても成就させなければなりません。 私は米国のやつらと李明博(当時の韓国大統領)から必ず降伏書を取らねばならないのです。

 ここでは、アメリカと韓国を「降伏」させる決意を述べています。

 そして2016年3月6日に金正恩委員長が党と軍の幹部に行なった秘密演説です。

強力な国防力、戦争抑止力で敵どもの膝を屈させ、祖国の平和と安全を守護し、経済建設と人民生活の向上のための闘争に資金と労力を集中できる有利な条件をつくらなければなりません。 そして我が人民たちが軍事強国、核強国の徳を受け、子々孫々、幸福を享有しなければなりません。 その日は遠くありません。 その日は我々の目の前にあります。

 2年前に金正恩が内部に向けて明らかにしたこの考え方が、今度の板門店宣言にも貫かれていると考えるべきでしょう。 あるいは板門店宣言はこれに沿って読めば北朝鮮の真意を垣間見ることができる、ということです。

 「敵どもの膝を屈させ」 「その日は目の前にある」とあるのが、正に昨日の南北首脳会談なのです。

 時々漏れ出るこのような北朝鮮内部情報は、なかなか参考になります。

【拙稿参照】

自主的、民主的、平和的統一       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/04/22/6421457

南朝鮮解放路線はまだ第一段階      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/03/30/6762019

北朝鮮を甘く見るな!(1)        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/07/23/7395972

北朝鮮を甘く見るな!(2)        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/07/28/7400055

北朝鮮を甘く見るな!(3)        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/08/02/7404064

北朝鮮を後押しする中国          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/02/08/8011036

「朝鮮半島の非核化」は「北朝鮮の非核化」とは違うのでは? http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/03/08/8799658

金正恩の発言は既定の北朝鮮の路線  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/03/12/8801876

「南」に厳、「北」に寛だった日本のマスコミ2018/04/24

 1970~80年代の日本のマスコミは朝鮮半島について、韓国には厳しく、北朝鮮には寛容でした。 このような違いを見せる理由は、日本のマスコミが左翼・革新系だからという説明が世間では流れていました。 しかし当のマスコミがどのように説明しているのか、なかなか見当たりませんが、左翼雑誌として有名であった『朝日ジャーナル』1976年1月16日号のコラム「風速計」に、次のような説明をしているのを見つけました。

韓国政府は、日本の新聞が二つの物差しをもっていると非難する。 「南」に厳、「北」に寛だ、というのである。 日韓条約は前文で『国連憲章の原則に適合』を謳い、国連憲章は「基本的人権と人間の尊厳」を強調している。だから日本国民は、日韓両国に共通する人権問題には、厳であって当然だ。 (3頁)

 以下、日本の植民地時代の弾圧を例に引いて、今の(1970年代の)韓国の言論弾圧に抵抗する人たちを応援するのだと主張しています。

 当時の日本マスコミは北朝鮮の人権問題には全く関心を持っておらず、北に取材に行っても北当局の宣伝をそのまま垂れ流すだけでした。 北の人民は金日成主席の温かい懐の元で幸せに暮らしている、というイメージを日本のマスコミが率先して報道していたのです。

 しかし韓国に対しては常に厳しい目で見ていました。 確かに当時の韓国は軍事政権で、言論弾圧等々の人権問題を常に抱えており、とてもじゃありませんが民主主義から遠かったです。 従ってそれに対して厳しい目を向けるのは理解できたのですが、その厳しい目が北朝鮮には向かわなかったのです。 

 つまり当時の日本のマスコミは、韓国を見る目と北朝鮮を見る目が違っていたのは事実でした。 だから韓国政府が「日本の新聞が二つの物差しをもっていると非難」したのは、事実その通りなのでした。 しかし『朝日ジャーナル』は国連憲章を持ち出して、韓国に対し「厳」であるのは当然だと居直ったのが今回紹介した記事でした。 そして同誌は北を訪問した人士の手記を何度も掲載して、北に対する「寛」の態度を貫いたのです。

 1970~80年代は、そんな時代でした。 今は昔の話です。

学術集会に荒唐な現代政治を持ち込む2018/04/18

 25年前の古い話ですが、韓国で甲午農民戦争(東学党の乱)に関する学術集会が開かれました。 これに参加した朝鮮史研究者の中塚明さんが、『朝鮮史研究会論文集 №32』(1994年10月)で次のように報告しています。

1993年10月末、私は韓国で開かれた「東学革命百周年記念国際学術大会」に出席しました。 その開会式の挨拶でオ・イクジュ氏はつぎのようにいい、参加者を激励しました。

日本はわが国をみくびっています。 日本のPKO海外派兵計画は韓半島進出を企図しています。 遠からず日本は世界最強の核武装軍事大国として21世紀には韓半島に日本軍が進出してアジアを支配せずにはおかない野望をもっています。 これをどうして防ぐことができるか、民衆の覚醒、決起とともに南と北が一つに統一しなければなりません――と。

学術集会の開会式の挨拶でこの発言があったことに私は強い印象を受けました。 そのことを皆さんにもお伝えしておきたいと思います。 (「日朝関係百年―日清戦争から今日まで」17頁)

 1993年といえば、北朝鮮の核開発が明らかになって問題化し、北朝鮮はNPT(核拡散防止条約)から離脱して核開発の継続を表明した時期です。 そんな時に、この北と一緒になって「日本の核武装」に対処しようという余りにも荒唐無稽な話が、国際学術大会の開会挨拶で出てきたのです。 

 さらに朝鮮史研究者として著名な中塚明さんが、この韓国人の挨拶に全く賛成し、帰国してから日本の学術誌に報告したのです。 ソ連や東欧の社会主義が崩壊して間もない時期に、日本は「世界最強の核武装大国」となって「韓半島(朝鮮半島)に日本軍が進出」し、「アジアを支配する野望」を持っていると大真面目に訴える韓国人がいたのです。 そしてその訴えをこれまた大真面目に受け取る日本人がいたということです。

 1990年代はそんな時代だったなあと思い出します。

 ところで現在の習近平政権の中国は「核武装大国」であり、「南シナ海に人民解放軍が進出」し、「東アジアを支配する野望」を持っていると見ていいでしょう。 25年前の韓国の学術集会における上記の挨拶は、「日本」を現在の中国に置き換えて次のように修正すると、言い当てていますねえ。

中国はわが国をみくびっています。中国は韓半島進出を企図しています。 遠からず中国は世界最強の核武装軍事大国として21世紀には韓半島に中国軍が進出してアジアを支配せずにはおかない野望をもっています。 これをどうして防ぐことができるか、民衆の覚醒、決起が必要です。

芥川賞受賞作家 李良枝(2)―日本語は宝物である2018/04/13

 次に在日の日本語論について語ります。

―全く新しいタイプの在日作家が誕生した、と評されるのは不愉快ですか。

よく「在日文学を超えた」とか言われるけれど、私は文学ジャンルのために小説を書いてはいない。

―由煕の言葉で印象的だったのは「私には日本語が教えられない」と語る場面だったんですが、これはどう受け止めたらいいのですか。

由煕にとって日本語は何だったと思いますか。

―重荷でしょうか。

宝物だったのよ。

 在日にとって「日本語は宝物である」と主張する李良枝に感心しました。 在日が使う日本語を「植民地支配の傷痕」と捉える人が大部分だった時代でしたから、朝日ジャーナルの記者が在日にとって日本語は「重荷」だと言ったのです。 それに対し李良枝は「日本語は宝物」だと言い切りました。 この「日本語は宝物」という言葉は、在日社会でもっと評価されていいでしょう。 この感覚が、在日の使う日本語をもっと豊かにしていくと思うからです。

 次に、韓国に留学する在日論です。

―あなたの『刻』に韓国留学中の在日の若者が梅干を懐かしがったり、韓国人を「原住民」「原ちゃん」と呼ぶ、と書かれている。 こういう意識はどこからくるのですか。

在日の留学生は日本に生まれ育ったその出自に自信が持てないと同時に、名分として早く韓国人らしい韓国人にならなければならないという意識を持っているの。 ところが、そう簡単に韓国人になれない実態があります。 そこに先進国から来たというおごりが重なって、劣等感を埋め合わせる。

 『刻』はこれ以前に書かれた李良枝の小説で、芥川賞候補に選ばれたことのある作品です。

 ところで韓国に留学した在日が地元の韓国人を「原住民」「原ちゃん」と呼ぶというのは、1959年末~60年代初めに北朝鮮に帰国した在日が現地の北朝鮮の人たちを「原住民」と呼んでいたという話と同じですねえ。 韓国語の不自由な在日に対し、本国人が馬鹿にすることが多いのですが、在日は言葉ができないので反論できずに言われっぱなしとなります。 そこで内輪の話として本国人を「原住民」「原ちゃん」ということになります。

 しかしこれは在日の特性というよりも、人の悪口を言って溜飲を下げようとする人間の特性といった方がいいようにも思えます。

芥川賞受賞者 李良枝 ―韓国人を美化する日本人はおかしい  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/04/08/8821395