30年前の在日韓国人論―四方田犬彦2018/01/05

 1980年代の『朝日ジャーナル』を読み返していると、30年前のあの当時、こんな議論が真剣にされていたんだなあと思い出されて、参考になります。

 今度は四方田犬彦「われらが〈他者〉なる在日韓国人 日本文化を攪拌することの豊穣」(『朝日ジャーナル1987年3月6日号』92~95頁)を紹介します。

韓国では在日韓国人のことを在日僑胞(チェイルギョッポ)、略してギョッポと呼ぶ。だがあらゆる場合において彼らに親密な同胞意識を抱いているかというと、かならずしもそうではない。 かつての力道山や張本勲(チャン・フン)のように英雄視されるか、でなければひどく冷淡に扱われるかのいずれかである。      たとえばこんな紋切り型がソウルでは広く信じられている。 韓国人のくせに日本でタクワンばかり食べていたので、ロクに母国語(ウリマル)も喋れない。根性まで日本人になってしまって、隙さえあれば騙そうとする。 政治的にも総連系の人士が多数存在していて、けっして気を許すことができない‥‥。わたしは知人の韓国人の大学教授が次のようにいったことを憶えている。ギョッポというのは全員こちらに送り帰して、精神を叩き直したほうがいいんですよ。

1980年であったが、韓国政府高官の位にあった金鐘泌(キム・ジョンピル)が日本の『諸君!』誌上で在日韓国人に向かって「もう日本人になり切りなさい」と発言し、在日社会に大きな波紋を投げかけた事件があった。 韓国のプロ野球界で在日僑胞出身の選手たちは、「外人選手(エインソンス)」という恐ろしいレッテルで呼ばれる。要するに在日韓国人とは、当の国家のみならず、本国からも二重に見捨てられ、放逐された存在なのである。

在日韓国人、とりわけ二世・三世の自己同一性はきわめて決定困難な、微妙な状況にある。 ‥‥一世と違って韓国文化を自然環境として体験することのない二世、三世は、あくまで知的選択としてそれに接近せざるをえない。 政治的被差別意識がかろうじてその自己同一性の輪郭を形作っている。 では、仮に彼らが闘っている差別の陋習が消滅してしまったとすれば、彼らはどうなってしまうのか。 実存の核を喪失して、日本の市民社会に同化してしまうのか。 はたしてそれで在日韓国人の問題は解消されたことになるのだろうか。

彼ら(在日韓国人)が二つの文化(韓国文化と日本文化)に対して抱いている批判的距離こそが、わたしにはきわめて魅力的なモデルであるように思われる。  在日韓国人が日本に存在することで文化が結果的に攪拌され、掘り崩されてゆくとき、わたしはそこに豊穣の一語を与えたいと思う。 その結果、日本という社会がいささかなりとも生硬な自己同一性の神経症(単一民族による単一文化)から解放されることになれば、われわれはそこに希望の一語を与えてもいいのではないだろうか。

 前半部分では、在日韓国人は本国韓国人と大きな隔絶があることを論じています。

「韓国の大学教授が‥‥在日韓国人(ギョッポ)というのは全員こちらに送り帰して、精神を叩き直したほうがいい、といった」   「金鐘泌(キム・ジョンピル)が日本の『諸君!』誌上で在日韓国人に向かって『もう日本人になり切りなさい』と発言」   「韓国のプロ野球界で在日僑胞出身の選手たちは、「外人選手(エインソンス)」という恐ろしいレッテルで呼ばれる」   「要するに在日韓国人とは、当の国家のみならず、本国からも二重に見捨てられ、放逐された存在なのである」

 ならば「在日韓国人」の自己同一性(アイデンティティ)は何か?といえば、

「政治的被差別意識がかろうじてその自己同一性の輪郭を形作っている」

とあるように、日本では外国人であるが故に日本国民と違う取扱いをされる点に求めています。 つまり文化の違いではなく、帰化すれば全てが解決する「政治的被差別」のみにアイデンティティの根拠があるということです。 

 ここまでは四方田は正確に分析しているのですが、最後の所で急に論点を変え、「文化」が出てきます。

「在日韓国人が二つの文化(韓国文化と日本文化)に対して抱いている批判的距離こそが、わたしにはきわめて魅力的なモデルである」 「在日韓国人が日本に存在することで文化が結果的に攪拌され、掘り崩されてゆくとき、わたしはそこに豊穣の一語を与えたい」

 ここでは、日本とも本国韓国とも違う在日韓国人の存在そのものが、自分にとって「魅力的なモデル」「豊穣」であるとしています。 その理由は次に続きます。 

「日本社会が生硬な自己同一性の神経症(単一民族による単一文化)から解放」

してくれるからだ、ということです。 すなわち日本の単一民族感情を撃つものとして、在日の存在意義があるという考え方です。 これは政治的被差別感(国籍による制限)で「かろうじて」アイデンティティを維持している在日には、重荷でしかないでしょう。

 今この文章を読むと、30年前はこんなことが真剣に議論されていたことを思い出します。 だから当時は左翼・革新系(今は良心的日本人とも言われます)の間で、在日はそれだけで‘ちやほや’されていたのです。 結局は彼らは日本社会への異議申し立てをするために、在日を賞賛して利用しようとした、ということです。 だからそれを知る一部在日活動家が日本の左翼・革新思想を獲得して、日本社会・日本文化の批判を繰り返すという経過になりました。 これが1980年代の大きな流れでした。

 この流れの名残りが今も残っていますね。

 21世紀になって日本社会を「豊穣」にしてくれた韓国人は、在日ではなく、「冬のソナタ」のペ・ヨンジュンはじめ韓流ブームの人たちであると考えています。 在日に「文化」を期待する時代ではなくなっていると思います。

慰安婦合意の検証2017/12/31

 韓国政府のTF(作業部会)がこの27日に、2年前の朴槿恵政権が日本の安倍政権と結んだ慰安婦合意の検証を発表しました。 これを受けて、文在寅大統領が合意は問題を解決するものではないと発言し、白紙化に行く方向を示しました。

 具体的な方針は、2月のピョンチャン オリンピック後になるようです。 この間に日本との外交を重視する側が巻き返すかも知れませんし、強硬な韓国世論の通りに破棄となるかも知れません。

 朴槿恵政権時代は、慰安婦問題は日本が韓国の元慰安婦や市民団体が納得する案をつくれ、という要求でした。 それが2年前にその方針を転換して、市民団体等の納得を得ないまま日本と協議し、合意したものです。 

 この時点で私は、韓国は混乱するだろうと予想しましたが、やはりそうなってきました。 市民団体等に振り回される韓国政権は、朴時代も今の文時代も変わらないということですね。

 日本は合意を守り実行してきましたら、後はすべて韓国側の問題です。 もし破棄となれば、韓国への信頼性が喪失することですから、安保、経済等々の協議もすべて蹉跌することになるでしょう。 日本政府はそれも仕方ないと受け入れて、次の対策を考えねばならないでしょう。

 慰安婦問題に関する拙論は、2・3年前の朴政権時代のものですが、お読みいただければ幸甚。

・慰安婦問題の日韓合意は混乱を呼ぶか http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/01/02/7968787

・やはり韓国政府には当事者能力がない―慰安婦問題 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/11/13/7906094

・慰安婦問題―韓国政府には当事者能力がない http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/03/09/7586932

・朝日の反「アジア女性基金」キャンペーン  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/12/28/7525901

 2017年も終わりです。 皆様、よいお年をお迎えください。

30年前の反日感情と違いはあるか2017/12/28

『朝日ジャーナル 1986年3月7日号』 「第9回 新韓国地図 コスモスと鉄条網と」に、韓国の反日感情について、次のような分析がありました。 論者は朝日新聞ソウル支局長 小林慶二です。 30年前のものですが今と比較すれば共通する点が多いです。 これは30年経っても変化がなかったと言うべきもののように思えます。

韓国の反日感情は三つに分類できると思う。 第一は、日本支配を目で見、肌で知っている50を超える世代である。 84年夏、KBSとテレビ朝日が共催で日韓両国の知識人、文化人を集め「釜関フェリー・船上シンポジウム」を開いた。 この日韓対話は大島渚氏の「バカヤロー」発言で一躍、有名になった。 ある酒席で、私は50を過ぎた韓国政府高官に対し、多少の自己弁護的気持ちもあって、「大島さんに限らず、バカヤローは日本人の口癖みたいなもの 。愛情をこめて言う場合もあるんですよ」と弁解したところ、「それは通用しないよ。 われわれの世代は子どものころ、日本の警察や憲兵が“朝鮮人、バカヤロー”を叫んでいたのを記憶しているのだから」とピシリと言われた。 この世代の反日感情は経験から来ているし、皮膚に染みついた感情でもある。しかし、同時に、この世代は日本の良さも知っており、韓国で最大の知日家グループで、酔うと、若い時代に流行した李香蘭の歌などが飛び出す。 これまでの日韓関係を支えてきたのは、こうした人たちである。

第二は、詩人、金芝河氏など李承晩政権時代に反日教育を受け、日韓正常化に反対したいわゆる「ハングル世代」である。 官界や言論界の中核となっているが、観念的な反日感情が強く、海外留学では圧倒的に米国が多い親米派でもある。 日本については、あまり知ろうとせず、批判の舌鋒は鋭い。

第三は、それ以降の若者たちで、日本製のオモチャやテレビ、ウォークマンで育った世代。 観念的な反日感情は持っているが、日本が世界の経済大国になったことに興味を持ち、知ろうという意欲も強い。 数年前から韓国の高校は日本語ブームで、今年は20%を超す大学受験生が、日本語で受験した。日本語の『ノンノ』や『アンアン』の熱心な読者でもある。 日本観も素朴で、友人のある新聞社の重役の娘さんは、高校の修学旅行で日本へ行き、「日本人はいつからあんなに親切になったのかしら」という感想をもらしたという。 これまで、日本人の悪評ばかりを聞かされていたので、そう感じたらしいのだが、それ以来、すっかり日本びいきになったという。

幸いなことに、こうした人たち(反日感情の強いハングル世代)でさえ、概念的な「日本」と「個々の日本人」は区別する。「君は友人で別だが、日本人というのは‥‥」といった具合である 。韓国に住み、多くの友人をつくった日本人のほとんどが、「あなたは好きだが、日本人は嫌い」といった言葉を聞いているはずだ。

結論から言うと、日韓親善の道は、こうした個人的な友人をつくっていくしかないように思える。日本人一人一人が韓国人の友達をつくり、その輪を広げることが、「近くて遠い国」との友好を深めうる「遠くて最も近い国」ではないだろうか。

 大島渚の「バカヤロー」事件は当時かなり有名になったもので、内容は検索すれば分かるでしょう。 私は、韓国や在日への理解がとりわけ深いと思われていた(つまり韓国にとっては良心的日本人)大島が、自分も含めて日本の歴史責任を繰り返す韓国人に対して、いい加減にしろとキレたものと理解しました。 興味のある方はお調べください。

 ところで30年前の分析では、「第一」の植民地体験世代は日本の辛い体験と良い体験の両方があるとしています。 今は80代以上ですから鬼籍に近付いている世代です。 次は「第二」のハングル世代で、体験のない日本に対し嫌いが際立ちます。 さらにその次の若い「第三」世代は日本を経験してみて好きになる、というものです。

 だから日韓交流をもっと推し進めて、「あなたは好きだ」という個々人の友好関係を深めようというのが、30年前の小林記者の論です。 当時はこのような友好を積み重ねることによって、日韓関係は良くなるという主張が説得力を持っていました。

 そして現在。 日韓の個人的友好関係は、飛躍的に増えました。 特に韓流ファンの女性たちは、韓国人の友人をつくってメール、プレゼント、相互訪問をしている人がビックリするほど多いです。 またこういった人たちは韓国語もどんどん上達しており、まさに日韓友好親善の実践者です。 

 しかし個人間ではなく、国と国あるいは民族と民族の関係になると、「友好」と言い難いものが続いています。 30年前の「あなたは好きだが、日本人は嫌い」は今も韓国に根強く残り、あの韓流ブームでも容易に融けるものではなかったと思います。

 ところで韓国からの来日旅行者は今年600万人をはるかに超え、最高を記録することが確実です。 この流れが定着して「あなたは好きだが、日本人は嫌い」という感情が融けていってくれればいいのだが、と思っています。

【拙稿参照】

日韓交流は相互理解に役立ってきたか? http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/12/13/8747383

徐勝さんは二回も北朝鮮に行った2017/12/23

 かつての韓国民主化闘争時代を知っている方は「徐勝」さんと聞いて、1971年の学園浸透スパイ団事件で韓国中央情報部(KCIA)に逮捕され、過酷な拷問を受けて顔に酷い火傷を負った在日韓国人政治犯として、よく御存じでしょう。 当時の日本では徐勝さんの救援活動が盛んでした。彼は1990年に釈放されて、その後日本に戻って人権活動等を行ない、立命館大学の教授となって今に至っています。

 彼は71年の逮捕以前に北朝鮮に密航していたという事実について、知っている人は多くないようです。 彼は韓国での裁判で、北朝鮮に行ったことを認めました。 しかしスパイ容疑がでっち上げだと主張する救援活動が盛んだったせいか、北に密航したという彼の供述について、さほど注意する人はいなかったようにと思います。 私もかつては、彼が北に行ったというのはKCIAに強制的に言わされたことなのだろう、裁判でその供述を維持しているのは自分の身を守るとか、それなりの理由があるからに違いないと思い込んでいたものでした。

 最近、『朝日ジャーナル』(もう廃刊されています)という雑誌を読み返して、徐勝さんが釈放された直後にインタービューした記事が目に入りました。 ここで彼は北への密出入国をはっきりと認めていたのですねえ。 しかも二回です。 これは知らなかったので、私には新鮮な驚きでした。 私の知識不足だったということですね。

『朝日ジャーナル 1990年3月16日号』24~27頁の「本誌独占 徐勝氏が語る獄中の19年 ‘拷問に耐えかねて軽油をかぶった’」

―当局の発表では、あなたは二回、北朝鮮に行ったとなっているが。

徐: 最初は67年の夏に、二回目は70年に行きました。

―日本海岸から、北朝鮮の工作船で密出国し、工作員教育を受け、労働党の正党員になったともされています。

徐: 漁船だった。1ヶ月いたが、展示場や産業施設、動物園、映画や劇場を見てまわる、いわばお仕着せ旅行でした。 なにかの工場の設備が古いので驚いたことがある。 つい口に出したら嫌な顔をされた。労働党に入った事実はないが、拷問でやられ、そうなったんです。控訴審ではっきりと否定しました。   二回目は弟をつれていきました(朝日ジャーナル注・弟の徐俊植さん=ソウル大学に留学していて、兄より10日遅れてソウルに戻ったところを連行され、懲役15年の判決を受けた。その後、減刑され、刑期終了後も社会安全法によって獄中にいたが、88年に釈放)    弟は気が進まないようだったが、両方を見れば公平な見方ができると勧めたんです。

―そんな形で北朝鮮に行くのは、まずいと思わなかった?

徐: 韓国籍の人間が北韓を見に行くには、そういう形しかないんです。正直言ってためらいもあった半面、冒険心もありましたが、韓国籍だろうと北韓を支持する総連系だろうと、生活の場では自然と交じりあって暮らしていかざるを得ない日本で生まれ、育った私たちが、民族の問題を考えていくと、韓国も北韓も見て公平に判断したい熱望をいだくんです。

―東京教育大学時代に韓国も北朝鮮もみたあなたが、韓国に留学したのはどうしてですか。

徐: 私の父母の故郷は韓国だし、私たちが留学できるのは韓国しかなかったですからね。高校のころ憧れたのは、学者かジャーナリストか画家でした。‥‥そんな中で、この国で心ひかれた農村を研究して祖国の役にたち、自分も将来研究者として生きていくことができるのでは、と考えたのです。

―北朝鮮に行ったことがバレたら、とは思いませんでしたか。

徐: それは分からないだろうと思っていました。

―これまでずいぶんと在日韓国人の政治犯が捕まりましたが、どうしてなんでしょうか。

徐: 簡単に言えば、この国の機関からすると「お客さん」にしやすいんです。在日はこちらで生活しても兵役は免除で、大学も特別枠がある。   それだけ、この国の社会の中ではひよわなのに、日本で抑圧されていた感情をこっちに来てあからさまに吐き出すような留学生もいる。 脅されただけで、他の人を犠牲にして逃げる。 そんな一面もあるから、いろいろつけこまれるのでしょう。

―この19年間の韓国の発展ぶりは目覚ましいですが。‥‥朴政権の「先経済」政策の成果とも言えますが。

徐: 貧困からの脱出は必要なことだった。 しかし、そのための「開発独裁」で失ったものが一体どれほどあるかも考えなければ。‥‥88年の民主化宣言以降、言論の自由は確かにうまれた。それでも祖国の分断は変わらず、統一と人権の問題もなおざりにされた。スパイの烙印を押した人間を作り、国民の恐怖心を再生産させるやり口も変わっていない。

 北朝鮮に関係する部分を抜書きして紹介しました。 先ず目を引くのが二回も北朝鮮に密出国で行ったことです。 そして密出国は日本海岸から「漁船」に乗ったとあります。 この「漁船」というのが日本の漁船をチャーターしたものなのか、それとも漁船に見せかけた北朝鮮の工作船だったのか、全く分かりません。 おそらく帰りの時もこのルートで密入国したものと思われます。 

   北朝鮮に行った理由が「冒険心もありました‥‥韓国も北韓も見て公平に判断したい熱望をいだく」とあります。 しかし彼は実際に見た北朝鮮社会について、ほとんど語っていません。 「お仕着せ旅行だった‥‥なにかの工場の設備が古いので驚いた」というのが唯一です。 一方、ここでは紹介しませんでしたが、インタービューでは韓国社会の暗部について詳しく話しています。 北朝鮮は語らず、韓国は語るというのは、「韓国も北韓も見て公平に判断したい」という動機に対して、疑問を抱くところです。

 さらに法を犯してまで二回も北朝鮮に行っています。 一回目は「冒険心」と言われたら、まあそうかも知れないと思えます。 しかし二回となると、しかも弟を連れての密出入国ですから、北への感慨が深かった、或いは北と深い関係を持ったのだろうと推測できます。

 「工作員教育を受け、労働党の正党員になったともされています」という問いに対して、彼は工作員教育については答えずに、労働党入党の方を否定しました。 しかし北朝鮮での行動を全く明かしていませんので、工作員教育を受けた可能性は高いと見るべきでしょう。 また入党については、別件ですが同じ在日韓国人である金哲顕さんは1973年に北朝鮮に密入国して労働党に入党したことを明かしています。 徐勝さんは労働党入党を否定していますが、何とも言えないところです。

 北朝鮮への密出入国は、個人の力では無理であって、相当に大きな組織の支援が必要です。 そんな組織とどのようにコンタクトを取ったのか、また渡航費用はどのように支払ったのか、あるいはタダだったのか、等々に関心が行くのですが、彼は全く語っていません。

【拙稿参照】

水野・文『在日朝鮮人』(20)―南朝鮮革命に参加する在日 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/09/08/8173965

13年間日本滞在した韓国人の日本論2017/12/18

 韓国のソウル新聞に、13年間日本に滞在した経験をもとに、『日本的こころ』という日本人論の本を出した人の紹介がありました。 韓国語の勉強も兼ねて、ちょっと訳してみました。

 ソウル新聞12月7日付

13年間、現地で見届けた「日本の素顔」  尹東柱の専門家であるキム・ウンギョ淑明女子大教授が出版した『日本的こころ』

 去る9月に他界した馬光洙教授の弟子あり、師匠に次ぐ「尹東柱専門家」として選ばれるキム・ウンギョ(55)淑明女子大教授(詩人・文学評論家)、彼は最近、村上春樹から靖国神社、日本が顔をそむけている国家犯罪と暴力の実体に至るまで、日本の素顔を描いた『日本的こころ』(本読む猫―出版社名)を発行した。     本は単純な印象批評にとどまらない。1996年から2009年まで13年間日本に滞在し、学者として、他者として見聞きし体験し記録を残した。

キム教授は1999年5月、日本の3大祭りに数えられる東京浅草の三社祭に参加した。当時早稲田大学の三〇代の客員教授として、韓国と日本の文化を比較研究していた彼としては、大した勇気を発揮したのだった。お尻がはっきり現れるふんどし(伝統的な下着)だけを締めたまま、あらっぽく身体をぶつけ合い、「一生懸命」(意訳すれば熱心にやろうと誓うこと)の声を張り上げる数千人の男衆のなかで、自分だけの人文的洞察を選りすぐった「日本人論」が盛られた。

 6日に会ったキム教授は、「政治的に敏感な時代に、韓国と日本がともに生きていく道を模索するきっかけになることを願い、本を出した」と言い、また「死を宿命のように軽く受け入れて、諦め服従する日本人だけの精神世界をのぞき見ようとした」と語った。       一般書籍の三分の二の大きさである文庫本であっても、中身がかなり詰まっている。日本人の美学的観念から文化、文学、作家、歴史認識に至るまで、多方面の知的関心と人文的省察が柔らかくも鋭く、はばかることなく展開する。キム教授が見た日本人の精神は、彼が「秩序の中の超秩序」と表現した集団主義と肉体化した諦念、人間を神とするくらいに強力な死に対する美化である。

彼は明治維新以後の戦死・戦没者246万5000人を、日本の神として祀る靖国神社を代表的な美化の空間と数える。1級戦犯から名前もない群島で亡くなった二等兵まで、戦果によって並べられた神たちの集合所。現代になって殉職した自衛隊員464人も新たに神となった所だ。キム教授は靖国神社について「洗脳工場」と本では表現した。     「靖国は我が国の言葉で平和な国家という意味であるが、この神社を作った明治天皇は15年戦争を引き起こし、ヒロヒト天皇は太平洋戦争を引き起こしました。日本の軍人たちは分かっていました。戦って死ねば神になり、捕虜になれば神になることを放棄することだということ、だから玉砕をしたのです。靖国は日本の国家中心主義と選民意識のファンタジーを与えるために存在する所です。」

 彼が見るには、春樹文学も死と結び合っている一種のファンタジーである。キム教授は彼の文学を日本人のためのロッテワールドのような「春樹遊園地」だと語る。        「日本人の中には、春樹の小説をビタミンと表現する人たちが少なくないです。表面的には無国籍とかアメリカ的に感じますが、同時に最も日本的な作家です。文章のスタイルも隙を与えない全体主義的で、作品ごとに日本人に内在する罪意識と羞恥心を治癒する漢字を与えます。日本人の大多数は歴史的真実が何なのかも知らないまま、無意識状態で治癒されるのです。2002年に発表された「海辺のカフカ」で、軍服を着た男性が女性を強姦する場面を解いていく方式を見ても、日本の体制に対し贖罪を与える意識があって、日本の中からも批判が多かったです。最近の彼の小説と言葉が変化を見せてくれていますが、ヒーリング(癒し)の文学として認められている理由です。」

 キム教授は自分の日本観あるいは日本人論が、日本の全部ではないという「他者としての限界」を認めている。彼が本の表題として、日本のこころではなく、出版社が提示した日本的こころという、文法的に不自然で、分るようで分からない表題にさっと同意した理由である。   (文・写真 アン・ドンファン記者)

 この中で、日本人について 「『秩序の中の超秩序』と表現した集団主義と肉体化した諦念、人間を神とするくらいに強力な死に対する美化」と表現し、靖国神社を「洗脳工場」 「日本の国家中心主義と選民意識のファンタジーを与えるために存在する所」と表現しています。

 また村上春樹の文学について、「死と結び合っている一種のファンタジー」 「日本人のためのロッテワールドのような『春樹遊園地』」 「日本人の大多数は歴史的真実が何なのかも知らないまま、無意識状態で治癒される‥‥ヒーリング(癒し)の文学として認められている理由」 と論じています。

 これは新聞紙上に載った紹介文ですが、おおよその内容は予想できます。  経歴によれば、13年間日本に滞在し、早稲田等で教鞭をとられた方だということです。

 彼の日本論に賛成できる日本人は、おそらくイデオロギー的に左の方でしょうねえ。 勝手な想像ですが、13年間の滞在中はこのような日本人との親交が深かったのではないか、と思いました。

 念のために、原文記事を掲示します。

13년간 현지서 지켜본 ‘일본의 민낯’

윤동주 전문가 김응교 숙명여대 교수가 펴낸 ‘일본적 마음’

지난 9월 타계한 마광수 교수의 제자이자 스승을 이어 ‘윤동주 전문가’로 꼽히는 김응교(55) 숙명여대 교수(시인·문학평론가). 그는 최근 무라카미 하루키부터 야스쿠니 신사, 일본이 외면하고 있는 국가 범죄와 폭력의 실체에 이르기까지 일본의 민낯을 그린 ‘일본적 마음’(책읽는 고양이)을 펴냈다. 책은 단순한 인상비평에 그치지 않는다. 1996년부터 2009년다지 13년간 일본에 체류하며 학자로서, 타자로서 보고 듣고 체험하며 쌓은 기록이다.  김 교수는 1999년 5월 일본 3대 축제로 꼽히는 도쿄 아사쿠사의 산쟈 마쓰리에 참가했다. 당시 와세다대학의 30대 객원교수로, 한국과 일본 문화를 비교 연구하던 그로서는 대단한 용기를 발휘한 것이었다. 엉덩이가 훤히 드러나는 훈도시(전통 속옷)만 걸친 채 거친 몸싸움을 벌이며 ‘잇쇼켄메이’(의역하면 열심히 하자는 다짐이 되겠다)를 내지르는 수천명의 사내들 속에 김 교수도 있었다. 책에는 이처럼 그가 일본인의 삶 속으로 들어가 13년 동안 일기 또는 편지처럼 쓴 수천장의 원고지 가운데 일본인에 대한 자신만의 인문적 통찰을 추려낸 ‘일본인론’이 담겼다. 6일 만난 김 교수는 “정치적으로 민감한 시대에 한국과 일본이 함께 살아갈 길을 모색하는 계기가 되길 바라며 책을 냈다”며 “죽음을 숙명처럼 가볍게 받아들이며 체념하고 복종하는 일본인만의 정신세계를 엿보고자 했다”고 말했다. 일반 책의 3분의2 크기인 문고본 판형인데도 꽤 알차다. 일본인의 미학적 관념부터 문화, 문학, 작가, 역사 인식에 이르기까지 다방면의 지적 관심과 인문적 성찰이 부드럽지만 날카롭고 거침없이 전개된다. 김 교수가 본 일본인 정신은 그가 ‘질서 속의 초질서’로 표현한 집단주의와 육체화된 체념, 인간을 신으로 만들 만큼 강렬한 죽음에 대한 미화다. 그는 메이지유신 이후 전사·전몰자 246만 5000명을 일본의 신으로 모신 야스쿠니 신사를 대표적 미화의 공간으로 꼽는다. 일급 전범부터 이름도 없는 군도에서 숨진 이등병까지 전과에 따라 줄을 세운 신들의 집합소. 현대에 들어서는 순직한 자위대원 464명도 새로 신이 된 곳이다. 김 교수는 야스쿠니 신사에 대해 ‘세뇌 공장’이라고 책에서 표현했다. “야스쿠니는 우리 말로 평화로운 국가라는 뜻인데 이 신사를 만든 메이지 천왕은 15년 전쟁을 일으켰고, 히로히토 천왕은 태평양전쟁을 일으켰어요. 일본 군인들은 알았어요. 싸우다 죽으면 신이 되고, 포로가 되면 신이 되는 걸 포기하는 거라는 것, 그러니 옥쇄를 했죠. 야스쿠니는 일본의 국가중심주의와 선민의식의 판타지를 주기 위해 존재하는 곳이에요.” 그가 보기엔 하루키 문학도 죽음과 닿아 있는 일종의 판타지다. 김 교수는 그의 문학을 일본인을 위한 롯데월드 같은 ‘하루키 놀이공원’이라고 말한다. “일본인 중에서는 하루키 소설을 비타민이라고 표현하는 이들이 적지 않아요. 표면적으로는 무국적이나 미국적으로 느껴지지만 동시에 가장 일본적인 작가입니다. 글쓰기 스타일도 빈틈을 주지 않는 전체주의적이고, 작품마다 일본인에게 내재된 죄의식과 수치심을 치유하는 느낌을 줍니다. 일본인 대다수는 역사적 진실이 무엇인지도 모른 채 무의식 상태에서 치유받는 거예요. 2002년에 발표한 ‘해변의 카프카’에서 군복을 입은 남성이 여성을 강간하는 장면을 풀어 가는 방식을 봐도 일본 체제에 대해 속죄해 주는 의식이 있어 일본 내에서도 비판이 많았습니다. 최근 그의 소설과 말이 변화를 보여 주고 있지만 힐링의 문학으로 통하는 이유죠.” 김 교수는 자신의 일본관, 혹은 일본인론이 일본의 전부는 아니라는 ‘타자로서의 한계’를 인정한다. 그가 책 제목으로 일본(의) 마음이 아닌 출판사가 제시한 일본적 마음이라는 문법적으로 어색하고 알 듯 말 듯한 제목에 선뜻 동의한 이유다.

김응교 숙명여대 교수(시인·문학평론가)

글 사진 안동환 기자

日韓交流は相互理解に役立ってきたか?2017/12/13

朝日新聞1984年9月7日付

 これは朝日新聞1984年9月7日付の夕刊に載った「今日の問題」のコラムです。 33年も前のもので、日韓の「人の交流」「自由かつひんぱんな往来」の重要性を説いています。主要部分を抜書きしますと、

日本人の海外旅行客は昨年‥うち韓国を訪れた人は53万人弱。‥‥‥ 一方、韓国人の海外旅行者は‥その約4割の19万6千人が日本に来ている。

韓国のある大学教授が昨年11月(調査によると)、訪日後、対日印象が好転した、と答えた人が6割を超えたという。

日韓が本当に成熟したパートナーを目指すなら、国民レベルでの自由かつひんぱんな往来が一層重要になってくることは間違いない。この分野で両国がなすべきことはまだまだあるはずだ。

 33年前は訪韓日本人数53万人、訪日韓国人数19万6千人という数字です。 ちなみに今年の訪韓日本人数は200余万人、訪日韓国人数は600万人を超えると見込まれていますから、この30年余りの間に日韓の人的交流は大いに進んだと言えます。

 33年前の朝日の記事にあったような「国民レベルでの自由かつひんぱんな往来」は今や実現した段階に至ったと言っていいでしょう。 ここで考えねばならないのは、それにもかかわらず日韓の認識差、特に歴史認識差による対立・摩擦が鎮まらないことです。 一般的に外国との人的交流が活発化すれば、互いに相手の印象が好転して対立・摩擦が減少すると考えられてきましたが、日韓関係ではこの数十年の歩みの中でその図式が当てはまらなかった、と言えます。

 これからも対立・摩擦が続くのかどうか分かりません。 ただ一つ言えるのは、交流が活発になりさえすれば仲良くなれる、という単純な図式は必ずしも成立しないということです。

35年前における日韓の認識差(4)2017/12/08

 韓国のジャーナリストたちが書いたこの日本訪問記は、ソウル在住の日本人にどう受け止められたか。 朝日の小林記者は次のように報告しています。

ある金融関係者は「甘えが目立ちすぎる」と指摘した。 技術移転にしろ貿易逆調是正問題にしろ、日本側の説明は筋が通っている。 それを批判する側の、反論の根拠がはっきりしていない。 例えば、「米国に同じような要求」をつきつけ得るのかどうか。 日本だから、理不尽な言いがかりをつけている、という印象である。

ある商社員は「技術協力にしろ、現場の人たちは、日本企業が欧米系と比較し、いかに親切に仕事をしているか十分知っている。 今度の記者団は、そのへんの現実を知らずに日本批判をしている」といい、「戦後の日本は乏しい外貨を割いて、不完全な技術を買い、血のにじむような努力で開発をしてきた。韓国も同じ努力をしなければ真の発展はない」と主張した。

なかには「対日批判がなければ韓国の新聞は売れないからね」といった皮肉な見解もあった。

 真っ当というか常識的な反応と思うのですが、韓国人には受け入れられないでしょう。 それは、韓国人は日本との関係について特殊性を持っていると考えているからです。 小林記者は次のように論じます。

日韓間の認識の差は、相手の経済力の評価の違い、歴史的な過去などのさまざまな要素がからんでいる。 しかし、結論的に言えば、最大の“差”は‥‥日本が基本的には韓国を「地理的に近い隣国」としか考えていないのに対し、韓国側が「日本は韓国を特別な国として扱うのが当然だ」と認識している点にある。 だから日本の主張する競争原理や経済原則は韓国国民には説得力を持ち難い。 その認識の根底には、世代によって異なるが、日帝36年支配があり、防共とりで論がある。 もっとさかのぼれば、豊臣秀吉の朝鮮出兵があり、現在残っている問題では在日韓国人の法的地位の問題もある。 この特別な感情がときによっては排日感情へ爆発する。

 要するに日韓の認識差は、日本にとって韓国は数ある国家のうちの一つで、たまたま隣に位置している国であるという認識ですから、韓国に対しては他の外国と同様に対等な立場で協力せねばならないとなります。 一方韓国にとって日本は、古くは学問や文化を教えてあげたのに我が国を侵略し植民地化した忘恩背徳の国だ、そして現在は共産主義と対決している我が韓国は日本を守っているのだ(防共とりで論)、その特殊性を考えれば裕福な日本が貧乏で困っている韓国を助けるのが当たり前だ、となります。 他の外国と同じにするな、ということです。

 冒頭の小林記者の記事の題名が「韓国と日本―『貧しい武士』と『金持ちの商人』」となっているのは、ここから来ています。 極端な例えをすると、高潔で貧乏な上流階級の武士に、身分が低くても働いてお金儲けをした商人が土下座しつつすり寄って貢ぎ物を差し上げる姿を想像すればいいでしょう。 記者はそこまでは書いていませんが、韓国は日本との関係についてこうなってほしいと夢見ているのです。 

 この記事に出てくる日韓の認識差は35年も前の1980年代のことです。 国が違えば認識差が出てくるのは当然なのですが、日韓関係では韓国側が日本側の認識を改めさせて自分の方に引き寄せようとする力が強いです。 そして日本側は韓国側のこの認識を理解できないで当惑するのみですから、認識差が対立・摩擦となります。 この傾向は今でも根強く続いています。

 ところで今年は韓国から日本への旅行客が年間600万人を超えるだろうと言われています。 韓国国民の8人に一人の割合ですから、8年経てば韓国国民全員が日本旅行を体験する計算になります。 この流れが定着すれば、韓国が日本との認識差を容認する方向に行くかも知れません。 あるいは逆に相手を知る程に認識差が許せないとなるかも知れません。 今後どうなるか分かりませんが、日韓の認識差を互いに認め合って、対立・摩擦が減少していってほしいですね。

 なお『朝日ジャーナル』は天下に名立たる左翼・革新雑誌でしたが、小林記者のこの記事は日韓の認識差を比較的客観的に見ようとしています。 この記事を読み返してみて、35年後の今ならばこのように解説できるのではないかというのが、今回の拙論です。 

35年前における日韓の認識差(1)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/11/20/8731033

35年前における日韓の認識差(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/11/26/8734592

35年前における日韓の認識差(3)http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/12/02/8738535

35年前における日韓の認識差(3)2017/12/02

韓国側- 両国の互恵発展のために技術移転や資本協力について日本政府がもう少し高次元の立場で介入すべきではないか。

日本側- よくご存知のように、日本は自由経済体制である。 したがって、民間に対して政府がああしろ、こうしろと言うことができないし、またそれが互いに役立つとは思えない。 技術移転問題も政府ベースで解決するよりも民間同士の商品ベースで解決するのがよかろう。 しかし、最近では韓国が大変発展し、日本を脅かすので注意せねばならないという雰囲気が強まっている。 「ブーメラン効果」を憂慮する人が多い。

 韓国側は日本政府の介入を要求しています。 これは韓国と日本のお国柄の違いでしょう。 韓国は大統領の一声で万事が解決する国です。 政治と経済とは対等ではなく、経済も政治に従属するという発想があると考えたらいいです。 従って日本側から「政府は民間に介入できない」と言われても納得がいかず、「なぜ首相が決断しないのか」という反応になります。

 「ブーメラン効果」というのは、韓国がそれだけの技術力を有してきたということが前提ですから、韓国を高く評価していることになります。 しかし韓国側は自国の技術の低さをアピールします。 小林記者は韓国他紙の次のような発言を報告しています。 「日本の技術水準は世界の最先端であり、われわれが追いつくことは思いもよらないことである」(『韓国日報』 朴仁淳経済部長)。 「日本が恐れる『ブーメラン効果』は虚構に過ぎない」(『中央日報』 崔禹錫編集局次長)。

   韓国側は自国の技術の低さを語ることによって日本との技術格差をアピールし、「ブーメラン効果」なんてとんでもない、だからこそ先進国の日本は韓国に技術を移転してほしいという要求につながります。 そこには日本は韓国を助けて当然だという認識があり、さらに上述したようにあわよくばタダで技術を手に入れたいという気持ちが現われています。 こうなると、日本に学んで自ら技術を開発していこうという発想がなかなか出てこないものです。

 これが当時の韓国でした。 現在の韓国からはちょっと想像がつきにくいかも知れません。

35年前における日韓の認識差(1)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/11/20/8731033

35年前における日韓の認識差(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/11/26/8734592

35年前における日韓の認識差(2)2017/11/26

 韓国の有力紙『中央日報』の記事の続きです。

韓国側- 日本は市場を必要以上に閉ざしている。‥‥経済大国の日本が、そんなみみっちいことをするのか?

日本側- よく日本市場は閉鎖的だということ聞くが、それは他の国が積極的に浸透しようとする努力を十分に重ねていないからだ。 もう少し、積極的に進出してくれることを期待する。‥‥

 日本市場の閉鎖性の問題ですが、ここで韓国側が日本を「みみっちい」と揶揄したところに注目されます。 おそらく原語は「쩨쩨하다」「인색하다」「구두쇠」で、いずれも「みみっちい」とか「けちくさい」の意味です。

 日本ではやや軽蔑的に使われますが、韓国では軽蔑どころかかなりの侮辱語になります。 だからこんなことを言われないように気前よく大盤振る舞いしましょうというのが韓国らしいやり方です。 つまりこれは日本に対して大盤振る舞いを要求した発言と考えていいものです。

韓国側- 韓国が競争力を高めようとすれば、先端技術などを導入しなければならないが、これについて日本は協力すべきではないか。

日本側- 技術というのは「ギブ・アンド・テーク」であり、一方的なものではない。 日本は対価を払って欧米から技術を学び、1年間に米国へ技術ロイヤリティを6億ドル以上も払っている。 ‥‥韓国へ技術を与えたくてもそう簡単にはいかない‥‥

 これを分かりやすく言うと、韓国は日本から技術をあわよくばタダで手に入れたいと言っているのに対し、日本側はそんなことは出来ないと答えたものです。この答えは当然のことです。

35年前における日韓の認識差(1)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/11/20/8731033

35年前における日韓の認識差(1)2017/11/20

 1980年代の日韓関係がどんなものだったのか、ちょっと関心があって、当時の雑誌などを読み返しています。 『朝日ジャーナル 1983年4月15日号』に朝日新聞ソウル支局の小林慶二記者が書いた「訪日ジャーナリスト報告に『相互認識の落差を見る』 韓国と日本―『貧しい武士』と『金持ちの商人』」と題する記事は、当時の日韓の認識差について割と簡潔に記されており、参考になりました。 主要部分を紹介します。

(1983年)2月末から3月初めにかけて、韓国の新聞、放送各社の経済部長らが約1週間、日本を訪問した。‥‥その「訪問記」は3月中旬、各紙に掲載され、多くの反響を呼んだ。「日本の警戒心は過剰」「(韓国の)期待と(日本の)反応に大きな差」などの見出しがつけられ、日本に対する批判、苦情が盛られたこれらの記事に対するソウル在住の日本人の反応は反発、当惑が半ばしたものだった。

 韓国側の「日本に対する批判、苦情」とは、対日貿易赤字と技術移転問題についての日本側の反応のことです。 35年前の日韓の間ではこれが問題となっていました。 小林記者はこの問題について、韓国側の質問に日本側が回答する形式で書かれた『中央日報』の記事を引用しています。

韓国側- 韓日間の貿易不均衡があまりにも深刻になっている。日本はこの是正のため誠意を示さねばならないのではないか。

日本側- ‥‥貿易不均衡は産業構造と関連した問題であるから短期間で解決されるものではない。根本的には韓国が産業競争力を高めるべきであり、長期的な観点から解決しなければならない。

 韓国は1960年代後半からいわゆる輸出主導型経済開発政策を進めてきました。 これは日本や米国から技術や資本を導入して韓国内で製造し、この製品を世界に輸出して経済を成長させるというものです。 これが大成功を収めて、韓国の経済は大きく発展しました。

 当時の韓国の産業構造をもう少し分かり易く言うと、日本から部品を輸入して韓国で組み立てて製品を作り、この製品を世界各国に売って儲けるというものです。 従って韓国が儲ければ儲けるほど日本からの輸入が増えることになりますから、日韓の貿易だけを取り上げると韓国側の一方的な赤字です。 つまり韓国の産業構造自体が日本に対しては赤字、世界に対しては黒字なわけです。

 しかし韓国側は、日本との貿易が赤字と聞いただけで搾取されているという発想になるようです。 そこで「韓日間の貿易不均衡は深刻」であるから日本に対しその是正に「誠意を示せ」と要求するのです。 

 それに対し日本側は、それは韓国の産業構造の問題であって日本がどうこう出来るものではない、赤字を減らしたければ韓国自身が努力して産業競争力をつけなさい、という常識的で当たり前の回答になります。