伊地知紀子『消されたマッコリ』(5)2015/12/26

 この本では在日朝鮮人について、次のように簡潔に書いています。

そもそも朝鮮人は日本による植民地支配によって異郷での生活を余儀なくされたのであり、解放後の日本政府による在日朝鮮人への生活保障という最低限の対応すらなされず、さらには不当な処遇によりいつでも強制送還される危機的状況へ追いやられていた。(92頁)

 1945年の解放時の朝鮮人の人口は大雑把にいって約3,000万人。うち朝鮮本土に2500万人、日本に200万余人、満州に200万余人、その他50万人と言われています。 つまり朝鮮人で「異郷での生活を余儀なくされた」人の割合は6分の1、そして「日本での生活を余儀なくされた」人の割合は15分の1です。 果たして「そもそも朝鮮人は日本による植民地支配によって異郷での生活を余儀なくされた」と言えるものなのか疑問です。

 大多数は朝鮮内に留まり、一部は朝鮮外に出た、それは植民地支配下という当時の社会状況においてそれぞれの個人が最善と考えて選んだ道だった、と考えるべきではないかと思います。

 次に「解放後の日本政府による在日朝鮮人への生活保障という最低限の対応すらなされず」とありますが、これは間違いです。 戦後の在日朝鮮人は日本政府の生活保護の対象となっています。 その対象者数は1951年からの統計数字があります。

 1951年   62,496人  1952年   76,673人  1953年  107,634人  1954年  129,020人  1955年  138,972人

 当時の朝鮮人の外国人登録者数は、1952年535,065人 1953年556,084人、1954年564,239人、1955年577,682人です。 この本の主題である多奈川事件の発生年である1952年を例にとると、登録人口53万5千人、生活保護対象者数7万7千人ですから在日朝鮮人の14.4%、つまり7人に1人の割合で生活保護を受給していたのです。 その3年後の1955年は24.1%で4人に1人の割合となります。 従って伊地知さんが「生活保障という最低限の対応すらなされず」としたのは、明白な間違いと言わざるを得ません。

 だから「生活のため」「生活の糧」として、やむを得ず酒の密造という違法行為を行なったという伊地知さんの捉え方は、疑問なのです。

伊地知紀子『消されたマッコリ』(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/12/08/7940574

伊地知紀子『消されたマッコリ』(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/12/13/7947408

伊地知紀子『消されたマッコリ』(3) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/12/17/7951241

伊地知紀子『消されたマッコリ』(4)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/12/21/7956212

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