伊地知紀子『消されたマッコリ』(3)2015/12/17

 この本の中でもう一つ違和感を持ったのは、朝鮮人の飲酒文化に対して肯定的評価だけがあって、その否定的側面について言及していないことです。

(韓国の済州島の)村の暮らしのなかでは酒の席は飲むことがまず目的であることよりもその場に居合わすことが大切なのだと感じたのである。 地域の歴史と文化が培ってきた集いをつなぐものとしての飲食がある。(8頁)

マッコルリは、結婚式や葬式のときに客人に振る舞うには欠かせず(146頁)

来客をもてなす大切な酒を近所で助け合って用意する。 もちろん宴会で用意したおかず類を分配するのは常である。 こうしてマッコルリを通して支え合う姿が見られた(151頁)

 酒が付き合いや冠婚葬祭などに必要なものだという点は、朝鮮だけでなく日本でも世界でも共通するものです。 しかし酒にはそのような肯定的な面だけでなく、暴力に直結するという否定的な面があります。 特に在日朝鮮人家庭の多くでは夫の妻への暴力(DV)が甚だしかったのですが、この暴力のきっかけとなったのが酒です。 これについては10年以上前の拙論で触れましたのでご参照ください。

在日一世の家庭内暴力 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dairokujuugodai

そしてそのDVのきっかけとなる酒を造ったのが、他ならぬ妻だったのです。 これについてもかつての拙稿で論じました。 その部分を再録します。

タッペギ(マッコリ)の思い出  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/03/04/6359741

在日1世の女性(今はもう80歳以上になります)の多くは、主人に飲ませるために、家でタッペギを作っていました。 これは、ご飯と麹とイーストさえあれば簡単に作れるとのことでした。 ただし昔も今も密造にあたりますので違法です。 イーストは、それ用のものが朝鮮料理材料店などで売ってあって、さすがに酒造り用とは書いてなくて、「栄養の素」というような名前の商品だったそうです。     在日1世の男性は、家庭内暴力の凄まじかったことが知られています。(拙論http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dairokujuugodai参照)    この暴力の契機あるいは源となったのがタッペギです。在日2・3世の女性が、タッペギに対して良く言わないのは、この体験からです。        「お父ちゃんが酒飲んで暴れてた。 またお母ちゃん殴ってた。」という時の酒は、大抵の場合タッペギです。 そして、母親に「お父ちゃん暴れるの知ってて何でタッペギ作って飲ませるの?」と詰め寄ったことがあるという在日女性の話も聞いたものでした。 「あれは気違い水や!」と吐き捨てるように言う人もいました。     だから在日社会ではタッペギはかなり低級な酒というイメージでした。 私がタッペギを飲んでいたら、「そんな酒飲んでたら、頭悪なるで。」と、よく言われたものでした。

 マッコリ(タッペギ)は、元々は朝鮮人の主婦が夫らの男性等のために造るものでした。 女性が造り、男性が飲むというのが基本スタイルです。 そして在日朝鮮人の夫は妻が造るマッコリを飲んで暴れ、妻を殴るという日常生活風景が見られることになるのでした。

 そんな在日朝鮮人家庭はごく一部のことで日本人と変わらない、と主張する方もおられるようです。 しかし、かつての在日朝鮮人家庭のDVは調査研究されることもなく従って統計資料もありませんが、私の感覚では日本人よりもはるかに頻繁で激しいものでした。 こういう話にすぐに共感される方は私と同世代以上で、在日朝鮮人自身か或いは在日朝鮮人が近所に住んでいた日本人ぐらいでしょう。

 伊地知さんは1966年生まれとありますから、もうこの年代ではこんな話は実感できなかったようです。 この本には「酒を飲んだアボジがまた暴れている」というかつての在日朝鮮人家庭の日常風景が全く記されていません。 これは戦後~1960年代の「在日朝鮮人と酒」をテーマに取材すれば当然のごとく出てくる話だと思っていたのですが、それが出てこないところに私の違和感があります。

伊地知紀子『消されたマッコリ』(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/12/08/7940574

伊地知紀子『消されたマッコリ』(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/12/13/7947408