慰安婦問題の日韓合意は混乱を呼ぶか2016/01/02

 昨年末の慰安婦問題に関する日韓合意は、ちょっとビックリしました。

 なぜなら、それまで韓国政府は日本に対して、元慰安婦や市民団体(挺対協)が納得する措置を日本側がとれ、という要求をしてきたのに、元慰安婦・市民団体と事前協議をせずに独自で日本と「合意」したからです。

 拙論では以前に、慰安婦問題で韓国政府は当事者能力がないとと評しました。 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/03/09/7586932  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/11/13/7906094

 しかし今回の合意は、韓国政府が自分が当事者として振る舞ったのです。 つまりこれまでとは態度を大きく変えたのです。

 当然のことながら、元慰安婦や市民団体たちは反発します。 韓国政府が彼らを説得できるのかどうかが一つの焦点になるようです。

 「合意」後の世論調査では、朴政権の支持率は少し下がっただけで、大きな変化はありませんでした。 とすると、韓国の国内では「合意」に賛成するものと反対するものとに大きく分かれたことになります。

 今後はどうなるのでしょうか? 反対が強くなっていって朴政権を脅かし、2年後の政権交代で再び問題が蒸し返されることになるかも知れません。

 一方わが日本では、右の方の一部で大きな反発があっただけで、おおむね賛成のようです。 特にこれまで韓国から「良心的」と持ち上げられてきた左の人の賛成意見が目に引きます。

 今回の「合意」は、日本では一部不満はあるがこれでもう終わったと収束の方向に行き、韓国では国内対立が激しくなって混乱をもたらすというのが私の見立てですが、どうなんでしょうかねえ。

在日朝鮮人の「無職者」数2016/01/05

 伊地知紀子『消されたマッコリ』に関連して、李杏理「『解放』直後における在日朝鮮人に対する濁酒取締り行政について」(『朝鮮史研究会論文集51』緑蔭書房 2013年10月)を読む。

 この論文の最初に次のような一節があり、ちょっとビックリ。

敗戦によって、日本の産業は混沌とし、大量の失業者があぶれた。そのなかで、廃止を免れた非軍需企業でさえも、朝鮮人を解雇していった。 当時、七割以上の在日朝鮮人が失業状態にあった(註2)。 たとえ職にありつけた場合でも臨時的で保障がなく、生きるために自前で収入源を探りあて、その日その日を繋いでいるようなものであった。     朝鮮人の女性の場合は、いっそう働き口がなく、八割以上が(註3)が無職者であった。そのため、小売商または露天商の買い出しや売り出し、濁酒づくりや飴づくり、屑鉄拾いや廃品回収などに生業の道を見出すしかなかった。(137~138頁)

 そしてこの「註2」と「註3」は、次の通りです。

(註2) 篠崎平治『在日朝鮮人運動』(令文社 1959年)によると、1952年当時、日雇い労働者、失業者、無職者は、在日朝鮮人総人口の70.4%に上り、更に有業者の中にその就業内容において失業者同然な者が居たと思われる。

(註3) 「解放」直後の統計はないが、前掲、篠崎平治『在日朝鮮人運動』によれば、1952年10月時点の在日朝鮮人(登録)人口535,803名中女性は233,951名、男性301,852名であり、うち第一位を占める職業が、男女とも「無職者」であり、女性は188,408名(80.5%)、男性は140,216名(46.4%)である。

 ここに出てくる篠崎平治『在日朝鮮人運動』という本ですが、近在の図書館にはありませんでした。 かなり入手が難しいようです。しかし在日朝鮮人関係の本には、しょっちゅう出てくる資料です。 手近にあった本から探してみると、 ①在日韓国居留民団『歴史教科書 在日コリアンの歴史』(明石書店 2006年2月)80頁、 ②姜在彦・金東勲『在日韓国・朝鮮人 歴史と展望』(労働経済社 1989年9月)124頁、 ③樋口雄一『日本の朝鮮・韓国人』(同成社 2002年6月)78頁にありました。 

 ここでは、③の本に出てくる「在日朝鮮人職業調査表(1952年10月調査)」を引用します。

 農  業   10,156人  1.8%

 工  業   24,573人  4.6%

 商  業   31,023人  5.8%

 運 輸 業   5,206人  0.9%

 土 建 業  19,991人  3.7%

 料 飲 業   5,157人  0.9%

 遊 戯 業   7,207人  1.3%

 海 運 業    612人

 貿 易 業    163人

 鉱  業      53人

 漁  業     801人

 知的労働者  7,237人  1.3%

 日雇労働者 35,585人  6.6%

 失 業 者  13,267人  2.4%

 無 職 者  328,624人  62.0%

 そ の 他   46,084人  8.5%

 合   計  535,803人 

 李杏理が「七割以上の在日朝鮮人が失業状態にあった」としたのは、この統計の日雇労働者、失業者、無職者を合計したものです。 七割も失業状態なら、彼らは日々の食べ物や衣類などをどのように調達していたのかが気にかかります。

 ここでこの統計の合計人口を見て下さい。 53万5803人は在日朝鮮人の総数です。 ちなみに1952年における朝鮮人外国人登録者数は53万5065人ですから、この統計数字はかなり正確です。 ということは、ここには赤ちゃんや小中学生など、明らかに職業を持たない人数が含まれています。 そしてそれは「無職者」の数に入ります。

 ちょっと年代がずれますが、1950年の国勢調査を調べてみました。 戦後の混乱がまだ収まっていない時期の調査なので正確性には疑問が残りますが、在日朝鮮人の人口は総数で464,277人、うち0歳から14歳までの子供の数は196,467人です。 つまり42.3%は14歳以下の子供です。 そして子供であるがゆえに当然のことながら「無職者」です。それ以外に高校生や大学生、専業主婦、老人なども「無職者」です。

 また1952年12月現在の生活保護受給者の朝鮮人は76,673人ですから、上記の表から計算すると14.3%です。 以上を考えるならば、無職者62%という割合は特筆するほどの大きな数字でないことが分かります。

 これを「失業状態」だとして在日朝鮮人の生活の困難の根拠にする李杏理の理解は、いかがなものかと思います。

韓国の小説の翻訳に挑戦(6)―申京淑(3)2016/01/10

 今回も申京淑です。三回目になります。

 申京叔「今私たちの横に誰がいるのでしょうか」 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/imawatashitachinoyokoni.pdf

 韓国の小説は日本語に訳し易いものと、訳し難いものとがあります。訳し易いものとは結局読んで面白いもので、訳し難いものはその反対です。  今回は比較的訳し易いものでした。だから韓国語の勉強になりました。 訳し難いものは面白くないので、調べた単語も頭に入りませんから。

【これまでの小説の翻訳】

申京淑「ある女」 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/aruonna.pdf

申京淑 「伝説」  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dennsetsu.pdf

孔枝泳 「真剣な男」 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/shinnkennnaotoko.pdf

孔枝泳「存在は涙を流す」 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/sonnzaihanamidawonagasu.pdf

殷熙耕 「私が暮していた家」 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/watashigakurashiteitaie.pdf

日本にもあった嘗糞2016/01/15

 昔の朝鮮に人糞を嘗める風習があったということで、これを嘲弄の対象とする日本人がいます。

 人糞を嘗めるというのは、中国や朝鮮で体の健康を診断する方法の一つだったようです。親の糞を嘗めて病状を探る、あるいは宮廷の医者が皇帝や王の糞を嘗めてその日の健康状態を見るといったことです。 実際に行われたかどうかなかなか確認しようがありませんが、可能性はあります。

 ところでこういった風習を嘲る日本人は、わが国でもかつてこの風習があったことを知らないようです。 わが国の場合は中国や朝鮮とは目的が違い、人糞ではなくおしっこが混じった糞尿を嘗めます。 「目的が違う」というのは、肥料としての良し悪しを見分けるためです。

 かつての日本では糞尿が農耕の重要な肥料として使われてきました。 農民たちは糞尿を集めるために努力します。 糞尿は都市で大量に入手できますから、町人が多く住む長屋のトイレなどが糞尿肥料の供給場所となります。 糞尿は「金肥」と言われるほどに価値あるものでした。 だから都市のトイレは権利として設定されました。 例えばここのトイレはあそこの農民が汲み取る権利を持っている、というようになる訳です。 長屋の家主は店子から家賃をもらわなくても、この農民からもらうお金でやっていけたという話もあります。 そして農民は都市のトイレに汲み取りに出かけると、肥料として十分なものかどうかを確かめるためにちょっと指につけて嘗めるのでした。

 大坂はかつて「天下の台所」と言われるほどに経済が発達していましたから、肥料となる糞尿は売買されました。 町で汲み取られた糞尿は桶に入れられて船で運ばれます。 大阪の東側に位置する東大阪や大東、寝屋川は水路が発達していました。 この水路に糞尿を載せた船を走らせ、周辺に住む農民に売るのです。 農民たちは、ちゃんとした糞尿かどうか、ひょっとして水増しでもされていないかを確認するために、指をつけて嘗めます。 そして納得すればその糞尿を買うわけです。

 このように日本では糞尿を嘗めるというのが日常的にあったという話は、昔はごく当たり前の事実だったのですが、今は知る人がほとんどいないようです。 だからこのような我が国の伝統を知らない無知な日本人が、朝鮮人は糞を嘗めていたと嘲弄するのでしょうねえ。

 自分の国のことを棚に上げて他民族を嘲弄するというのは、品性卑しく醜悪なレイシズムでしかありません。

 韓国人の無知は困ったものですが、日本人の無知もまた困りものです。

かつての左翼・革新―佐藤勝巳2016/01/22

 佐藤勝巳さんはすでにお亡くなりになりましたが、1950年代から北朝鮮側の立場に立った活動を始めて、日本朝鮮研究所の事務局長を務めました。 その後反北朝鮮に転向し、「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」の会長として拉致問題に積極的関わった方です。

 そんな経歴はともかく、佐藤さんの日本朝鮮研究所時代の次のような一文を見つけました。 彼が左翼思想で真っ赤に染まっていた時期に書かれたものですが、内容は彼独自の考え方ではなく、当時の左翼・革新系の人たちが共有していた考え方です。 40年前の日本の左翼・革新がどのような思想を持っていたかを知るには手頃なものと思われ、ここに紹介するものです。

 ここにある「金大中事件」とは、朴正熙政権時代の野党政治家だった金大中(その後大統領就任)が韓国政府当局によって1973年8月に東京で拉致され、韓国に不法に連れ戻された事件のことです。

 佐藤勝巳「金大中事件と排外主義」(『朝鮮研究128』1973年7・8月号所収)

この度の金大中事件を、誰が仕組んだかは、衆目のみるところ、韓国政府機関の一部、もしくは、それに近いものであることで一致している。   このような韓国政治のありようは、あらためて議論するまでもなく否定されるべきことである。だが、筆者が、この種の事件が起きるたびに、激しいいらだちを感ずることは、マスコミなど多くの日本人が示す途方もない排外主義、大国主義的反応である。日本人の反応は、あげて「日本の主権が侵害された、許すことができない」という点に集中している。

一体、日本の「主権」とはなにか。 不本意ながら、日本の主権は、自民党と政府、それを支えている財界にあることは、周知のことだ。筆者は、この度の事件で自分の主権が犯されたなどという実感はみじんもない。 政府自民党によって主権を犯されている日本人が韓国に「主権を侵害された」と大騒ぎしているのは、どういうことなのだろう。

日本政府の、半世紀近い朝鮮植民地支配、つまり侵略はすべて合法であった。 従って日本政府は、日本から「分離」する韓国に、「お祝い」として経済援助五億ドル出す。 しかし援助金の使用は、すべて日本政府の許可を必要とするというのが、1966年1月発効した日韓間の「‥‥経済協力に関する協定」の内容の一部である。右協定を根拠に、韓国の経済に公然と介入し、即ち主権を侵害(ほかにも沢山ある)しつづけ、この度のようなことを平気でやる朴政権を強力に支持してきたのは、日本政府ではないか。 そのために、心ある韓国の民衆の血が、ここ数十年間流され続けてきた。金大中事件もその一つだ。

「主権が侵害された」と大騒ぎしている人々が日本政府が韓国の主権を侵害していることに対し日本政府抗議したという話をきいたことがない。 日本人の目には、日本政府の韓国に対する主権侵害は映らず、自分達には、ほど遠い、政府・自民党の「主権」への侵害は、鮮明に自覚できる。

他民族を支配する政府をチェックできない民衆の思想状況とは、このようなものであるということを、金大中事件は、またまた、浮きぼりにした。 日本人が、問題にしなければならないことは、このような日本の状況ではないだろうか。 (佐藤勝巳)

 この一文はそのなかで 「日本の『主権』とはなにか。不本意ながら、日本の主権は、自民党と政府、それを支えている財界にあることは、周知のことだ。」 とあるように、日本の主権は自民党政権とそれを支える財界にあって、我々国民にはない、という考え方です。 しかし国民は選挙によって自民党政権を選んだのですから、主権は国民にないというのは荒唐無稽な話なのですが、このようなことが当時の左翼・革新の人たちでは真剣に議論されていたのです。 こういう人たちは佐藤さんも含めて自分たち仲間同士だけで議論する傾向が強かったですから、佐藤さんはこの考え方を「周知のこと」と書きました。 左翼・革新でない普通一般の人々はこんな文章を読んだら、だったら何のための選挙なのか、とビックリしたでしょうね。

 続いて 「筆者は、この度の事件で自分の主権が犯されたなどという実感はみじんもない。政府自民党によって主権を犯されている日本人が韓国に『主権を侵害された』と大騒ぎしているのは、どういうことなのだろう。」 とあります。 本来は金大中事件は当時の朴正熙政権が日本国内で引き起こした拉致・監禁・殺人未遂事件なのですから、典型的な主権侵害です。 しかし当時の左翼・革新は、政府自民党が国民の主権を犯している、という考え方をしていましたから、金大中事件で日本国民は「主権侵害だ!」と騒いではならない、なぜなら侵害されたのは政府自民党の主権であるからだ、となります。

 佐藤さんは 「韓国の経済に公然と介入し、即ち主権を侵害(ほかにも沢山ある)しつづけ、この度のようなことを平気でやる朴政権を強力に支持してきたのは、日本政府ではないか。」 と書きます。 この当時の状況を説明しますと、韓国の朴正熙政権は輸出主導型経済政策を取ります。 これは外国の資本と技術を導入して製品を作り、これを外国に輸出して経済を発展させようとする政策で、韓国ではこれが大成功を収めました。 しかし日本の左翼・革新は、日本が韓国に資本と技術を提供することを「韓国の経済に公然と介入し、即ち主権を侵害」と考えたのです。 だから左翼・革新でない一般の日本人が金大中事件を主権侵害だと憤慨したことに対しては、「日本人の目には、日本政府の韓国に対する主権侵害は映らず、自分達には、ほど遠い、政府・自民党の『主権』への侵害は、鮮明に自覚できる。」 というように日本人の不明を慨嘆し、日本の韓国への経済進出こそが主権侵害なのであって、金大中事件などは日本国民ではなく政府・自民党への主権侵害なのだから問題にすべきではない、という主張になる訳です。

 佐藤さんは 「他民族を支配する政府をチェックできない民衆の思想状況とは、このようなものであるということを、金大中事件は、またまた、浮きぼりにした。」 とありますように、「民衆の思想状況」を嘆いています。 当時の左翼・革新の現状分析は、日本帝国主義・軍国主義が復活してアジアを再侵略している、韓国は日本の経済的植民地になろうとしている、というものでした。 そしてこれを許容する日本の民衆を覚醒させるのだと使命感を燃やしていたのです。

 今から考えると1970年代の左翼・革新は、このように実にバカバカしいことを考えていました。 そして私も含めて左翼・革新の人士はこれを本当に真剣に議論し、その考え方を共有していたのでした。 

【関連拙稿】

70年代のスローガン「アジアとの連帯」 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/08/11/6538315

「親の因果が子に報い」と「自己否定論」 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/10/18/6605712

差別反対が高じると2016/01/29

 佐藤勝巳さんは1970年代に民族差別反対運動の指導者として活躍していました。 当時の彼は左翼思想にどっぷりと浸かっていましたから、差別反対の思想がとんでもない方向に行くことがありました。 その一つを紹介します。1975年に執筆された文章です。

‥‥最近、はた目に見当つきかねると騒がれたことの一つにアフリカのウガンダのアミン大統領がいる。英国の教師が、ウガンダを紹介した本のなかで、同大統領を「村の暴君」と呼んだ。 大統領は、この英人教師を反逆罪で逮捕、英国外相自身が謝罪に来なければ、7月4日に銃殺に処すると発表、英国は上を下への大騒ぎになったことは記憶に新しい。

欧米のマスコミは、字を知らない元首とか「彼は気が狂っている」「偏執狂だ」といっているときく。 その具体例として「神のお告げ」といって、在ウガンダの英国籍のアジア人4万人を追放し、ウォーターゲート事件でピンチのニクソンに「あなたの回復を祈る」との「祝電」を打つ。また、エリザベス女王に「英連邦首脳会議出席のため、王室専用機と近衛兵を貸してくれ」といった等々である。 他方、ヒットラーの碑を作るなど理解できないこともあるが、右にあげた話は、長年英国から受けた恥ずかしめへの抵抗として根拠のあるものばかりだ。

今度の事件で、英国の29歳の女性が、問題の英人教師を助けてくれるならアミン大統領に身をささげてもよいと申し出たとか。 それに対し、ウガンダ放送は、「アミン大統領にわが身を捧げようという英人女性はときどきいるが、大統領は英人女性に魅力を感じておられない」と大統領側近の話を流したという。 なんとも痛快な話ではないか。 大体、自己の植民地支配の罪悪を不問にふし、「村の暴君」などと人を見下している輩だ。 銃殺されなかったことに感謝をしなければならない。「あんた、あのコのなんなのさ」といって差別を温存している日本に比べ、差別に対して銃殺をもってのぞむ、アミン大統領の方が数段まっとうだと思うが、どうであろう。(S)  (以上『朝鮮研究189』1975年5月号 67頁)

 「銃殺されなかったことに感謝をしなければならない」とか「差別を温存している日本に比べ、差別に対して銃殺をもってのぞむ、アミン大統領の方が数段まっとう」とか、ビックリ仰天の表現が並びます。

 しかし70年代当時の日本における差別反対、植民地反対という左翼思想を知る私には、これは冗談ではなく真剣にそう思っていたことが分かります。 佐藤さんはこれを実践に移しませんでしたが、一部の左翼諸君は差別主義者・植民地主義者とレッテルを張った相手に暴力を振るっていったのでした。 彼らが権力を握ってしまえば、本当に「銃殺」の嵐が吹いていたでしょうねえ。