差別反対が高じると2016/01/29

 佐藤勝巳さんは1970年代に民族差別反対運動の指導者として活躍していました。 当時の彼は左翼思想にどっぷりと浸かっていましたから、差別反対の思想がとんでもない方向に行くことがありました。 その一つを紹介します。1975年に執筆された文章です。

‥‥最近、はた目に見当つきかねると騒がれたことの一つにアフリカのウガンダのアミン大統領がいる。英国の教師が、ウガンダを紹介した本のなかで、同大統領を「村の暴君」と呼んだ。 大統領は、この英人教師を反逆罪で逮捕、英国外相自身が謝罪に来なければ、7月4日に銃殺に処すると発表、英国は上を下への大騒ぎになったことは記憶に新しい。

欧米のマスコミは、字を知らない元首とか「彼は気が狂っている」「偏執狂だ」といっているときく。 その具体例として「神のお告げ」といって、在ウガンダの英国籍のアジア人4万人を追放し、ウォーターゲート事件でピンチのニクソンに「あなたの回復を祈る」との「祝電」を打つ。また、エリザベス女王に「英連邦首脳会議出席のため、王室専用機と近衛兵を貸してくれ」といった等々である。 他方、ヒットラーの碑を作るなど理解できないこともあるが、右にあげた話は、長年英国から受けた恥ずかしめへの抵抗として根拠のあるものばかりだ。

今度の事件で、英国の29歳の女性が、問題の英人教師を助けてくれるならアミン大統領に身をささげてもよいと申し出たとか。 それに対し、ウガンダ放送は、「アミン大統領にわが身を捧げようという英人女性はときどきいるが、大統領は英人女性に魅力を感じておられない」と大統領側近の話を流したという。 なんとも痛快な話ではないか。 大体、自己の植民地支配の罪悪を不問にふし、「村の暴君」などと人を見下している輩だ。 銃殺されなかったことに感謝をしなければならない。「あんた、あのコのなんなのさ」といって差別を温存している日本に比べ、差別に対して銃殺をもってのぞむ、アミン大統領の方が数段まっとうだと思うが、どうであろう。(S)  (以上『朝鮮研究189』1975年5月号 67頁)

 「銃殺されなかったことに感謝をしなければならない」とか「差別を温存している日本に比べ、差別に対して銃殺をもってのぞむ、アミン大統領の方が数段まっとう」とか、ビックリ仰天の表現が並びます。

 しかし70年代当時の日本における差別反対、植民地反対という左翼思想を知る私には、これは冗談ではなく真剣にそう思っていたことが分かります。 佐藤さんはこれを実践に移しませんでしたが、一部の左翼諸君は差別主義者・植民地主義者とレッテルを張った相手に暴力を振るっていったのでした。 彼らが権力を握ってしまえば、本当に「銃殺」の嵐が吹いていたでしょうねえ。