52年前の帰化青年の自殺―山村政明(2)2022/08/23

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/08/17/9518301 の続きです。

 次に、父母はこのような厳しい差別に対し、どう対処しようしたか。

父母は屈辱のすべてを忘れようとした。 帰国のメドのつかないままに、国籍帰化を決意したのだ。 乏しい家計の中から贈物を整えて町の有力者たちの前に平身低頭していく父母の姿‥‥ (15頁)

父母は苦心の末、この国の市民権を取得した。 ぼくたちは法的には日本人になったのである。‥‥父母はぼくたち子供の将来、進学、就職等の不利を免れるためにというが‥‥ 祖国におけるみじめな生活を引き合いに出して、父母はぼくの抗議をあしらうのだった。(122頁)

 山村の父母が家族で帰化したのは1955年6月。 山村が9歳(おそらく小学4年)の時でした。

 その時の在日をめぐる社会状況を簡単に書くと、1952年サンフランシスコ講和条約により日本が独立し、それに伴い在日は正式に外国人となりました。 翌1953年に朝鮮戦争が休戦となります。 その2年後に山村家が一家で帰化しました。 帰化には準備がかなり大変ですから、父母はかなり早い時期から帰化を決意したと思われます。 「祖国におけるみじめな生活を引き合いに出して」とあるところから、それは53年の朝鮮戦争休戦直後ではないかと思われます。

 帰化について、父母は詳しく話さなかったようですが、このわずかな文章からも、父母が子供たちのためにどれほど愛し、考え、行動したかを想像できます。

 しかし山村は、自分も含めて一家を帰化させた父母を責めます。

祖国と同胞を忘れ、なんとか日本人の列に加わろうとする両親を、私は尊敬することができなかった。(15頁)

父母は‥‥それ(子供の将来、進学、就職等の不利を免れるため)のみで、自らの祖国を棄てることが出来たのか?(122頁)

どんなみじめでもいい。 どんなに貧しくてもいい。 真の同胞の間に少年期を送ることができたなら、ぼくはこんな人間にならずにすんだろうに。 ぼくは父母を尊敬することができなかった。 たしかに、戦前からの父母の言うに言われぬ労苦を思うと涙が出る。 けれどもぼくたち親子には超え難いキレツ、冷たいカベが生じていた。(122~123頁)

父母、兄妹は日本人になりきろうとのみ努力する。 その悲しい努力‥‥(160頁)

父よ、母よ、あなたたちの労苦を思うと黙って頭を下げるのみです。 けれども、あなたたちは重大なあやまちを犯したのではありませんか? 生活の難易によって左右し得るほど、民族、国籍の問題は軽いものでしょうか? 少なくともぼくは、自らの運命の、わずかな選択の自由は残しておいてほしかった。 当時、九歳の僕であったとしても‥‥。(162頁)

 山村は9歳(おそらく小学4年)という幼い時に家族とともに帰化し、日本人となりました。 それは当然のことながら、自らの意志ではありませんでした。 山村は自分が日本人になっていることに悩み、嫌悪します。

私は長い間、日本人を憎んできた。 なぜなら、私の体内には、日本人に虐げられてきた韓民族の血が、流れているからだ‥‥(12頁)

ぼくは半日本人ともいうべき非条理な自己の存在を納得することができない。‥‥ぼくは中途半端な半日本人として生きるより朝鮮人として生きることを強く願った。‥‥ぼくは祖国を棄てた裏切り者なのだ。 日本人でもない。 もはや朝鮮人でもない祖国喪失者‥‥。(123~124頁)

ぼくは何故、この時代の、この国に生きねばならないのか? この国の人々によって虐げられた異民族の一員、しかも、その貧しい民族をも、極言すれば裏切った家族の一員。 そのどす黒い宿命の血が、ぼくの体内を逆流している。(159頁)

あまりに日本人化してしまっているぼく。祖国と同胞は寛容をもって受け入れてくれるだろうか? 民族の血を偽り、日本名のもとに、日本人面して生きてきた歳月。 その自責と苦悩が、ぼくの表情を沈鬱にさせる。(161頁)

私は在日朝鮮人二世としてこの国に生を受けた。 在日朝鮮人の存在そのものが歴史の非条理だ。 その上、自らの意志によらずとはいえ、自民族と祖国を裏切り、日本籍に帰化したことは苦悩を倍加すること以外のなにものでもない。(242頁)

 山村は「私の体内には日本人に虐げられてきた韓民族の血が流れている」と、本来は日本から被害を受けた朝鮮人の体であったと主張します。 しかしその体には「どす黒い宿命の血が、ぼくの体内を逆流している」とも主張します。

 朝鮮人である自分の体に民族を裏切った「どす黒い宿命の血」が「逆流」しているというのです。 山村は帰化して日本人になったことを、これほどまでに自己否定しました。 そして日本人の友人に対して、次のような呼びかけをします。

日本の友へ。‥‥あなたがたに切望するのは次のことである。 日本には約60万人の在日朝鮮人が居住している。 どうか彼らに理解と友情の心を向けてほしい。

彼らは何も好きこのんで異郷の地で、みじめな生活をすることを選んだのではない。 多くの日本人は簡単に言う。 馬鹿にされるのがいやなら自分の国に帰ればいいじゃないかと。 けれども彼らは日本にのみ生活の基盤を持ち、純粋な民族性を剥奪されてしまっているのだ。 さらに日帝の植民地支配の後、祖国は東西の対立のために分断と同民族相撃つ戦乱の憂き目をみた。 祖国の政情は未だ不穏であり、生活の条件は厳しい。

私は敢えて言おう。 あなたたち日本人の多くは、戦争をただ過去のものとし、経済的繁栄を謳歌しているが、アジアの多くの国では、あなたたちの残虐な侵略による傷痕の故に、今もなお多くの人が苦しんでいることを思い起こして欲しい。‥‥賢明なる日本の人たちが、アジアの人々の前にも真の友人として手を差し伸べることを切望する。

在日朝鮮人問題は私にとっては決定的に大きいが、あなたたちにとっても決して無意味な問題ではないと思うのだ。 それは300万といわれる未解放部落民、アイヌ民族、混血児問題に直接通ずる。 さらに、階級と貧富のそれを含めた人間相互のすべての差別と憎しみの問題につながると思うのだ。(以上、29~30頁)

 このように日本人に呼びかける自分が、実は元朝鮮人で今は日本人になっているという矛盾。 別に言えば、元は清く正しい被害者の朝鮮人の体なのに、民族を裏切って加害者である日本人になったという「黒い宿命の血が逆流している」という矛盾。 山村はこれに耐えられなくなって自死を選んだのではないかと思います。(続く)

52年前の帰化青年の自殺―山村政明(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/08/17/9518301