李方子妃の墓所を訪ねる2010/05/09

方子

この連休は韓国に行ってきました。  李方子(リ・まさこ、イ・パンジャ)妃(朝鮮李王室最後の皇太子の妃、日本名は梨本宮方子)の墓所に参拝しました。  日本と韓国・朝鮮の歴史なかを翻弄されて、晩年は韓国の障害者福祉に大いに貢献された方です。  明日の5月10日が墓前祭と聞いたのですが、どうしても今日日本に帰国せねばならなかったので、8日に一人で参拝、黙祷を捧げました。  現地を案内してくれた方は非常に親切にしてくれました。改めて感謝申し上げます。

韓国ロッテワールドの砧2010/05/11

韓国のロッテワールドに展示されていた砧です。    キャプションには 「韓国式のアイロン掛けはいかが!」とありました。  「砧」という言葉はありませんでしたが、砧の機能を正確に書かれています。砧を叩く体験コーナーは、日本にはないもので、なかなか良い企画だと思いました。

砧に関しては、下記論考を参照ください。 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyaku15dai.htm http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/hyaku14dai http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyakukyuudai http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyakurokudai http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyakunanadai http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyakuhachidai http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daikyuujuusandai http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daikyuujuudai http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dairokujuurokudai

韓国ロッテワールドの砧のキャプション2010/05/12

 韓国ロッテワールドで展示され、体験もできる砧のキャプションです。

韓国の歴史には、楽浪がない2010/05/13

 韓国の博物館を巡って、韓国の歴史の概説において大きな違和感を感じることが、いくつかあります。その一つが、楽浪等の漢四郡が全く欠落していることです。

 漢四郡とは、漢の武帝が前108年に、朝鮮半島北部を中心に領土を有していた衛氏朝鮮を滅ぼして、楽浪・真番・臨屯・玄莵の四郡を置いたもので、特に楽浪が栄えました。楽浪郡の郡治は今の北朝鮮、平壌にありました。    楽浪は313年に高句麗に滅ぼされるまで、約400年間存在し、その間に帯方郡を分立しました。帯方郡は、邪馬台国に都を置いた卑弥呼が使節を往来させたところで、日本史では有名で、我々には馴染みのものです。

 この楽浪等が、韓国史に出て来ないのです。これは、楽浪等が中国人の国家の一部であって、朝鮮民族(あるいは韓民族)の国ではないからです。

 つまり韓国において、韓国史とは民族の歴史であって、朝鮮半島という地域の歴史ではない、ということなのです。そのため、楽浪等は朝鮮で400年もの間、中華文明の花を咲かせていたにも拘わらず、全く無視されてしまっているわけです。

 自民族ではないにしても、現在の自分たちの地域にかつて存在した文明・文化を、まるで何もなかったの如く扱うのはいかがなものか、と思います。

 北朝鮮では、楽浪は朝鮮民族の国家だという説が掲げられ、ビックリさせられますが、韓国も似たり寄ったりかな、と思うところです。

(参考) http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daikyuujuuichidai(このなかの註)

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/07/05/433161

在日韓国人政治犯2010/05/17

 1970~80年代に在日韓国人「政治犯」が北のスパイ容疑で逮捕・服役されたのは、冤罪だとして訴えておられるようです。

http://www.47news.jp/CN/201005/CN2010051701000856.html

 こういう記事を読むといつも疑問に思うのは、この人たちは政治信条を裁かれた本当の意味での「政治犯」なのか?ということです。

 70~80年代は、今では想像もできないでしょうが、韓国の北に対する警戒心はすごいものでした。在日韓国人が、親族訪問であれ、留学であれ、本国を訪れる時は、このことを常に気にしなければならなかったし、それが当然のことでした。

 具体的には、日本における朝鮮総連との関係を完全に切っておかなければ、韓国でいつ何時、北のスパイとして逮捕されるか分からない‥‥そういう時代だったのです。

 私の知り合いの知り合いですから、ちょっと遠い方ですが、1980年代に韓国に留学中に逮捕された在日がいました。彼は韓国滞在中に、「撮影禁止」と書かれた看板を含めて、基地周辺を写真に撮り、それを韓国の写真屋に現像に出したのです。当然のことながら、北の間諜ではないかと通報されました。

 彼は日本で生まれ育ったので、平和ボケしてたのでしょうが、韓国では容赦されません。さらに悪いことに、彼はその10年以上も前の高校時代に、朝鮮文化研究会(以下「朝文研」)に入っていたのでした。朝文研は、70年代では大なり小なり朝鮮総連と何らかの関係のあるもので、中には全くの総連下部組織のようなものもありました。

 彼自身は、政治的には右も左も分からない全くの能天気であったし、朝文研も軽い気持ちで入っていたようなのですが、この経歴が災いして「スパイ容疑」となり、1年数ケ月も臭い飯を食ったわけです。

 彼は政治的信条も何もない、大阪弁で言えば「ホンマにアホそのもの」だったにもかかわらず、それでもスパイ容疑となったわけです。

 この彼が政治信条を裁かれた「政治犯」では決してあり得ません。冤罪であることは間違いないのですが、その余りのアホさ故に、だからこそ当時の祖国の厳しい現実を知らなかったために、スパイ容疑となったわけです。彼を「政治犯」と呼べるものでは決してありません。

 ところで、上述の記事にある「政治犯」と称される方々は、一体どのような政治信条をもって韓国におられたのか? 疑問とするところです。

(参考)http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daigojuuhachidai