毎日のコラム「平和をたずねて」への疑問(2)2018/11/02

 このコラムにはもう一つ疑問点があります。 同じく引用文です。    https://mainichi.jp/articles/20181023/ddn/012/040/033000c

尹健次『もっと知ろう朝鮮』(岩波ジュニア新書)は次のように記している。   <三・一独立運動がおこったあとの一九二三年ごろからは、それまでの「自由渡航制」が廃止されて、総督府管轄下の警察などが発行した「旅行証明書」をもたない者の乗船を禁止する「渡航阻止制」が実施されていきました。つまりそれ以後、日本人は自由に朝鮮に渡航できたのに反し、朝鮮人は同じ「日本臣民」であっても、「旅行証明書」という一種の「パスポート」がなければ日本に渡れなくなったのです>

 これは、岩波ジュニア新書『もっと知ろう朝鮮』(2001年2月)の112頁に該当部分があり、引用に間違いはありません。 この中で疑問点は、『渡航阻止制』の実施が「1923年ごろ」とあるところです。 そもそも制度の実施ですから、その施行年は明確なはずなのに、「ごろ」という曖昧な書き方をしたところに疑問が出てくるのです。 

 この点について、樋口雄一『日本の朝鮮・韓国人』(同成社 2000年6月)の43~45頁にある記述を紹介します。

「韓国併合」以降は朝鮮総督府によって渡航労働者の渡航管理が実施される

1919年3月1日の三・一独立運動は朝鮮人の日本渡航に決定的な影響を及ぼすことになった。 運動の広がりを恐れた総督府は、同年4月19日に警務総監部第三号「朝鮮人の旅行取締に関する件」を通牒したのである。

1922年12月 警務総監部第三号廃止(総督府令153号) - 渡航証明書制度が廃止された

1923 年9月 同上令復活(関東大震災のため) - 渡航証明書制度の復活

1924年6月 同上令廃止  - 渡航証明書制度の廃止

具体的な渡航阻止政策が展開されたのは1925年10月からであった。同年8月に内務大臣が総督府に対して渡航制限を要望し、これに答える形で実施されたのである。 この要望は①就職口確実ならざるもの、②準備金百円以下のもの、③国語に通ぜざるものという内容であったが、総督府では就職口の確実でないものについての渡航阻止をすることになった。具体的には釜山で警察官10名で旅行証明書の有無などの朝鮮人監視体制を整え、渡航阻止を始めた

 朝鮮人渡航阻止制は、廃止されたり復活したりの複雑な経過を経た上で、1925年から本格的に実施されたようです。 尹健次さんが渡航阻止制の実施を「1923年ごろ」としたところに疑問をもつゆえんです。

 毎日の広岩記者はこういった疑問点を検証せずに、引用元をそのまま信じて引用したということですね。 これは私も犯している可能性のあるミスなので、改めて自戒せねばならないと思うところです。

 引用元を検証するする作業は、本当に手間がかかります。 このような引用の仕方ならおそらく正しいだろうと思って再引用することが多いのですが、これが落とし穴になることが多々あります。 皆様もご自覚あれ。

【拙稿参照】

毎日のコラム「平和をたずねて」の間違い  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/10/25/8982241

毎日のコラム「平和をたずねて」への疑問(1)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/10/30/8985621

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