毎日のコラム「平和をたずねて」への疑問(3) ― 2018/11/06
ところでこのコラムの執筆者である広岩記者は、朝鮮人は同じ「臣民」とされながら日本人から差別された存在であり、それが不当であることを強調するために、これまでのような引用を繰り返したものと思われます。
毎日のコラム「平和をたずねて」の間違い http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/10/25/8982241
毎日のコラム「平和をたずねて」への疑問(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/10/30/8985621
毎日のコラム「平和をたずねて」への疑問(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/11/02/8987343
それならば「臣民」としての義務――具体的には兵役・納税・教育の三大義務のうち、兵役と教育の二つの義務が朝鮮人には課せられていなかったことを強調してほしかったと思います。 すなわち朝鮮人は徴兵制が適用されないで兵役を免れていたのであり、また子供を学校に行かせるか否かは自由だったのです。 義務がないということは、それだけ有利だったということにもなります。
従って同じ「臣民」でも朝鮮人は日本人とは区別される存在であり、同等ではありませんでした。 そしてその差別をなくそうと努力するものが「皇民化・内鮮一体」でした。 朝鮮人には「臣民」が有する当然の義務がない、そのことが我が朝鮮人の地位を低くしていると考えた当時の朝鮮人有力者や知識人たちが皇民化を求めて臣民の義務を果たそうと呼び掛けたのでした。
しかし皇民化への道の半ばにして日本は敗戦しました。 それによって朝鮮という土地が日本から離脱し、朝鮮人という民族が日本人から離れたのでした。 そして朝鮮人の地位向上を図って「皇民化・内鮮一体」を呼び掛けた有力者や知識人たちは、民族を裏切る「親日派」という烙印を押されて激しい批判を浴びてきたのです。
植民地下の朝鮮人は大日本帝国の臣民でしたが、臣民として当然であった兵役と教育の義務がなく、その義務が課せられた日本人とは違う地位にあったことはもっと知られていいと思います。 広岩記者はその違いを知ってあのコラムを書いたのか、疑問とするところです。
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