「邪馬台国の女王 卑弥呼」の誤り ― 2006/10/27
日本史の参考書に「邪馬台国の女王 卑弥呼」と書かれているのを見た。 これはちょっと困ったというか、誤りの表現である。 魏志倭人伝の該当部分を呈示すると、
「南、邪馬壹国に至る、女王の都する所、水行十日陸行一月」
このように邪馬台国は女王が都を置いた場所であることを明記している。 卑弥呼は「親魏倭王」に叙せられているから、倭国の女王である。従って倭国の首都が邪馬台国であって、そこに女王卑弥呼の宮殿があったということである。
卑弥呼は邪馬台国が首都である倭国の女王であって、邪馬台国の女王ではない。 現在の例で言えば、エリザベス女王はイギリスの女王であって、ロンドンの女王ではない。 これと同じである。
「邪馬台国の女王」という言葉からの連想であろうか、邪馬台国を盟主とする連合国家だなどと言う研究者がいる。 しかし邪馬台国は倭国内の一地域であって国家名ではない。邪馬台国・奴国・伊都国等々の三十数カ国(「国」があるが地域名)を支配したのが女王卑弥呼であり、その全体の国家名が「倭国」である。 邪馬台国が他の国を支配していたことは、魏志倭人伝を読む限り、あり得ないことである。