「邪馬台国の女王 卑弥呼」の誤り ― 2006/10/27
日本史の参考書に「邪馬台国の女王 卑弥呼」と書かれているのを見た。 これはちょっと困ったというか、誤りの表現である。 魏志倭人伝の該当部分を呈示すると、
「南、邪馬壹国に至る、女王の都する所、水行十日陸行一月」
このように邪馬台国は女王が都を置いた場所であることを明記している。 卑弥呼は「親魏倭王」に叙せられているから、倭国の女王である。従って倭国の首都が邪馬台国であって、そこに女王卑弥呼の宮殿があったということである。
卑弥呼は邪馬台国が首都である倭国の女王であって、邪馬台国の女王ではない。 現在の例で言えば、エリザベス女王はイギリスの女王であって、ロンドンの女王ではない。 これと同じである。
「邪馬台国の女王」という言葉からの連想であろうか、邪馬台国を盟主とする連合国家だなどと言う研究者がいる。 しかし邪馬台国は倭国内の一地域であって国家名ではない。邪馬台国・奴国・伊都国等々の三十数カ国(「国」があるが地域名)を支配したのが女王卑弥呼であり、その全体の国家名が「倭国」である。 邪馬台国が他の国を支配していたことは、魏志倭人伝を読む限り、あり得ないことである。
コメント
_ せいじ ― 2006/11/22 02:22
_ 辻本 ― 2006/11/22 03:18
魏志倭人伝では倭国内の戸数は次の通りです。
対馬国 千余戸
一大国 三千許家
末盧国 四千余戸
伊都国 千余戸
奴国 二万余戸
不弥国 千余家
投馬国 五万余戸
邪馬台国 七万余戸
以上の戸数を比較すれば、邪馬台国が倭国内の非常に大きな範囲の地域と見てよろしいかと考えます。
また邪馬台国を含めて、各国には「官」「副」が配置されていますので、これらは地域名と考えるべきものと考えます。
>「南至邪馬壱国女王之所都」は邪馬台国の「女王国」といっている>
「南、邪馬壱国の女王の都する所に至る」という漢文の読み方にはちょっと無理があるように思われます。
それまでの各国の記述では、例えば「南、投馬国に至る」とありますように、やはり「南、邪馬壱国に至る、女王の都する所」と読むべきものと考えます。
_ せいじ ― 2006/11/22 19:58
二万余戸でしかありません。首都という意味において七万余戸という規模は全国どこにもないと思います。
私が楽浪郡の例をあげたのは6万あまりの戸数が、25県を有する全体の戸数だということを強調する為です。
ですからいわゆる邪馬台国は首都という意味においての名称ではないことがわかると思います。
現代に例えるならば、邪馬台国は日本といっていることと同じだと思います。
また「三十国」についてですが、「倭人・・・・・三十国」となっていますので、倭人が住む国が三十国という
意味です。狗邪韓国、対馬国、一大国、末盧国、伊都国、奴国、不弥国、斯馬国、己百支国、伊邪国、都支国、弥奴国、好古都国、不呼国、姐奴国、対蘇国、蘇奴国、呼邑国、華奴蘇奴国、鬼国、為吾国、鬼奴国、邪馬国、躬臣国、巴利国、支惟国、鳥奴国、奴国
の二十八国と
投馬国、「不属女王」の狗奴国の二国で倭人の三十国が表現できます。
この倭人の三十国の中には邪馬台国という国名は含まれておりません。ですから
邪馬台国は上記二十八カ国の総称が邪馬台国だと思います。
お暇な時にお越しいただけると幸いです。
伊都国女王卑弥呼。
_ 辻本 ― 2006/11/22 21:13
同じ三国志魏書で弁辰伝にある「狗邪国」と同じであろうというのが通説です。つまり倭人の国ではないということです。これに対する反論をお願いします。
卑弥呼は「親魏倭王」に任ぜられました。倭の国の王様です。三十国の総称は「倭」であって、「邪馬台国」ではありません。倭人伝にも邪馬台国が三十国の総称であることを匂わす記述はないと思います。
_ せいじ ― 2006/11/22 22:20
後の「後漢書」も「去其西北界狗邪韓国」です。地図を見る限り後漢書の方角が現実的です。
「三十国」についてですが、その主語は「倭人」です。それを説明する為に、先ほど記したつもりです。また邪馬台国は28ヶ国と書きました。
_ 辻本 ― 2006/11/22 23:45
「倭人は帯方の東南大海の中に在り、山島に依りて国邑を為す」
ですから、これを重視すれば朝鮮半島にある狗邪韓国は倭人の国ではなくなります。
狗邪韓国はやはり魏書弁辰伝にある国と見たほうが自然と思いますが。
なお三十国は「今使訳の通ずる所」です。狗奴国が果たして魏と「使訳を通じ」ていたのですかねえ。
_ せいじ ― 2006/11/23 01:01
また「三十国」の使訳が通じていたかどうかは、私にはわかりません。どちらかと聞かれれば直接なかったと思います。しかし直接なかったとしても、情報は間接的に入っていました。狗奴国が存在していたということを理解していたという意味において、「倭人」が住む国という意味において「倭人が住む三十国」からはずす理由はないと思います。
伊都国女王卑弥呼
_ 辻本 ― 2006/11/23 10:37
>使訳が通じていたかどうかは、私にはわかりません。
理解できなければ仕方ないですね。
_ きっず ― 2007/05/14 14:34
_ 調べたい人 ― 2007/06/03 10:58
_ matu ― 2007/12/19 07:21
つまり、倭国という大きなカテゴリがあって、その中の一つの国が邪馬台国(大和国)だったと。
で、この邪馬台国(大和国)に倭国の首都があったと。
そういうことでしょう?
で、この卑弥呼というのは、臨時で登場した巫女で、基本的にこの王権は男子が継承していた。が、倭国乱があって、それを鎮めるために、象徴として巫女をたてた。で、卑弥呼という名称自体は職務の名称だと。媛命(ひめみこ)のことか?
卑弥呼=ヤマトトトヒモモソヒメ(孝霊天皇の皇女)
日本書紀の崇神紀に登場する崇神天皇の大叔母。
_ 小6で調べました ― 2008/04/24 19:36
_ 卑弥呼調べ中係りより ― 2008/04/25 20:21
_ umagata ― 2008/08/25 11:03
この夏 モンゴルへいきました。ウランバートルは総人口の40%以上がすんでいました。
_ せかいK1 ― 2010/11/19 21:30
この文章からは邪馬壹国≧女王の都であり
邪馬壹国=女王の都でとは断定できません。
邪馬壹国の中に女王の都が在るとも解釈できます。
また倭人伝には倭国などとは何処にも書かれていません。
邪馬壹国≒女王国であり
「卑弥呼は邪馬台国が首都である倭国の女王であって、邪馬台国の女王ではない。」は根本的に誤っています。
_ 辻本 ― 2010/11/20 05:06
倭人伝をよくお読みください。
「王、使を遣わして京都・帯方郡・諸韓国に詣り、及び郡の倭国に使するや‥‥」
「倭国乱れ、相攻伐すること歴年‥‥」
「正始元年‥詔書・印綬を奉じて倭国に詣り‥‥」
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「邪馬台国は倭国内の一地域であって国家名ではない。」とお考えのようですが、邪馬台国の戸数は「七万余戸」であることはご存知だと思います。これがどの程度の規模であるかを比較する為に「漢書」地理志を参考に、楽浪郡は25県を有し、戸数6万2812戸となっています。このように「七万余戸」である邪馬台国は一地域と考えるには物理的に無理があるように思います。
私も首都という存在があったと考えていますが、それは「邪馬台国」ではなく、陳寿の言葉をそのまま借りるならば、「女王国」の表現が最適ではないかと思います。
「南至邪馬壱国女王之所都」は邪馬台国の「女王国」といっているように思えるのですが。