法を破ることを英雄視できるか2007/06/09

 法と現実との間に齟齬がある場合、法治国家の理念はどうなるのか。  難しい問題ですね。具体的な場合を個々に見ていくしかないでしょう。

>人を助けて違法、人を見殺しにして合法というのが法治国家の実態です。

 これは言い過ぎでしょう。しかし法を順守するあまり、見殺しとなってしまう場合はあるでしょう。

>裁判というのは、当事者でもない素人の第三者が時の法規や判例などを理由に判断するわけですから最も当てにならないものです。>

 裁判も人がやりますから、間違いが絶対無いとは言い切れません。しかし、だからといって裁判が最も当てにならないとは言えないでしょう。裁判が当てにならないなら、どのような制度・やり方がいいのかを提示すべきと思います。

>実は人類の歴史は法を破ることで發展してきた事実があり、かつての「非国民」が「終戦」を境に「英雄」にされるのを見ると、法を基準にして判断するのは愚行(愚考)だと言えます。>

 「法を破る」ということが、国家秩序を破壊するという意味のようです。歴史上でそれによって発展した場合もありましたが、そうでない場合も多かった、と思います。  「法を破る」ことは、今は悪いと判断せざるを得ないし、本当に悪いことであったかという判断は将来において過去を振り返る時にのみ可能な事柄と考えます。  法を基準に判断することは、今を生きるには最善と思います。

>逮捕されながら尊敬されている有名人と言えば、他にも Martin Luther King Jr,そして Nelson Mandela がいます。さらに Stevie Wonder も人種隔離政策(apartheid)に反対する運動で、Carl Sagan 博士も反核運動で、それぞれ逮捕されたことがあるという報道を見た覚えがありますが如何でしょう。>

 これも個々に判断すべきことでしょう。  例えば日本の過激派諸君は、内ゲバといってかなり激しい殺し合いをやってきました。今は単に醜い犯罪者たちですが、もし彼らが将来国家権力を掌握することになれば、英雄となるでしょう。