民族差別と闘う活動家の論文 ― 2008/07/05
民族差別と闘う運動体の中心にいた徐正禹さんが、長文の論文を発表しています。 http://koreanshr.jp/kenkyukai/index.html http://koreanshr.jp/kenkyukai/resume1/index.html
これまでの数十年間、「闘う」ことで暮らしてきた人の論文です。研究論文というより、運動体の闘いの総括および課題です。徐氏はおそらく、闘う運動体でこのような文章を書き慣れているものと推察します。
この論文のなかで疑問点は多々あります。それはともかく、結局これから何をすべきか、ということについて、「第6章 具体的課題」にまとめているのですが、私には驚かされました。http://koreanshr.jp/kenkyukai/resume1/chapter6.html#6_1 さわりを引用します。
「6.1 運動体の財政確保―企業からの資金提供について― 「民族差別を生起する企業、行政に責任がある以上、民族差別撤廃運動に対して企業、行政がそのペナルティとして相応の資金を提供することは当然として考えるべきである。」
「闘いは相手が、民族差別の再発を自ら戒めるほどに脅威を感じさせなければ意味がないのである。その意味において、差別企業からの資金提供は、多額であればあるほど効果がある。」
「結論として、企業からの資金提供は、それが社会貢献としての寄付であれ、差別したペナルティであれ、マイナス面を補ってもなお民族差別撤廃運動には有効であると考えるべきである。」
このようなことを堂々と主張するとは、私にはビックリ仰天。運動というのは自腹でやるか、賛同する方からカンパを募ってやるものだと思うのですが、企業に「脅威を感じさせて」しかも「資金提供は多額であるほど効果的」とは、どういうことなのでしょうか。 暴対法の禁止行為に近いように思われるのですが‥‥。 http://kore.mitene.or.jp/~boutsui/homepage/15nokoui.html
(参考) http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daiyonjuurokudai の資料①に、下記のような文があります。
「メーカーの工場で発生した差別発言が原因となり、コリアン人権協会がその企業を差別企業だと攻撃、大金を取得した」
「1千万円以上もの大金が「人権研修費」として在日コリアン人権協会の関連団体であるKMJに渡っている」
「飲料メーカーの場合、その企業の尼崎工場解体工事を徐氏関連の小さな会社が3800万円で請け負った」
「在日の権利向上のための市民運動が、差別事象をネタに企業や行政にタカり、まるで利権漁りの様相を呈してしまった」
「徐氏体制の人権協会は、差別事象を起した企業にどんな形でお金(解決金)を出させるのかを考え、それを目的化して、そのための運動を展開している」
この資料のなかの「徐氏」は、まさに上述論文の「徐正禹」さんです。両方を合わせて読むと、興味深いものです。
徐正禹さん ― 2008/07/12
長年民族差別撤廃運動の中心として活動してきた徐正禹氏が、「論文」を執筆し、公表しています。 http://koreanshr.jp/kenkyukai/index.html http://koreanshr.jp/kenkyukai/resume1/index.html
このうちの活動資金に関して、非常に驚くべき論を展開していることについては、先に紹介しました。 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/07/05/3611255
今度は論文内容を詳しく検討しようと思ったのですが、「要旨」でいきなり次のような記述に出くわしました。
「1970年日立就職差別裁判に始まる民族差別撤廃運動は、1980年代に最も高揚したが、1990年代後半以降、今日に至るまで停滞状況にある。停滞の契機となったのは、地方参政権獲得運動に対して、政府与党のプロジェクトチームが発表した日本国籍取得特例法案である。」(要旨の冒頭) http://koreanshr.jp/kenkyukai/resume1/outline.html
ところが、停滞の契機となった日本国籍取得特例法案について、第4章には次のように記されているのです。
「2001年政府与党に「国籍等に関するプロジェクトチーム」が、結成され「特別永住者等の国籍取得の特例に関する法律案(以下国籍取得特例法案)」が発表された。この法案は在日朝鮮人団体に強烈な衝撃を与えた。」(第4章4.1参政権と日本国籍) http://koreanshr.jp/kenkyukai/resume1/chapter4.html#4_1
つまり筆者は、1990年代後半に民族差別撤廃運動の停滞の契機となった年代は2001年である、と自ら論じているのです。全くの矛盾です。 冒頭からこんな具合ですから、後は推して知るべし、でしょう。 あまりにも疑問点が多い論文です。そもそも「註」がなく、事実関係の検証すらできません。 この論文は「修士論文」ですから、本来は研究論文であるはずなのですが‥‥。指導教員はこれを
「質の高い修士論文を作成することに成功している」 http://koreanshr.jp/kenkyukai/resume1/evaluation.html
と評していますので、更にビックリします。この教員の方については http://www.shse.u-hyogo.ac.jp/katutugu/ 参照。
ルサンチマン ― 2008/07/19
安田直人さんという方が、拙HPを紹介してくれています。 http://d.hatena.ne.jp/Yasuda_Naoto/20080701
「ルサンチマンの匂いがしないことはないが、基本的に考えていることを承認することができる。」
という感想をいただきました。 私にはほとんど糾弾調にやられたことがありましたから、「ルサンチマン」の匂いはするでしょうねえ。
安田さんもかなり批判されたらしいですが、それでも私のような体験はなかったようです。
この違いが気になるところです。
差別反対運動においては、相手が差別者の立場にある時と、被差別者の立場にある時とでは、ガラッと態度を変えることがあります。例えばかつて、部落問題におけるある女生徒の事例を引用したことがあります。 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainanajuunanadai
このような傾向は差別問題全体のものではないかと思っています。
徐正禹氏(1990年代後半の運動停滞の契機は2001年の国籍特例法案である) ― 2008/07/21
先に徐正禹氏が公表された論文にある標題のような矛盾を指摘しました。 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/07/12/3623934
誤解のないように、関係する主要部分を引用・紹介したいと思います。 http://koreanshr.jp/kenkyukai/resume1/index.html
>在日コリアン人権運動の理論構築について(要旨) HM05E015 徐正禹 (指導教授 吉田勝次)
1、はじめに 1970年日立就職差別裁判に始まる民族差別撤廃運動は、1980年代に最も高揚したが、1990年代後半以降、今日に至るまで停滞状況にある。停滞の契機となったのは、地方参政権獲得運動に対して、政府与党のプロジェクトチームが発表した日本国籍取得特例法案である。外国籍のまま参政権を要求する運動と世論に対して、日本国籍を届出によって取得できるこの法案は、それまで、日本国籍取得をタブーとしていた、在日コリアン団体の虚をつく結果となり、参政権運動は急速に後退した。
他方、民族差別撤廃運動が最も高揚していた1980年代、外国人労働者の移入が焦眉の課題となっていた経済界から、共生という言葉が頻繁に使用され始めた。共生は外国人労働者を日本社会に融合させるための概念として出発したが、その後、障害者、ジェンダー等あらゆるマイノリティ問題に対処する新たな概念として、1990年代から急速に日本社会を席巻し始めた。
経済界、行政が共生を積極的に推進し、社会に定着し始めた1990年代以降、在日コリアンの民族差別撤廃運動だけでなく、部落解放運動をはじめとする日本のマイノリティ運動も停滞状況に入った。また、労働運動、反公害運動他社会変革を求める運動全般も停滞した。
本論は民族差別撤廃運動が、日本国籍取得という壁のまえで立ちすくみ、日本社会を席巻する多文化共生論にからめとられた結果、停滞状況を余儀なくされたとの仮説の下、改めて民族差別撤廃運動を歴史的に総括し、日本国籍取得論と多文化共生論がいかにして、在日コリアンの民族差別撤廃運動を停滞に追い込んできたかを検証し、両論の背景及び本質を解明することによって、在日コリアン人権運動再生のための理論構築に資することを目的とする。>
徐正禹氏(企業に脅威を感じさせ‥企業からの資金提供は、多額であればあるほど効果) ― 2008/07/21
http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/07/05/3611255 で論じました第6章の部分です。一部の引用では誤解と批判される可能性がありますので、「6.1」の全文を引用します。 http://koreanshr.jp/kenkyukai/resume1/index.html
>第6章 具体的課題
6.1 運動体の財政確保―企業からの資金提供について―
民族差別撤廃運動を展開し、闘争に勝利するには、当然のことながらそのための財源が必要である。組織構成員の会費で賄う場合もあるが、会費で事務所経費、人件費を賄うことはできない。たしかに民族差別撤廃運動に賛同する人々は少なくないが、個人で支出できる金額には限界がある。
民族差別撤廃運動は、在日コリアンの人権擁護が目的であるが、それは民族差別があるからであり、民族差別を生起する主体は往々にして企業、行政である。民族差別を生起する企業、行政に責任がある以上、民族差別撤廃運動に対して企業、行政がそのペナルティとして相応の資金を提供することは当然として考えるべきである。
しかし、日本社会ではいまだ、人権団体が差別した企業、行政から資金適用を受け取ることには、極めて強い抵抗がある。これは、水平社の時代の解決主義、即ち差別した側から解決金を得る手法が、後に濫用されたことと、今日のエセ同和行為によるものである。しかし、それは資金提供自体の批判というよりも、資金提供の方法論に問題があったというべきである。要は資金提供の理由と経緯、金額と使途の明細が全面的に公開されることによって完全な透明性が確保され、かつ説明責任が果たされることである。逆に公開性、透明性、説明責任が果たされないのであれば、資金的提供は受けるべきではない。
たしかに、企業、行政から資金提供を受けることによって、当該企業、行政に対するその後の闘いに支障をきたすこと、あるいは資金提供が目的化することも可能性として否定できない。しかし、利潤追求を目的とする企業にとって、差別糾弾の結果、運動体に資金を提供せざるを得なくなることには少なからぬ抵抗があるため、逆にそれを教訓として企業にとって民族差別は、経営にマイナスとの印象を与えることとなる。そこにペナルティの効用性がある。
企業にとって、民族差別は矛盾した概念である。差別は企業の社会責任の観点から許されない行為であるとの認識はある。しかし、いまだ民族差別が存在する以上、社員採用においては、日本人を優先する。社内の人事管理上同じ日本人同士のほうが、より管理しやすいと考える結果である。また、取引相手や顧客が必ずしも民族差別意識をもっていないとは限らない。そのため、リスクを軽減する上でも、在日コリアンより日本人を優先するのである。少数者の人権より多数者の顧客を大事にすることが、経営上有利であると考える企業がいまだ大半である。
だからこそ闘いが必要なのであり、啓発で企業のこのような姿勢が一夜にして変化するなどありえない。闘いは相手が、民族差別の再発を自ら戒めるほどに脅威を感じさせなければ意味がないのである。その意味において、差別企業からの資金提供は、多額であればあるほど効果がある。
また、人権運動体がこのようないかなる場合でも、金銭にかかわるべきではないとする考えが支配的であるのも事実である。そのような考えが生まれたのは、同和事業の経緯に発端が求められる。大阪では、同和事業は当初、部落解放同盟の各支部が直接執行していた。行政の同和事業が運動体である部落解放同盟支部に委託され、支部が事業を執行していたのである。しかし、後に特定団体に行政事業を委託することが議会で問題にさたことから、部落解放同盟支部とは別に、行政、有識者を交えた事業団体を設置し、同和事業は行政の外郭団体としての事業団体を通じて執行するという方式をとったのである。いわゆる運動と事業の分離である。しかし、これはあくまでも、事業を迂回し、形式上外郭団体を通しただけのことであり、実質的には、部落解放同盟が事業団体のイニシアティブを掌握し続けたのである。しかし、後にこのことが、拡大解釈され、運動体が金を扱うべきではないことがあたかも運動原則のように拡散したのである。この迂回方式は運動財源が組織大衆に見えず、また公開もされないことから、組織のもうひとつの裏の財源となり、後に「不祥事」の原因となった。このような経緯を改めて検証し、組織財源は組織の構成員に全面公開すべきとの原則に立てば、むしろ迂回方式という手法ではなく、企業、行政からのあらゆる資金は、運動体が直接これを管理し、そのつど公開する手法に転換すべきである。問題のポイントは、全面的な情報公開と、意見の違いについては公の場での討論に委ねること。この2点である。
要するに、企業からの資金提供は、マイナス面の可能性もあるが、しかし、それは闘う側の姿勢の問題であって、仮に反社会的な行為を繰り返す運動体であれば早晩その運動体は信頼を失い、従って運動体足りえなくなる。つまり社会的に淘汰されるのである。暴力団がエセ行為を行っているとしても、それは全く別の問題であって、論外というべきである。
結論として、企業からの資金提供は、それが社会貢献としての寄付であれ、差別したペナルティであれ、マイナス面を補ってもなお民族差別撤廃運動には有効であると考えるべきである。要は完全な透明性の確保、説明責任、それに第三者監査の有無である。>
徐正禹氏(人並の生活のためには企業を脅して金をとる) ― 2008/07/22
徐正禹氏の論文のうち、第6章の「6.2」を引用・紹介します。 http://koreanshr.jp/kenkyukai/resume1/index.html
>6.2 専従者の給与及び待遇について
一般的に社会運動の専従者の社会的地位と待遇は低い。特に人権運動の専従者の社会的地位と待遇はさらに低いと思われる。これは先に人権運動で給与を得ることに暗いイメージがつきまとうからである。このことが運動の人材不足を招く最大の要因となっている。その解決には組織の財源確保が前提となるが、しかし、仮に財源が満たされていたとしても、年齢に応じた社会的平均給与を支給することに躊躇する団体が多い。組織内外からの批判を回避しようとするからである。「清く貧しく」あるべきとの風潮がいまだ存在するからであるが、そのことによって、多くの活動家が30歳代を前に、専従者を退職する傾向にある。そのため、運動体にせっかく培われたノウハウが蓄積されず、運動の発展が阻害される結果となる。 また、30歳代を越えてもなお専従者を継続する場合、生活に必要な給与を表向きに支給できないことから、裏会計で操作するか、あるいは本来組織に納入すべき金を、個人の収入に繰り入れ、またそのことを組織として黙認する手法が広く取られてきた。むしろこのような公開されない手法が、長年の間行われることによって、不祥事を招く原因となり、却って組織に対する内外の信頼を失う結果となる。
部落解放同盟にかかわる「不祥事」もこの専従者の待遇が原因の一つとなっている。要するに、人権運動体が専従者の待遇に関して、余りにも無関心なのである。仮に専従者の待遇が、厚遇であるとの批判が出れば、公の場で何をもって厚遇とするのか、また待遇のあり方はいかにあるべきか議論によって解決すべきである。
ところが、専従者の待遇に限らず、人権運動は往々にして、金の問題の議論を避ける傾向にある。特に給与の問題を自ら語ることは、信用を失うとの風潮が支配しているのである。そのため、給与の問題は、常に迂回した議論、即ち結論として給与を上げる結果を導くように全体的課題を提起し、そこから給与を上げざるを得ない空気を組織内に醸成するといった腹芸的手法がとられる。実際の議論は裏で行われ、決定する。このようないわば、日本の運動体の伝統的手法が、往々にして混乱の元ともなる。
専従者であれ、人間である以上、人並みの生活は保障されなければならず、それは組織の責任でもある。適切な私的欲求は公然と認められなければならない。そのような作風を、人権運動体の中に確立しなければ、優秀な人材を確保することは不可能であり、それは人材が命である人権運動体にとって早急に実現しなければならない課題である。 >
なおこの引用文の前にある第6章の「6.1」については http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/07/05/3611255 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/07/21/3641934 これをあわせて読むと、彼のお金に関する考えが垣間見えて、興味深いものです。
要するに、専従者に「人並みの生活を保障する」ために、企業に「脅威を感じさせ」て、しかも「多額であるほど効果的」にお金を調達する、という主張のようです。
韓国建国の原点となる建物 ― 2008/07/26
今年は韓国建国60周年ということで、韓国では行事が多いようです。
韓国の新聞『朝鮮日報』7月16日付けでは、建国の歴史の解説をしています。そのなかで、「大韓民国建国60周年の起点となった1948年8月15日中央庁での政府樹立宣布式」というキョプションの写真を掲載しています。
この「中央庁」の建物は、朝鮮総督府庁舎だった建物です。これは日帝の植民地支配の象徴で屈辱的だとして、1995年に解体撤去されました。
しかしこの建物が韓国の建国の原点であるという歴史事実を見れば、この解体撤去は韓国建国の歴史をも否定するものであった訳です。
解体撤去された建物の一部は、現在は独立記念館の敷地内で無残な姿をさらしています。 http://www.tanken.com/dokuritukinen.html
韓国にとって、自国の建国よりも、植民地支配否定の方が大事だったということになります。
こうなると韓国人の歴史観あるいは愛国心とは一体どういうものなのかについて、ちょっと理解出来ないというか、大きなギャップを感じます。