外国籍が輝いて見えた時代があった ― 2017/07/19
蓮舫の記者会見は産経が詳しいですねえ。 その中で彼女が次のような発言をしたことに、かつてはそんな時代があったなあ、と懐かしく思い出しました。
当時私は本名で、蓮舫という名前で、アジアのダブルのルーツを持っているという部分でキャラクターを果たせる形で、タレントであり、あるいはその後はニュースキャスターをして、特に中国や香港、台湾、アジアの問題と日本をつなぐジャーナリストの役割を果たしたいという部分は、これは自分のルーツをもとに際立たせていたこともある。
http://www.sankei.com/politics/news/170718/plt1707180044-n4.html
彼女が雑誌等で、自分が中国・台湾国籍者だとか、二重国籍だとか発言したのは1990年代のことです。 そしてこの時の日本では、外国籍が輝いて見えた時代でもありました。
外国籍を有していると公言すれば、特に東アジアの国の国籍を有していると言えば、左翼革新系の集団では注目されて(ちやほやされた)、その発言に周囲の日本人たちがじっと耳を傾けたものでした。
マスコミからの取材も多くなったものでした。 韓国籍の在日がHPを開いたことが、なぜか新聞に載ったりしたのです。 在日だから取材されたとしか思えなかったものです。
また在日が主催する小さな行事が新聞に載って宣伝されて驚いたこともあります。 その行事の中身を知っていた私は、こんな稚拙としか言いようのないものが新聞に載って恥ずかしくないのだろうかと、いぶかしく思ったこともあります。
この時代のことについて、以前論じたことがありますので、再掲します。
http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/09/16/8190975
これを読んで1990年代の日本は、そういう時代だったということを思い出します。 そういう時代とは、在日外国人というだけで有利だった時代という意味です。
1980年後半に在日外国人の指紋押捺義務反対運動が起こり、これは日韓の外交問題にまでなって1991年に永住者の指紋押捺が免除され、さらには2000年には非永住者の指紋も廃止されました。 つまり在日外国人の運動が大きな問題となって社会を動かし、遂には日本政府を譲歩させて目的を達成するという大成果を収めた時代です。
そんな時代でしたから在日外国人というだけで、その発言はマスコミに大きく取り上げられたものでした。 マスコミ(朝日など)は在日外国人から日本を批判する発言を期待し、そういうことを話す在日外国人を選んでいました。 つまり在日外国人が、自分の能力や努力ではなく、在日外国人という地位だけで有利に扱われた時代だったのです。 しかし日本が大好きで早く帰化したいなんて言う在日外国人は無視されました。
1990年代はそういう時代だったと記憶しています。 私の憶測ですが、蓮舫はそんな時代にあって‘自分は外国籍を持っている’ ‘外国人としてのアイデンティティがある’と発言したことは、それによって自分の発言が注目される、あるいは大きく取り上げられ有利だという風潮に乗ったものと言えるように思えます。
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